貝原益軒の説く「幼児教育」其の十一

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、連休前の一日、二十四節氣「穀雨」の清々しい晴天の日に、金比羅山に登頂(塾長が)。
是非、塾生も連れて来たいなぁ、と思いつつ写真では小さくしか見えない日本の誇る海の貴婦人「日本丸」を撮影。
小さい兄弟連れの親子も元気良く山頂の金比羅神宮(標高366m)まで登っていました。

さて、
岩波文庫版の「和俗童子訓」に、
「四民共に学ぶべき学科目」という注釈のついた項目があります。

 幼児教育を効果有らしめる為には、どのような科目を学ばさせるべきか。

「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」的な「習い事」では、まさに「労多くして功少なし」と成りかねません。

「労多くして功少なし」を英語の諺でみると、

You fish fair and catch a frog.
(かなり沢山の魚釣りをしてきたが釣れたのは蛙一匹である。)

とあります。

さて、
貝原益軒先生の「和俗童子訓」。
江戸時代の子を持つ親に向けて分かり易く説いています。

金比羅山上から見る帆船まつりの日本丸・・・非常に小さくしか見えませんが

<読み下し文>

  四民ともに、其子のいとけなきより、父兄・君長につかふる礼儀、作法をおしえ、聖経を読ましめ、仁義の道理を、やうやくさとさしむべし。是根本をつとむる也。
 次に、ものかき、算数を習はしむべし。

 武士の子には、学問のひまに弓馬、剣戟(けんげき)、拳法(やわらほう)など、ならはしむべし。
但(ただし)一向(ひたむき)に、芸をこのみすごすべからず。
必(ず)一事に心うつりぬれば、其事にをぼれて、害となる。
学問に志ある人も、芸をこのみ過ごせば、其方に心かたぶきて、学問すたる。
学問は専一ならざれば、すすみがたし。
 芸は、学問をつとめて、そのいとま(暇)ある時の余事なり。
学問と芸術を、同じたぐひにおもへる人あり。本末軽重(けいじゅう)を知らず。おろかなりと、云うべし。
 学問は本なり、芸能は末なり。
本はおもくして、末はかろし。本末を同じくすべからず。
後世の人、此理をしらず。かなしむべし。
 殊に大人は、身をおさめ、人をおさむる稽古だにあらば、芸能は其下たる有司(つかさ)にゆだねても、事かけず。
されど、六芸は大人といへど、其大略をば学ぶべし。
 又、軍学・武芸のみありて、学問なく、義理をしらざれば、ならふ所の武事、かへりて不忠不義の助(たすけ)となる。
然れば、義理の学問を本とし、おもんずべし。芸術はまことに末なり。
 六芸のうち、物かき、算数をしる事は、殊に貴賎・四民ともに、ならはしむべし。
物よくいひ、世になれたる人も、物をかく事、達者ならず。
文字をしらざれば、かたこといひ、ふつづかにいやしくて、人に見おとされ、あなどりわらはるるは口をし。
それのみならず、文字を知らざれば、世間の事とことば(詞)に通ぜず、もろもろのつとめに応じがたくて、世事とどこをる事のみ多し。

 又、日本にては、算数はいやしきわざなりとて、大家の子にはおしえず、是国俗のあやまり、世人の心得ちがへるなり。

(中略)

 凡(そ)たかきもひききも、算数をしらずして、わが財禄のかぎりを考がへず、みだりに財を用ひつくして、困窮にいたるも、又、事にのぞみて算をしらで、利害を考(かんがう)る事もなりがたきは、いとはかなき事也。
又、音楽をもすこぶるまなび、其心をやはらげ、楽しむべし。
されど、もはら(専)このめば、心すさむ。幼少よりあそびたはふれの事に、心をうつさしむべからず。
必(ず)制すべし。

(中略)

 芸能其外、あそびたはふれの方に、心うつりぬれば、道の志は、必(ず)すたるもの也。
専一ならざれば、直(すぐ)に遂(とぐ)る事あたはずとて、学問し道をまなぶには、専一につとめざれば、多岐の迷(まよい)とて、あなた・こなたに心うつりて、よき方に、ゆきとどかざるもの也。
専一にするは、人丸の歌に、
 「とにかくに、物は思はず飛騨たくみ、うつ墨なはの只ひとすぢに」
、とよめるが如くなるべし。

****************
<現代語訳>
四民(近世封建社会での、士・農・工・商の四つの身分。転じてあらゆる階層の人々。)ともに、  その子の幼い時より、父兄・君長(君主・かしら)に仕える礼儀、作法を教え、聖教(聖人の教え、とくに孔子の教え)を読ませて、仁義(人間が守るべき道徳)の道理(ことわり、わけ)をやうやく(漸く=だんだん、次第に)悟らせるべきである。
これ根本(物事の基礎)のことである。

 その次に、ものかき(文章を書くこと)、算数を習わせるべきである

武士の子には、学問の合間に、弓馬(弓術・馬術、又武芸一般)、剣戟(剣術)、拳法(格闘技)等を習わせるべきである。
但し、ひたむきに(一つのことに熱中する)芸を好み、限度を超えてはいけない。
必ず、一事に心を執着させれば、そのことに溺れ、かえって害となる。
学問に志ある人も、芸を好み過度にのめり込むと、その芸に心が傾いて、学問が疎かになる。
学問は専一(他のことは考えずに、一心に一つのことに取り組む事)でなければ、捗(はかど)ることはできない。 
芸は、学問に専心して、そのいとま(暇)がある時の余事(余力ですること)である。
学問と芸術を、同じ類(類似したものの集まり)であると思う人がいる。本末軽重(物事の基本となる大切なことか、否か。優先順序)を知らない。考えが足りないと、云うべきである。
学問は本(根本)であり、芸能は末(枝葉、主要ではないこと)である。
本(根本)は重要で、末(枝葉、主要ではないこと)は重要ではない。本末を混同してはいけない。
後世(後の世、子孫)の人、此の理論、理屈を知らない。かなしいこと(残念なこと)である。
殊に大人(身分、地位の高い人)は、せめて身を修め、人を治める稽古だけでもなしていれば、芸能は其部下たる有司(つかさ=役人)に委ねても、大事になることはない。
されど、六芸(礼・楽・射・御(馬車の御し方)・書・数)は大人といえども、其の大略(おおよそ、あらまし)は学ぶべきである。
又、軍学・武芸のみ鍛錬して、学問をする事なく、義理(人間の踏み行なうべき正しい道)を知らないならば、習う所の武事(武道や戦に関する事柄)は、かえって不忠不義(忠義を尽くさない事・正義や道義に外れる事)の助(たすけ)となる。
然れば(そうであるならば)、義理の学問を基本とし、重んずるべきである。芸術はまことに末(大した問題ではない事)であると言える。
六芸のうち、文章を書く事や、算数を知る事は、殊に貴賎・四民(身分の上下に関わらず全ての人)と共に、習はせるべきである。
物事についてよく話す人や、世の中の事を知る人も、文章を書く事には、達者(達人)ではない。
文字を知らないならば、たどたどしい話し方で物を言い、ふつづかに(気の利かない、不調法な)いやしくて(洗練されていない、下品な)と、人に見下され、侮られ笑われるのは残念なことである。
それのみならず、文字を知らないならば、世間の事とことば(詞)に通ぜず、もろもろのつとめ(当然しなければならないこと)に応じがたくて、世事(世間の様々な俗事)滞る事ばかりが多い。

又、日本では、算数はいやしい(洗練されていない、下品な)わざ(腕前)であると言って、大家(家柄の良い家)の子には教えない事は、是れは国俗(世間や世の中)の誤りであり、世の人の心得違いである。
(中略)
一般に、身分の高い低いに関わらず、算数を知らないで、自らの財禄(財産や資産)の限度を考えないで、分別なしに財産を費消して、困窮してしまうのも、又、事(重大事)に臨んで算(勘定)を知らずに、利害を考える事も出来ないのは、とてもはかなき無益な事である。

又、音楽をもたいへんに学び、其の心を和らげ、楽しむべきである。
そうではあるが、その事に集中して好めば、心すさむ(気持ちがあれたり、努力を怠ったりした結果、芸の技量が低下する事)になる。幼少の頃より遊び戯れた事に、気持ちや精神を集中させてはいけない。
必ず制約するべきである。
(中略)
芸能などや其の外、遊び戯れる方向に、心が向いてしまえば、道(人の生き方や在り方)の志は、必ず廃れていくものである。
一心不乱に取り組まなければ、すぐに結果が出ないからといって、学問をし道を学ぶには、専一(他のことは考えずに、一心に一つのことに取り組む事)に努力しなければ、多岐(多方面の選択肢)の迷いが生じ、彼方や此方に心が動いて、良い方向へは、辿り着けないものである。
一心に取り組むためには、人丸の歌に、
「とにかくに、物は思はず飛騨たくみ、うつ墨なはの只ひとすぢに」
(いろいろな事情があるがそれはさておいて、物ごとについてとやかく考えない飛騨の匠(工匠、大工や細工師)は、打つ墨入れや縄張りをすることのみに心を込めて取り組んでいることだなあ。」
、と詠めるように、そうで有るべきである。

************************

・・・・・書いていますと、つい長くなって読者の方には申し訳ないなあ、と反省しています。

しかし、
現代の日本人が忘却している先人の智慧が網羅されている文献なので、つい長くても掲載してしまいます。
筆者の言わんとするところをお汲みいただき、ご縁のある方や子供さんをお持ちの親御さんには読んで頂けると幸いです。

posted by at 22:27  |  塾長ブログ

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