‘ 国語力ブログ ’ カテゴリー

聴く力

羅針塾では、春休みなど長期休暇の時期に塾生の学力の長所・短所を見極めた対応をしていきます。学年・年齢を超えて、学力の土台をしっかり作るべきと考えるからです。それぞれの取り組むべき課題について、音読をしながら取り組みます。

文部科学省の学習指導要領には、国語科の学習内容として「聞く力」「話す力」「読む力」「書く力」の四つが上げられています。古来、日本では子供に身につけさせるべきことの代表のように「読み、書き、算盤」を重視してきました。その結果、「聞く力」と「話す力」には特別な配慮をしてきていません。何故なら、聞いたり、話したりするのは敢えて学ばなくても、成長に従って自然に身につけていくものだと考えられてきたからです。

しかし、幼児期に「聴く力」を育み、想像力を膨らませておかないと、その後の成長や学力の向上に結びつかないように思います。つまり、お母さんやお父さんが絵本や童話などを読んであげることが、幼児期の子どもさんの脳の発達には非常に大事であるということです。

実際に読解力のある子供さんは、学年・年齢差は無関係です。つまり、「聴く力」に優れ、内容を良く把握しています。昔から「目は口ほどに物を言う」と言いますように、聴いている姿勢が良く「目の輝き」が活き活きとしています。

関門海峡の春の満ち潮

 

受験や学力の向上についてのご相談の中に、「様々な習い事をしているのですが、学校の成績に結び付いていない」、と言われるケースがあります。例えば、「読み、書き、計算」については、小さい頃からそれに特化した教室に何年も通ってきました、などです。また、定期的に届く通信教育教材や、「読み、書き、計算に加え英語を早い時期から身につけさせたい」と複数の教室をはしごするケースもそうです。

確かに、それぞれの教材や教育方法は、一定の理論付けがなされて編み出されています。しかし、それらが対象としているのは、一定の「理解力」「読解力」を持つ子供さんを前提としています。もちろん、それらの力がない場合には、親御さんが家庭でサポートすることが大前提です。つまり、その力に応じて宿題や課題として家庭学習しなければならない、ということです。結局「労多くして功少なし」という結果に終わります。

小学校三年生までに各教科の成績が満足のいくものでない場合は、「聴く力」不足で「考える力」を育てる根本的に大事な基礎教育が置き去りにされていると考えなければなりません。当然、小学校高学年なら早急に手を打たなければ、学力不足のまま中学校・高校に進学することになります。更に、高校、大学に進学した後に学力が伸びないとか、社会人になって仕事に対応できないというケースをよく耳にします。

これらは、幼児期からしっかりとした「聴く力」をつけるていくという「学びの根っこ」を等閑(なおざり)にしてきた結果と言えます。「聴く力」は「話の内容理解」として、「話す力」は「話づくり」として、幼児期に学ぶべきことです。それが長ずるに従って、「聴く」ことによって他人の意見を理解し、それを踏まえて自分の意見を述べ、「話し合う」ことが出来ていく。現在喧(かまびす)しく言われている「コミュニケーション能力」を発揮することになります。

何より子供さんには、幼児期に「聴きとり」名人になって欲しいものです。

posted by at 09:03  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

音読・素読・輪読・会読

国語教育の基本は、子供の成長に応じ正しい発音と発声で書物を音読することです。

形態としては、単独でする音読(声を出して読むこと)、師匠と弟子のように相対してする素読(意味を考えないで、文字だけをを声を出して読むこと)、同じ目的を持つ複数の人がする輪読(数人が一冊の本を代わる代わる読んで解釈し意見を交わすこと)や会読(数人が一箇所に集まって同一の本を読み、研究や討論をすること)などがあります。

管見では、音読の為の書物は、文章にリズムがあり、歯切れの良いものがお勧めです。文章の難易や内容は、子供の現在の理解度に合わせるのではなく、将来自ら学ぶ力を持つ素養を涵養する為に必要なものであることです。

羅針塾では、漢字を中心に語彙力が上がってくると、塾生には輪読の機会を設けます。たとえ小学生であっても、代わる代わる音読しているうちに、漢字熟語を読む力も増し、集中力も増してきます。

さて、インターネットで様々な記事を拝読しているうちに、参考になるブログを見つけました。

「日本漢文の世界」(https://kambun.jp/index.html)というサイトです。この中から興味深い記事をご紹介します。

(22)漢文訓読を現代に活かすために(「素読」から文法理解へ)

 

(前略)

現代において、この漢文訓読を活かしてゆくためには、何が必要でしょうか?

まず、江戸時代から明治の初期までと現代とでは、漢文の素養がまったく異なることを考えなければなりません。当時の教育では、子供にたくさんの中国古典を「素読(そどく)」させていました。「素読」とは、細かな意味は教えず、ただ声をだして漢文を訓読させる教育法です。大量の漢文を素読しているうちに、自然と漢文の意味が分かるようになるのです。もちろん、その域に到達するためには、非常に時間と労力をかける必要がありました。そして、このような悠長な教育法の実践は、明治以後には難しくなったため、「素読」は、今では全く廃れてしまいました。

(中略)

具体的にどの程度の素読が課されていたのか、宇野哲人・乙竹岩造・外著『藩学史談』(文松堂書店)の記事から見てみましょう。

津藩・有造館(三重県)  対象年齢 9歳~15歳 

論語 孟子 詩経 書経 易経 礼記 春秋左氏伝 十八史略 史記 前後漢書 綱鑑易知録 資治通鑑 (同書12ページ参照)

 仙台藩・養賢堂(宮城県) 対象年齢 8歳~三度落第したら退学

 孝経 小学本註 四書集註 近思録 春秋胡氏伝 公羊伝 穀梁伝 周礼 太載記 (生徒の望みにより、史記 漢書 等も教授)(同書369ページ参照)

 長州藩・明倫館(山口県) 対象年齢 8歳~14歳

 孝経 大学 論語 孟子 中庸 詩経 書経 易経 春秋三伝 礼記 小学(同書181ページ、191ページ)

さて、この明倫館の課業は厳しく、「小学生素読」の試験では、五経十一冊と小学四冊を「誤読遺忘」なきように覚えなければなりませんでした。これは容易なことではなく、合格者が非常に少なかったので、試験を分割して行うようにするなどの緩和策が講じられたほどであったといいます。(同書195ページ)

以上は各地の藩学の状況ですが、私塾でもほとんど変わらないカリキュラムで教育が行われていたようです。たとえば、福沢諭吉は少年時代に私塾で学んだ体験を自伝に書いていますが、次のような驚くべき勉強量です。(『福翁自伝』、岩波文庫旧版、23ページ) 

 白石(しらいし)の塾(じゆく)に居(い)て漢書(かんしよ)は如何(いか)なるものを読(よん)だかと申(もう)すと、経書(けいしよ)を専(もつぱ)らにして論語(ろんご)孟子(もうし)は勿論(もちろん)、すべて経義(けいぎ)の研究(けんきゆう)を勉(つと)め、殊(こと)に先生(せんせい)が好(す)きと見(み)えて詩経(しきよう)に書経(しよきよう)と云(い)うものは本当(ほんとう)に講義(こうぎ)をして貰(もらつ)て善(よ)く読(よ)みました。ソレカラ蒙求(もうぎゆう)、世説(せせつ)、左伝(さでん)、戦国策(せんごくさく)、老子(ろうし)、荘子(そうじ)と云(い)うようなものも能(よ)く講義(こうぎ)を聞(き)き、其先(そのさき)は私(わたくし)独(ひと)りの勉強(べんきよう)、歴史(れきし)は史記(しき)を始(はじ)め前後(ぜんご)漢書(かんじよ)、晋書(しんしよ)、五代史(ごだいし)、元明史略(げんみんしりやく)と云(い)うようなものも読(よ)み、殊(こと)に私(わたくし)は左伝(さでん)が得意(とくい)で、大概(たいがい)の書生(しよせい)は左伝(さでん)十五巻(じゆうごかん)の内(うち)三四巻(さんしかん)で仕舞(しま)うのを、私(わたくし)は全部(ぜんぶ)通読(つうどく)、凡(およそ)十一度(じゅうひとたび)読返(よみかえ)して、面白(おもしろい)処(ところ)は暗記(あんき)して居(い)た。

江戸時代の教育は、もちろん「素読」だけだったわけではなく、「会読」や「講義」もあるわけですが、これだけ漢文の勉強をするのは、現代においては困難です。 

 それでは、現代において、速成的に漢文の読解力をつけるには、どうすればよいのでしょうか? それには、英語の学習とおなじように、文法の理解が必要です。漢文法を習うことが、漢文読解力の向上のために、非常に有効なのです。

 英語でも、文法にもとづいて内容を理解できなければ、「直訳」すらできません。漢文も同じで、文法の理解なしでは訓読(=直訳)を誤ることにもなりかねません。ですから、訓読法を堅持する立場からも、文法の学習を忽(ゆるが)せにすることはできないのです。

・・・漢文を学ぶには漢文法を学び、英文を学ぶには英文法を学ぶべきである、という意見に全くの賛意を表します。

英語教育で所謂「読む」「書く」「聞く」「話す」の4技能を身に付けなければならないと喧伝(けんでん:盛んに言いふらすこと、世間で喧しく言い立てること)されています。

しかし、それには先ず国語力をつけなければならない。国語力をつけるには、国文法を身に付けなければならない。その上で、英語を学ぶ王道である英文法を身に付けるべきです。

詰まる所、国語力をつけるには、漢文教育プラス漢文法、国語教育プラス国文法、英語力をつけるには英語教育プラス英文法、となります。

posted by at 08:35  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

国語力で得るもの

幼児期からの国語力のための丁寧な学びは大事。
明日の「漢字検定」
準備での学びで再度実感しました。
塾生さん達は一所懸命最後の追い込みです。
一つ一つの漢字から国語力をつける。
顕著に成績に反映されています。

読むこと、書くこと、その言葉の使い方
丁寧に学ぶことによって
塾生一人一人の力がグングンとついています。

年中さんが小学一年生の試験を
小学校一年生が小学校三年生の検定に臨みます。
ほとんどの塾生さん達が先取りの学びを
しっかりと理解して!です。

「ハキハキ!元気!賢い子」
国語力のある子供達は
的確に自分自身の伝えるべきことを
質問に対し簡潔に論理的にお話ししてくれます。
5w1hの話し方が自然と身についていくのです。
羅針塾の学びはその時の成績がいい!ではなく
受験に合格すればいい!でもない。
一人一人がキラッと輝く本物の力をつける
学びを取り組ませていきたい。
日々考え、塾生さん達に向き合っています。

家族旅行のお土産です。
「幼いから連れ回しただけのようが気がして…」
大丈夫ですよ。楽しかったことを沢山お話ししてくれました。
しっかりと記憶に残っています。
ただのイベントではない家族旅行は一生の宝物です。

知能と国語力を結ぶもの

幼児から小学生へと段階が進むと、言葉の量と質が格段に上がります。

つまり、幼児期には生活における会話がしっかり出来れば基本的に問題はありません。ところが、小学生になると「学び」の要素がぐんと増えますし、理解度を確認するために試験が始まります。そうなると、独力で問題を読み、その指示の内容を理解した上で解答していかなければなりません。

その時点で、文字を読み、問われている意味を理解し、解答を用意し、正しく文字(又は、数字や数式)を用い、書いて自分の答えを出す。これらの「読み」「理解」「書き」などを瞬時に判断していく力が、小学生になった瞬間から必要です。

では、その力を如何にして子供さんにつけていくか。

小学校に上がってから始めても、すでに授業は進み出しているわけですから、後手に回っている感は否めません。そう考えると、幼児の早い時期から、少しづつ国語力をつけて、就学前には漢字交じりの文を読み理解できるところまで子供さんを導いてあげることです。

つまり、言葉を正しく使い、その言葉の数(語彙)が多いほど知能が高いというのなら、その言葉の宝庫である国語辞典・漢字辞典を使いこなせるように指導することが近道です。

子供さんをそのレベルまで持っていく方法は様々あるでしょう。その為には、親御さんが根気強く子供さんを導いていかなければなりません。

羅針塾では、塾生の理解度や習熟度に合わせて、語彙力を弥増す方法を常に考えながら指導をしています。自主的に進んで辞書を引くことが出来ると、それぞれのやり方で言葉への理解度が増してくるのがわかります。

posted by at 08:07  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

知能は言葉によってつくられる

羅針塾では、塾生に様々な体験をして欲しいと考えています。近頃の風潮として、大人が子供を危険な目に合わせてはいけない、と余りにも過保護になりすぎている嫌いがあります。その結果、子供自身が危険を回避するという本能を研ぎ澄ます機会を失っています。「這えば、立て。立てば、歩め」と親はハラハラしつつも、自立を促すのは人類の太古の昔から行ってきていることです。

無理なく、幼児に危険を察知し、回避することを覚えさせるには、やはり、親御さんが山や海などの自然界に子供の身を置く機会を設けることです。幼児の頃から自然に親しむことが出来れば、学ぶことが数多あることに気付きます。親子で身近な山や磯辺などに散歩に行くだけでも、四季折々の自然に触れ、親子の会話も弾みます。

さて、石井勲先生著作「0歳から始める脳内開発ー石井式漢字教育」の「第四章 「漢字を教えない」のが漢字教育の基本」に、「言葉を使って体験を表現させることが大切」という項目があります。引用してご紹介します。

言葉を使って体験を表現させることが大切

幼児への試験は大きく分けて、言語による知能テストと図形による知 能テストの二通りありますが、私は言語によるもののほうか知能指数を より正確に表現できると思うのです。というのは言語は知能そのものだ と言っていいと思うからなのです。

言葉か正しく使えて、その言葉の教が多い子どもほど知能か高くな っています。知能は言葉によってつくられるということは、今では学者 の間でも定説になっています。知能というものは、かっては生まれつき であると言われていたのですか、幼児期につくられるということもわかり ました。幼児期に言葉によって形成されることもわかったわけです。

ですから言葉の教育をしっかりやるということが、知能を正しく発達さ せる道なのです。そして言葉の中でも最も安定したものが文字ですか ら、子どもに文字を使わせることが一番の近道なのです。文字を知ることによって、子どもがひとりでどんどん学習ができるわけです。

体験ということが大事ですし、言葉を使ってその体験を表現するとい うことが、人間としての知能を向上するのに役立つのです。できるだけ 生きたいろいろな体験をさせるということは、親が子ども対してやれる最 良の教育ではないかと思います。

ペーパーテストで知識を詰め込むよりも、もっと基礎になる生活のま わりのさまざまなものを、体験をさせることのほうか大切です。体験させ るだけではなく、質問をして考えさせることが大事です。これによって、 子どもは「観察」して答えることになるのです。

言葉を通さないと、ただ見るだけでは「見れども見えず」ということに なるわけです。私たちは毎日同じ場所を往復していて、道にあるものを 見ているはずなのに、何があったかと聞かれても答えられないものが たくさんあります。それと同じことです。

ポイント:赤ちゃんのうちは世界は家庭の中だけですから、ヨチヨチ歩 きができるようになったら図書館でも美術館でも動物園でも、い ろいろなところへ連れ回して世界を広げてやることです。連れて 歩いてさまざまなものを見させ、感じさせ、場合によっては質問 して考えさせる、これが一番能力を伸ばすことなのです。知識を 詰め込むのではなくて、考えさせることです。

・・・先日、「松森天満宮での親子セミナー」を実施しましたが、その時には理解できなくとも、後になって得心することができる体験が有ります。

それらの体験について、親御さんが子供さんに質問して考えさせる。子供なりの答えを出す。そうする事を繰り返していくと、子供さんは行動する際に観察する力が増し、その観察を基にして答えるようになってきます。

日々の生活の中には、様々な体験に伴う「何故」が有ります。それについて、子供さんに質問することが、考えることになり、言葉を使って説明することが知能の向上に繋がります。

 

 

posted by at 08:29  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
さらに記事を表示する

月別アーカイブ

長崎|羅針塾学習塾トップページ

羅針塾 SNS

  • Facebook
  • Instagram
  • Twitter
PAGE TOP

新着ブログ

  1. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  2. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  3. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  4. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…
  5. 長崎市江戸町にある難関大学・医学部を目指す幼児教室 学習塾羅針塾です…

月別アーカイブ

羅針塾 SNS

  • Facebook
  • Instagram
  • Twitter