長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、社会の様々な意見や考え方に、子育てや教育に関する卓見(非常に優れた意見・見識)を見出して、当ブログでご紹介できればと考えています。
日々の生活の中で、子育て、躾、教育を家事とともに同時進行でなしているお母さん方に、一つのヒントとなる人生相談が目に付きました。
「山本一力の人生相談」(産経新聞 2018.5.6 http://www.sankei.com/life/news/180506/lif1805060010-n1.html)を引用してご紹介します。
子供の食事作り・・・完璧であるべきか
相談
「食育」に厳しい祖母に育てられました。献立は必ず一汁三菜、おみそ汁の具材は3種以上、1日30品目を摂取といったルールを厳しく守る人でした。バランスの取れた食生活のおかげで私は健康に育ちました。しかし、このルールが呪縛のように感じるときがあります。私も3歳の娘のために毎日食事を作りますが、祖母のようにできないと、自分が手抜きをしているように感じてしまうのです。
専業主婦だった祖母と違い、私はフルタイム正社員。必死に献立を作っても、子供は食が細く、「こんなのイヤ」と言ったり、買ってきた総菜や弁当を喜んだり。むなしい気持ちになり、イライラを子供にぶつけてしまうこともあります。食事作りに時間を割くより、遊んだり絵本を読んでやったり、子供との時間に使った方がいいのではないかとも思います。祖母の食事の再現にこだわるのはただの自己満足なのでしょうか。(神奈川県 30代女性)
回答
ひとはだれしもが、おいしい記憶を持っていると思う。
食べることに始まり、食べられなくなったときに土に返るのが、ひとの一生だろう。
もしも誕生直後の記憶を呼び起こすことができるなら。
初めての、あのおちちの美味(おいし)さこそが、おいしい記憶の始まりではなかろうか。
前置きが長くなった。
あなたはひとも羨(うらや)む、幸せな記憶の持ち主だ。
ていねいに毎食を調理してくれたおばあちゃんが、身近にいたからだ。
おいしい記憶を1200字で綴(つづ)るエッセーコンテストが、今年で10年目となった。
回を重ねても投稿数が減らない最大の理由は、百人百様の「おいしい記憶」があるからだろう。
あなたが作る料理は、多品種である必要などない。
多忙で手が回らなかったときは、炊きたてご飯に生卵をぶっかけた「たまごご飯」でいいじゃないか。
作らなければ、ではない。
作れるときに作ればいい。
大事なことは、一緒に食卓につくこと。
なにを食べたかよりも、そのときの親の表情、会話が一番の滋養となるものだ。
食育に厳しい祖母。
そのおばあちゃんから、いかほど多くの「おいしい記憶」を、あなたはもらえたか。記憶を作るために、時間の遡行(そこう)はできない。こども時分の思い出は、そのときにしか作れない。
新人賞に投稿を続けていた当時、カミさんは鮮魚屋さんで「魚のあら」ばかり買っていた。破格値で買えたから。
かぶと煮が定番料理だったことで、こどもたちは器用な箸つかいを覚えた。いまも魚の食べ方が上手だと褒められる。
料理は愛情。これは事実だ。
こどもは知らぬところであなたを慕い、思い出を作る。
回答者
山本一力 作家。69歳。平成9年『蒼龍』でオール読物新人賞を受賞しデビュー。14年『あかね空』で直木賞受賞。近著に『ジョン・マン6順風編』(講談社)、『牛天神 損料屋喜八郎始末控え』(文芸春秋)。
・・・含蓄を含んだ回答です。
読後、様々な母親の表情が脳裏に浮かんで来るのは筆者だけでしょうか。人それぞれ母親の思い出があります。食事を準備する母親の後姿、俎板で鳴る包丁の音、御飯が炊けた香り、味噌汁の匂い、等々。子供の頃の記憶はふとした時に蘇ります。子育てに一所懸命なのはどのお母さんも同じ。それは子供心に伝わります。子供は幼くとも母親の一挙手一投足や表情を母親の想像以上に気しています。お母さんに余裕がなく、しかめっ面をしていたら、不安が募ります。お母さんが笑顔でいてくれると、不安は吹き飛び思わず笑顔が出てきます。お母さんが、かって自分の子供の頃に感じていたように。
まさに、食事作りや躾や教育も基本は変わりません。「病める時も、健やかなる時も」変わらずに明るく、前向きなお母さんの表情や言葉が、子供を元気付けてくれます。