長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、将来の日本を支える人になる為に、志を持って自ら学んで行く塾生を育てていきたいと考えています。
読書をする習慣をいかに幼少期につけていくかが、子供の学力向上に直結しています。
「致知」令和元年(2019)9月号からの引用の続きをご紹介いたします。
本を読めない若者たち
川島 子供に薦めたい本に限らず申し上げると、僕が大人になってから一番衝撃を受けたのが宮澤賢治の作品でした。大学に進学して以来東北に住んでいることもあって、ずっと意識していたんですけど、ある時朗読を聞いて体に電気が流れるような衝撃を受けたんです。
土屋 あぁ、朗読を聞いて衝撃を。
川島 自分で読んでいる時もそれなりにイメージしてきたつもりだったんですけど、朗読を聞いて賢治の書いている東北の景色が強烈に頭の中に飛び込んできて、そこから俄然、宮澤賢治の作品が面白くなりましたね。
それから、子供や若い人によく言うんですけど、映画を観ただけでその作品を理解したつもりになってほしくないんです。土屋 原作を読んでほしいと。
川島 そうなんです。例えば『ハリー・ポッター』にしても、原作を読めばもっとイメージが広がるし、映画とはまるっきり違った印象を受けるからと。ディレクターのステレオタイプのイメージの中に押し込まれたものを観て満足してしまうのは不幸です。本を読めば、無限の解釈ができる面白さにぜひ気づいてほしいんですよ。
ただ、いまの若い人たちは本を読めないんです。脳に本を読む体力がない。特にスマホ社会になってからは、集中力が30秒続かないんですよ。土屋 深刻な問題ですね。
川島 彼らのスマホの使い方を見ていると、ゲームをやっていると思ったらLINEでメッセージのやり取りをし、そうかと思えばもうユーチューブを観ている。一つのことにじっくり集中できないので、本を与えても辛くなってすぐ投げ出してしまうんです。
本を読むという行為は、結構集中しないとできないし、ある程度の分量が記憶に残っていないと文脈を掴めないじゃないですか。いまの若い人はそれがどうもできないんですね。ですから、きょう土屋先生にご紹介いただいたような短い文章を読むところから再教育をしていかないと、ダメなんだなと痛感しました。土屋 ここで先ほどの読み聞かせについて一つ付け加えておきたいことがあります。読み聞かせをすると子供たちは一所懸命聴くんですけど、それで読書する習慣が身に付くかというと、実はそうでもないんです。です。ですから、幼児期のうちにいかにして自分で文字を読む力を養ってあげるかが大事です。
戦後の日本の教育は、何でも易しく噛み砕いて教えようとして逆に子供の成長の機会を逸していると思うんです。子供って易しいことはすぐつまらなくなるんですよ。石井式漢字教育法で有名な石井勲先生は、漢字は目で見る言葉だという考えで、幼児にも遠慮なく漢字で教えることを提唱なさっていました。書けなくてもいいから一つ読めるようになれば、語彙が一つ増え、その分思考力も高まります。ですから僕は、「漢字の読み先習」で子供たちの語彙力向上に一所懸命取り組んでいるんです。
・・・『ハリー・ポッター』(1997)の原作は、映画に先行して発売されていますが、これを読んだ人はストーリー展開に魅了され、そのイメージと比し映画には結構落胆しているようです。筆者の経験でも、洋画で人気の作品は原作を読むと、必ずその方が面白いと感じていました。
今の若い人たちは「脳に本を読む体力がない。特にスマホ社会になってからは、集中力が30秒続かないんですよ。」これは由々しき問題です。スマホ、ゲーム、メッセージアプリ、ユーチューブなどと、常に手元を見ている若者は町中溢れていますし、電車に乗っても同じ景色が見えます。
これが中学受験や高校、大学受験になると、長文の試験問題についていけないから、下線部のついた問題の前後だけを読んで解答しようとします。当然正解には届かなくても構わない。塾や予備校でも長文読解の問題は、解答のテクニック重視で、自らじっくり考えるということを厭(いと)います。
「読み聞かせ」についても、その教育効果に誤解があります。
「読み聞かせの唯一の欠点は、文字を読む力が育たないこと」
だからこそ、「幼児期のうちにいかにして自分で文字を読む力を養ってあげるか」が大事です。
その基礎が、やはり「素読」から「音読」へと誘(いざな)うことであると思います。