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これからの時代に求められる国語力

幼児教室・学習塾の羅針塾では、不断に国語力をつけていく必要があると考え、様々な工夫をしています。

国語は、「読み方」・「書き方」・「綴り方(作文)」という戦前の国語教育の基本を参考にしながら学ぶと効果があります。

正しい「読み」、正しい「書き」・正しい「綴り方」を小学校の一年生からしっかり学ぶことで、「良い癖」をつけていくべきと考えます。

文部科学省のサイトで様々な記事を読んでいると、その意図を理解できますが、具体策はどのようにしているのか、疑問が残ります。

一部引用してご紹介します。https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushin/04020301/003.htm

 

これからの時代に求められる国語力

1   国語力の向上を目指す理由

国語の果たす役割は極めて広範囲にわたり,文化の基盤である国語の重要性はいつの時代においても変わるものではない。その意味で,国語力の向上に不断の努力を重ねることは時代を超えて大切なことである。

   しかし,人々の生活を取り巻く環境がこれまで以上に,急速に変化していくことが予想される「これからの時代」を考えるとき,国語力の重要性について改めて認識する必要がある。社会の変化は様々な方面で同時並行的に進行しているが,これらはいずれも国語力の問題と切り離せないものと考えられるからである。

(中略)

現在,国際化の進展に伴って,自分の意見をきちんと述べるための論理的思考力の育成,日本人としての自己の確立の必要性,英語をはじめとした外国語を習得することの重要性が盛んに言われるが,論理的思考力を獲得し自己を確立するためにも,外国語の習得においても,母語である国語の能力が大きくかかわっている。

(中略)

また,情報化の進展に伴っては,膨大な情報を素早く正確に判断・処理する能力の大切さや,自らの考えや主張を的確にまとめて情報として発信していく能力の重要性がつとに指摘されている。この情報の受信・発信能力の根底にあるのが国語力であることは異論のないところであろう。

(中略)

国語力がその人間の能力を構成する大きな要素となっていると考えられるが,近年の日本人の国語力をめぐっては,言葉遣いや語彙,発表能力や文章作成能力などに種々の問題点を指摘する声が多い。これらの問題点の要因の一つとして,中学生以降の年代における読書量の低下を挙げることもできよう。
   例えば,全国学校図書館協議会と毎日新聞社が毎年行っている全国の小・中・高等学校の児童生徒の読書状況の調査によれば,平成15年度における5月の1か月間の平均読書冊数は,小学校では8.0冊であるのに対し,中学校では2.8冊,高等学校では1.3冊という結果が出ている。また,1か月に1冊も本を読まなかった者の割合は, 小学校では9%にすぎないのに対し,中学校では32%,高等学校では実に59%に達している。

・・・「児童生徒の読書状況の調査」結果は、随分以前から、読書量の減少を喧(かまびす)しく言われていることですが、この傾向はますます強まりそうです。スマートフォンなどの小・中・高校生への所持率が高まれば、書物を読むという習慣から遠ざかるのは自明です。読書量の低下が国語力の低下の大きな一因であるならば、学校教育の中で、積極的に授業時間に組み入れるということも考える必要があります。

私見ですが、学校の土曜日休日を撤廃して学校で四時間ほど読書の時間を設けるべきではないか、また、宿題は基本的に撤廃して、各自が選択した書物を読み、その要約をすることを課す、・・・と考えますが・・・

2)国語力の中核を成す領域
   この領域は,「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の四つの力によって,構成されている。これらは,言語を中心とした情報を「処理・操作する能力」であり,国語力の中核と考えられるものである。
   また,この四つの力が具体的な言語活動として発現したものが,「聞く」「話す」「読む」「書く」という行為であると考えられる。日常の言語生活の中では,この「聞く」「話す」「読む」「書く」という言語活動が様々な状況に応じて,複雑に組み合わされて用いられている。

(後略)

 

(3)「国語の知識」や「教養・価値観・感性等」の領域
   この領域は,「考える力,感じる力,想像する力,表す力」が働くときの基盤を成すものである。また,「考える力,感じる力,想像する力,表す力」に直結している「国語の知識」の部分と各人の「教養・価値観・感性等」の部分に分けることができる。

なお,「国語の知識」とは具体的には,

      (例) 1 語彙(個人が身に付けている言葉の総体)
2 表記に関する知識(漢字や仮名遣い,句読点の使い方等)
3 文法に関する知識(言葉の決まりや働き等)
4 内容構成に関する知識(文章の組立て方等)
5 表現に関する知識(言葉遣いや文体・修辞法等)
6 その他の国語にかかわる知識(ことわざや慣用句の意味等)

といったようなものである。

 

・・・文部科学省の言わんとするところは理解できますが、これを子供さん達に具体的に教え諭していく方法が必要です。基本的に、小・中学校までの義務教育期間に、国語の基本をしっかり身に付けるべきです。

posted by at 15:43  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

日本語の崩壊 「字幕離れ」

幼児教室・学習塾の羅針塾では、幼児期の基幹教育(小学校就学前の学び)を終えたら、国語力をつける為の基本である漢字の学びを始めます。

その際、漢字の熟語は漢字・仮名交じりでは読みません。例えば、「国語」を「国ご」「食事」を「食じ」の文字では読みません。

さて、

致知出版社の人間力メルマガ 2021.8.24に、字幕翻訳者の戸田奈津子氏のインタビュー記事がありました。

筆者も仄聞(そくぶん:噂などで耳に入ること、人伝(ひとづて)に聞くこと)していたことですので、得心した次第です。引用してご紹介します。

 

字幕翻訳者の戸田奈津子さんか゛いまとても憂慮されていることがあります。
若い人たちを中心に「字幕離れ」が進んでいることです。
そしてそれは、日本語の崩壊にも繋がっていると戸田さんは指摘されています。

日本語力という話と少し関連することだけど、ここ20年の間に若い人たちの間で「字幕離れ」が進んでいるんです。
つまり、吹き替え版を好む観客が増えてきている。
ある時、映画が字幕版と知った観客が「普通の映画はやっていないんですか」と尋ねたという話を聞いて驚きました。
その人にとっては吹き替え版が普通の映画なわけですね。
おそらく字が読めない若者が増えているからなのでしょうけど、日本国としても実に憂うべきことでしょうし、文化が死んでいくことを私もとても心配しています。

これも少し前の話ですが、映画会社から「若い人は〝安堵〟という言葉が読めないから〝安心〟に変えてほしい」と言われて、強く反発したことがあります。
「安堵と安心はニュアンスが全く違う。それがどうして分からないの」と。
このことが誰も気にならなくなっているというのは怖いですね。
安堵という日本語を含めて、毎日言葉が死んでいる。
もう、あちこちに死体がごろごろ。

(──確かに日本語の崩壊は深刻ですね。)

(戸田)

何を基準にしてそうなっているか私には分からないけど、〝拉致〟を〝ら致〟と書いたって、それだけでは分かりません。
漢字なら見て意味が通じるんです。
私は絶対に〝ら致〟なんて書きたくないから、必ず漢字で書いてルビ(読み仮名)を活用するようにしています。
そんな例はたくさんありますよ。

日本は世界でも珍しい字幕国なんです。
外国映画を字幕で観る習慣がなぜここまで日本で定着したのかと言えば、
一つには日本人の識字率が高かったこと。
もう一つは本物志向が強いことです。

ゲーリー・クーパーのようなステキな声は生で聞きたいという映画ファンは多いはずです。
いわゆるヒーローものの声優さんが吹き替えをやったって、あの味は出せませんよ。
でも、それすらいまの子には通用しない。
ないものねだりというか、それが時代の流れなのでしょうけど、
字幕を取り巻く環境の変化は残念ではありますね。

洋画(外国製映画)の字幕翻訳の歴史は約90年前に遡るそうです。日本で初めて日本語字幕がついた映画は、1930年に米国で制作された『モロッコ』です。日本公開は翌年の31年。翻訳者は田村幸彦氏です。田村氏は日米を行き来して翻訳技術を学び、字幕づくりの基本的なルールを作りました。1秒3、4文字、縦字幕で1行13文字(現在は10文字)、最大2行とされる田村さんの制作のルールは、今も映像制作における字幕翻訳の基本ルールとして根付いています。

・・・映像の下部(乃至は右横部)に流れる字幕を読みながら、映像を追いかけることが出来ない若者が増えている。 驚きです。

戸田奈津子氏のお話は、日本人の高かった識字率が低下している、また国語力が落ちてきている証左(=証拠)を表しています。

更に、

国語力の低下の一因として、外来語又は外来語的な言葉を「カタカナ」表記したり、用いたりする悪しき流行り(はやり)も問題です。日本語で書いたり表現するべきなのに、わざわざ「カタカナ」に変える愚は避けるべきです。例えば、「危機管理」を「リスク・マネジメント」、「適切な距離(を保つこと)」を「ソーシャル・ディスタンス」と表記することなどです。

仮に、どうしても英語表現をしたければ、「Risk Managemennt(リスク・マネジメント)」「Social Distance(ソーシャル・ディスタンス)」と、英語などの綴りを表記すべきです。そうすれば、英語の辞書で意味を確認出来るからです。

字幕翻訳者の戸田奈津子氏の言われる「字幕離れ」は、結局、小・中学校の義務教育期間に、しっかり国語教育をしなければならないことを示しています。そして、家庭で普段から国語辞書や漢字辞書を使いこなし、日常的に語彙力を増す工夫が必要です。

「漢字や語彙力の無いことは恥ずかしいことです。常識がないと言われない様に、しっかり学ばなければなりません。」と、筆者は母親から常々言われていました。

これは、昔も今も変わらない事実です。

posted by at 15:36  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

努力の大切さをどう説くか。

幼児教室・学習塾の羅針塾では、夏休み期間に普段できないことをしっかり学びます。

例えば、漢字の練習。

意味を調べ、書き順を正しく、偏や旁(つくり)、訓読み・音読みに気をつけて、繰り返して練習をします。

そして、熟語や諺(ことわざ)もあわせて学びます。

国語力の基礎となる語彙(ごい)は、漢字が基本です。漢字は、表音文字であるとともに、表意文字でもあります。一見すると複雑ですが、漢字をマスターすると、様々な表現をできる様になります。

従って、小学校の頃に努力して漢字力をつけると、国語力を大きく向上させることができます。

その「努力」をすることの大事さを伝える戦前の修身の教科書から一節を引用します。

「ヨイコドモ」下(小学校2年生)(昭和16年2月発行)

「ヨイコドモ」下  六、ヤナギニ蛙

六、ヤナギニ蛙

昔 ヲノノタウフウト イフ 人ガ アリマシタ。

小サイ 時カラ ジノ ケイコヲ シテ ヰマシタガ、思フヤウニ

ウマク カケナイノデ、ヤメテシマハウカト 思ヒマシタ。

アル雨ノ日ニ、タウフウガ、庭ニ オリテ 池ノソバヲ 見ルト、

一ピキノ蛙ガ、シダレヤナギノ枝ニ、トビツカウト シテ ヰマシタ。

トンデハ 落チ、トンデハ 落チ、何ベンモ 何ベンモ 

クリカエシテ ヰマス、

トウトウ ヤナギノ 枝ニ トビツキマシタ。

タウフウハ コレヲ 見テ、コンキヨクスレバ、

何ゴトモ デキナイ コトハ ナイト 氣ガ ツキマシタ。

タウフウハ、ソレカラ イッシンニ

ジ ヲ ナラヒマシタ。

ズンズン ウマク ナッテ、ナダカイ カキテト

ナリマシタ。

小野道風(おのの とうふう)平安時代中期の貴族。能書家(能筆:文字を書くのが上手なこと)。醍醐天皇から冷泉天皇まで四代の天皇に仕え、中務省に所属し宮中の文書を書くことを仕事とした。唐風な書体から脱して、和様書道の基礎を築いた人。小野道風・藤原佐理・藤原行成を「三蹟」(さんせき:平安中期の三人の能書家、またはその筆跡)と称される。

 

・・・努力をし続けることの大事さを、分かり易い例えで当時の小学校2年生に伝えています(現在の八十四〜八十六歳ぐらいの年齢に成られる世代でしょうか)。

戦前の修身や国語の教科書は、正しい日本語を用い、綴り方(書き方、読み方と並ぶ国語教育の一分科。現在の作文。)の練習にもなる様な文章が多いので、大いに参考になります。

 

 

 

 

posted by at 16:11  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

センスは論理的思考 で磨かれる

幼児教室・学習塾の羅針塾では、学年に応じた「作文」に塾生を挑戦させています。夏休みの長期休暇中は文章修行には最適。普段から「作文」をする機会をなかなか取れないのが、現状の学校教育です。

成人に近づくに従って、文章修行を自力でしなければなりませんが、その基礎となる「作文」は、小学校低学年からしておかなければならない、とても大事な国語教育です。

さて、

メルマガで配信される軍事・インテリジェンス専門メルマガのインテリジェンス研究家・上田篤盛(あつもり)氏の『武器になる「状況判断力」』から。→

https://www.mag2.com/m/0000049253

「論理的思考法(スキル)の向上が創造的思考法(センス)を活性化し、その相乗効果で状況判断力が高まる」

・・・が興味深い話でしたから、少し長い記述ですが引用してご紹介します。

▼状況判断力はスキルかセンスか?

ビジネスの世界では「スキル」か「センス」かという議論があります。戦略・戦術、インテリジェンスを語る際にも同様の議論があり、ここでは「アート」か「サイエンス」かという喩えがよく用いられます。
スキルはサイエンス、センスはアートに相当します。思考法については論理的思考法と創造的思考法(直観)がありますが、前者はスキルで後者はセンスに該当します。

スキルは分解して数値化・具体化できます。たとえば、学力はスキルなので算数、国語、社会などに分類でき、英語はTOEICで何点といったように数値化できます。しかし、服装センスや人間性などは数値化・具体化できません。大衆を魅了する、異性にモテするのは総合的なセンスがあるというほかありません。

このような両者の違いから、スキルは後天的であって養成が可能とされています。企業などがKPI(重要業績評価指標)などを用いて、社員の能力を分解・評価し、それぞれの指標を定めて人材育成を行なうのはスキルの養成です。一方、センスは先天的なもの、総合的なものであり、センスを養成する確率的な方法はないと一般的によく言われています。

経営者には一般的にスキルよりもセンスが重要であり、社員はスキルが重要とされます。そして、しばしば養成が困難であるセンスを養成することが論じられます。

▼状況判断力を分解する

では、状況判断力はセンスかスキルのどちらに属するのでしょうか?

まず状況判断が統率や指揮の要素であるという視点から考察してみましょう。

統率は統御と指揮に分かれます。

統御は組織内の各個人にやる気を起こさせる心理工作であり、指揮官の個性、人格などが影響することが大きいのでセンスです。これには形になった養成法がありません。

一方の指揮は、状況判断、決心、命令、監督などに分類できす。

また、米陸軍などがマニュアル化した状況判断のアプローチは、敵の可能行動と我の行動方針を掛け合わせて、賭けゲームの理論を適用して行なう論理的思考法です。

だから、指揮は統御との対比ではスキルです。

そして指揮の一要素である状況判断もスキルと言えそうです。だからか、軍隊では戦術教育などを活用して、状況判断が必要な場面を想定し、それを学生に付与して、時間内に判断と決断を行なわせ、それに基づく計画や命令の作成などの訓練を通して状況判断能力や指揮能力を訓練します。

・・・令和3年で大東亜戦争後(昭和20年)76年経過しますが、

日本の大学教育で、軍事に関わる戦争論や戦略・戦術論の講義を行うところはないのが現状です。企業内での人材教育や企業の経営理論には、軍事分野で議論される様な様々な理論を活用しています。日本の大学の教育界は、世界の標準からすると、所謂教育の「ガラパゴス化*」とも言える状況です。

*ガラパゴス化:日本の教育が国際標準からかけ離れている現状をガラパゴス諸島の動物などの生態系に擬(なぞら)えること。

▼状況判断にもセンスが重要

しかしながら、状況判断にセンスの要素がないわけでありません。状況判断に必要な情報の収集や分析だけをとっても「情報センス」との言葉があるようにセンスが必要不可欠です。

また、実際には過去の多くの名将は、戦略眼あるいは洞察力ともいえる瞬間的な状況判断力で苦難を乗り越えてきました。このような瞬間的な洞察力や判断力をフランス語で「クードゥイユ(Coupd’oeil)」と言います。

ジョミニ中将は「どんなに優れた戦略計画を作れる将軍でも、クードゥイユがなければ戦場で敵を目の前にしたとき、自身の戦術理論を適用することはできない」(松村劭『勝つための状況判断学』)と述べています。クードゥイユとは第六感、まさしくセンスなのです。

第六感であるクードゥイユが養成できるかどうかについては意見の相違があります。

ナポレオンは、この才は神から与えられた先天的なものと考えていたようですが、クラウゼヴィッツは、「この才は、先天的に決まるものではなく、経験と教育の積み重ねによって得られるもの」と述べています。

▼ハドソン川の奇跡とは

さて、センスはまったく養成できないのでしょうか? そもそもセンスとは何でしょうか?
高度な状況判断を必要とする職業といえば、真っ先に挙げられるのはパイロットではないでしょうか。

坂井優基『機長の判断力』(2009年5月)の中で、2009年1月のチェスリー・サレンバーガー機長が行った「ハドソン川の奇跡」について書かれています。これは2016年に映画化されましたので鑑賞された方もいるかと思います。
坂井氏の著書は「ハドソン川の奇跡」が起きたわずか4か月後に出版されたました。同事件が本書の刊行の流れを決定づけたと言えますが、坂井氏は常々、サレンバーガー機長と同じような修練を積んでいたから、このような著書を短期間に書き上げることができたのだと考えます。
以下は同著からの抜粋です。

 

米国MSNBCの事故後の速報画面から

 

「2009年1月15日、ニューヨークのラガーディア空港を飛び立ったUSエアウェイズの旅客機1549便が両方のエンジンに鳥を吸い込みました。
……エンジンの中心部に吸い込まれた鳥がエンジンの内部を壊し、その結果、両方のエンジンとも推力をなくしてしまいました。チェスリー・サレンバーガー機長は、両方のエンジンが故障したことを知ると、直ちにハドソン川に降りることを決意して実行しました。それによって乗客・乗員155名全員の命が助かりました。この事故では機長の決断と行動が大勢の人の命を救いました。どれ一つを間違えても大事故になった可能性があります。……まず何が一番素晴らしかったのかというと、離陸した元の空港に戻ろうとしなかったことです。機体も乗客も両方無事着陸させたいというのは、パイロットにとって本能のようなものです。川に降りると決断した時点で、機体の無事は切り捨てなければなりません。
もし、このときに機長が離陸した空港に戻ろうとしていたら、途中で墜落して、乗客・乗員の命が助からなかったのみならず、燃料をたくさん積んだジェット機が地上に激突して、地上にいるたくさんの人も犠牲になったに違いありません。また、機長は着水場所にイーストリバーではなくハドソン川を選びました。……イーストリバーにはたくさんの橋がかかっており、もしイーストリバーを選んでいたら、橋に激突した可能性があります。さらに操縦方法の問題もあります。……着水時の速度も問題です。
……これだけの判断をしながら機長は飛行機を止める場所までも選んでいました。

このようなケースの際は、船が近くにたくさんいる場所に止めることが素早く救助してもらう鉄則です。今回はまさにフェリーがたくさんいるフェリー乗り場のそばに着水させています。……機長は全員の脱出を確認してから機内を二度見て回り、いちばん最後に自分が脱出しました。……これからどんなことが言えるのでしょうか。

いちばん重要なのはよく準備した者だけが生き残るということです。グライダーの操縦を練習し、心理学の勉強をし、NSTB(NationalTransportation SafetyBoard、国家運輸安全委員会)のセミナーに参加し、日ごろから様々な状況を考えて、頭の中でシュミレーションしていたからこそできた技ではないかと思います。

もう一つ重要なのは、切り捨てるという決断も必要ということです。もし飛行機も乗客も両方救いたいと思えば、結果的に全てを失っていたはずです。……」

 

▼センスであっても養成はできる部分はある

この記事は「優れた状況判断は平素からの地道な修練の賜物である」ことを如実に物語っています。ただし、機長の優れた状況判断は論理的アプローチにより手順を追って行われたというよりも、咄嗟の総合的な判断であったとみられます。つまり、機長はクードゥイユあるいはセンスを発揮して状況判断を行ない、危機を脱し、乗客の命を救いました。
ここで注目すべきは、機長は常日頃から、身体を鍛え、グライダーのライセンスを取得し、起こり得る危機を想定し、危機が現実となった時に何を判断すべきかをイメージトレーニングしていたという点です。

すなわち、常日頃からスキルを磨いていたからこそ、咄嗟のセンスが発揮できたのです。
物事や環境に対するすべての状況判断は論理的思考と創造的思考の併用よると言っても過言ではありません。「結局はセンスが大切」といって、一見小難しい論理的アプローチを一蹴し、感覚や直観だけに頼より物事を処理するではなく、意識して一定の論理的思考法や技法を取り入れることが、一部であるかもしれないがセンスを磨くと考えます。
すなわち、論理的思考法(スキル)の向上が創造的思考法(センス)を活性化し、その相乗効果で状況判断力が高まると考えます。ここに軍隊式「状況判断力」の意義があると考えます。

・・・軍隊式「状況判断力」なんて、日本の教育界では先ずタブー(taboo:言及したり、行ってはいけないこと)です。しかし、文科省の進めんとする小・中学校の「思考力・判断力・表現力等の育成」には、現実の世界で活用できるレベルにつながる様な基礎教育でなければ、単なるお題目となりかねません。その為には、現実の社会で起きた事例を、ケース・スタディ(事例研究)として活用することが肝要です。

posted by at 16:33  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

小学校英単語700〜800語ー中学進学時に覚えていることが前提

幼児教室・学習塾の羅針塾では、「暗記しなければならない」ではなくて、「暗記するのが当たり前」になる様に塾生を指導しています。

つまり、音読を徹底するとともに、筆記することに日常的に取り組みながら、進度・理解に応じて、自然と暗記できる様になって欲しいと考えています。特に、漢字・英単語の暗記は学力向上の要と考えるからです。

然るに、現在の教育界の風潮は、かっての大学の受験地獄と言われた暗記中心の勉強を忌避し、小学校で暗記することを習慣づけることをしません。

例えば、小学校英語の覚えておくべき単語数は700〜800語。これを4.5.6年生の数年間、週2時間の学習で身につけなければならない、とされています。ところが、実際の教育現場では、会話中心の授業に終始し、子供さん達には、何を習ったのかを再現できない様な状況が起きています。

問題の根は、深い。

日本の子供達にとっては、英語のアルファベットを習いローマ字を習得し(但し、ヘボン式ではない)、それから英単語を覚えていく、というのが従来のプロセスです。

ところが、

現在の文科省は、「児童生徒に身に付けさせたい情報活用能力」として

文字入力に関しては,学習指導要領解説の「国語編」に4年から3年生にローマ字の指導が変更になった理由として「コンピュータを使う機会が増え」と書かれていることからも,3年生からローマ字による正しい指使いでの文字入力(タッチタイプ)の指導を行うものとする。https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/056/shiryo/attach/1249670.htm

として、コンピュータのキーボード上でローマ字を書くことを奨励しています。

これでは、英語を手書きですることなく学ばせようという愚策を実践させようとしている、と断言出来ます。

覚えるべきときに、手を用いて繰り返すことで、英単語を習得するのが本来の在り方です。

況(いわ)んや、英語はアルファベット26文字の組み合わせですから、呪文の様に言いながらスペルを覚えていかざるを得ません。

よく言われるネィティブ(native)の発音通りで綴ると、正しいスペルは日本人は書けません。

 

笑い話ですが、

筆者の大学受験時代に学んだ先生のお話です。

ある英語の先生が研修旅行でアメリカに行ったとき、ニューヨーク駅の切符売り場で汽車の切符を買おうとしました。目的地の「フィラデルフィア」と英語教師らしく発音すると、何回言っても通じないので困ってしまわれたそうです。後ろには切符を買う人がたくさん並んで居る。気は急くが通じない。

ご本人曰く、最後に痺れを切らして、

「古道具屋(フル ドウグヤ)!!」

と叫んだら、

「 O.K.  Philadelphia」

と切符をくれたそうです。・・・因みに、不謹慎ですがこの先生の英文法の授業で今も唯一覚えている英語の話です。

 

・・・話は脱線しましたが、

正しい英単語や英文は、愚直に発音しながら、筆記体で書くことです。

覚えるまで!!!

 

結局、

五歳前後から飛躍的に記憶力が伸びる小学校三年生(十歳頃)迄に、所謂「読み・書き・算盤」の基本をシッカリ身につけることが出来れば、無理なく学力の向上を図ることが出来ます。英語も同様です。

また、英語に限らず、フランス語、スペイン語、ドイツ語など、語学を身につけるには、読み・書きを覚えるまで繰り返すことにつきます。

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