‘ 国語力ブログ ’ カテゴリー

生きる力 人間力を高めましょう

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

茶道裏千家第十五代・前家元の千玄室氏が、去る8月14日に102歳でお亡くなりになりました。かって長崎で講演された際に、素晴らしいお話を聴講いたしました。その頃も九〇代半ばを過ぎておられていましたが、長身で矍鑠(かくしゃく)とされオーラを放っておられました。講演会場からお帰りになる際にお見送りをしていますと、偶然視線が合い握手をして頂き感動した記憶が残っています。

本年(令和7年)1月18日に開催された致知出版社新春特別講演会「生きる力」のお話が掲載(月刊『致知』2025年11月号特集「名を成すは毎に窮苦の日にあり」)されていますので、引用して一部をご紹介します。

人間力を高めましょう
(前略)

さて、昨年は元旦から能登のあの大地震、そしてまた豪雨とか、大洪水とか、日本列島は様々な大きな試練を受けました。たくさんの我われのどうほうが、お亡くなりになったり、家を失われてこれからどうやって生きていこうかと途方に暮れていらっしゃったりするわけであります。

そういう方々のために、私たちは何かをして差し上げなくてはいけない。

それは誰かに強制されてやることではありません。求められるのは、人間の本能に根ざした、心の底からの思いやり。私ね、その大本となる人間力を高めようと申し上げたい。

人間力を高めるというのは、人間の存在価値というものをどれだけ認識できるか。そして自分の知性ですね。ナレッジ(知識)、ウィズダム(知恵)、こうしたものがすべて知性に入るわけですが、この知性をいろんな経験を重ねて磨き上げることによって、自分自身を高めていくことが大事です。

皆さん方は、そういう自分自身の存在価値、これをどのように考えていらっしゃるか。そこが大事なところだと私は思います。

お互いが身をひけば衝突は起こらない

私はきょうまで一世紀にわたって生きてまいりましたが、その中で自分の足元を見つめ、自分を省みるよすがとしてきたのが、『論語』の「われ日にが身を三省す」という言葉です。朝に反省する、昼に反省する、夜に反省する。人間はリフレクトしなければいけないと。

私は、朝起きたらまず最初に鏡を見て「おはようございます」と言うのです。これは子供の頃に母から教わって始めたことです。

母は私に言いました。

「あなたね、朝起きたばかりでまだ眠いからといって、仏頂面ぶっちょうづらで『おはよう』と言っても相手に通じないわよ。これからは、毎朝鏡に映った自分の顔に向かって『おはようございます』と言いなさい。そして夜寝る前に歯を磨く時にも、また鏡の中の自分自身に向かって『きょうも一日ご苦労さんだったな』と言ってあげなさい」と。

私は母から、そんなふうに『論語』の三省を教わりました。

おかげでどこへ行っても皆さんに、「おはようございます」と素直にご挨拶できるようになりました。私はこれを、母からいただいた人生で一番大きな宝だと思っているのですよ。私がここまで長生きできたのも、小学一年生の頃からこれを実践してきたおかげだと思っています。

・・・最初の導入のお話から、聞き入ってしまうようなお話です。

千玄室氏のお話の中で、よくお母様のお話が出てきます。恐らく、成人されてからずっと、子供の頃に聞かされたであろうエピソードが、ご自身の人格形成の基本となっておられると言うことではないでしょうか。

『論語』の「われ日にが身を三省す」という言葉は、羅針塾で論語の素読をする際に必ず暗誦します。因みに、これに続いて論語の素読の最後の一節は、「我が道は、一(いつ)以(も)って之を貫く」です。

古今東西を問わず、幼児期からの母親の薫陶(くんとう:人格・品位などで人を感化し、良い方に導くこと)は、人の人間力を高める大きな力となります。

 

posted by at 19:06  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

デジタル教科書 是か非か

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

昨今では、教育現場で盛んにICT教育推進の風潮がありますが、真の学力向上に結びつくのか、と疑義が生じています。

産経新聞「主張(社説)」025/9/27に、「デジタル教科書 学力低下の懸念拭えない」から、引用してご紹介します。

<主張>デジタル教科書 学力低下の懸念拭えない

子供の学力低下につながらないか、不安を拭えない。

中央教育審議会の作業部会が、デジタル教科書を正式な教科書と位置付ける案を了承した。令和12年度から学校の授業で使用される見通しという。

パソコンやタブレット端末で表示するデジタル教科書は、紙の教科書に比べて集中力が落ち、記憶に残りにくいという指摘がある。海外では、デジタル教材の推進国が学力低下などを理由に、紙の教材に回帰する動きも出ている。

教科書は学びの中心だ。デジタル化により基礎基本の読解力などが低下したら本末転倒である。文部科学省は正式な教科書にする前に、学力に及ぼす影響を厳密に検証すべきだ。不安を抱えたまま、デジタル化を急ぐことには反対である。

中教審の作業部会が了承した案は、教科書の形態を、①現行の紙②デジタル③紙とデジタルの組み合わせ(ハイブリッド)の3種類とし、教育委員会が選択できるようにする―というものだ。これを受け、文科省は来年の通常国会で関連法案の改正を目指すという。

少し前のめりになっているのではないか。

デジタル教科書には英会話を音声で繰り返し聞けたり、算数などで図形を動かせたりして学習意欲を高めるメリットがあるとされる。一方、画面が動くために集中力が途切れたり、視力が低下したりする懸念もある。こうしたデメリットについて、作業部会が十分に検証したとはいいがたい。少なくとも小学校の低学年から導入すべきではないだろう。

スウェーデンでは、2010年から教育のデジタル化を積極的に推進してきたが、近年の国際学力調査で成績が低下したことなどを受け、22年から紙の教材を重視する政策に転換した。フィンランドでも一部地域で、デジタル教材を紙に戻す動きがみられる。

文科省は関連法を改正する前に、こうした海外の状況も分析し、子供の発達段階をふまえた制度にしてもらいたい。

紙とデジタルのバランスも重要だ。全国学力テストを基にした文科省の調査では、家庭の蔵書量が少ないほど成績が低下する傾向があることも分かった。紙で読み書きすることの大切さを忘れてはならない。

・・・社説の筆者は「紙の教科書」と「デジタル教科書」を比較しながら、懸念される点を指摘しています。

小・中学校の義務教育は、とても大事な教育で「人」の人格形成や知的発達の根幹です。この大事な時期に「デジタル教科書」を導入すると、一部の「できる」子と、多くの「できない」子の格差が開くのが目に見えるようです。

現在小学校の現場でパソコンやタブレット端末で行われている「デジタル教育」と称されるものは、正直な印象では「紙の教材」との優劣が明らかです。

確かに、パソコンやタブレット端末に入力されている情報量は、紙の教材と比べると圧倒的な差があります。しかし、必要な情報を取り出すためには、電源を入れてから、アクセスするまでに時間が掛かります。子供達がそのプロセスに通暁するまでには、一定の時間と経験が必要です。

「紙の教科書」はそれに比べると、義務教育レベルでは、簡にして要を得た内容ですから、音読したり、筆写すれば、有意義に学べます。

ただでさえ子供達の「読解力」が落ちてきていると言われているのに、教科書をデジタル化すれば、これに拍車をかけることになると考えます。

posted by at 16:35  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

紙の本がなぜ必要なのか

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

言語脳科学の分野から「脳は紙の本でこそ鍛えられる」と提言を行ってきた東京大学大学院教授・酒井邦嘉さんのお話が掲載(月刊『致知』2013年5月号特集「知好楽」)されていますので、引用してご紹介します。

紙の本がなぜ必要なのか

言語や音楽などが脳にどのような影響を与えるか、
人間だけがなぜ言語を発達させ、
クリエイティブな活動ができるのか、
という最も難しくて好奇心をそそられる研究を今日まで続けています。

・・・MRI(注)によって安全に人間の脳が可視化され、現在脳機能イメージングの方法論が確立されつつあります。

(注)磁気共鳴画像法(Magnetic Resonance Imaging 強力な磁石と電波を利用して体内の情報を画像化する検査)

まずは言語に関する脳の働きを簡単に述べておきましょう。

文字を見ると、その視覚情報は脳の視覚野に入り、次に音声の情報に変換された後、膨大な記憶の中から単語や「てにをは」などの文法要素が検索されます。

その情報が言語野(音韻・単語・文法・読解の四つの領域)に送り込まれることで文章として理解される。
これが基本的な言語のメカニズムです。

・・・読書をすることは、一字一字文字を見続けて、語句から文章へと瞬時に情報を取り込んでいきます。

つまり、

文字という視覚情報→音声情報変換→文法要素検索→言語野へ、というプロセスを経て読解するという流れです。

言語といっても文字で読む場合、音声で聴く場合、映像で見る場合など様々ですが、脳に入力される場合のそれぞれの情報量を比較すると、多いほうから映像・音声・文字の順になります。

朗読などの音声には、文字では出せないニュアンスやイントネーションなどの韻律が含まれ、映像は音声に加えてさらに多くの視覚情報が加わるため、音声は文字より、映像は音声よりそれぞれ情報量が豊富だということになるのです。

視点を変えると、文字のように情報量が少なければ、当然足らない部分を想像力で補う必要が生じてきます。
想像力で補われる情報量を比較すると、今度は多いほうから文字・音声・映像の順番です。

ここでいう想像力とは、「自分の言葉で考える」ことです。
脳の中でこの想像力を司るのは言語野であり、分からない所が多いほど、脳は音韻・単語・文法・読解の4つの領域を総動員して「これはどういう意味だろう」と考え始めます。

・・・動物の中で人間だけが持ち合わせているものが言語です。
言語脳科学とは、その言語を中心にして人間の脳の働きや機能を研究していくサイエンスの新分野だそうです。

見たり聴いたりするものが即座に消え去ってしまう映像や音声に対して、文字の大きく違う部分がまさにここです。
活字を読むことは、単に視覚的に脳にそれを入力するだけでなく、能動的に足りない情報を想像力で補い、曖昧な部分を解決しながら「自分の言葉」に置き換えるプロセスなのです。

 

・・・やはり、「活字を読むこと」は脳の働きを活性化し、更に「自分の言葉」を紡いでいくことが、表現力や説得する力をつけていく源になると言えます。

入力の情報が少ないほど脳は想像力を働かせるわけですが、逆に脳の出力はどうでしょうか。

出力の場合は、入力とは反対に情報量が多いほど物事を想像して補うことになります。

例えば、相手に何かを伝えたいと思った時、少ない情報で用件を済ませてしまう電子メールに比べて、人と直接会って会話をする場合は、様々な言葉を駆使し自分の意思が相手に伝わっているかを想像力を働かせながら確認しなくてはいけません。
つまり、メールよりも会話のほうが脳の働きを促すことになります。

 

このように考えていくと、

脳を創るためには「適度に少ない情報の入力」「豊富な情報の出力」の両方が必要だと分かります。

要は十分な読書と会話を楽しむことであり、これこそ最も人間的な言語の使い方だと言えるのです。

 

・・・・・幼児期から活字を紙で「読み」、一文字、語句、文章へと情報量が増えていくに従って、脳が活性化していく様が上記の「言語脳科学」の話からよく理解できます。

教科書のデジタル化を進めるという流れもありますが、矢張り「紙の本がなぜ必要なのか」ということを再認識する必要があると思います。

posted by at 17:39  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

国語辞典を引くことが出来ますか。

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

小学校3年国語の教科書に「国語辞典を使おう」という項目があります。つまり、現在の小学校では3年生になって初めて国語辞典の使い方を教えることになっています。

分からない言葉があると、必ず国語辞典を引こう!と学校の先生が児童に指導しておられると良いのですが・・・

同様に、家庭で毎日国語辞典をひく習慣を子供さんにつけているでしょうか・・・

羅針塾では、小学校1年生になると国語辞典の引き方から教えていきます。その前提として、以下の経過を辿ります。

基本的に、幼児期から学んでいる塾生は、文字は片仮名から覚えていきます。幼児用の素読・音読教材は「修身」ですから、入塾すると片仮名(旧仮名遣い)で書かれている文言を、まず素読します。耳で聴いた通りに読めるよう繰り返し繰り返し発声します。それが出来るようになると、音読の練習です。片仮名表記の文章を自分自身の力で読んでいきます。これも発音・発声、句読点を考えながら、腹式呼吸プラス鼻呼吸での音読です。素読、音読が上手になると、はじめて漢字帳で片仮名の練習です。

因みに、80年前までの「修身」教科書では、小学校1年、2年まで片仮名表記の文章です。推測するに、小学校2年生までは、平仮名を書くことを控え、片仮名をしっかり学ばせて国語の基礎にすると考えたのではないでしょうか。片仮名は子供の手で書き易く、文字のバランスも取りやすい。その上で、平仮名に進む。戦前の教育は、理に適った考えに基づき国語教育を組み立てていたと感心します。

片仮名を修得したら、国語辞典を引く練習に入ります。片仮名で五十音表を覚えていると、平仮名の修得は難しくはありません。

その上で、分からない言葉は国語辞典で引き、漢字帳に書いていきます。

・・・塾生にとって、国語辞典を引いて漢字帳に意味を書いていくことは、最初の内は時間が掛かります。文字も大きくなったり、小さくなったり。縦書きに書くのは至難の業です。しかし、何度も何度も繰り返していくうちに、次第に整っていき、時間の経過とともに、上手に書くことが出来るようになります。正に、「習うより慣れろ」です。

語彙力を増やし国語力を付けるには、

①  国語辞典を引くこと。

②  語句の意味、用法、反対語・類義語などを音読すること

③ それらを正しく漢字帳などに書き写すこと。

などが、基本です。

引きっぱなし、読みっぱなしでは力が付きません。塾生には、辛抱強く指導しています。

 

posted by at 17:02  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

素読、音読、暗唱でわかる子供の力

長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。

羅針塾では、塾生が学ぶ際に、素読、音読を適宜行います。幼児期から当塾で学んでいる塾生は聞き取りができるので、素読も繰り返すと暗唱ができるようになります。

小学校受験準備で、「聞く」「話す」「指示に従う」ことができるようになると、「読む」力もついてきます。そうすると、「音読」ができるようになります。

このように、年齢に応じ適切に段階を踏んでくると、遅速の差こそ有れ、素読→音読→暗唱 の流れができ、「繰り返し読むことで自然に暗記する」ことが出来るようになります。

つまり、「覚える」ことを意識せずに、無意識のうちに何ページも覚えることが出来るようになります。

長年、塾生と接していますと、「集中力」の有る無しが大きな差を生む、と痛感します。

この「集中力」を如何に付けるか。

古典を素読→音読→暗唱すること、に尽きます。

 

posted by at 14:41  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
さらに記事を表示する

月別アーカイブ

長崎|羅針塾学習塾トップページ

羅針塾 SNS

  • Facebook
  • Instagram
  • Twitter
PAGE TOP

新着ブログ

  1. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支…
  2. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  3. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  4. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  5. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…

月別アーカイブ

羅針塾 SNS

  • Facebook
  • Instagram
  • Twitter