‘ 羅針塾 ’ の投稿記事一覧

合格しました!〜小学校受験編〜

長崎市五島町にある
就学前教育・プレスクール 学習塾
羅針塾

「人事を尽くして天命を待つ」

「塾長の言葉が本当に身に染みた小学校受験でした。
ありがとうございました。」
合格発表後のお母様の第一声。

一人一人の強みを活かし、
机に向かうことから
出来たよ!分かったよ!へ繋げていきます。
他と競うのではなく、
一つ一つを
しっかりと理解・判断し伝える。
一人一人の歩みは様々です。

何が本番で起こるかわからない
幼児さんの小学校受験。
様々なことを想定して準備を行います。

幼児さん達の気分にはムラも多く
甘えたり、やりたくない、行きたくない。
では、どうする。
お母様達の本気度が合格の御縁へと繋がります。

毎年、受験前日。
凛々しい顔になっている
幼児さんを見ると
先生達も安心して送り出せます。

毎年、第一志望校へ御縁を頂けることに感謝。
これは、御家族の御理解と御協力のおかげです。

合格はスタートライン。
春までに様々な準備を取り組み
トップを目指していきたいと思います。

posted by at 15:33  | 学習塾・幼児教育

合格しました!〜中学受験編〜

長崎市五島町にある
就学前教育・プレスクール 学習塾
羅針塾

中学校受験に臨むギリギリまで
スポーツとの両立で頑張り
奨学生として合格しました。

小学三年生から兄弟で通塾。
公立小学校と私立小学校の授業進度の
スピード感に慣れるまで大変でしたが
慣れてくると、自分自身で調べたり
考えたり、じっくりコツコツと取り組みました。

ノートの取り方もだんだんと綺麗になり
図や線分図を上手く書ける様になり
中学二年生程度までの英語を完了しました。

中学受験に臨んだことは
自ら学ぶ「自律」のきっかけになりました。

小学校で身につけたことは
これからの学びで飛躍していくここと思います。

「人を助ける。」

「祖父や父のような人になる。」

大きな志に向かって歩んでいます。
先生達はこれからもしっかりサポートしていきたいと考えています。

posted by at 19:18  | 学習塾・幼児教育

羅針塾の寅年は・・・

長崎市五島町にある
就学前教室・プレスクール 学習塾
羅針塾です。

あっという間にお正月も過ぎてしまい、鏡開きしたお餅を焼いて塾生さんに振る舞っている今日です。

羅針塾の寅年は
「本物のトップ!を育てていく。」
が目標。

志望校への合格。
学年でのトップ。
更にその上を目指す。

カリキュラムも更に磨きをかけ、理解力のある子は学年をどんどん超えて「国語力」をつける学びを取り組ませていきます。

幼児期から小学校入学までに何が必要か。
小学校低学年からは。
中学受験を目指す子は。
塾生さん個々によって異なります。
しかし、冒頭に挙げた「本物のトップ!」になるために。理解力、応用力を深めた学びを取り組むことを前提に進めていきたいと考えています。

羅針塾の最年少さんがどんどん成長しています。通塾した時はハイハイだったのに〜
今では、よく歩き観察をし、よく聞き、お話をしてくれます。積み木を積んだり、お絵描きしたりと回を重ねるごとに出来ることが増える。冬期講習の間の通塾ではお兄ちゃんお姉ちゃんを眺めて同じ様に真似をしていました。これが学びの一歩だと考えています。今年一年でどのように成長をしていくのか楽しみな先生達です。

まるで大家族の兄弟姉妹のように、年上から年下が見習う羅針塾の塾生さん達。
年齢が下の塾生さんが、年上の塾生さんの学び方や先生達との問答を見ています。自分自身が取り組むときは工夫をして机に向かう。それぞれの学びに目標を持って向き合っているからだと考えています。

今年度も、沢山の御縁に感謝して賢い子を育てていきます。
そして学ぶ意欲のある子ども達を
「本物のトップ」に成長させていきたいと思っています。

 

 

posted by at 18:09  | 学習塾・幼児教育

試験本番に強くなるには?

長崎市の就学前幼児教室(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、普段の学びから自立・自律する学習法を身につけて欲しいと考えています。就学前の幼児期から必要不可欠な学びの基礎訓練をすることからスタートです。

さて、「共通テスト正答率9割」医学部受験生も働く人も本番に強くなる自律神経の整え方、という記事がありますので、引用してご紹介します。

https://president.jp/articles/-/53569?cx_referrertype=mail&utm_source=presidentnews&utm_medium=email&utm_campaign=dailymail

身体を24時間調整してくれる自律神経を整えることで、脳や体のコンディションは変わり、本番前の大学受験生、喫緊の仕事を抱えた社会人にも日々出来る自律神経の整え方があるとのこと・・・

勉強しなきゃと思っても身が入らなかったり、焦りからイライラして集中できなかったり。医学部合格を目指すハードなそんな迷走が起こりがちだ。その対策として知っておきたいのが、自律神経のコントロール法である。

「自律神経とは、血液の循環、呼吸、消化、体温などを24時間休みなく調整している神経のこと。勉強のパフォーマンスが落ちるのは、自律神経の働きが乱れているときです」

こう指摘するのは、順天堂大学医学部の小林弘幸教授だ。睡眠不足、運動不足など受験生によく見られる生活習慣やストレスは、すべて自律神経の乱れを引き起こす原因になるのだとか。

自律神経を構成するのは、心身をアクティブな状態にする交感神経と、心身をリラックスさせる副交感神経の二つ。車でいえば交感神経はアクセル、副交感神経はブレーキに相当する。小林教授によれば、勉強に集中するためには、両者がうまく働き、なおかつバランスが取れた状態を保つことが肝心だという。

「自律神経のバランスが取れていると血流が安定し、細胞の一つ一つに質のよい血液が行き渡ります。すると体調が整えられて集中力が高まるうえに、脳の働きも活性化します。神経が敏感に働くので、ケアレスミスも犯しにくいんです。さらに免疫力も上がるので、受験生の大敵である風邪やインフルエンザにもかかりにくくなりますね」

・・・自律神経を整える必要性は、緊張し過ぎて失敗した経験がある人なら得心できますが、これから大事な受験などを控えた大学受験生は、早くから訓練しておくと、非常に大きな自信に繋がります。

勉強(仕事)の合間にできる自律神経を整える7つの方法

1.背中は丸めず伸ばす

2.食物繊維や発酵食品を食べる

3.45分勉強して5分休憩

4.「毎日が本番」だと思う

5.寝る前は1:2の深呼吸

6.簡単な日記を書く

7.トラブルをイメージ・トレーニングしておく

 

・・・7つの方法の詳細は、上記サイトをご覧ください。

1. 背中は丸めず伸ばす は、中・高校生は一朝一夕にはできないのが現状です。幼児期から訓練して必要があります。「背中が丸まると頸部けいぶの筋肉が緊張し、脳と胴体をつなぐ神経や血管に負担がかかって自律神経に悪影響を及ぼします。血流が悪くなり脳や内臓の活動量が低下。集中力が欠けてしまうのです」(小林教授)。

矯正する簡単な方法は、正座で音読をすることです。

2. 食物繊維や発酵食品を食べる は、普段の食生活習慣ですから、幼児期から和食を中心とし、グルテン・フリー(パン、スパゲティなどは常食にしない)を励行する。腸内細菌の善玉菌を増やすことは、免疫力も上げていき、お腹の調子が良いことは、不安や悩みも減少することに繋がります。

3. 45分勉強して5分休憩 は、小学校の授業の一限分にあたります。但し、5分以上休むと、かえって学びのリズムが狂ってしまいます。

4.「毎日が本番」だと思う は、精神的に「本番」を意識して、毎日「氣」合いを入れて学習する癖をつけることです。漫然と学習する癖がついていると、本番のときには、どんな問題が出て、何を書いたかわからないという、悲惨な結果もあり得ます。

5. 寝る前は1:2の深呼吸 は、呼気(こき:吐く息)と吸気(きゅうき:吸う息)の割合を、Ⅰ:2にすることです。筆者自身は、先ず呼気を1の割合で口から出し、一旦息を止め、2の割合で鼻からゆっくり吸う、という繰り返しの呼吸法を指導しています。

6. 簡単な日記を書く は、運動選手がその日の練習の反省点を書くことなどしている例が多いようですが、受験勉強にも通じるものがありますので、活用する価値があります。

7. トラブルをイメージ・トレーニングしておく は、普段の定期試験や公開模試などのときを利用して、工夫することは必要です。普段から、解けない問題に当たったときの緊張をほぐす方法は、自らに合ったやり方を見つけることがポイントです。

 

・・・普段から本番を意識して学習することは、武士が「常在戦場」と日常を過ごしていたことと合い通ずるものが有ります。普段から受験への意識を高く持つことが、受験に際し動じない気持ちを醸成することに繋がります。

posted by at 14:14  | 塾長ブログ

学問のすすめ 初編 4

長崎市の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、国語力をつけることがレベルの高い学びの基本だと考えます。

「読み・書き・算盤」と昔の人が言い慣わした通りである、と最近の学力の格差をみるにつけ痛感します。母語である日本語の語彙が豊かでないと、英語ですら習得することに困難を覚える子供達が増えているという現実があるからです。

さて、「学問のすすめ」初編の続きです。

昨今の有様を見るに、農工商の三民はその身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並ぶるの勢いに至り、今日にても三民のうちに人物あれば政府の上に採用せらるべき道すでに開けたることなれば、よくその身分を顧み、わが身分を重きものと思い、卑劣の所行あるべからず。およそ世の中に無知文盲の民ほど憐れむべくまた悪むべきものはあらず。智恵なきの極みは恥を知らざるに至り、己が無知をもって貧窮に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずしてみだりに傍の富める人を怨み、はなはだしきは徒党を結び強訴・一揆などとて乱暴の及ぶことあり。恥を知らざるとや言わん、法を恐れずとや言わん。天下の法度を頼みてその身の安全を保ち、その家の渡世をいたしながら、その頼むところのみを頼みて、己が私欲のためにはまたこれを破る、前後不都合の次第ならずや。あるいはたまたま身本慥かにして相応の身代ある者も、金銭を貯うることを知りて子孫を教うることを知らず。教えざる子孫なればその愚なるもまた怪しむに足らず。ついには遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少なからず。

昨今(近頃)の有様(状態、様子)をみると、農工商の三民(士農工商の内の三身分)は、徳川の御世(みよ)と比べ百倍ほどの地位に達し、士族と肩を並べるほどの勢いに達し、今日でも農工商の三民の身分でも、(有用の)人物であれば政府の役人として採用されるべき方途(ほうと:手段、方法)は開けているので、その身分を顧みて(その属する地位や役割を気遣って)自らの身分(地位・役目)を重要なものと考えて、卑劣(品性や行動が卑しくて下劣)な所行(なすこと、仕業)があってはならない。

およそ世の中で、無知文盲(知識学問のないこと、字の読めないこと)の民ほど憐れむべきで、また悪む(不快に思う、許し難いと思う)べきものはない。知恵のないことの究極は、恥を知らないところに至り、自分の無知によって貧窮(貧しくて、困ること)に落ち入り、飢寒(飢えと寒さ)に近づいてしまうときは、我が身を罪せず(自分の罪を問わないで)して、みだりに(勝手気ままに)傍ら(かたわら:すぐ近くの、そばの)の富める人を怨み、はなはだしき(程度が普通より超えているとき)は、徒党を結び(不穏なことを行おうと集まった仲間と組み)強訴(掟に反して自己の要求をすること)・一揆(徒党を組んだ武装蜂起)などの乱暴に及ぶことがある。恥を知らないとも言うべき、法を恐れないとも言うべきである。天下の(国の、世の中の)法度(はっと:掟、法律)に依存して、その身の安全を保ちながら、その家族の渡世(社会の中で生きていくこと)をしていきながら、依存するところは依存し、己の私欲のためには、天下の法度を破る。前後不都合の次第(先も後も自分の都合の良し悪し次第)ではないか。あるいは、たまたま身元(生まれや境遇、経歴)が慥か(たしか:事情や経緯がはっきりして、信用のおけるさま)でそれ相応の身代(しんだい:財産)がある者も、金銭を貯えることは知っていても、子孫を教えることを知らない。教えを受けていない子孫であれば、その愚かであることも怪しむ(不思議に思う、変だと思う)ことはない。ついには(最後には)、遊惰(ゆうだ:仕事もせずにぶらぶらと遊んでいること)放蕩(ほうとう:ほしいままに振る舞うこと)に流れ、先祖代々の家屋敷・財産も一朝の煙(僅かな時の煙)となしてしまう者が少なくない。

かかる愚民を支配するにはとても道理をもってさとすべき方便なければ、ただ威をもっておどすのみ。西洋のことわざに「愚民の上にからき政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招くわざわいなり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。仮りに人民の徳義今日よりも衰えてなお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風におもむくことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法のからきとゆるやかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政をにくむ者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。今の世に生まれ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配あるにあらず。ただその大切なる目当ては、この人情に基づきてまず一身の行ないを正し、厚く学に志し、ひろく事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はそのまつりごとを施すにやすく、諸民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得てともに全国の太平を護らんとするの一事のみ。今余輩の勧むる学問ももっぱらこの一事をもって趣旨とせり。

この様な愚民(愚かな人民)を支配するには、とても道理(人の行うべき正しい道)をもって諭す(事の道理を理解できる様に言い聞かせる)方便(手段、手立て)が無ければ、ただ威(い:人を恐れ従わせる力)をもって畏す(畏れさせて従わせる)のみである。西洋の諺に、「愚民の上に苛き政府あり(愚かな人民を統治するには、苛酷な政治を行う政府がある)」とはこのことである。これは政府が苛酷(思いやりがなく、厳しいこと)なのではなく、愚民が自ら招く災いである。愚民の上に苛酷な政府あれば、良民の上には良い政府があるという理屈になる。故に、今の我が日本国においても、この人民ありてこの政治があることになる。仮に、人民の徳義(人間として踏み行うべき道徳上の義務)が今日よりも衰えてなお、無学文盲(学問知識がなく、字が読めないこと)に沈むことがあれば、政府の法も今まで以上に厳重になるであろうし、もし人民が皆学問に志して、物事の理屈を知って、文明の風(経済状態・文明技術水準が高度化した社会の態度)に赴く(おもむく:向かう)ことがあれば、政府の法も一層寛仁(かんじん:心が広く、思いやりのあること)大度(たいど:度量の大きいこと)の状況になるべきである。法の苛酷であるか寛大であるかは、人民の徳があるか、不徳であるかによって、自ずから加減があるだけである。

人は誰も苛酷な政治を好み、良好な政治を悪む(反対する)者があろうか、誰が自分の国の富強(富んでいて強いこと)を祈らない者があろうか、誰が外国からの侮り(軽蔑)に甘んずる者があろうか、これは人である以上誰しもが持つ情である。この世に生まれ報国(国恩に報いるために尽くすこと)の心がある者は、必ずしも自分の身を苦しめ、心を苦しめ、焦慮(焦って苛立つこと)するほどの心配はいらない。

ただ最も大事なことは、国を思う心に基づいて、まず自分自身の行いを正しくし、強い気持ちで学問を志し、博く(大きく遠くまで見通し)物事を知り、それぞれの身分に応じた智識を備え、政府はその政(政治)を行うに分かり易(やす)く、諸民(国民)は政府の支配を受けて苦しみのない様、互いに(国民も政府も)その役割を果たし、ともに国全体の太平(世の中が平穏で良く治まること)を護ろうとすることが一番大事である。

今、余輩(私)が勧める学問も専ら(もっぱら:主に)この一事をもってその趣旨(言おうとする肝心なこと)とする。

 

・・・以上が、「学問のすすめ」17篇のうちの初編です。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」との文言は人口に膾炙(かいしゃ:人の口の端にのること)していますが、その全体を読み通す人は現在では少ないのではないでしょうか。

初編だけでも四回に分けて、簡単な現代語訳をつけてみましたが、改めて福沢諭吉先生の名調子を味わうことができます。

人は長ずるに従って、学問をすることの意味合いを肝に銘じていくことが、長い人生で学び続ける力の源になるのではないでしょうか。

 

posted by at 18:31  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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