英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 8

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、将来の日本の未来を支えていく子供達が、幼児期から小学生、中学生、高校生のそれぞれの時期に、世界の動きや、日本国内の動きなど感覚的にも捉えるだけの力を身につけて欲しいと考えています。筆者の記憶でも、その時代を捉えたニュースフィルムなどの映像は子供心に焼きついています。朝鮮戦争のニュース映像や六十年安保闘争の国会周辺の映像など、テレビで見たという印象もあるのですが、かっては映画館で本編が始まる前に、ニュース映像が流れているのを思い出します。幼くても、感覚的に時代の空気を読むことは出来ます。これは平和なときであれ、動乱期であれ同じです。現在の日本は、お父さんやお母さん方も、祖父母世代も含め、世界史的に見ると稀有なほど平和です。しかし、長い人類の歴史を振り返ると、それは泡沫(うたかた)の夢と言える一瞬の時代でしかありません。

平和な時が続くことは喜ばしいことですが、それは歴史を鑑みると、いつ危機が来ても良い様に、普段から備える工夫が必要です。それは、何より歴史を学ぶことが肝要です。

 

さて、

『新しい歴史教科書』(新版・中学社会)(自由社)英訳シリーズ Section 3の英和対訳部分からの引用です。http://www.sdh-fact.com/CL/Chapter-5-Section-1.pdf

第5章 近代の日本と世界(Ⅱ) 大正・昭和時代前半

Chapter 5: Modern Japan and the World (Part 2)
– The Taisho Period and First Half of the Showa Period

第1節 第一次世界大戦とその影響

67 第一次世界大戦と日本の参戦 第一次世界大戦はどうして起こり、日本はそれにどう関わったのだろうか。

 第一次世界大戦の始まり

日露戦争後、ロシアは東アジアでの南下政策を諦め、再びヨーロッパへの進出を図った。ドイツは、すでに、オーストリア、イタリアと三国同盟を結んでいたが、急速に海軍力を拡大して、海外進出に努めた。これを恐れたイギリスは、フランス、ロシアに接近し、1907(明治40年)、三国協商が成立してドイツを包囲した。ヨーロッパの各国は両陣営のどちらかと同盟関係を結び、緊張が高まっていった。

この頃、バルカン半島では、民族の独立を目指す運動が盛んで、この地域に利害関係を持つ列強は、独立運動を利用して勢力を伸ばそうとした。そのためバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、一触即発の緊張した状態が続いた。ロシアはセルビアなどのスラブ民族を支援し、これらの国々と隣り合うオーストリア*1と対立していた。

1914(大正3年)、オーストリアの皇太子夫妻が、ボスニアのサラエボを訪問中に、ロシアに心を寄せるセルビアの一青年に暗殺された(サラエボ事件)。両陣営は同盟や協商に基づき相次いで参戦し、第一次世界大戦が始まった。

*1 オーストリアは中世からドイツ系のハプスブルグ家が支配し、当時はオーストリア・ハンガリー帝国としてヨーロッパ五代列強の一つに数えられていた。その東部、南部には主にスラブ民族など多民族が居住していた。

Section 1 – World War I and its repercussions

Topic 67 – Japan’s participation in World War I   Why did World War I begin and how did Japan become involved in it?

The outbreak of World War I

After the Russo-Japanese War, Russia gave up its ambition of advancing into East Asia and again set its sights on Europe. Germany had already joined the Triple Alliance with Austria and Italy, and soon proceeded to build up its naval strength and expand overseas. Fearing Germany’s growing power, Great Britain drew closer to Russia and France. In 1907 (Meiji 40), Great Britain, Russia, and France concluded the Triple Entente in order to surround Germany. Tensions rose as the nations of Europe divided themselves between these two camps.

During this time, national independence movements gained strength in the Balkan Peninsula. The great powers with interests in the Balkans exploited this situation to increase their influence over the region. Because the Balkan Peninsula was continuously on the brink of war, it came to be known as “the powder keg of Europe”. Russia backed Serbia and the other Slavic nations against their neighboring rival, Austria.*1

*1=Austria, which was then referred to as the Austro-Hungarian Empire, was among five of Europe’s strongest countries. Since medieval times, it was ruled by the German House of Habsburg. Its eastern and southern territories were inhabited by a variety of ethnic groups, mainly Slavs.

 

・・・現在の世界中の地域紛争は、民族対立や宗教対立が何千年も変わらずに続いていることの証左です。人が混み合うと、まるで満員列車に乗っているかのように、体の身動きすら困難な状況を想像すると実感出来ます。私たちが住む日本は、地勢的に島国であることから、その混雑から幸運にも免れていると言えます。日本に住んでいると、その有難味が分かりませんが、世界の戦乱や混乱が続く国々とは、全く別世界にいるということは理解しておかなければなりません。つまり、電車が空いていて楽チンであることに気付かなければなりません。

 

posted by at 08:31  |  塾長ブログ

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