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祝 天皇陛下御誕生日

本日は、第126代天皇徳仁(なるひと)今上天皇陛下の御誕生日です。

日本の未来を担う子供達には、本日の祝日の意味合いをしっかりと認識しておいて欲しいと思います。

その意味で、素晴らしいエピソードがメルマガで配信されていましたので、引用してご紹介します。

「天皇陛下のおもてなし」――駐日外交団長が語る 致知出版社の人間力メルマガ(2022.2.23)

本日2月23日は天皇陛下のお誕生日です。

日本の歴史、文化を外国人の視点から見つめ、
その素晴らしさを広く発信してきた
駐日外交団長のマンリオ・カデロさんに、
改めて噛み締めたい天皇陛下のお心遣い、
感動エピソードをお話しいただきました。
※内容は2015年掲載時のものです。

〈カデロ〉
日本人の精神性の原点であり、
最も象徴的なのが天皇陛下であられるのではないかと思います。

私が日本に対して一番不思議なのは、
国民の多くが自国の成り立ちについて知らないことです。
今上陛下が125代であられることだけでなく、
初代が神武天皇であること。

また、諸説あるにせよ、神武天皇を起源とすると、
2670年以上も男系の子孫がずっと皇位を
継承していることすら知らない学生もいます。

むしろ、諸外国のほうがその事実の重みを認識しています。
だから海外では陛下のことをEmperor(皇帝)と呼ぶのです。
King(王)、President(大統領)、
Prime Minister(首相)より断然格上である
というのが世界の常識です。
国賓として来日する各国の要人は、
陛下との公式行事には最高儀礼である服装で出席します。

私は外交団長という肩書をいただいていますが、
これは名誉職であり、
特に何か権限を得るわけではありません。
しかし立場柄、陛下にお目に掛かる機会が
多いことが何よりの喜びです。

例えば、陛下が他国をご訪問される際は、
訪問国の駐日大使とともに
出発のお見送りと帰国のお出迎えをします。

また、天皇誕生日のお茶会の儀では、
各国の大使を代表して
祝賀スピーチを行う大役を仰せつかっており、
毎年どのような言葉でお祝い申し上げたら
陛下が喜ばれるか頭を悩ませるところですが、
大変光栄で身の引き締まる思いです。

そんな中でいまも心に残る思い出があります。
昼の12時から約3時間、
天皇皇后両陛下とご陪食をさせていただいた時のことです。

食事が始まると、陛下が皇太子時代に
サンマリノ共和国にいらしたことがあると
おっしゃってくださいました。
私の故郷のことを話題にすれば
話が弾むとお気遣いくださったのでしょう。
おかげであっという間の3時間でした。

楽しく過ごさせていただきましたが、
その間、部屋の中にはずっと静かに
心地よい音楽が流れていました。
私は音楽が大好きです。
日本のオーディオはさすがに素晴らしいと思い、
不躾にも陛下に質問をしました。

「この部屋に流れている音楽は
とても素晴らしく感動しました。
どのようなアンプとスピーカーを
使われていらっしゃいますか。
恐れ入りますが、拝見させていただけないでしょうか」

すると陛下はにっこり微笑まれて、
カーテンを開けてくださいました。
するとそこには小さなオーケストラがいたのです。

こんな素敵なおもてなしはあるでしょうか。
私は感動して思わず拍手をしてしまいました。
同席した他の大使も同様です。
他国の王室でも生演奏でもてなすことはありますが、
オーケストラを隠すようなことはせず、
むしろ客人に見せるようにするでしょう。

もしかすると陛下は、オーケストラが見えると、
私たちが演奏の終わるたびに拍手を
しなければいけないからと
気遣ってくださったのではないでしょうか。

あの日のことは一生の思い出であり、
改めて陛下のお心遣いに感服させられた出来事でした。

・・・筆者は何度かこの話は目にしてきたものですが、改めて陛下のお心配りには感動します。

また、これを紹介された駐日外交団長のマンリオ・カデロさんのお話の暖かさが伝わってきます。

サンマリノ共和国特命全権大使 マンリオ・カデロは、イタリアのシエナにて出生。イタリアで高等学校を卒業後、パリのソルボンヌ大学に留学。フランス文学、諸外国語を学ぶ。専攻は語源学。日本語を含め7ヵ国語を話す。
パリ滞在中の 4 年半の間、ウィーン大学、シエナ大学、マドリッドのマンゴルド学院等の夏期講座や言葉・ 文化コースにて研鑽を積む。語源学を修了卒業した後、ミラノの大手新聞社コリエレ・ デッラ・セーラの出版部門でアシスタントジャーナリストとしてのキャリアを始める。

初めての来日は1964年の東京オリンピックの年。
1975 年に日本のジャーナリスト特派員として来日、東京に移住。
イタリアの大手出版社と提携し、イタリアの情報、ルポルタージュ、ニュース等の新聞雑誌を日本に紹介するサービスを主とする事務所を東京に開設。
複数のイタリア出版社の特派員やチーフマネジャーなど1999 年までこの業務に従事した。

イタリア国立ジャーナリスト協会、日本記者クラブ、東京商工会議所の一員である。1986年、駐日サンマリノ共和国総領事に任命される。
日本や極東地域でのサンマリノ共和国の様々なプロモーション活動が認められ、以下の勲章を受章する。

1994年 聖アガタ騎士勲章
1999年 聖アガタコメンダトーレ勲章
2003年 聖アガタ大十字勲章
2010年 イタリア共和国騎士勲章
2014年 日本の武士道協会から表彰される (http://rsm-giappone.com/jp/jp_ambassador/より引用)

posted by at 12:26  | 塾長ブログ

なぜ学ぶのか

長崎市五島町の就学前幼児教室(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、塾生のご家庭の支えがあってこそ学力が向上していくと常々考えています。

偶々、メルマガから見つけた記事から、櫻井よしこ氏の「偉人・松蔭を育てた家庭と父」週刊新潮』 2021年12月30日・2022年1月6日合併号日本ルネッサンス 第981回https://yoshiko-sakurai.jp/2022/01/06/9298に辿り着きました。引用して、ご紹介します。

過日山口県を訪れた際、地元の志篤い人から『吉田松陰の思想と生涯』という本を戴いた。松陰研究者で知られる、今は亡き玖村敏雄氏が山口銀行で行った6回の講演を、同行が行員職員の学びの目的で上梓した。心に沁み入る一冊だった。

周知のように、松陰が松下村塾で教えたのはわずか2年と3か月間だった。この間に身分の差を超えて約60名が集った。松陰の下で学んだ士分出身の主な人物には高杉晋作、久坂玄瑞、萩の乱で首を切られた前原一誠、司法卿(大臣)になった山田顕義、中谷正亮などがいる。

(中略)

玖村氏は、松下村塾の最初の塾生の3人が医者、足軽、魚屋の子で、士分ではなく皆平民であったことの意味を説く。当時の日本、毛利藩の実情を見れば特筆すべきことなのだ。江戸時代の日本には士農工商の身分制度があり、士の子弟は藩校で学び、平民の子は寺子屋で学んだ。毛利藩にも藩校として萩に明倫館があった。

しかし、松陰は身分の上下など気にせず、全ての人を一人の人間として見た。ここで想い出すのが明治新政府誕生と同時に発布された五箇条の御誓文である。「広く会議を興し、万機公論に決すべし。上下心を一にして、盛に経綸を行ふべし。」

まさに維新を貫いた思想がここにある。約190年前に生まれた松陰は明治維新の10年前に処刑されたが、彼は時代を先取りして見事に実践していたのだ。

・・・国史(日本の歴史)好きな人なら勿論ご存知の吉田松陰。しかし、中・高校の歴史教科書では殆ど紹介程度の扱いです。素晴らしい教育者でもあった吉田松陰の為人(ひととなり:生まれついての性質、天性、本性)には、父・母の存在が何よりも大きい。

なぜ学ぶのか

松下村塾で学んだ約60名の中から歴史に名を残した人々が二十数名もいる。松陰の住んでいた村に特別に才能ある人々が集中して生まれていたということか。そうではないだろう。玖村氏は日本のどの村にも人材はいて、よき師に巡り合うことによって人材はその持てる天分を磨き、一廉(ひとかど)の人物になれるのだと言っている。つまり、松陰はよき師であったということだ。では、なぜ松陰は人を育てることができたのか。それは一にも二にも松陰の育った家庭にあったと玖村氏は書いている。

松陰は幕府がアメリカと和親条約を結んだときペリーの艦でアメリカに密航し学びたいと念じた。下田港近くで機を窺い、小舟で漕ぎ出しついにペリーの艦によじ上ったが願いは受け入れられなかった。松陰は密航を企て国禁を犯したとして自ら名乗り出た。結果として国許に送られ父杉百合之助に引き渡された。安政元(1854)年10月、松陰数え年で25歳の時のことである。ちなみに父百合之助は「百人中間頭兼盗賊改方」、つまり萩の警察署長だった。

事情を端折(はしょ)って言えば松陰は野山獄に入れられる。そこには士族11人がすでに入っていた。獄中で松陰は本を読んだ。「感激すると涙をふるって読む、腹が立つときにはまなじりをあげ激越な調子で読む、嬉しいときは声をはずませ膝を打って読」んだ。警察署長の坊ちゃんが獄にあって少しもめげず、読書に没頭し楽しんでいる。11人も感化され獄中座談会が始まった。

皆が問うた。獄外に出ることも望めないのに、なぜ学ぶのか、と。松陰は答えた。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」というではないか、と。人間としての道がわかればそれでよいではないか、と。一日この世にいるのなら、一日いた甲斐のあることをしたらよい。たとえここから一生出られないとしても、人間の道に背いて死ぬか、人間の人間たる道を踏んで死ぬか、覚悟次第でどちらにもなれる、と。

その内に野山獄の司獄、つまり刑務所長も松陰の人柄に打たれて、夜は灯をつけてはいけないとされていた規則を改め、夜も灯をともし、筆も墨も紙も自由に使わせた。そして或る日、彼もまた松陰の弟子になりたいと申し入れた。

獄中生活をこのように明るく積極的に変えることができたのには松陰の人柄がある。どんな時にも自分本来の性格を貫き、周囲の詰まらない状況でへこまされたりはしない自立性がある。立派である。しかし、松陰のそのような在り方を支えた力を見逃してはならない。松陰を支えたのは家庭の力、家風であると玖村氏は説いている。

 

野山獄で、長年在獄していた人を感化していき、人としての道を説く話は、何度読んでも感動します。

獄外に出ることも望めないのに、なぜ学ぶのか」との答えは、吉田松陰の真摯な生き様をそのまま投影したかの様な答えです。だからこそ、後世の私達も感動し、我が身の学びの浅さに内心忸怩(じくじ:自分の行いについて、心の中で恥いること)たる思いとなります。

うらやましいほどの家庭

松陰の父は前述したように警察署長だ。それがその息子は国禁を犯してアメリカ密航を企てた。罰せられて帰り、野山獄に入れられた。普通なら怒ったりするだろうが、父も母も兄も妹も叔父も、誰も怒ってなどいない。皆が皆、松陰のよき理解者として彼を支え続けている。

たとえば「野山獄読書記」を見ると、ひと月に松陰が読んだ量は大体40冊前後、1年間で約500冊だ。読書記では、松陰が野山獄に入った安政元(1854)年10月24日から年末までに106冊、安政2年に480冊、同3年505冊、同4年9月までに346冊となっている。

これを兄梅太郎は近郷近在の蔵書家を訪ね歩いて手に入れるのである。或いは江戸に注文して写本を作ってもらうのである。梅太郎は明治の終わり頃まで存命だったそうで、松陰の望む本を入手し次々に供給するのがひと苦労だったと語っている。

それだけではない。松陰が野山獄から杉家に戻されたとき、父、兄、叔父の3人が松陰の弟子となった。松陰は獄で11人を前に時事、政治、人生、教育などを講義していたが、その延長を自宅で始めたのだ。こうして名著『講孟余話』が生れた。

孟子の講義のほかに、父も兄も日を決めて経済要録、新論、日本外史などを一緒に読んだ。松陰は家から一歩も出られない身であり、退屈だろう。何とか皆でいたわってやりたいという愛情である。母も妹も親族の女性達も「婦人会」を創って松陰を中心に読書会をした。

松陰の家庭は本当にうらやましいほどの家庭だ。これは父の力だと、玖村氏は書いている。人物を育てるのは家庭なのである。人間を身分や富で判断するのではなく、その人の人間としての特性に素直に着目することのできる松陰の人間性を育んだのが、愛情ある家庭だった。家庭、家風の大切さを松陰の短い30年の人生から学んだ一冊だった。

 

・・・吉田松陰を、彼たらしめたのは家庭に有り、と松陰研究者で知られる、今は亡き玖村敏雄氏が喝破(かっぱ:正しい説を確信を持って言い切ること)しています。

いつの時代も変わらないのが、親子の情です。

但し、躾や教育は、幼少期に厳しく身に付けさせる必要があります。吉田松陰も、幼少期から学ぶ際の心得や挙措動作など、厳しく躾けられている逸話が残されています。

「褒めて育てる」論が現在大流行りですが、日本人の長い歴史を振り返ると、天変地異や争乱などを乗り越えてきた先人達は、生き抜く術を幼少期からしっかり伝えてきている筈です。そうでなければ、現在の私達は存在し得ません。これからの日本を支えていく子供達には、深い愛情を持って厳しく躾や教育を身に付けさせ、世界のどこにいても流石日本人と言われる様にすべきではないでしょうか。

因みに、吉田松陰の母(杉瀧子)については、ご参照ください。→https://rashinjyuku.com/wp/post-137/

 

posted by at 12:26  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

「語彙力の強化」

長崎市の就学前幼児教室(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、これからの日本を背負っていく子供さん達の「力」を如何に伸ばしていくか、は各界の大人達の指導如何に掛かっていると考えます。

子供さんを指導すべき大人が常に心掛けるべきことは、言葉の用い方、聞き取りやすい発語、言葉のやり取り(キャッチ・ボール)、笑顔です。

さて、

「日本語の語彙力を強化する方法をご紹介します。」との文言から始まる文章をご紹介します。これは、筆者が大学入試シリーズの大学別過去問集を紐解いていたときに出会った大学入試問題(国語)(2021年度)の文章です。出典は、石黒圭著『段落論ー日本語の「わかりやすさ」の決めて』<第5章 フォルダとしての段落>(光文社新書)です。

今日は、日本語の語彙力を強化する方法をご紹介します。学校教育では、どの教科を学ぶにしても、そのもとになるのは国語力だと言われます。企業でも、新入社員に求める能力の第一位は、十年以上コミュニケーション能力で変わりません。国語力やコミュニケーション能力の基礎となるのは、言葉の力、すなわち語彙力で有り、語彙力がその人の理解力や表現力、さらには思考力を支えています。それでは、どうすれば語彙力が身につけられるのでしょうか。

言葉をたくさん知っている人が語彙力のある人だという考え方があります。それは半分正しくて、半分誤りです。たしかに、ボキャブラリーが貧困なのに語彙力のある人はいないでしょう。しかし、言葉をたくさん知っていたとしても、それを頭の中からうまく引き出す力がないと、語彙力がある人とは言えません。つまり、語彙の知識が豊富にあるだけでは不十分で、それを実際に使いこなす力、運用力がないと、語彙力がある人だとは言えないのです。

ここで、語彙力とは何か、定義しておきましょう。語彙力は、「語彙の知識」❎「語彙の運用」で決まります。つまり、語彙力には、言葉をたくさん知っているという量の側面と、それをうまく使いこなせるという質の側面があるわけです。

・・・から始まり、大学入試問題(国語)(2021年度)の文章は、新書版の6ページにもわたる長文問題です。

大学入学共通テストは、膨大な文章を速読して、選択肢問題を解く、といったスタイルですが、果たしてこれが受験生の本当の力を判断出来るのだろうか、と筆者はつくづく思います。少なくとも選択肢問題は、必ず一つ正解があり、消去法で疑わしい選択肢を消していけば、残った選択肢が正解です、という問題ですから、問題の意味をしっかり理解できていなくとも、答えられるということです。

つまり、語彙力が不足していても解答できる問題は、大学入試に相応しくないと誰かが苦言を呈しなければいけない、と思いますが。

 

 

 

posted by at 15:32  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

試験本番に強くなるには?

長崎市の就学前幼児教室(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、普段の学びから自立・自律する学習法を身につけて欲しいと考えています。就学前の幼児期から必要不可欠な学びの基礎訓練をすることからスタートです。

さて、「共通テスト正答率9割」医学部受験生も働く人も本番に強くなる自律神経の整え方、という記事がありますので、引用してご紹介します。

https://president.jp/articles/-/53569?cx_referrertype=mail&utm_source=presidentnews&utm_medium=email&utm_campaign=dailymail

身体を24時間調整してくれる自律神経を整えることで、脳や体のコンディションは変わり、本番前の大学受験生、喫緊の仕事を抱えた社会人にも日々出来る自律神経の整え方があるとのこと・・・

勉強しなきゃと思っても身が入らなかったり、焦りからイライラして集中できなかったり。医学部合格を目指すハードなそんな迷走が起こりがちだ。その対策として知っておきたいのが、自律神経のコントロール法である。

「自律神経とは、血液の循環、呼吸、消化、体温などを24時間休みなく調整している神経のこと。勉強のパフォーマンスが落ちるのは、自律神経の働きが乱れているときです」

こう指摘するのは、順天堂大学医学部の小林弘幸教授だ。睡眠不足、運動不足など受験生によく見られる生活習慣やストレスは、すべて自律神経の乱れを引き起こす原因になるのだとか。

自律神経を構成するのは、心身をアクティブな状態にする交感神経と、心身をリラックスさせる副交感神経の二つ。車でいえば交感神経はアクセル、副交感神経はブレーキに相当する。小林教授によれば、勉強に集中するためには、両者がうまく働き、なおかつバランスが取れた状態を保つことが肝心だという。

「自律神経のバランスが取れていると血流が安定し、細胞の一つ一つに質のよい血液が行き渡ります。すると体調が整えられて集中力が高まるうえに、脳の働きも活性化します。神経が敏感に働くので、ケアレスミスも犯しにくいんです。さらに免疫力も上がるので、受験生の大敵である風邪やインフルエンザにもかかりにくくなりますね」

・・・自律神経を整える必要性は、緊張し過ぎて失敗した経験がある人なら得心できますが、これから大事な受験などを控えた大学受験生は、早くから訓練しておくと、非常に大きな自信に繋がります。

勉強(仕事)の合間にできる自律神経を整える7つの方法

1.背中は丸めず伸ばす

2.食物繊維や発酵食品を食べる

3.45分勉強して5分休憩

4.「毎日が本番」だと思う

5.寝る前は1:2の深呼吸

6.簡単な日記を書く

7.トラブルをイメージ・トレーニングしておく

 

・・・7つの方法の詳細は、上記サイトをご覧ください。

1. 背中は丸めず伸ばす は、中・高校生は一朝一夕にはできないのが現状です。幼児期から訓練して必要があります。「背中が丸まると頸部けいぶの筋肉が緊張し、脳と胴体をつなぐ神経や血管に負担がかかって自律神経に悪影響を及ぼします。血流が悪くなり脳や内臓の活動量が低下。集中力が欠けてしまうのです」(小林教授)。

矯正する簡単な方法は、正座で音読をすることです。

2. 食物繊維や発酵食品を食べる は、普段の食生活習慣ですから、幼児期から和食を中心とし、グルテン・フリー(パン、スパゲティなどは常食にしない)を励行する。腸内細菌の善玉菌を増やすことは、免疫力も上げていき、お腹の調子が良いことは、不安や悩みも減少することに繋がります。

3. 45分勉強して5分休憩 は、小学校の授業の一限分にあたります。但し、5分以上休むと、かえって学びのリズムが狂ってしまいます。

4.「毎日が本番」だと思う は、精神的に「本番」を意識して、毎日「氣」合いを入れて学習する癖をつけることです。漫然と学習する癖がついていると、本番のときには、どんな問題が出て、何を書いたかわからないという、悲惨な結果もあり得ます。

5. 寝る前は1:2の深呼吸 は、呼気(こき:吐く息)と吸気(きゅうき:吸う息)の割合を、Ⅰ:2にすることです。筆者自身は、先ず呼気を1の割合で口から出し、一旦息を止め、2の割合で鼻からゆっくり吸う、という繰り返しの呼吸法を指導しています。

6. 簡単な日記を書く は、運動選手がその日の練習の反省点を書くことなどしている例が多いようですが、受験勉強にも通じるものがありますので、活用する価値があります。

7. トラブルをイメージ・トレーニングしておく は、普段の定期試験や公開模試などのときを利用して、工夫することは必要です。普段から、解けない問題に当たったときの緊張をほぐす方法は、自らに合ったやり方を見つけることがポイントです。

 

・・・普段から本番を意識して学習することは、武士が「常在戦場」と日常を過ごしていたことと合い通ずるものが有ります。普段から受験への意識を高く持つことが、受験に際し動じない気持ちを醸成することに繋がります。

posted by at 14:14  | 塾長ブログ

学問のすすめ 初編 4

長崎市の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、国語力をつけることがレベルの高い学びの基本だと考えます。

「読み・書き・算盤」と昔の人が言い慣わした通りである、と最近の学力の格差をみるにつけ痛感します。母語である日本語の語彙が豊かでないと、英語ですら習得することに困難を覚える子供達が増えているという現実があるからです。

さて、「学問のすすめ」初編の続きです。

昨今の有様を見るに、農工商の三民はその身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並ぶるの勢いに至り、今日にても三民のうちに人物あれば政府の上に採用せらるべき道すでに開けたることなれば、よくその身分を顧み、わが身分を重きものと思い、卑劣の所行あるべからず。およそ世の中に無知文盲の民ほど憐れむべくまた悪むべきものはあらず。智恵なきの極みは恥を知らざるに至り、己が無知をもって貧窮に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずしてみだりに傍の富める人を怨み、はなはだしきは徒党を結び強訴・一揆などとて乱暴の及ぶことあり。恥を知らざるとや言わん、法を恐れずとや言わん。天下の法度を頼みてその身の安全を保ち、その家の渡世をいたしながら、その頼むところのみを頼みて、己が私欲のためにはまたこれを破る、前後不都合の次第ならずや。あるいはたまたま身本慥かにして相応の身代ある者も、金銭を貯うることを知りて子孫を教うることを知らず。教えざる子孫なればその愚なるもまた怪しむに足らず。ついには遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少なからず。

昨今(近頃)の有様(状態、様子)をみると、農工商の三民(士農工商の内の三身分)は、徳川の御世(みよ)と比べ百倍ほどの地位に達し、士族と肩を並べるほどの勢いに達し、今日でも農工商の三民の身分でも、(有用の)人物であれば政府の役人として採用されるべき方途(ほうと:手段、方法)は開けているので、その身分を顧みて(その属する地位や役割を気遣って)自らの身分(地位・役目)を重要なものと考えて、卑劣(品性や行動が卑しくて下劣)な所行(なすこと、仕業)があってはならない。

およそ世の中で、無知文盲(知識学問のないこと、字の読めないこと)の民ほど憐れむべきで、また悪む(不快に思う、許し難いと思う)べきものはない。知恵のないことの究極は、恥を知らないところに至り、自分の無知によって貧窮(貧しくて、困ること)に落ち入り、飢寒(飢えと寒さ)に近づいてしまうときは、我が身を罪せず(自分の罪を問わないで)して、みだりに(勝手気ままに)傍ら(かたわら:すぐ近くの、そばの)の富める人を怨み、はなはだしき(程度が普通より超えているとき)は、徒党を結び(不穏なことを行おうと集まった仲間と組み)強訴(掟に反して自己の要求をすること)・一揆(徒党を組んだ武装蜂起)などの乱暴に及ぶことがある。恥を知らないとも言うべき、法を恐れないとも言うべきである。天下の(国の、世の中の)法度(はっと:掟、法律)に依存して、その身の安全を保ちながら、その家族の渡世(社会の中で生きていくこと)をしていきながら、依存するところは依存し、己の私欲のためには、天下の法度を破る。前後不都合の次第(先も後も自分の都合の良し悪し次第)ではないか。あるいは、たまたま身元(生まれや境遇、経歴)が慥か(たしか:事情や経緯がはっきりして、信用のおけるさま)でそれ相応の身代(しんだい:財産)がある者も、金銭を貯えることは知っていても、子孫を教えることを知らない。教えを受けていない子孫であれば、その愚かであることも怪しむ(不思議に思う、変だと思う)ことはない。ついには(最後には)、遊惰(ゆうだ:仕事もせずにぶらぶらと遊んでいること)放蕩(ほうとう:ほしいままに振る舞うこと)に流れ、先祖代々の家屋敷・財産も一朝の煙(僅かな時の煙)となしてしまう者が少なくない。

かかる愚民を支配するにはとても道理をもってさとすべき方便なければ、ただ威をもっておどすのみ。西洋のことわざに「愚民の上にからき政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招くわざわいなり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。仮りに人民の徳義今日よりも衰えてなお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風におもむくことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法のからきとゆるやかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政をにくむ者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。今の世に生まれ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配あるにあらず。ただその大切なる目当ては、この人情に基づきてまず一身の行ないを正し、厚く学に志し、ひろく事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はそのまつりごとを施すにやすく、諸民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得てともに全国の太平を護らんとするの一事のみ。今余輩の勧むる学問ももっぱらこの一事をもって趣旨とせり。

この様な愚民(愚かな人民)を支配するには、とても道理(人の行うべき正しい道)をもって諭す(事の道理を理解できる様に言い聞かせる)方便(手段、手立て)が無ければ、ただ威(い:人を恐れ従わせる力)をもって畏す(畏れさせて従わせる)のみである。西洋の諺に、「愚民の上に苛き政府あり(愚かな人民を統治するには、苛酷な政治を行う政府がある)」とはこのことである。これは政府が苛酷(思いやりがなく、厳しいこと)なのではなく、愚民が自ら招く災いである。愚民の上に苛酷な政府あれば、良民の上には良い政府があるという理屈になる。故に、今の我が日本国においても、この人民ありてこの政治があることになる。仮に、人民の徳義(人間として踏み行うべき道徳上の義務)が今日よりも衰えてなお、無学文盲(学問知識がなく、字が読めないこと)に沈むことがあれば、政府の法も今まで以上に厳重になるであろうし、もし人民が皆学問に志して、物事の理屈を知って、文明の風(経済状態・文明技術水準が高度化した社会の態度)に赴く(おもむく:向かう)ことがあれば、政府の法も一層寛仁(かんじん:心が広く、思いやりのあること)大度(たいど:度量の大きいこと)の状況になるべきである。法の苛酷であるか寛大であるかは、人民の徳があるか、不徳であるかによって、自ずから加減があるだけである。

人は誰も苛酷な政治を好み、良好な政治を悪む(反対する)者があろうか、誰が自分の国の富強(富んでいて強いこと)を祈らない者があろうか、誰が外国からの侮り(軽蔑)に甘んずる者があろうか、これは人である以上誰しもが持つ情である。この世に生まれ報国(国恩に報いるために尽くすこと)の心がある者は、必ずしも自分の身を苦しめ、心を苦しめ、焦慮(焦って苛立つこと)するほどの心配はいらない。

ただ最も大事なことは、国を思う心に基づいて、まず自分自身の行いを正しくし、強い気持ちで学問を志し、博く(大きく遠くまで見通し)物事を知り、それぞれの身分に応じた智識を備え、政府はその政(政治)を行うに分かり易(やす)く、諸民(国民)は政府の支配を受けて苦しみのない様、互いに(国民も政府も)その役割を果たし、ともに国全体の太平(世の中が平穏で良く治まること)を護ろうとすることが一番大事である。

今、余輩(私)が勧める学問も専ら(もっぱら:主に)この一事をもってその趣旨(言おうとする肝心なこと)とする。

 

・・・以上が、「学問のすすめ」17篇のうちの初編です。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」との文言は人口に膾炙(かいしゃ:人の口の端にのること)していますが、その全体を読み通す人は現在では少ないのではないでしょうか。

初編だけでも四回に分けて、簡単な現代語訳をつけてみましたが、改めて福沢諭吉先生の名調子を味わうことができます。

人は長ずるに従って、学問をすることの意味合いを肝に銘じていくことが、長い人生で学び続ける力の源になるのではないでしょうか。

 

posted by at 18:31  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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