‘ 羅針塾 ’ の投稿記事一覧

「難しい」を乗り越える子供達の成長

長崎市江戸町にある
難関大学・医学部を目指す
幼児教室 学習塾
羅針塾です

子供達が成長する段階で
「難しい」と思う壁が
一人一人に立ちはだかります

塾内の学びで必死に考え抜くことが
できるか
ここが「成長」に繋がります

幼児さんの場合は「初めてのこと」
「難しいこと」を極端に嫌がる子がいます
先生達は、少しづつ慣れてもらうために
一人一人の特性を見ながら取り組ませます
小学生以降の学びは「考える」
ヒントに安易に頼る前に
自分自身で基本に戻る力をつける
何が分かれば「今」の問いに答えることが
できるか
調べる力、再度学び考え直す力を
つけていきます

「難しい」なあと思い込んでいるだけで
実際に問題に向かうと意外とわかるね。ということも
多々あります
「やりたくない」理由を「難しい」と
思い込んでいる子供達が多くいます
また、解いたのに・・雑で適当だった・・
先生達は、もちろん突き返します
丁寧に分かりやすく書くことを
指示したときに
やりたく無い理由が「難しい・・」と。

子供達は簡単に「難しい、難しい」と言います
また、子供に甘い御家庭は
「うちの子が、難しい。難しい。と言ってグズグズしています。」と
言われるお母様も多くいます

「難しい」に立ち向かえる力

素直に前向きに学ぶ

毎日、毎時間繰り返し実践することで
子供達は見違えるように「成長」します

「賢い子」になるために
子供達が成長するまでに
いくつもの「壁」があります
子供達が逃げそうになった時に
お母様が辛抱強く見守ることが大事です

「本物のトップ!」になるために
トップになると「難しい」を楽しむかのように
学んでいます
調べたり、基本に戻ったりと
読んだり解いたりしながら
あっ!分かった!!という感触を楽しんでいます

トップチームも幼児期はグズグズ言って
泣いた時も・・・辛抱強く見守って下さった
お母様達のおかげだと感謝しております

posted by at 18:56  | 学習塾・幼児教育

幼児さん達の語彙力

長崎市江戸町にある
難関大学・医学部を目指す
幼児教室 学習塾
羅針塾です

個別で指導をする羅針塾
幼児さんの学びは1対1
または1対2(先生が2)です
学びを取り組みながら
色々なことを聞きます

「今日は給食で〇〇を食べておいしかったよ!」
「今日はお友達と滑り台で遊んだよ」

質問に対し、ハキハキと答えられる子
ん〜ん〜と悩みながらポツポツ話す子
子供達の成長具合で異なります

「昨日は、おばあちゃんの誕生日で家族で食事に行きました。」

どこで?何を食べたの?・・・などの質問に
きちんと答えることができた年長さん
通塾当初は、お話ししても意思疎通が上手くできませんでしたが
御家族の協力の下
5w1hで話すことができるようになりました。

通塾当初から受験ギリギリまで
家族以外の人と全く話すことができなかった子
幼稚園の通園も嫌がり自宅で過ごす時間が
多かったのですが
羅針塾で塾生さんのペースで学ぶことで
急に素読・音読も上手くなり
あふれるように話すことができるように
なりました

お母様が何を話しかけ
どのように答えるか
ヒントを与える
語彙力を増やすには
御家庭での言葉のキャッチボールが
大事だと思います

「賢い子」になるために
話しなさい!!と言っても
子供達は急に話すことはできません
一つ一つ質問をしていく
答えを待つ。話し方を教える
正しく丁寧に!!です

「本物のトップ!」になるために
羅針塾で小学校受験をすると
「語彙力」がアップします
こんなことも話すことができるようになった!
お母様達は大喜びです

小学校受験後も素直に前向きに学ぶ
塾生さん達
第一志願校に合格しトップチームになっています

posted by at 18:58  | 学習塾・幼児教育

いろいろな涙

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

令和7(2025)年12月号の「致知」に」特集「涙を流す」と言う記事が目に付きました。様々興味を惹かれる記事があります。その中に、江戸時代の俳人小林一茶の話があります。引用してご紹介します。

涙にもいろいろな涙がある。嬉しい時も悲しい時も、人は泣く。

口惜くやし涙、無念の涙もあれば、喜びの涙、感動のあまり流す涙もある。人の生は常に涙と共にあるといってもよい。

心しなければならないのは悲しみの涙である。悲しみの餌食えじきになって、人生を誤る人も多いからである。

(中略)

もう一つの話は、江戸時代に生きた俳人小林一茶である。一茶の句はユーモアにあふれているが、その人生が悲しみの極みのような人生であったことはあまり知られていない。

一茶は1763年、信濃(長野県)の柏原という寒村で生まれた。3歳の時に実母と死に別れる。父は再婚し、すぐ異母弟が生まれる。継母が気性の激しい人で、先妻の子の一茶をいじめる。父親がみかね、15歳になった時に江戸に奉公に出す。

39歳の時、無性に郷里に帰りたくなり、家へ帰った。父親は両手をひろげて迎えてくれたが、間もなく脳溢血のういっけつで倒れ、再起できず、69歳で亡くなった。父親は一茶と弟が等分に分割相続するように遺言したが、折り合いがつかず、遺産争いは10年以上続き、ようやく折り合いがついた時、一茶は51歳になっていた。

その翌年、一茶52歳の時、28歳の菊と結婚、一茶は菊との間に60歳までに3男1女をもうける。自分が不幸だった分、子供には幸せになってもらいたいと願って、長男には千太郎、次男には強い子になれと石太郎、三男には貧乏しないように金三郎と名づけた。女の子にはさとと名づけ、なめるように可愛かわいがった。

しかしこの子供たちが次々に死んでいく。まず長男は誕生の翌月に死去(一茶54歳)。その2年後に長女さとが生まれたが、1年後に死去した。さとが生まれ育っていく喜びを詠んだ句がある。

・・・断片的に、小林一茶の人生について知っていますが、一茶の俳句の面白さ、愛情あふれる表現は、なるほど!と思わせるものばかりです。ここに紹介するお話は、その時々の俳句の中に、我が子に対する悲しみや慈しみに溢れています。子を持つ親なら誰しも得心するお話です。

へ笑へ 二ツになるぞ からは

さも ちう位也 なり おらが春

一人娘の成長を見守る一茶の幸せそうな顔がみえるような句である。この頃が一茶の幸福の絶頂期だったといえる。

そのさとが6月の初めに天然痘てんねんとうにかかって発熱し間もなく死ぬ。

つゆの世は 得心ながら さりながら

露の世は 露の世ながら さりながら

一茶の悲しみ、無念が伝わってくる句である。

悲嘆の極みに一茶の心境は変化していく。こんな句を残している。

ともかくも あなた任せの としの暮

あなた任せとは、すべてを阿弥陀あみだ仏に任せて生きる覚悟をしたということである。

 

・・・一人娘の成長を楽しみにしている最中、天然痘で娘をなくすという冷厳な事実。思わず、一茶の立場に立たされると、自分ならどうするだろうかと考えてしまいました。

「露の世」と現生の儚さを一言で表す表現が、「露の世ながら さ(然)りながら」と続けます。

敢えて意訳すると、

露のように日が差すと、あっという間に蒸発してしまうように、人の命も儚ないものである。世の中のその儚さは重々承知しているが、それはそうであるが・・・(実に無念であるなあ。と)

先の句は つゆの世は 得心ながら さりながらとあり、

仏の道に思いを致すと、幼い命であっても往生していると得心(心から納得すること)はしているものの、それでも尚、愛しい愛子(まなご;可愛い子、いとし子)が愛おしいなあ、と。

その翌年に次男石太郎が生まれるも、おんぶしている時に窒息死したといわれている。正月に石太郎の位牌いはいの前にぞうにを供えて詠んだ句がある。

もう一度 せめて目をあけ ぞうに膳

かげろうや 目につきまとふ 笑ひ顔

その翌年、菊は三男金三郎を出産したが、1年を経ずして、この世を去った。行年37。その母のあとを追うように、金三郎も亡くなった。

一茶は62歳で天涯孤独となった。

これを機に、一茶は阿弥陀仏への信仰をさらに深めていった。普通の人なら絶望に打ちひしがれてしまうところだが、一茶は次々と襲い来る不幸を乗り越えて、再婚する。

この再婚は数か月で終わったが、この失敗にめげず、一茶は64歳の時、3度目の結婚をする。俳人として名声が広まった頃だが、大火事に遭い、これまで培ってきた本や財産をすべて失い、やむなく生家の裏の土蔵に住むことになった。この頃の一茶は少々のことに乱れない心の様相を持っていた。

土蔵の窓から葬式の列を見て詠んだ句がある。

送り火や 今に吾等も あの通り」「極楽の 道が近よる 冥土めいどかな

そういう状況の中で3人目の妻やをが懐妊する。一茶もことほか喜んだようだが、その子の誕生をみずに、一茶は死んだ。65歳の生涯だった。

ああままよ 生きても亀の 百分一

仏とはほどけた人、という言葉がある。一茶は数々の悲しみを経て、ほどけた人になったのだろう。晩年の句がそれを教えている。

常に悲観をいだきて、心ついにせいす──と釈迦は言った。常に深い悲しみを心に抱き、その悲しみを大切にして歩み続ける人はついに悟りに目覚める。

涙を流すことは心を浄化し、魂を高めることにつながる道なのかもしれない。

 

・・・小林一茶の人生は、波瀾万丈です。幸せを求めてささやかな人生を送ろうとしても、様々な困難、苦難が襲ってきます。現代と違い、食も貧しく子供にとっては栄養不足が日常で、薬も医者も無い。その中であっても、俳句を友とし、我が身と人生を客観視する。

多くの残された小林一茶の俳句は、時代を超えて私達に語りかけているようです。

posted by at 11:59  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

過去問を解き、見えてくるもの

長崎市江戸町にある
難関大学・医学部を目指す
幼児教室 学習塾
羅針塾です

中学受験生は志願校過去問演習に
取り組み出しました

「過去問」に取り組む最大の理由は
時間配分です
後は、理解不足の場所はないか
記述問題の過不足の見極め
一問一問が復習対象となります
「過去問」は何ヶ年分も取り組むのではなく
丁寧に問題を理解し解き上げる
基本基礎を徹底することが
一点一点積み重ねることに繋がります

「過去問」の解答を見ていると
塾生さん達の得意・不得意が
はっきりと見えてきます
できているはずだった・・
やっているはずだった・・
理解したつもりにならないように
ギリギリまで仕上げて欲しい、と
思っています

小学校受験も始まり
「先生楽しかった!」と
今年も嬉しい塾生さん達の声を
聞くことができています
学んだことが自信につながり
楽しかった!という言葉に
変わっています
御家族で臨む「小学校受験」
最後まで有意義な学びになるように
取り組ませていきます

「賢い子」になるために
確実に丁寧に正しく学び
理解することが
「合格」への近道だと考えます
焦って「過去問」ばかりに
とらわれることは賢明ではありません

「本物のトップ!」になるために
安心出来る高得点を取って
ホッとした先生達
しかし、気は抜きません
まだまだ、やるべきことが沢山あります
自宅でどれだけ机に集中して向かうことが
できるか?
お母様のサポートは重要です

posted by at 17:05  | 学習塾・幼児教育

子供の「力」を信じる

長崎市江戸町にある
難関大学・医学部を目指す
幼児教室 学習塾
羅針塾です

「グズって泣いて・・道の真ん中で寝そべって駄々こねて大変だったんです。」

お母様達からよく聞く話です
なぜグズグズ言うのか?
一つは子供の「語彙力」がついてないために
きちんと思いをお母様に伝えられなかった

また、親と子がきちんと約束をしていたか
親の用事でどこかへ行くとき
「今日は、〇〇へ行くけどお菓子は買わないよ。次、行った時に一緒に選ぼうね。」
とか
「○○をしたい!と言ったから行くよ。けど、お母さんが帰ろうと言ったら行こうね。」

子供に目的を伝える
与える条件を伝える
約束は親子でもきちんと守る

「先生が教えて下さった通りに実行したら、段々とグズグズ外で言わなくなりました。」
「母親が公共の場で叱ってはいけないと、根負けしていたので・・ダメなものはダメ私が毅然とした態度を取ったら子供が素直になりました。」

子供の成長のために
子供の「力」を信じることが大事だと
思います

「賢い子」になるために
「我が子はとても我儘なのに、羅針塾でこんなに頑張っているとはびっくりです。」
あるお母様が言って下さいました。

先生達が目的をしっかりと伝えると
素直に前向きに取り組みます
間違えてもいい!と伝えると
手を貸さずとも一所懸命に
最後までやり遂げます
あっという間の成長です

「本物のトップ!」になるために
羅針塾へ御縁する塾生さん達は
長い期間学んでくれます
幼児期から小・中学と
通塾してくれています

その間、辛抱強く子供の「力」を
信じて見守ってくださるお母様達
塾生一人一人が成長しトップチームに
なっています

posted by at 18:46  | 学習塾・幼児教育
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