‘ 羅針塾 ’ の投稿記事一覧

第22回 羅針塾学習塾 親子セミナー

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室
羅針塾学習塾です。https://rashinjyuku.com/wp

〜変化する教育〜
〜親子で学ぶ「学問のすゝめ」〜

今回の親子セミナーは2部構成
保護者向けのお話「変化する教育」
親子でシリーズで学んでいる
福沢諭吉の名著「学問のすゝめ」です。

学ぶという環境が変化しつつあります。
私達「親」はどのような立場で
どのように「子供」を導いていけばいいのでしょうか。
最新の情報も交えて話を聞き、考え、意見交換できればと
考えております。

日時 平成30年5月13日(日)

時間 11時〜13時30分

講師 第12期「寺子屋の先生」養成講座認定講師
八木 海平氏

参加費用 500円(一家族)

お申込み方法 羅針塾学習塾 問合せフォーム
(参加氏名・人数・お子様の氏名年齢および学年をご記入くださいませ)

皆様のお越しを楽しみにいたしております。

posted by at 11:39  | 学習塾・幼児教育

大学入学共通テスト 全国立大学が外部の資格・検定試験を併用

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生の長所・短所を見極めながら、より良く学ぶ力をつけて欲しいと念願しています。

さて、新聞紙上では大学入試改革の記事がしばしば紹介されています。子供を持つお母さん方も将来の我が子の姿と重ね合わせて、大学入試の先行きを意識せざるを得ません。産経新聞(2018.4.30)からのご紹介です(http://www.sankei.com/life/news/180430/lif1804300001-n1.html)。

 

全国立大で検定と記述式を活用へ 共通テスト

 2021年1月から大学入試センター試験に代わって実施される「大学入学共通テスト」では、国語と数学に記述式問題を導入するとともに、英語では筆記とリスニングの他、「聞く・読む・話す・書く」の4技能をすべて評価するため、大学入試センターが認定した外部の資格・検定試験(受験の年の4~12月に2回まで)を併用することになっています。

結果をどう活用するかは各大学に委ねられていますが、国立大学協会(国大協)は、一般選抜で両方を全受験生に課すとするガイドラインを策定しました。他の公私立大学にも、大きな影響を与えるものと見られます。

記述式は一般選抜の全受験生に

ガイドラインでは、まず資格・検定試験について、5教科7科目と同様、一般選抜の全受験生に課すことを確認。

具体的には、(1)一定水準以上の認定試験の結果を出願資格とする(2)CEFRによる対照表に基づき新テストの英語試験の得点に加点し、点数等の具体的な設定は各大学・学部等が主体的に定める…のいずれか、または両方を組み合わせて活用するとしています。

CEFRとは、「ヨーロッパ言語共通参照枠」のことです。外国語を教えたり学んだりする際にどれだけ使える力があるかを、A1~C2の6段階で示したものです。Aは「基礎段階の言語使用者」、Bは「自立した言語使用者」、Cは「熟練した言語使用者」で、それぞれ1が下位、2が上位です。中央教育審議会は、2022年度までに中学校卒業段階でA1レベル相当以上、高校卒業段階でA2レベル相当(英検準2級等)以上を達成した生徒の割合を50%以上にすることを国の目標に盛り込むよう答申をまとめています。資格・検定試験のスコアを文部科学省が作成したCEFRと対照させることで、受験生がいろいろな資格・検定試験を受けていても、同一基準での活用が可能になるわけです。

一方、国語の記述式問題は段階別で成績が表示されますが、国立大学ではこれを点数化し、マークシート式の得点に加点することを基本にするとしています。数学はもともとマークシート式問題と一体で出題されるため、同センターの配点に従います。

入学後にも必要な能力

ところで国大協の方針をめぐっては以前、資格・検定試験の配点を最大でも1割弱にするとの一部報道がありました。しかし最終的には先に見た通り、各大学の判断に委ねられています。

東京大学は、福田裕穂副学長(入試担当)が3月の記者会見で、資格・検定試験のスコア提出は求めるものの、合否判定には使わない考えを表明していました。ただ、これは国大協がガイドラインを公表する前です。

その東大も、4月から学生の「国際総合力」を伸長させるため、認定制度「Go Global Gateway」を始めました。五つの要素で構成される国際総合力の第1には「コミュニケーション能力」を挙げています。資格・検定試験で問われる4技能が、たとえ入試段階ではそれほど評価されなかったとしても、入学後に必要になってくることは間違いありません。

記述式も、大学教育で求められる思考力・判断力・表現力が備わっているかどうかを測るものです。配点などに惑わされず、今からしっかりと高校の授業で取り組みたいものです。

・・・結局のところ、各大学は優秀な学生を集める為に様々苦悩をしているわけですから、入試改革の一環として資格・検定試験を導入するとしても、それが優秀な学生を見極める物差しになるかは未知数です。子供を育てる親の立場からすると、常に制度は変わるものと達観して、幼児期から「考える力」「聞く力」「伝える力」を如何に涵養(かんよう:水が自然にしみ込む様に、少しずつ養い育てること)していくか、です。

posted by at 07:44  | 塾長ブログ

幼児期から聞き取る力は必要

長崎市五島町にある学習塾・幼児教室 羅針塾学習塾です。
https://rashinjyuku.com/wp

お天気に恵まれたゴールデンウィークが始まりました。
羅針塾学習塾は連休中も元気な声が響いています。
「聞き取る力」
とても必要だと考えています。
近年、国立・私立小学校 国立幼稚園の試験でも重視されていることです。
子供達を観ていて感じることは「聞き取る力」の能力が低いこと。
学力や成績とは関係なく
幼児期の受験に取り組む時の学び、お話の聞き取りや指示行動
小・中学生が指示を聞き、考え行動する力が劣っているように感じます。

どのように鍛えていくのか?
これは、塾内の学びだけでは無理です。
日々の生活が大事。
家族一人一人の役割や会話の中身がとても重要になってきます。
羅針塾学習塾でご縁をする御家庭には
必ず、聞き取る、伝える、理解する力のやり方を
説明していきます。
実践が実を結び結果として現れいると考えています。

「ハキハキ!元気!賢い子」

羅針塾学習塾で学ぶ幼児さん達は
段々と場をわきまえてしっかり論理的に
話すようになっていきます。
塾内での学びと、ご家庭の御協力があってこそ。
受験の合格だけでなく、その後も賢くなっていきます。
話に無駄がない。しっかりと考える。
一つ一つの積み重ねは、子供達の成長の証です。

美味しい阿蘇のラングドシャ!ありがとうございました。
早くも4月最終日です。

posted by at 10:33  | 学習塾・幼児教育

母の味 Audrey at Home Memories of My Mother’s Kitchen

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、4、5月の連休中も通常通り「学び」に勤しんでいます。

さて、かって子供であった全ての人はお母さんの手作りの料理、所謂「御袋の味」を懐かしむことがあると思います。人間の五感は時として一瞬にしてタイムスリップさせるかのようなことを惹起します。その中でも、嗅覚は格別で「懐かしさ」とともに蘇る印象は鮮烈です。その香りや匂いは、幼児期なのか、少年少女期かを問わず、母親の後姿や声音までも思い出させてくれます。

オードリー at Home

ネットで見つけた書物は、筆者の興味を引きました。「永遠の銀幕スター」(古色蒼然たる表現ですが・・・)Audrey Hepburn(オードリー・ヘプバーン)の、息子さんが著した書物。「オードリー at Home](原題:Audrey at Home Memories of My Mother’s Kitchen-With Recipes,Photographs and Personal Stories )です。

映画が好きで美味しいものが好きな方必見。

キャッチ・コピーは、

今なお世界を魅了し続ける女優オードリー・ヘプバーンが愛したものに思いを巡らせ、息子ルカ・ドッティが語る母の生涯。彼女の最愛の子ども達、友人、動物達と過ごした日々を、50種類のお気に入りのレシピと250枚以上の家族写真、思い出の品、プライベートなエピソードの数々で描き出す。真のオードリーの家庭の姿がこの一冊に。

オードリーと母エラ・ファン・ヘームストラ男爵夫人

 

パスタ・アル・ポモドーロが大好きなオードリー

 

posted by at 02:12  | 塾長ブログ

英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 19

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、穀雨(二十四節気の一つ)の「霜止出苗(しもやんでなえいずる)」の時期に因んだわけでは有りませんが、プランターの花々の植え替えをしました。早く来た塾生にも手伝って貰い、根切り虫を土壌の中から駆除。花の苗の成長を見守ります。

さて、英語と歴史を同時に学ぶ」シリーズです。第4章 近代の日本と世界(1) 幕末から明治時代 第1節 欧米諸国のアジア進出 の続きになります。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%201,%202.pdf

 Choshu and Satsuma Domains’ bid to expel the barbarians

In 1863 (Bunkyu 3), the shogunate succumbed to pressure from the Imperial Court and asked that all domains take measures to drive away foreigners. Choshu Domain eagerly embraced this call to arms, only to find itself confronted the very next year by a punitive expedition of American, British, French, and Dutch warships. Helpless in the face of the withering firepower of the combined fleet, Choshu was quickly defeated. This was called the Shimonoseki War.

The other powerful domain influenced by the sonno joi movement was Satsuma (modern-day Kagoshima Prefecture). Unlike Choshu, Satsuma Domain did support the shogunate’s policy of opening Japan, but Satsuma samurai murdered British citizen Charles Lennox Richardson in 1862, and British warships attacked Kagoshima Castle in Satsuma Domain in retaliation for the “Richardson Affair“. Though Kagoshima was burnt to the ground under the enemy bombardment, Satsuma did put up a tough fight and caused significant damage to the British fleet. This conflict was called the Anglo-Satsuma War.

The British left the fight greatly impressed by the bravery of Satsuma samurai, and henceforth attempted to deepen its ties with Satsuma Domain.

Having seen the military strength of the Western powers firsthand on the battlefield, the samurai of Satsuma and Choshu realized that simply “expelling the barbarians” would not save their country. Instead, they increasingly came to believe that Japan would have to embrace Western civilization in order to modernize its own military forces.

Topic 50 Recap Challenge! –

(1.) Write down two controversial provisions included within the US-Japan Treaty of Amity and Commerce.

(2.) Explain the differences in the policies of the shogunate and those of the samurai of the sonno joi movement.

長州藩の下関砲台を占拠した四ヶ国連合艦隊の兵士達  長州藩は馬関海峡(現関門海峡)を封鎖し、通行する外国船を攻撃したが、四ヶ国の連合艦隊17隻に砲撃されて敗北した(ベアト撮影 神奈川・横浜開港資料館像)

 攘夷を決行した長州藩と薩摩藩

朝廷の攘夷の要求に押された幕府は、1863(文久3)年、各藩に攘夷を行うよう命じた。これを受けて長州藩は攘夷を決行したが、翌年、報復にやってきた米・英・仏・蘭の軍艦の圧倒的な火力によって敗北を喫した(下関戦争)。

 長州藩と並ぶ有力な攘夷勢力は、薩摩藩(鹿児島県)だった。薩摩藩は、幕府の開国方針を支持していた。しかし、1862年に薩摩藩が起こしたイギリス人殺傷(生麦事件)に報復するために、鹿児島に来襲したイギリス艦隊と戦った。艦隊の砲撃により鹿児島城下は炎上した。しかし、薩摩藩は善戦して、艦隊にかなりの被害を与えた(薩英戦争、1863年)。

 以後、イギリスは薩摩藩士の気概に一目を置くようになり、薩摩藩に接近していった。

外国と戦争をした薩長両藩の攘夷派の武士達は、単純な攘夷論では国を救えない、我が国は西洋文明を積極的に取り入れ、軍事力の近代化を図らねばならないと考えるようになった。

 まとめにチャレンジ 

①米国と結んだ日米修好通商条約に含まれていた二つの問題点を書いてみよう。

②尊王攘夷派の武士達と幕府の方針の違いを説明してみよう。

The Tsushima Incident

The foreign threat to Japan came no less from the north. In February 1861 (Bunkyu 1), the Russian warship Posadnik suddenly appeared in Aso Bay, Tsushima Island. Three hundred and sixty Russian soldiers disembarked, occupied part of the island, and killed several local people. Russia was an imperial rival of Great Britain and hoped to turn Tsushima into a military outpost for its own incursions into the Pacific.

The shogunate convinced Great Britain to compel the Russians to leave, but the occupation of Japanese territory for half a year hammered home to the people of late-Edo Japan the necessity of a strong national defense.

 

対馬事件

 外国の脅威は北からもやってきた。1861(文久元)年2月、ロシアの軍艦ポサドニック号が、突然、対馬の浅茅(あそう)湾に来航した。360人のロシア兵が島の一部を占拠し、島民殺害事件まで起こした。ロシアの目的は、イギリスに対抗して対馬を太平洋進出の軍事基地にすることだった。

 幕府はイギリスの力を借りて退去させたが、半年に亘り日本の領土を占拠されたこの事件は、幕末の人々に国防の重要性を認識させた。

 

・・・現在も国防の最前線である対馬。

元寇襲来の文永の役(文永11(1274)年)では、宗資国は80余騎で応戦しながら対馬勢は多くの元兵と元軍の将軍を射倒し、宗資国自らも4人射倒すなど奮戦したものの、宗資国以下の対馬勢は総討ち死にした。その時の対馬の惨状を日蓮が以下のように伝えている。

去文永十一年(太歳甲戊)十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、対馬ノ者、カタメテ有シ総馬尉(そうまじょう)等逃ケレハ、百姓等ハ男ヲハ或八殺シ、或ハ生取(いけどり)ニシ、女ヲハ或ハ取集(とりあつめ)テ、手ヲトヲシテ船ニ結付(むすびつけ)或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ、壱岐ニヨセテモ又如是(またかくのごとし) — 『日蓮書状』

元軍は宗資国以下の対馬勢を破った後、島内の民衆を殺戮、あるいは捕虜とし、捕虜とした女性の「手ヲトヲシテ」つまり手の平に穴を穿ち、これを貫き通して船壁に並べ立てた、としています。

その約六〇〇年後の対馬事件は、ロシア軍艦ポサドニック号が文久元年(1861)二月に対馬尾崎浦に来航し、浅茅湾に居座り、九月まで対馬藩や幕府がその対応に苦慮したものである。対馬藩内では対応を巡って、武力での排撃を主張する攘夷派と紛争を避けようとする穏健派で論争が起こり藩内は混乱。宗義和は事を荒立てず穏便に解決しようと接しながらも、問状使をポサドニック号に派遣し、その不法を何度か詰問した。しかしロシア側は無回答を貫き、優勢な武力をもって日本側を脅かしたり、住民を懐柔したりし、木材・牛馬・食糧・薪炭を強奪または買収して滞留の準備を整えた。またロシア水兵は短艇を操って沿岸を測量し、山野を歩き回って野獣を捕獲したり、中には婦女を追跡して脅かす水兵もいたため、住民は激昂し、しばしば紛争が起こった。七月に、イギリスが幕府に英艦隊の圧力によるロシア軍艦退去を提案。幕府は独力で排除できず、イギリスの干渉によってロシア艦隊が退去に至った。

いつの時代も、しっかりした軍事力を有していないと、他国の侵略に翻弄されてしまうという厳しい現実。それを歴史は証明しています。

posted by at 19:00  | 塾長ブログ
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