作文で「書く」力をつけることが出来るのか?

国語力を身に付け「書く」力をつけることは、結論から言いますと、現在の学校教育では一朝一夕にはできそうも有りません。

現在の子供さんたちが最初に原稿用紙に向かうのは、小学校に就学した一年生時。

教科書を音読するにも、訥々としか読めない。それなのに、いきなり夏休みに課題図書などを指定し、読書感想文を書きなさい、という宿題です。

一学期の学校の国語の時間に、平仮名やカタカナと若干の漢字を学んだ段階で、いきなり読書感想文という「作文」を課す、という先生方の神経(?)がそもそも理解不能です。例えると、自転車に乗った経験がない子供に、補助輪もつけていない自転車に乗って、買い物のお使いに出すようなものです。

文章修行のイロハのイも学校では教えずに、丸投げで夏休みの宿題とされては、各家庭のお母さん方は作文を子供さんに書かせるのに四苦八苦です。稀に、学校から「作文の書き方」という一枚のプリントがあったりするのはお笑いです。何故なら、そのプリントの文言を読んでも、通り一遍の一般論でしかなく、それで書かせることが出来るとは思えない代物だからです。

それに比べ、我が国の歴史を振り返ると、漢籍の素養を身につけたり、和歌を嗜む(たしなむ)ことで幼児期から少しずつ、読む力から書く力へと学ばせるシステムが出来上がっていたように筆者は考えます。

例えば、「和歌」です。

和歌をわかりやすく紹介されているブログ「令和和歌所」(https://wakadokoro.com)からの引用です。

和歌は元来「大和歌(やまとうた)」といい、古来から歌い継がれてきた日本独自の韻文です。
なかでも知られているのが「五・七・五・七・七」いわゆる「三十一文字(みそあまりひともじ)」の短歌形式の和歌だと思いますが、奈良時代に編まれた日本最古の歌集「万葉集」には「五・七」の繰り返しいかんで「長歌」「旋頭歌」といった異なる形式の和歌も存在しました(後世には「俳句」や「都々逸」といった形式も生まれます)。しかしそれが平安時代の初代勅撰和歌集「古今和歌集」の頃には短歌形式が圧倒的主流となり、今私たちがよく知る姿に整います。

ちなみに「五・七」の音節を好んだのは日本人だけではありません。中国の詩(漢詩)もその主流は五言・七言の絶句や律詩なのです。おそらく音節が奇数であることによって句に絶妙なリズムが得られるのでしょう、和歌も漢詩もとりもなおさず朗詠(*)によって発展していったのです。

(*)朗詠(ろうえい:詩歌を声高らかに歌うこと

少し漢詩に触れましたが、和歌は漢詩と比較することで特徴が際立ってきます。実のところ和歌と漢詩は違うところだらけなのです。
和歌は韻文(*)でありながら韻(ライム)(*)を踏みません、極端にいえば三十一文字に収まってさえいれば歌であるのです。しかし漢詩は違います、偶数句の末字で必ず韻を踏みますし、平仄(*)も整えなければなりません。まずこの違いをどう考えるか?

(*)韻文(いんぶん:(漢詩・賦など)韻を踏んだ文。(詩や和歌、俳句など)韻律を整えた文。

(*)韻(いん:詩文で、同一もしくは類似の響きを持つ言葉を、一定の間隔或は一定の位置に並べること)。

(*)平仄(ひょうそく:つじつま、順序)

私は和歌に規律が少ないのは、誰でも詠むことが出来るようにおのずとそうなったのだと思います。漢詩(唐詩)人の主役は科挙試験に及第した博識の文人たちがほとんど、精緻を極めた詩文で自らを主張したのです。

一方の和歌、万葉集をみればわかりますが天皇から果ては乞食まであらゆる人間が歌を詠んでいます。つまり和歌とは、折々の遊宴などに際してみんなで即興的に詠み歌い楽しむもの、まさに「和歌」であったのです。

あいにく平安時代の主な歌集には宮廷貴族の歌しか残っていませんが、それをみても天皇から下級官人まで男女へだてなく歌を詠み、宮廷の慶弔から歌合せそして恋のひめごとまで、公私を問わずコミュニケーションの主流をなしていたことがわかります。

漢詩(唐詩)についていえば女性詩人はほとんど名が残っていませんから、和歌とは紀貫之がいうとおり万人にとっての「歌」であったのです。

花に鳴くうぐひす、水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるものいづれか歌をよまざりける
(古今和歌集 仮名序)

さて、和歌に規律が少ないとはいえ、しだいに和歌は和歌たらしめる修辞というものが発展していきました。掛詞(*)や縁語(*)といった技法です。これを駆使することで平安歌人たちは和歌を文学にまで高めたのです。それは翻って和歌に知性が宿ったということです、ここでようやく和歌は漢詩に引けを取らない教養となりました。

(*)掛詞(かけことば:一つの言葉に二つ以上の意味を持たせた修辞法の一つ)

(*)縁語(えんご:一つの言葉に意味上縁のある言葉を使って面白味を出す修辞法)

・・・上記(古今和歌集 仮名序)の「花に鳴くうぐひす、水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるものいづれか歌をよまざりける」は、
「鶯であれ、蛙であれ、生とし生けるものすべては、歌を詠まないであろうか(いや、詠むであろう)」、というくらい誰しもが親しむことが出来るというのです。

父や母が、また祖父や祖母など身近な人々が日頃から、歌を詠み習わしていれば、幼子であっても、自然と和歌の素養を身につけてきたことでしょう。

和歌を通じて、言葉を覚え、自然や季節の移ろい、人の情感などを、繰り返し朗詠することで、身に付ける素養は、現在の国語教育に欠落したもののように思えるのは筆者だけでしょうか。

これは漢詩の朗詠も同様です。

中国の詩(漢詩)もその主流は五言・七言の絶句や律詩なのです。おそらく音節が奇数であることによって句に絶妙なリズムが得られるのでしょう、和歌も漢詩もとりもなおさず朗詠によって発展していったのです。

漢詩は大学の詩吟部や一般の詩吟の会などに、詠み継がれていますが、幼児期や小学生などに朗詠(または音読でも)させるのは大きな効果があると思います。

そのような言葉に親しみ、人の心や自然を詠み込むことを不断(ふだん:絶え間ないこと)に続けていれば、結果として、自らの言葉を紡いで文章を連ねること(「作文」)が出来るのではないでしょうか。

 

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