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読解力のない危機的な中学・高校生

長崎市の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、小学校就学前からの塾生は、「聞く」・「読む」ことから「学び」を始めます。良く「聞く」ためには集中力が必要ですし、良く「読む」には更に集中力が必要です。

就学前に必要な訓練を受けていないと、小学校に入学してから先生の指示や授業の内容が分からずに遅れていくことになりかねません。

さて、

「中高生の読解力は危機的状況…約半数が教科書の内容を理解できていない」【読解力を養うために知っておきたい7つのこと】(国立情報学研究所社会共有知研究センター長・教授教育のための科学研究所 代表理事・所長 新井紀子氏)という記事が警鐘を鳴らしています。

 https://news.yahoo.co.jp/articles/1f33128ebba5353aaa432c37f92ada0a1984e0c5

中学生の半分は教科書の内容を理解できていない、これが何より問題です

読解力というと、川端康成の小説や小林秀雄の評論文を読んで作者が訴えたいことや意味を読み取れるか、という文学の読解力をイメージするかもしれません。しかし、私が注視しているのはそのような意味の読解力ではなく、辞書にある通り、「文章の内容を理解する」という、ごく当たり前の意味での読解力です。

現在、日本の中高生の読解力は危機的と言っていい状況にあり、約半数は中学校の教科書の内容を正確に読み取ることができません。読者の方には子どもが小説を読まないことよりも、教科書を読めないことに危機感を覚えてほしいのです。 読解力はほとんどが高校卒業までに獲得されるもので、大人になってから飛躍的に向上させることは難しいもの。お子さんたちには中学卒業までに、生きるうえで必要とされる読解力や常識、発想力を備えてAIには肩代わりできない力を身につけてほしいと思います。

・・・読解力の無さは、社会人になると仕事をする上で致命的な欠陥となります。業務上の指示や顧客の依頼などのメールなどを読解出来ずに、仕事に支障を来す、といった事例が起こっているとも聞き及びます。

社会人になる前提としての、学力の格差は読解力の格差であるといっても過言ではありません。

この記事は、そのための処方箋も提言しています。

子供が生きていくために必要な「読解力」を養うために

知っておきたい七つのこと

【1】 大事なのは「どの科目の教科書も意味が分かるようになる」こと 文系理系に関係なく、どの科目の教科書も正確に読める力を“汎用的読解力”と呼びます。教科書の見開き2ページから情報を取り出し、大事なポイントを挙げられるかどうか。そのような読解力をつけることが重要ですし、人生を左右するものだと思います。教科書と新聞はどの家庭にもあるはず。この2つを毎日読むことを習慣にしてみては。

【2】「どの大学に入れるか」を決めるのは読解力と推論の力です教科書には見出しがあり、見出しから本文の内容を把握・推測できるのですが、大半の子どもはそれができていない。また教科書の本文だけに目がいき、欄外を飛ばすことも多い。偏差値の高い大学に合格するには欄外のデータや補足説明を読み解き、本文との関係性をつかむ“PISA型読解力”が求められます。これは学校の推薦図書を読むだけでは身につかず、教科書をしっかり読み込むことで鍛えられます。

【3】「授業を聞きながらノートをとる」ことができない子が増えている。視写を苦手に感じる子はたいてい筆圧が弱く、普段からきちんとノートをとっていないケースが多い。1分間にそれなりの量の文字を正しく視写ができることと、先生からの評価は相関が高く、視写には学校での学習や生活において重要な要素が含まれていると考えられます。脳の筋トレのためにも、プリント学習一辺倒は避けてほしいと思います。  ※視写=この場合は先生が黒板に板書した内容や話した内容をノートに正確に書き写すこと。

【4】読解力の向上は「中学卒業まで」に何とかしたい「自分は〇〇の科目が苦手」と感じる場合、原因の大半はその科目の教科書を読み解く読解力がないことです。読解力は精読や視写のような脳の筋トレで鍛えられるので、自分の学習法が固まってしまう中学卒業頃までに鍛えておきたいところ。脳の筋トレは地味でつまらないかもしれませんが、苦手科目をつくらないためにとても重要です。

【5】「動画依存」は自分ではコントロールできない問題です幼い頃からYouTubeの自動再生が当たり前でつまらないものを飛ばす習慣がついていると、短時間に視覚・聴覚的刺激のあるコンテンツでないと満足できなくなってしまいます。他人の話をしっかり聞けず、学校の授業もちゃんと聞けない状態になることも。刺激的で面白いと感じる動画コンテンツには中毒性があり、自分でコントロールすることは難しいので、1日に15分までなど親が制限をしましょう。

【6】「一人の時間」「暇な時間」が子どもには必要です特に小学校高学年以上の子どもには、成長するうえで一人の時間が重要。時に寂しさを感じながらも、一人で何かをやる中に創造性の種があり、自分らしさを形成していきます。こちらの意志ではどうにもならない植物や会話のできないペットと、または自転車に乗るなど自分の体を相手に過ごす時間を1日1時間確保することが望ましいと思います。

【7】レシピ通りに料理することが「読解力UP」のヒントに初めて挑戦するお料理をレシピを見ながら親子で作ってみましょう。子どもは手順通りに行うのが苦手なので、手順を飛ばしたりつまずいたりするもの。そこで母親が先回りせず、できるだけ子どもに手順を読解させること。「水にさらす」などまだ知らない語彙を把握でき、つまずきポイントにも気づけます。楽しくトレーニングできて、美味しいお料理も一品完成するなんて一石二鳥じゃないですか(笑)。

・・・「文章の内容を正確に読み取る力」は、普段から「精読」する訓練をしておかなければ、一朝一夕には身に付きません。教科書であれば、丸ごと一冊覚える位まで音読するなど、日々の「学び」の中で工夫する必要があります。

また、学校の授業中、先生が黒板に板書した内容や話した内容をノートに正確に書き写すことが出来るかどうかは、非常に大事なポイントです。

「視写」とは、学校教育で手本とするものを見て書き写すことです。家庭では、百科事典や辞書で調べた語句などの意味合いを正確に、綺麗に、且つ出来るだけ早く書き写すことです。

「書く」訓練を始めると、「書き写す」ことも大事な学びです。これらを日々繰り返すことは学力向上の第一段階です。

・・・上記のことは、英語を学び始めるときも同様です。

幼児教育としての英語や小学校課程の英語は、英会話中心ですから、いざ「writing 書き」となると、英単語のspell(綴り)や文章を書くことが出来る子はほとんどいないのが実情です。

母語である日本語をしっかり学ぶために注ぐ努力を考えれば、英語教育も「読む」「書く」をしっかりする必要があります。

 

学問のすすめ 初編 1

長崎市の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、就学前、小学校、中学校の時期に、しっかりと国語力をつける学びをしています。方法は様々ですが、何より語彙力を重視し、語句の用い方を習得することは必須です。その基礎があってこそ読解力も増し、表現力や作文力も増すことが出来ます。

さて、改めて福澤諭吉先生の「学問のすすめ」を筆者は読み進めています。

「学問のすすめ」は、明治5年(1872)初編出版。明治9年(1876)17編の出版を持って一応の完成。当時の日本の人口約三千万人の中で三〇〇万部以上売れたと言われる啓発書です。現在に例えると、千二百万部相当、十人に一人が購入した計算になるほどの大人気です。内容は例えも分かり易く、ベストセラーの意味がよく分かります。明治初期の日本人の読書欲の旺盛さは凄まじいものです。

では、よく知られた初編からご紹介です。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤きせん上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物をり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲とどろとの相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教じつごきょう』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役りきえきはやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。

・・・実語教にある有名な文言、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」という明快な論旨が展開されます。分かりやすい例えは現代にも通ずるものです。そして、賢人と愚人の別についても、学ぶか学ばないか、によってその差は生ずると喝破しています。

身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々しもじもの者より見れば及ぶべからざるようなれども、そのもとを尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。ことわざにいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人げにんとなるなり。

・・・人は生まれながらにして貴いも賤しいも、貧しいも富むも、その区別は無い。つまり、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」として、人の先天的な差を否定し、あくまでも後天的な人の努力や工夫などによって「富貴(財産や身分)」を得ることが出来るのである、とします。

学問とは、ただむずかしき字を知り、し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心をよろこばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめとうとむべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟ひっきょうその学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。

・・・学問の意味合いについて述べています。学問とは、世間一般で言うところの難解な文字、理解し難い古文、和歌や詩など、実学的で無いものを言うのでは無い、と。物事を理解している町人・百姓は、彼らの子供がそれらに長けて精を出すことが、財産を無くし、生計を立てていくことができなくなるのではないか、と心配するのが親心である。最終的には、実学的でない学問は、日常の生活には役立たないものである、と。

されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。たとえば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言もんごん、帳合いの仕方、算盤そろばんの稽古、天秤てんびんの取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土ふうど道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。

これらの学問をするに、いずれも西洋の翻訳書を取り調べ、たいていのことは日本の仮名にて用を便じ、あるいは年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押え、その事につきその物に従い、近く物事の道理を求めて今日の用を達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく、みなことごとくたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に、士農工商おのおのその分を尽くし、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。

・・・日常的に必要な実学を優先し、文字、手紙の書き方、帳簿の付け方、計算、計量の仕方などから学び、さらに進んで学ぶべきことは沢山ある。地理、窮理(物理)、歴史、経済学、修身学など。

西洋の翻訳書も日本語で学べ、文才ある者なら外国語も読ませ、実学を基本にして一科目、一学問に合わせて、物事の道理を追求し、実際の用に役立てるべきである。人である以上、一様に身分の差なく、身に付けるべき心得であれば、各立場に応じてそれぞれ職分を尽くして、家業(生計の基盤となっている職業)を営み、個人も家も独立することができ、そうすることで天下国家も独立すべきである、と。

簡にして要を得た表現で、ぐいぐいと読者を引き込んでいきます。学問する意味合いを、明治期の日本人は、しっかりと理解していたことがよく分かります。

現在の私達も改めて学問、学ぶことの意味合いをしっかりと確認する必要があると考えます。

(初編の続きは、次回に。)

posted by at 16:46  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

努力による開運策

就学前教室(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、日々の努力の大切さを「学び」ながら身に付けていく指導をしています。努力の積み重ねが結果を生み出す事を知れば、人生の大きな財産となります。

筆者の蔵書の中にあった文章が示唆的であるのでご紹介します。

「占学遺文」という表題の明治四十三年に医師であり占術研究家でもあった人物が書いたものです。

運命開拓の鍵 (1)人生と運命 (2)運命開拓の秘訣 等々の表題の中の一節に、「努力による開運策」という項があり、これをご紹介します。尚、文章表現は明治期の雰囲気のままです。

努力による開運策

人力のあらん限りを尽くして、その上如何ともすべからざる所が即ち運命である。

努力もせず、苦闘もせずして、ああ運が悪いと嘆いたとて何人が同情するものであろうか。気随気儘に怠けていて、どうして、我に幸運が向かぬだろうなぞとコボしても、運命の神は嘲笑って逃げ出すばかりである。幸運の来るべき機会まで辛抱する事が出来なくて、早くも失望するが如きも、運を迎える術を知らない人である。真の運と僥倖との区別を知らぬ人である。真の運を愛する人は嘆かず、迫らず、悠々として機会の来るのを待ち、常に努力を怠る様なことはしない。心さえ潔白で、自ら助ける事を忘れなかったならば、運命の神は遅かれ早かれ、必ず玉の輿を以って   迎えに来るに相違ない。それが年中に来ることもあれば、晩年に来る場合もあろう。早く幸運に見舞われたからとて、慢心すべきものでもなければ、来るのが遅いからとて落胆すべきでもない。妄りに運だ運だとて天を恨む様な事があっては尚更いけません。平生の心がけと努力とによって、初めて運命は開拓せられるべきものです。

人間第一期の運命の定まるのは、普通十七〜八歳位としてあるが、実はそれ以前に定まるのです。初等教育を終えての人の品性が定まると共に、幸運の種も不運の種も、ここに芽を吹いていてしまうのです。

人は十二三歳頃、既に一生の大部分を支配すべき基礎が定められるのです。然しこの第一期の運命は、当人の責任でなくて家庭の責任です。

健実な親を持って、それに養われたものは、誠に幸福な人、そうでないものは不運の人である。この意味からすると、人の出入り多く、誘惑多く、悪影響多き富家の子女よりも、寧ろ中流以下でも健全な家庭に育った子供が、幸福の一生を送る様に思われる。運不運は必ずしも財産の有無ではない。平和の如何です。貧しくとも平和で愉快な家庭にある子供は、富んでダラシのない家の子女よりもはるかに幸運です。

富家の子供は幼少から華美な生活に慣れているから、大きくなっても虚栄心が強くて、その為に煩悶を求め、一生不運に陥る様な例は決して少なくない。

これに反して貧家の子は始終足らぬ勝ちという事を知っているから、不自由を忍ぶという力が強い。従って虚栄を求める様な場合が少ないから、そのために心身を労することがない。それだけでもまず幸運と云わなければなりますまい。

 

・・・平均寿命は、明治期と比べて大きく伸びている現在でも、「人は十二三歳頃、既に一生の大部分を支配すべき基礎が定められるのです。」という点は変わらないといえます。就学前の三歳前後から、十二歳までに、人格を基礎付ける躾や物事を理解する力、そして「学ぶ力」をしっかりと身に付けておかなければなりません。

posted by at 16:10  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

「聞いて解く問題」 新しいタイプの入試

就学前教室(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、「人の眼を見て聞く、人の眼を見て話す」ことを重視しています。当たり前のことですが、「目は口ほどに物を言う*」と言われる様に、聞く態度、話す態度は「眼(目)」の輝きや真剣さがとても大事です。(*何もしゃべらなくとも目つきから相手の感情がわかるものだということ。情のこもった目つきは、言葉で説明するのと同等に、相手に気持ちが伝わるものだということ。英語の表現ではより具体的です。 The eyes have one (or a) language everywhere.(目は万国共通の言葉)The eyes are as eloquent as the tongue.(目は舌ほどによくしゃべる))

「人の眼を見て聞く、人の眼を見て話す」ことは、普段から心がけておかないと、急にすることはできません。ある意味で、習慣付けない限りは出来ない、と言っても過言ではありません。

これは家庭での躾が大事です。

人と会話する以上は基本中の基本ですが、「学ぶ」ときにも基本中の基本とすべきです。特に、小学校就学前には身につけておくべきことです。

「人の眼を見て聞く、人の眼を見て話す」ことは、その子供さんの「理解力」に直結し、学力の高さにつながります。

さて、正に上述した事を実践しているかの様な入試が始まっています。

「教員でも出来ない聞いて解く問題」という記事(朝日新聞EduA)が目につきました。引用してご紹介致します。https://www.asahi.com/edua/article/14474966

 

「ある船が地点Aから北に向かって走りました。この船は2時間30分で60㎞の距離を走ります。地点Aから灯台は北西に見えました。船が走り出して30分後にもう一度灯台を見たところ、ちょうど西に見えました。このとき、船から灯台までの距離を求めなさい」

芝浦工業大付属中(東京都江東区)の21年度入試で出た算数の問題だ。文字で見るとさほど難しくないが、受験生には問題文は配られず、教室のスピーカーから一度だけ流れる問題の音声を聞いて答えなければならなかった。同校の斎藤貢市・広報部長によると、教員でもできない人が多く、受験生の正答率もこれまでより下がったという。

なぜこのような問題を出したのか。斎藤さんは「背景には、現場の問題意識があった」と明かす。「耳で聞いた情報や指示に反応できない子がいて、そうした子は成績も伸び悩む傾向にあるという声があった」

「聞いて解く問題」は、計4回の入試のうち2回の国語と算数で出題した。配点はどちらも120満点中で20点程度に抑えた。「それで合否を決めるというよりは、ボーダー層のうちから聞くことが得意な子を採るのが目的」(斎藤さん)のためだ。

同校は今年度、男子校から共学に変わった。同時に、ITとグローバルコミュニケーションの二つの探究活動に取り組むなどの教育改革も実施した。これらの改革や入試の見直しで、「今年の新入生は男女問わず、活発に意見を言う子が集まった」(同)といい、22年度は回数と教科を増やし、特色入試をのぞく3回の算数、国語、理科で実施する。

斎藤さんは「本校を第一志望として対策をとってきた子どもに受けてもらいたい。保護者が小4~5レベルの文章題を読んで聞かせて子どもにメモをとらせたり、親子でニュースについて話して伝達力やコミュニケーション力をつけたりしてほしい」と話す。

 

・・・「一を聞いて十を知る」ほど、非常に賢く理解力があるとまではいかなくとも、少なくとも「十を聞いて十を知る」ので無ければ、学力は身に付きません。

「聞く」「聞き取る」力は、「理解力」の基本です。これは、幼児期にしっかりと身に付けておかないと、後から(小学校に上がってから)では、一朝一夕には身に付きません。

当塾に教育相談に来られると、具体例を交えてお話しすることが出来ますので、幼児教育に関心がある方は、ご遠慮なくお尋ねください。

posted by at 16:28  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

「勉強嫌い」になるのではないか。

幼児教室・学習塾の羅針塾では、各年代の塾生の「学び」に対する気持ちや考え方を尋ねることがあります。

大人となった親御さんは、ご自分の子供の頃と比べて、子供さんの気持ちを忖度しますが、意外なことに、子供さんは現実的に「学び」を捉えています。単純ですが、楽しかったり、面白い、と思うとすんなりと学んでいきます。

大人でも、仕事の好き嫌いがあると、仕事への熱意が変動します。同様に、子供さんの「学び」に対する意欲も常に変化します。

一般的に、

小さい時から勉強させると「勉強嫌い」になるのではないか、という意見があります。

・・・これに対する筆者の考え方を述べますと

「勉強」の本来の意義は、「物事に励むこと、努力すること」、です。「勉強」を「学習すること」という意味で捉えると、「勉強」つまり、強いて勉めるという字義と意味合いが異なる、と筆者は思います。

戦前の四年生修身教科書第十一課「よい日本人」に、「学問を勉強する」という表現があります。その箇所を引用しますと、

規律ただしくし、學問にべんきょうし、迷信におちいらず、又常に身體を丈夫にし、克己のならはしをつけ、よい習慣を養はなければなりません。大きくなっては志を立て、自立自營の道をはかり、忠實に事にあたり、志を堅くし、仕事に励まなければなりません。

と、あります。

小さい時から勉強させると「勉強嫌い」になるという意見は、小さいときには気ままに過ごさせてやる方が、いずれ嫌でも勉強しなければならなくなるので、急ぐ必要がない、ということでしょう。

このような考え方の根本には、「仕事」「勉強(学習)」に対して、率先して取り組むというよりも、しなければならないから、仕方なくする、という現実的な意味合いがあります。

ところが、本来の日本人は、「仕事」「勉強(学習)」は、率先して取り組む方が、気持ちも前向きになり、結果にも大きな成果が得られる。という考え方があります。

ある意味、キリスト教的な「仕事は神から罰として与えられた」という考えと、日本神話にある「神様も働くのが当然である」という考え方の違いかもしれません。

つまり、小さい時から「学び」の意味合いを理解させ、自然と取り組めるように持っていくことが大事である、ということです。

別の言い方をしますと、

「学ぶ」ことが、成長することである、と小さい子供さんに浸透させていくことが親御さんの務めではないでしょうか。

子供の成長は、赤ん坊から始まり、幼児、少年・少女ととても早いものです。身体の成長と同時に、心と頭脳の成長も、正しく導かなければ、心身のバランスを崩しかねません。

心身ともに正しく健やかに成長することが何より大事です。

 

posted by at 15:16  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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