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二年半、すでに手遅れになっている

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾で、現在一番幼い塾生は二歳半です。本当にいたいけな男の子ですが、言葉を覚えるのも早く、人の話す内容も理解するのに聡いのです。

ところで、

上智大学名誉教授の故渡辺昇一先生著「人生を創る言葉」(致知出版社)から、古今東西の偉人達が残した名言の中にダーウィンのものがあります。引用して御紹介いたします。

ダーウィンはイギリスの自然科学者。六年にわたる大航海、大旅行により世界各地の動植物を研究。『種の起源』によって進化論を唱えた。(1809〜82)

二年半、すでに手遅れになっている

ダーウィンが『種の起源』を著したのは五十歳のときで、それは進化論の研究を始めてから二十二年目のことであった。その後、名声が高くなるにつれて、彼を訪ねてくる人が次第に多くなってきた。その中に一人の若くて美しい婦人がいた。彼女はその両手に可愛らしい子供を抱いていた。
「立派なお坊ちゃんですね。おいくつになったのですか?」
ダーウィンが聞くと、婦人は答えた。
「ちょうど二歳半でございます」
「ほう、それは楽しみですね」
と愛想をいうと、婦人は嬉しそうにいった、
「是非立派な人物に育てあげたいと思っていますの。それについてご相談にあがったんですが・・・・」
「なんのですか?」
「この子の教育は、いつごろから始めたらいいでしょうか?」
するとダーウィンは微笑みをたたえながらこう答えた。
「奥さん、惜しいことに、あなたはもう二年半、手遅れになってしまいました」

 ダーウィンはここで、子供は母親のお腹の中にいるときから教育すべきだ、と言うことを教えている。今ではもう常識として語られているが、人の脳の相当重要な部分は、非常に早い段階にできてしまうともいわれる。小さいときから施設へ預けた子供の中には、その施設にもよるが、知能の発達が遅れてしまう子がいたりする。それは小さい時に母親との交流が足りなかったからだと言う意見もある。
 ダーウィンもそのことに気づいていたのだろう。だから、子供の教育は胎教の時から始めなくてはならないという話をしたのである。
「いつから教育を始めようか」などと言うのはとんでもなく暢気な話で、ある宗教家にいわせると、それこそ男女の交わりのときに、すでに「いい子供が生まれるように」と思わなくてはいけないという。これは極論であるが、教育を始めるのは早ければ早いほうがいいということになるのだろう。

・・・・・200余年前の、偉大な自然科学者ダーウィンのエピソードですが、クスっと笑いたくなるようなお話です。

いつの時代のお母さんも我が子の教育には熱心です。我が子を人かどの成人にするには、適切で正しい教育を施す必要があります。その為には、世の中の多くの情報の中から正確な情報を集め、我が子に向いた教育方法を決定しなければなりません。

そして、母親が倦まず弛まず、正しい良き方向へ導いていかなければなりません。

posted by at 19:42  | 塾長ブログ

教科書に載らない歴史上の事実 5 刀伊の入寇

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、常々歴史を学ぶことの大切さを塾生に伝えています。

しかし、学校で学ぶ歴史の教科書は、内容も分量も少ないと思います。

例えば、元寇。文永11年(1274)弘安4年(1281)に来襲したので、文永・弘安の役と言われます。これを歴史の教科書では、あたかも日本への初めての外国の侵略として取り上げています。

ところが、それ以前に何度も日本の国土が侵略されているのです。

これについて以下のメルマガが触れていますので引用してご紹介します。

「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和四年(2022)12月22(木曜日)通巻第7561号

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侵攻され、同胞が拉致されたら、古代の貴族でも戦ったのだ
女真族海賊の「刀伊の入寇」撃退の教訓

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北朝鮮はじゃかすか日本海へ向けてミサイルを発射している。拉致被害者を返還するどころか、生死の調査さえ拒んで、核武装に余念が無い。この現状をみるにつけ筆者が或る歴史上の事件を思い出すのである。

寛仁三年(1019年)、大事件が起きた。「刀伊の入寇」である。
女真族が主体の強盗海賊集団が壱岐・対馬を襲い、北九州に侵攻した(刀伊は高麗語で夷狄を意味する)。海賊船は五十隻、とくに対馬では島民36人が殺害され、346人が拉致された。

北朝鮮の日本人拉致事件を彷彿させるが、藤原政権はこのとき武力で対抗し反撃に出た。
女真族は十二世紀に「金」を建国した。十七世紀には満洲族として後金を、やがて清王朝の中核を形成する。
七世紀に阿倍比羅夫が退治した佐渡、東北から北海道にかけての粛清(みしはせ)も女真族の流れとされる。

当時、女真族の一部が高麗へ朝貢していた事実がある。女真族は部族的な小国家群をなして十一世紀初めから海賊行為を繰り返していた。このため新羅、高麗も襲われ多くが拉致されていたらしい。日本側に捕らわれた捕虜三名は高麗人だった。藤原実資の『小右記』では海賊のなかに新羅人もいたと記している。

壱岐への襲撃では老人子供を殺害し、壮年の男女を船にさらい、人家を焼いて牛馬家畜を食い尽くした。国司の壱岐守藤原理忠は、ただちに賊徒征伐に向かうが、大集団に敵わず玉砕した。

壱岐の島民148名が虐殺され、女性239人が拉致された。
さらに海賊団は筑前国の怡土郡、志麻郡、早良郡を襲った。伊都國として魏志倭人伝にでてくる地域で、白村江の海戦に敗れた折に、太宰府の前面に水城を構築し、博多から伊都にかけては長大な防塁を築いていた。

大宰権帥、藤原隆家と前小監の大蔵種材らが奮戦し、海賊団を撃退した。防備の不意を突かれたかたちになった。海賊団は帰路に寄り道した松浦で返り討ちにあった。松浦海賊集団の嚆矢となった荒武者がいたのだ。

海賊集団はなおも、帰路に高麗沿岸を襲撃した。たびたび女真族に襲われていた経験から待ち構えた高麗水軍が撃退し、拉致された日本人およそ三百名が保護され、日本に返された。

ときの政府、最高権力者は藤原道長である。しかし藤原道長は持病を幾つも抱えて、政務を右大将の実資や息子の頼通らに任せ、すっかり仏教に帰依していた。
廟議は武勲のあった藤原隆家らを賞し、位階をあげた。まさに「栄誉で繋げ菊と刀」の時代だった(ただし後世の栄華物語や大鏡では藤原隆家は賞には預かれず、目を病んでいたため唐人医師の治療を希望し自ら太宰府勤務を望んだとする説がある)。

ともかく侵攻されたら戦う、同胞が拉致されたら武力で取り返す。その原則は貫徹されたと言えるだろう。
この刀伊の入寇を現代日本人の殆どが知らない。

・・・・こういった歴史的な事実を、義務教育期間である中学校までに子供達に一律に教えていかない限り、我が国を自分たち自身の手で守り抜くという気概は身に付きません。2022年2月からロシアがウクライナに侵攻して、未だ解決の糸口が見出せませんが、外国軍に国境を超えて侵入されると国民は悲惨な状況に陥ります。この現実を見ていると、普段から歴史に学び、国際情勢に通じることが出来るようしっかりと学ぶ必要があると考えます。

posted by at 18:18  | 塾長ブログ

懸念される中学校英語

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、中学校英語の得点格差が広がっている状況が全国的になっているのではないかと危惧しています。小学校英語で発音重視、talking(会話)中心の授業ばかりで、英語の単語を書いて覚えるということがなされていないと、spelling(綴り方)の力が全くつかないからです。

まさにそれを証明するかのような実例が紹介されている、都麦出版のメルマガ(つむぎNEWS)を引用してご紹介します。

私は時々,京都のある塾の先生と情報交換をしています。

先日はその先生から,塾のテキストで勉強した後のチェックテストの現物を見せていただきました。以下は中1生の10月末のテストの答案です。

まずは通知表の評価が「3」の生徒のものを紹介します。

「だれがあなたに英語を教えますか。」→ Who is teaches English to you ?
「だれがあの部屋にいますか。」「花子がいます。」→ Who is that room ? – It is Hanako.
「土曜日に(2語)」→ in Satodei

次の英作文は,通知表の評価で「5」をとっている生徒のものです。

「いま,雨が降っています。」→ It is rains now.
「あなたは朝食に何を食べますか。」→ What are you eat for breakfast ?

これらの答案を見て,皆様はいかがお考えでしょうか? 学校でも学び,優秀で熱心な先生が指導しても,生徒たちの英作文の出来はこのくらいです。

私はこの答案を見て,現在の中学英語の問題点は,次の2つだと考えています。

(1)中学生は今回の英語の改訂で,従来より倍近くの英単語の読み書きをマスターしなければならなくなった。従来「Saturday」などの単語は,中学1年の秋にゆとりをもって覚えればよかったが,今では小学校で登場する。しかしそれは音声のみでの登場である。そのため,発音は何となく覚えていても,スペルまでは書けないという状況が加速している。よって「土曜日 → Satodei」などとなる。→つまり現在の中学生は数多くの英単語の海の中で,溺れそうになっているような状況だと考えられます。

(2)今回の改訂では,基本的な英文法の解説やトレーニングはほとんどなされていない。よって,最近の中学生は「be動詞と一般動詞の使い分け」など,英文法の基本中の基本ができていない。よって,Who is teaches English to you ? などの英文を作ってしまう。

・・・恐らく、上記の話は京都の公立中学校の生徒さんの例ではないかと推察します。

文部科学省の英語の指導要領に基づいた教科書には、どれもしっかりと英語文法を説明したものはありません。正直なところ、教科書にしっかりと英文法を解説すべきところを、あやふやな説明で言葉を濁しているかのようです。小学校英語の「絵本的」な薄い内容の教科書の延長線上にあるかのようです。

筆者が、ある小学校の英語の授業を見学した時の印象は、授業では英語の力は付かない、でした。その学級の児童が全員参加して授業に集中していないこと。教科書の英文・英単語を繰り返し読む、繰り返し書く、といった授業運営はしていないこと。繰り返し英単語・英文を書いて覚えるという習慣付けがなされていないこと。・・・など、小学校で英語を学ばせることの無理が祟っているようです。

その結果、中学生で英単語のspelling(綴り方)の力が付かず、英作文でもスペルのミスが多発することになります。

学習指導要領に基づく英語教科書で学ぶべき英単語数はおおよそ次のようになっています。

2010年台 小学校 ー 中学校 1,200   高校 1,800   合計 3,000

2020年台 小学校600~700   中学校1,600~1,800  高校1,800 ~2,500  合計4,000~5,000

この数字を見ると、小学校からしっかりと英単語のspelling(綴り方)・意味を覚えておかないと、中学校の英語でつまづくというのが一目瞭然です。

小・中学校の英語でほぼ満点となるような力を付けることが、大学受験科目の英語を得意科目とする一里塚ではないかと思います。

 

posted by at 18:54  | 塾長ブログ, 英語力ブログ

祭日とは? 子供に伝えるべきこと

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、言葉、語彙の意味合い(定義)をしっかり学ばせたいと考えています。つまり、「〜とは」と問われた場合に、自分の言葉で説明できるか、出来なければ、辞書を引いて「字義」を確かめるよう指導しています。

さて、毎年11月23日は、現在の呼び方では「勤労感謝の日」と呼ばれる祝日です。しかし、勤労感謝とは、誰が、何を、何に、感謝するのか。筆者も子供心に疑問を感じていました。

「国民の祝日」とは、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)により、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために定められた「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」です。

これについて、謂れを踏まえた論が掲載されていました。引用してご紹介します。

「日本文明に基づいた祝日の名に」文芸批評家・新保祐司(産経新聞令和4年11月23日号)

「新嘗祭」が名を変え
今日は、「勤労感謝の日」である。祝日法には、その趣旨として「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」とある。明治初年に「新嘗(にいなめ)祭」と定められたものが、敗戦後に名を変えたのである。

福田恆存は、昭和29年に「『勤労感謝の日』といふことばからは、なにか工場労働者の顔が浮んでくる。下手すると戦争中の勤労動員を憶ひだします。官僚的、乃至(ないし)は階級闘争的です。率直にいつて、百姓仕事や商業と勤労といふことばとは、ぜんぜん結びつきません」と語った。それに対して、稲などの五穀の収穫を祝う「新嘗祭」は、日本文明の根底としての農耕生活に基づいている。日本文明の保持が重要な課題となっている今日、この祝日の名の変更は、改めて考えてみるべきだと思う。

その年の収穫を祝う行事は、世界中で広く見られる。日本の「新嘗祭」も同じような趣旨であり、そのままでよかったのであるが、占領下ではそうはいかなかった。

福田は、「戦後は、皇室中心主義も神道もいけないといふことになつた。農耕生活も非合理でばかばかしいといふことになつた。そこで過去の祭日は、全部否定してしまつて」、「勤労感謝の日」などのような「奇妙な祭日をでつちあげたわけです」と語っている。アメリカでは11月の第4木曜日がその年の収穫を感謝する「Thanksgiving Day(感謝祭)」であり、「感謝」という言葉は、この「Thanksgiving」からきたに違いない。

正月の四方拝、春季及び秋季皇霊祭、神嘗祭、新嘗祭などの「過去の祭日」については「いづれも皇室の行事に、あるいは祖先をまつる神道に関係がありました。しかし、もつと深く考へれば、(略)それらは日本の農耕生活にもとづいてゐたのであります。むしろ皇室のほうが、それに拠(よ)つたのです」と、それらが日本文明の根底から生まれたものであることに注意を促している。

「奇妙な祭日」と感じるわけ

「勤労感謝の日」を「奇妙な祭日」と感じさせるのは、趣旨にある「国民たがいに感謝しあう」という文言にもある。「新嘗祭」は天神地祇(てんしんちぎ)に感謝し、アメリカの「Thanksgiving Day」は本来、神に感謝する。しかし、日本では「戦後民主主義」の通念の中で、感謝する対象が失われた。そこで、国民が「たがいに感謝しあう」こととなった。水平的な感謝である。このような感謝は、垂直性がないために空疎なものになりがちだ。

「勤労」ならば11月ではなく、企業の決算が多い3月末とか夏や冬の賞与が支給される頃がよいのではないか。他の祝日に比べて、「勤労感謝の日」に、その趣旨に関連した行事が少ないのは、これらの不自然さから生じていると思われる。「新嘗祭」という祝日名ならば、日本の伝統行事を広く社会に伝承することができる。

すでに70年余りこの名でやってきたのだから、拘(こだわ)らなくてもいいのではないかと考える向きもあるだろうが、名は正しくなければならないのである。

『論語』に、「子路曰(いわ)く、衛君、子を待ちて政を為さしむれば、子将(まさ)に奚(なに)をか先にせん。子曰く、必ずや名を正さんか。
子路曰く、是(これ)あるかな、子の迂なるや。奚(なん)ぞそれ正さん。子曰く、野なるかな由や」という問答がある。訳すると、次のようになる。弟子の子路が、孔子に衛の国で政治を任されたら、何から手をつけますかと尋ねたところ、孔子は何よりも名を正しくしたいと答えた。それを聞いて、子路は、これだから困りますね先生は、現実離れしていますよと言った。すると、孔子は、愛弟子の子路を、事の本質が分かっていないなあと言って、たしなめた。

名と実が合っていること

名が正しいとは、名と実が合っていることであり、それが、国家の根本なのである。例えば、大東亜戦争が太平洋戦争、敗戦が終戦という名で言われていることが、日本という国家と日本人の歴史観の根底を崩れたものにしてしまっていることを思えばよい。「新嘗祭」が、「勤労感謝の日」という実と合わない名になっていることを問題にするのを「迂なるや」と捉え、経済対策や軍事費の問題などが喫緊の課題だというのは、「野なるかな」なのである。

名と実が合っているという点では、「紀元節」が「建国記念の日」になっているのは許容範囲かもしれない。しかし、「新嘗祭」が「勤労感謝の日」になっているのは、「明治節」が「文化の日」になっているのと同じく、名が正しくないということなのである。

日本の産業構造は変わり、農耕生活の様相も変貌した。しかし、今でも稲穂の実る風景を眺めるとき、「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいおあき)の瑞穂(みずほ)の国」の思いがこみ上げてくる。祝日は、日本文明に基づく名であることが必要なのだ。それによって、将来の日本人によっても心から祝われるものとなり、日本のアイデンティティーが確固たるものとなるからである。

・・・新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)は、「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくことを意味し、収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄をお祈りします。現在、このお祭りは毎年11月23日に宮中を始め、日本全国の神社で行われていますが、特に宮中では天皇陛下が自らお育てになった新穀を奉るとともに、御親(おんみずか)らもその新穀をお召し上がりになります。収穫感謝のお祭りが11月下旬に行われるのは全国各地での収穫が終了する時期に、御親祭(ごしんさい)を行われたためと考えられています。(神宮H.P
 https://www.isejingu.or.jp/ritual/annual/kinen.html)

天皇陛下が新穀を天神地祇に供え、その恩恵を謝し、自らも食する祭の意義を、日本の敗戦によって、米国の占領政策の一環として「勤労感謝」の日に変えさせられたことは、本来の日本の伝統文化を毀損するものだと考えます。

日本の祝祭日を本来の意義あるものに戻すことから、私達は日本の伝統・歴史・文化を学ぶことができるようになります。

posted by at 18:03  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

英文法を教えない小学校英語では?

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、小学校英語が科目化される以上、足が地に着いた英語を学ぶべきだと考えています。

さて、

都麦出版のメルマガ(つむぎNEWS)に以下の記事が掲載されていましたので、引用してご紹介します。

京都府下で塾をされている先生から,中1英語の中間テストの問題のコピーを頂きました。それを見て,「やはり想像していた通りだ!」と思いました。それはそのテスト問題が,従来実施されてきた中間テストのものと比べ,格段に難しくなっていたからです。例えば,そこにはこんな問題も載っていました。「新しく来られたAETのJamie先生に,自分のことを知ってもらうための自己紹介を,英語で5文以上書きなさい。」

この問題で得点できるようになるには,テストの現場で「次のような英作文を書ける」という力が求められます。

My name is Minoru Torii.
I live in Kyoto.
I like tennis very much.
I have a sister.
Her name is Tomoka.

いかがでしょうか。

小学校では耳から聴き取る英語の学習がほとんどで,英文法の学習は皆無といっても言い過ぎではありません。そのような環境下で英語教育を受けてきた子どもたちが,中学に入って2カ月もしないうちに,このような英作文を書けるようになるのでしょうか。

子どもの気持ちになってみれば,「何これ!いきなりこんな問題を出されてもできるわけないよ!」ということにならないでしょうか。

 

・・・懸念していた通りです。

一握りの英語のできる生徒と、英語嫌いになる多数の生徒に二極分化するであろうということです。

つまり、小学校の英語の授業では、「楽しく英語に親しもう」というconcept  (/kάnsept|

kˈɔn‐/ 構想、発想、考え)ですから、英単語の暗記、英文法、英作文など全くと言って良いほど触れられていません。

それなのに、中学校に入学した途端、英単語の暗記、英文法、英作文は必須です。これを前提に、定期試験や実力テストが始まります。

結局、小学校の中途半端に「英語は楽しい」授業ですという世界から、一転して百点満点で何点取れますかという中学校の厳しい現実の世界に放り込まれて仕舞います。

その様な小学校英語と中学校英語のギャップをどの様に乗り越えていくか、が問題です。

その為の対策は、小学校の英語と連動して英文法や英単語の暗記、英作文を学ぶことに尽きます。

posted by at 13:40  | 塾長ブログ, 英語力ブログ
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