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18歳で司法試験合格 工夫する学び

幼児教室・学習塾の羅針塾では、語彙を増やすことが塾生の「学ぶ力」を確実ににする一番の早道だと考えています。幼児期から様々な言葉が身の回りを流れていきますが、何も気付かずに過ごすか、気に留めた言葉をしっかり身に付けていくかで、日に日に「学ぶ力」の差がついていきます。

さて、令和三年(2021)の司法試験合格者の内訳が公表されています。裁判官、検察官、弁護士となる法曹界へ進む最難関と言われる国家試験です。

合格者1421人の内、男性1026人、女性395人。合格平均年齢は28,3歳。最年長69歳、最年少18歳。その最年少合格者の「学ぶ力」について参考となる記事がありましたので、引用してご紹介します。

「刑事事件の傍聴にはまった中学生が最年少で司法試験に合格するまで・・・推しの勉強法を聞いてみた」(読売新聞配信)https://news.yahoo.co.jp/articles/985c511a189cac13c663f51ee886b87d26809380 

――満18歳3か月(受験時)での司法試験合格は、少なくとも、法科大学院修了生の受験が始まった2006年以降、最年少です。いつ、どんなきっかけで勉強を始めたんですか。  

司法試験の勉強を始めたのは高校1年の2月ですが、そもそもは、中学1年の秋に東京地裁で刑事裁判の傍聴をしたことがきっかけです。

――中1で裁判の傍聴ですか。  

はい。中学校(慶応義塾普通部)で毎年、卒業生を招いた特別授業がありました。その一環で弁護士の先生が20人くらいの同級生と一緒に傍聴へ連れて行ってくれました。  

覚醒剤取締法違反の事件でした。特別な事件ではなかったんですけど、裁判を見るのは初めてで、すごく衝撃を受けました。  

「これはフィクションではない。本当に起きた事件が、目の前で裁かれているんだ」と気づいて。一人の人間が法によって裁かれている現場を目の当たりにしたというか。その時に、司法の最前線を見たような気がしたんです。

――どこに衝撃を?  

なんというか、リアルさと言いますか……。法廷で被告人の生い立ちが語られ、「この人はどんな人生をたどったんだろう」などと色々考えてしまいました。被告人も発言していて、30歳代ぐらいの男性だったんです。「こんな普通の人が犯罪、覚醒剤をやるのか」という点もショックでした。  

とにかく、本当に実在する人間が、目の前で裁かれていると強く感じました。「裁判ってこういうものなのか」と関心を持ったことが大きなきっかけです。

――その後も傍聴を続けたんですか。  

そうです。裁判は平日しかやっていないので、学校の授業がない夏休みや春休みなどに通うようになりました。  朝に一人で行き、昼になったら裁判所地下のフードコートのような大きな食堂でご飯を食べて。今はお店が少なくなりましたが。そして午後にまた傍聴して、夕方に帰る…というようなことをしていました。  

毎日ではなく、裁判員裁判や気になった刑事裁判を見つけて、ちょっと通ってみるという程度です。傍聴記録をつけ、法廷イラストを描くこともありました。逆転無罪判決や死刑判決の言い渡しも聞きましたし、逆送された少年事件も傍聴しました。  

中学校では年に1回、数学でも美術でもなんでもいいから自分の興味、関心を追求して、作品として発表する「労作展」という展覧会がありました。中2で「裁判・司法を考える 実際に裁判員裁判を傍聴して」というリポートを作り、中3では今思えば大それた題名ですが、「刑法解釈を考える 実際の傍聴によるケーススタディー」を発表しました。

――そうした裁判や法律への関心から、司法試験の勉強を?  

そうです。「いま何の話をしているのかな?」と法律的なやり取りがわからないことが傍聴中にありましたが、高校(慶応義塾高)1年になると、そこにだんだん歯がゆさを覚えてきて。中学でリポートを作成した時にも刑法の入門書を読みましたが、「もっと勉強したいな」と思いました。  

そして「司法に参画したい」「将来は法律家になりたい」という自分の気持ちにも気づき、受験しようと決めました。

――どんな勉強をどれくらいしましたか。  

高1の(2019年)2月から、司法試験の受験指導校「伊藤塾」で学び始めました。収録されたものを自宅で好きな時間、自由に巻き戻せるウェブ講義です。“早聞き再生”で自分の部屋のパソコンで受講しました。  

友だちにも「1日何時間勉強した?」と聞かれましたが、その日によってバラバラで。高校の授業で疲れて帰ってきて寝ちゃうような時もあれば、休日は一日中勉強することもありました。それに受験の直前期は朝起きてから寝るまでずっと……みたいな感じでもありました。「1日何時間」というのは難しいんです。  

ただ、目安として、伊藤塾の講義は1回3時間、それが週3日あって計9時間。それと同じ時間をかけて復習したので、1週間で合計18時間か、やや多いくらいの時間をやっていた気がします

・・・何故、法律に興味を覚えたか。

「学ぶ為の動機」を自ら見つけ、それを追求した結果が、司法試験最年少合格という(一般の人からすると)快挙を成し遂げています。しかし、当の本人からすると、極めて自然に「学び」続けているだけ、という感じです。

興味を覚え、無理なく「学び」続ける。

「学び」の極意です。

「好きこそ物の上手なれ」という言葉がぴったりの若者の登場です。

posted by at 14:14  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

歴史は繰り返す 日英同盟

幼児教育・学習塾の羅針塾では、口をしっかり開けて音読する習慣を身に付けさせます。現在の小学校教育では、児童の音読の声が校舎に響くような時代が遠いものになりました。ハキハキ応える子供さんが少なくなっているように感じるのは筆者だけでしょうか。

さて、再々、引用してご紹介する「国際派日本人講座」から、歴史に学ぶお話です。少し長いお話ですが、判りやすいのでそのまま引用します。

日本外交史上の最高傑作「日英同盟」に学ぶ http://blog.jog-net.jp/202105/article_3.html

■1.日本外交史上の最高傑作「日英同盟」

かつて香港返還時に約束した「一国二制度」を反故(ほご)にされた英国は、中国の覇権主義に怒り、最新鋭空母「クィーン・エリザベス」を極東に派遣し、佐世保などに長期駐留させることを決定しています。世界有数の艦船補修能力を持つ佐世保は、同空母の活動の理想的な支えになるでしょう。

同時に、英国は正式に日本をファイブ・アイズに招待しています。ファイブ・アイズ(5つの目)とは、アメリカ、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英語国5カ国からなる諜報活動協力機関です。日本と英国は1902年から20年間にわたって日英同盟を結び、強い信頼関係を築きました。その成功体験もあって、イギリスは「新日英同盟」を目指しているかのようです。

日英同盟はイギリスにとっても日本にとっても大きな効用をもたらした理想的な同盟でした。その鮮やかな外交は、自らも外交官出身であり、外交史の名著を残された岡崎久彦氏をして、「明治の人というのは、どうしてここまで国際情勢を理解する能力があったのだろうか」と感嘆させています。(岡崎久彦『小村寿太郎とその時代』PHP文庫、H15)

日英同盟の締結を進めた当時の首相は、桂太郎でした。安倍前首相に抜かれるまで、通算在職日数2,886日の記録保持者です。桂内閣はどのような考えで、日英同盟を構想し実現したのか、それを知ることで、我々は同盟とは何か、を学ぶことができます。

・・・小・中学校で学ぶ日本史には、大正時代ごろまでは授業で簡単に学習します。しかし、具体的で分かりやすい国際関係や戦争などの背景を説明されることは、先生の技量次第で、しっかり学ぶことはできません。

■2.日露協商か、日英同盟か

同盟締結の前、ロシアの脅威は着々と日本に迫っていました。

まず1895年には、日清戦争の結果、日本が得た遼東半島を、フランス、ドイツも加えた三国干渉により清国に返還させ、その上で半島先端の旅順・大連を租借しました。旅順港は黄海の中央にある要衝で、北京や天津、満洲、朝鮮半島北部への海運を押さえることができます。ロシアはこの旅順を近代的な要塞で囲み、後の日露戦争で日本を苦しめます。

1900年には義和団の乱に乗じて、満洲全体を軍事占領しました。乱の後も約束した撤兵を実施せず、そのまま居座り続けます。1903年5月には満洲と朝鮮の国境をなす鴨緑江河口沿いの龍岩浦(りゅうがんぽ)を韓国から租借して、軍事基地を建設しようとしました。朝鮮半島にまで、手を伸ばされては、日本の安全も風前の灯火です。

ロシアの侵略をどう防ぐか。考えられる手段は次の二つでした。

・日露協商: 満洲のロシア支配を認める代わりに、朝鮮半島の日本の権益を認めて貰おう、という考えで、伊藤博文率いる議会の多数派・政友会が主張しました。

・日英同盟: 英国と組んで、ロシアを牽制しようという考え方です。必ずしもロシアとの戦争に入るということではなく、英国との同盟がロシアへの抑止になるという考えもありました。

■3.同盟相手として、ロシアよりも英国を選ぶべき理由

桂首相は日英同盟を選ぶべきだと、明確に考えていました。

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桂の観察によると、「親露論はロシアに敵対することはとうてい不可能だという考えに基づくものであり、維新以来の日本の苦しい経験を考えればまんざら無理でもない。しかしこれは一時の平和論であって、ロシアは満洲を取れば韓国にも手を出し、いずれは日本と衝突せざるをえない。
さもなければロシアのいうがままに屈従するしかない」のであり、英国はすでに全世界に領土をもっていて日本まで取りにくる心配はないのだから、英国と組んだほうがよいという考え方だった。[岡崎、p201]
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岡崎氏は、こうも述べています。

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とくに相手がロシアである場合は、(JOG注: 朝鮮半島の)中立化というのは、ロシアが朝鮮半島を取る準備ができるまでのあいだの中立であり、準備が整えば取るということであるから意味がない。英米も含めて列国の承認の下に中立をさせてみても、日露以外はどこも陸軍を派遣する力はないのだから、ロシアが約束に違反して武力で進出してきた場合、誰も助けに来られない。[岡崎、p196]
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このように同盟を組む場合には、相手が裏切る可能性、そして裏切った場合にどのような対抗措置が可能であるか、まで考える必要があるのです。

当時、日本側はイギリスが同盟国として信用できるかどうか徹底的な調査も行なっています。調査によって、イギリスはかつて同盟の義務を破ったことはないと分かりました。満州からの撤兵を約束しながらすぐに反故にするロシアに比べれば、はるかに信用できる相手でした。

現代の日本では、中国との経済関係の重要性を鑑みて、いまだに日中友好にしがみついている人々もいますが、中国がいつまで、またどこまで日本の経済的利益を尊重してくれるのか、また、裏切られた場合、日本側として何か手があるのか、を考えなければなりません。

 

・・・日本周辺では、Ruussian Federation(ロシア)、People’s Republic of China(シナ)、Democratic People’s Republic of Korea(北朝鮮)と、核兵器や中距離ミサイルを備えた国が存在し、日本にとって大きな脅威となっています。

しかし、このような緊張した国際関係や軍事的な脅威について、学校で教える事がありません。本来であれば、日本を取り巻く国際関係を歴史に学ぶべきです。

日本を取り巻く国際関係がよく理解できる地政図

地図を大陸側から見ると、日本列島が近代以降のRuussiaやChinaの海洋進出を妨げている事がよく判ります。

■4.英国も日本と組むしかなかった

同盟とは相手のあることですから、相手にとってどのようなメリットがあるのかも考えなければなりません。英国は「名誉ある孤立」と称して、長らく同盟国を持っていなかったのですが、この頃には極東では同盟国を必要とする事態になりつつありました。

英国にとって上海や香港などが中国における権益の中心であり、満州や朝鮮はあまり重要でない地域でした。しかしそこに仮想敵国であるロシアが南下してくると、英国の権益も脅かされます。特にロシアが新鋭艦を極東に集中的に配備することによって、イギリスの戦力的な優位も揺るがされる事態になってきました。

1901年4月時点の極東の海軍力は、英国の17万トンに対し、ロシアは12万トンと、まだ英国の方が優勢でした。しかし、もうひとつの潜在的敵国フランスが8万トンの海軍力を保持しており、仏露が組むと20万トンと、英国単独では劣勢になってしまいます。

しかし英国が日本と組めば、日本の20万トンと合わせて37万トン。露仏の2倍近くと、圧倒的な優勢に立てます。逆にもし日本がロシア側に立てば合計32万トンと、英国単独の17万トンの2倍近くになってしまいます。英国として極東での権益を維持するためには、日本と組むしかないという状況でした。[岡崎、p199]

当時の日本は開国後30数年であり、日清戦争に勝ったとはいえ、グローバルパワーとは程遠い存在でした。また非白人国家として、見下されてもいました。一方の大英帝国は七つの海を支配する世界一の強国、それも「名誉ある孤立」を標榜して、独力で世界のどこでも戦える国でした。こうした従来のイメージから見れば、日英同盟は「月とすっぽん」の組み合わせでした。

しかし、冷静に戦力を計算すれば、両国にとってごく合理的な選択だったのです。従来の先入観にとらわれず、こういう選択ができたところに、岡崎氏が「どうしてここまで国際情勢を理解する能力があったのだろうか」と賛嘆しているのです。

現在の日米同盟でも、アメリカがどれだけ日本を真剣に守ってくれるのか、と問う際には、日本との同盟がどれだけアメリカのメリットになるのかということを自問する必要があります。そして、同盟国から見た自国の価値をより高めるには、どうすれば良いのか、も考えた体制整備が必要なのです。たとえば、台湾やフィリピンとの連携には、同じアジアの国家として日本が貢献できます。

 

National Archives Identifier (NAID)から

■5.英国の信頼を勝ち得た日本兵の精強さと律儀な外交姿勢

同盟を構築し維持するには、こうした国益の計算と共に、相互に対する信頼をどれだけ持っているかがポイントとなります。英国が日本を信頼するようになった一つの事件があります。1900年に起こった義和団の乱です。多くの民衆が進出しつつある外国勢力に反発して反乱を起こし、清国政府は北京の公使館員や居留民を保護するどころか、それに乗じて逆に欧米列国に宣戦布告しました。

ここで自国民保護のために欧米日8カ国の連合軍が北京を目指したのですが、それが到着するまでの間、北京では各国公使館員たちが籠城して、暴徒から身を守りました。その際に大活躍したのが柴五郎少佐率いる日本の公使館付き将兵たちでした。

その精強ぶりに感銘を受けた英国マクドナルド公使は、連合軍が北京に入城した際の列国会議で「北京籠城の功績の半ばはとくに勇敢な日本将兵に帰すべきものである」と発言をしています。柴中佐には欧米各国からも勲章授与が相継ぎました。

しかも駆けつけた連合軍1万8千の半分近くは日本軍でした。この時は陸軍大臣であった桂太郎は、当初、解決の主導権は欧米諸国が握るだろうし、日本が大軍を送っても列国の猜疑を招くだけだから、と慎重な姿勢を見せていました。

しかし、清国軍まで連合軍に刃向かうようになり、イギリスは日本の大量派兵を、再三、要請しました。緊急の事態に、近くから大軍を送れるのは日本だけだったからです。それでも各国は日本に対する猜疑心から、賛同しませんでした。

しかしついに清国の政府軍と義和団合わせて10万という勢力が連合軍に襲いかかるという事態となって、各国も日本陸軍の出動を求めざるを得なくなりました。そして連合軍は日本の増援で力を得て、北京に辿り着くことができたのです。

乱平定の後、日本軍の占領地域では兵士による略奪は一切起きず、その治安の良さは市民の間のみならず、連合軍の間でも評判となりました。義和団の乱の後も撤兵の約束を反故にして満州に駐留を続けたロシアと、日本軍の律儀さの対照は鮮やかでした。

日本将兵の精強ぶりと信頼に足る外交姿勢に感銘を受けたマクドナルド公使が、日英同盟締結時には駐日公使となっていました。「一時帰国の際に英国の指導者に詳しく東洋の事情を説明したが、その際、日本人と日本軍の信頼すべきことを説得力をもって説いたことは想像に難くない」と、岡崎氏は記しています。[岡崎、p193]

同盟には利害の計算と共に、相手国に対する信頼感があるかどうかが大切な働きをします。この点は、現代の日米同盟でも重要な点です。例えば米軍の艦船が第三国の攻撃を受けている際に、そばにいる自衛艦が自衛権の範囲外だからという理由で座視していたら、その途端に米国民は日米同盟を維持する気持ちなど失ってしまうでしょう。

憲法9条がどうのこうのなどという理屈は、米国民には通用しません。そんな不都合な憲法なら、なぜさっさと改憲しないのか、と言われたら返す言葉がありません。それが国際常識だからです。この点は、現在の日米同盟の最大のリスクなのです。

 

連合軍の兵士。左から、イギリス、アメリカ、ロシア、イギリス領インド、ドイツ、フランス、オーストリア=ハンガリー、イタリア、日本。(ウキペディアより引用)

■6.効果絶大だった英国の情報力支援

同盟の効果は戦争抑止の面でも期待できます。戦争を仕掛けようとする第三国に対して、その代償を大きくして、思い留まらせる可能性があるからです。軍事同盟を結べば、同盟国の戦争に巻き込まれるというのは、同盟の戦争抑止効用を知らない考え方です。

同時に、同盟を通じて自国の弱点を補強できるというメリットも重要です。岡崎氏は、こう述べています。

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・・・イギリスの情報部との接触は絶大な効果があったと推定される。自分の情報と判断を英国のそれとつきあわせてみるだけで、情報 の精度は格段にあがるし、またその過程で情報処理のノウハウを学ぶことができる。何よりも大事なのは、総合的なバランスのとれた判断をすることである。
七つの海を支配して世界の情報を一手に握っている国と常時対話するだけで、個々の情報の軽重、玉石の見分け方は自ずからわかってくる。日英同盟廃棄後、第二次大戦の敗戦まで、日本が情勢判断でどれだけの錯誤を犯したかを考え、そのほとんどはアングロ・アメリカ世界と情報協議をしていれば避けえたことを考えると、思い半ばに過ぎるものがある。[岡崎、p233]
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英国の情報力の一例として、次のような事例があります。イタリアで建造中の重巡2隻が竣工に近いという情報を、英国がつかんで日本に教えてくれました。ロシアがこれを知ったのは1日遅く、買収価額でせり上がってきましたが及ばずに、開戦のわずか1ヶ月余り前に日本が手に入れました。

この2艦は『日進』『春日』として日露戦争で大活躍します。英国からの情報がなければ、日本が知らないうちに、この2艦がロシア側の戦力になっていた、という事態もありえたでしょう。

英国は日本を正式にファイブ・アイズに招待しているとのことですが、米英の情報網から、多くの機密情報を得られるということは、日本の安全を飛躍的に高めることになります。もっともそのためには、我が国が独自の諜報能力を持って日本からも有益な情報提供ができるようになること、十分な機密保持体制を構築して、共有された情報を盗まれたりしないようにしなければなりません。

■7.「鯨とシャチの同盟」

日英同盟を「鯨とシャチの同盟」と喩える見方があります。この喩えからグローバル・パワーとローカル・パワーが同盟する価値をよく理解することができます。

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それでは鯨の利益とは何か、それは熊が柄にもなく海の浅瀬に踏み込んでくるのを防ぐことである。それには小柄だが敏捷(びんしょう)で剽悍(ひょうかん)なシャチの加勢が心強い。シャチは地元の海の住人ですぐ駆けつけてくれるし、小回りも利き、地理をよく知っているのである。[佐々木隆『日本の歴史21 明治人の力量』講談社学術文庫、H22、p21]
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この例えは現在の日米同盟でもそのまま成り立ちます。同盟とはクジラが無償の愛でシャチを守ってくれるものではありません。またシャチが金を払ってクジラを用心棒として雇うことでもありません。

シャチとクジラは異なる能力を持って補完しあい、それによって第三国の侵攻を抑止するのです。そのためには我が国がシャチとして、どのような強みを持つべきなのか、よく考えなければなりません。こういう視点を日本国民は国民常識として持っておかなければならないのです。

・・・日本には「非核三原則」という政治的なスローガンのもと、日本の国防を他国である同盟国の米国に委ねる施策を長年とってきています。

米国のアフガン撤退(2021年8月)以降、国際社会は「自ら守ることのできない国」に、いつまでも手を差し伸べることはない、というcool(冷静な)で常識的な判断力を、日本人は持たなければなりません。

posted by at 16:48  | 塾長ブログ

三歳から始める幼児教育

幼児教室・学習塾の羅針塾では、幼児の学びは「読み」から始まります。

落語の師匠からお弟子さんが「口伝」(くでん:口伝え)で、噺(はなし)を覚えていくように、基本は覚えるまで繰り返していきます。

さて、

ご紹介するのは、たまたま手に入った画像。米国フロリダ州のとある幼稚園の教材です。

9月から始まった幼稚園1日目の運筆(うんぴつ:鉛筆の動かし方)プリント。3歳3ヶ月の幼児さんの書き始め。家庭での学びと異なり、同年齢の子供達と並んで、先生の指示に従います。

指示:キャンディが最も多い列の絵に色を塗りなさい。

 

それぞれの文字をなぞりなさい。1からはじめ、数字の順番通りに従いなさい。矢印に注意を払いなさい。

 

海外駐在の家庭の子供さん達は、母語である日本語の国語の「読み」「書き」を家庭で学びながら、現地の幼稚園や小学校に通います。米国であれば英語の指示に従って学びます。よく言えば、bilingual(バイリンガル:状況に応じて二つの言語を使う能力)になる可能性がありますが、母語である日本語教育が疎かになるようでは、どっちつかずとなります。

その為、帰国したときの教育格差に愕然としない工夫が要ります。

これからの時代に求められる国語力

幼児教室・学習塾の羅針塾では、不断に国語力をつけていく必要があると考え、様々な工夫をしています。

国語は、「読み方」・「書き方」・「綴り方(作文)」という戦前の国語教育の基本を参考にしながら学ぶと効果があります。

正しい「読み」、正しい「書き」・正しい「綴り方」を小学校の一年生からしっかり学ぶことで、「良い癖」をつけていくべきと考えます。

文部科学省のサイトで様々な記事を読んでいると、その意図を理解できますが、具体策はどのようにしているのか、疑問が残ります。

一部引用してご紹介します。https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushin/04020301/003.htm

 

これからの時代に求められる国語力

1   国語力の向上を目指す理由

国語の果たす役割は極めて広範囲にわたり,文化の基盤である国語の重要性はいつの時代においても変わるものではない。その意味で,国語力の向上に不断の努力を重ねることは時代を超えて大切なことである。

   しかし,人々の生活を取り巻く環境がこれまで以上に,急速に変化していくことが予想される「これからの時代」を考えるとき,国語力の重要性について改めて認識する必要がある。社会の変化は様々な方面で同時並行的に進行しているが,これらはいずれも国語力の問題と切り離せないものと考えられるからである。

(中略)

現在,国際化の進展に伴って,自分の意見をきちんと述べるための論理的思考力の育成,日本人としての自己の確立の必要性,英語をはじめとした外国語を習得することの重要性が盛んに言われるが,論理的思考力を獲得し自己を確立するためにも,外国語の習得においても,母語である国語の能力が大きくかかわっている。

(中略)

また,情報化の進展に伴っては,膨大な情報を素早く正確に判断・処理する能力の大切さや,自らの考えや主張を的確にまとめて情報として発信していく能力の重要性がつとに指摘されている。この情報の受信・発信能力の根底にあるのが国語力であることは異論のないところであろう。

(中略)

国語力がその人間の能力を構成する大きな要素となっていると考えられるが,近年の日本人の国語力をめぐっては,言葉遣いや語彙,発表能力や文章作成能力などに種々の問題点を指摘する声が多い。これらの問題点の要因の一つとして,中学生以降の年代における読書量の低下を挙げることもできよう。
   例えば,全国学校図書館協議会と毎日新聞社が毎年行っている全国の小・中・高等学校の児童生徒の読書状況の調査によれば,平成15年度における5月の1か月間の平均読書冊数は,小学校では8.0冊であるのに対し,中学校では2.8冊,高等学校では1.3冊という結果が出ている。また,1か月に1冊も本を読まなかった者の割合は, 小学校では9%にすぎないのに対し,中学校では32%,高等学校では実に59%に達している。

・・・「児童生徒の読書状況の調査」結果は、随分以前から、読書量の減少を喧(かまびす)しく言われていることですが、この傾向はますます強まりそうです。スマートフォンなどの小・中・高校生への所持率が高まれば、書物を読むという習慣から遠ざかるのは自明です。読書量の低下が国語力の低下の大きな一因であるならば、学校教育の中で、積極的に授業時間に組み入れるということも考える必要があります。

私見ですが、学校の土曜日休日を撤廃して学校で四時間ほど読書の時間を設けるべきではないか、また、宿題は基本的に撤廃して、各自が選択した書物を読み、その要約をすることを課す、・・・と考えますが・・・

2)国語力の中核を成す領域
   この領域は,「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の四つの力によって,構成されている。これらは,言語を中心とした情報を「処理・操作する能力」であり,国語力の中核と考えられるものである。
   また,この四つの力が具体的な言語活動として発現したものが,「聞く」「話す」「読む」「書く」という行為であると考えられる。日常の言語生活の中では,この「聞く」「話す」「読む」「書く」という言語活動が様々な状況に応じて,複雑に組み合わされて用いられている。

(後略)

 

(3)「国語の知識」や「教養・価値観・感性等」の領域
   この領域は,「考える力,感じる力,想像する力,表す力」が働くときの基盤を成すものである。また,「考える力,感じる力,想像する力,表す力」に直結している「国語の知識」の部分と各人の「教養・価値観・感性等」の部分に分けることができる。

なお,「国語の知識」とは具体的には,

      (例) 1 語彙(個人が身に付けている言葉の総体)
2 表記に関する知識(漢字や仮名遣い,句読点の使い方等)
3 文法に関する知識(言葉の決まりや働き等)
4 内容構成に関する知識(文章の組立て方等)
5 表現に関する知識(言葉遣いや文体・修辞法等)
6 その他の国語にかかわる知識(ことわざや慣用句の意味等)

といったようなものである。

 

・・・文部科学省の言わんとするところは理解できますが、これを子供さん達に具体的に教え諭していく方法が必要です。基本的に、小・中学校までの義務教育期間に、国語の基本をしっかり身に付けるべきです。

posted by at 15:43  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

日本語の崩壊 「字幕離れ」

幼児教室・学習塾の羅針塾では、幼児期の基幹教育(小学校就学前の学び)を終えたら、国語力をつける為の基本である漢字の学びを始めます。

その際、漢字の熟語は漢字・仮名交じりでは読みません。例えば、「国語」を「国ご」「食事」を「食じ」の文字では読みません。

さて、

致知出版社の人間力メルマガ 2021.8.24に、字幕翻訳者の戸田奈津子氏のインタビュー記事がありました。

筆者も仄聞(そくぶん:噂などで耳に入ること、人伝(ひとづて)に聞くこと)していたことですので、得心した次第です。引用してご紹介します。

 

字幕翻訳者の戸田奈津子さんか゛いまとても憂慮されていることがあります。
若い人たちを中心に「字幕離れ」が進んでいることです。
そしてそれは、日本語の崩壊にも繋がっていると戸田さんは指摘されています。

日本語力という話と少し関連することだけど、ここ20年の間に若い人たちの間で「字幕離れ」が進んでいるんです。
つまり、吹き替え版を好む観客が増えてきている。
ある時、映画が字幕版と知った観客が「普通の映画はやっていないんですか」と尋ねたという話を聞いて驚きました。
その人にとっては吹き替え版が普通の映画なわけですね。
おそらく字が読めない若者が増えているからなのでしょうけど、日本国としても実に憂うべきことでしょうし、文化が死んでいくことを私もとても心配しています。

これも少し前の話ですが、映画会社から「若い人は〝安堵〟という言葉が読めないから〝安心〟に変えてほしい」と言われて、強く反発したことがあります。
「安堵と安心はニュアンスが全く違う。それがどうして分からないの」と。
このことが誰も気にならなくなっているというのは怖いですね。
安堵という日本語を含めて、毎日言葉が死んでいる。
もう、あちこちに死体がごろごろ。

(──確かに日本語の崩壊は深刻ですね。)

(戸田)

何を基準にしてそうなっているか私には分からないけど、〝拉致〟を〝ら致〟と書いたって、それだけでは分かりません。
漢字なら見て意味が通じるんです。
私は絶対に〝ら致〟なんて書きたくないから、必ず漢字で書いてルビ(読み仮名)を活用するようにしています。
そんな例はたくさんありますよ。

日本は世界でも珍しい字幕国なんです。
外国映画を字幕で観る習慣がなぜここまで日本で定着したのかと言えば、
一つには日本人の識字率が高かったこと。
もう一つは本物志向が強いことです。

ゲーリー・クーパーのようなステキな声は生で聞きたいという映画ファンは多いはずです。
いわゆるヒーローものの声優さんが吹き替えをやったって、あの味は出せませんよ。
でも、それすらいまの子には通用しない。
ないものねだりというか、それが時代の流れなのでしょうけど、
字幕を取り巻く環境の変化は残念ではありますね。

洋画(外国製映画)の字幕翻訳の歴史は約90年前に遡るそうです。日本で初めて日本語字幕がついた映画は、1930年に米国で制作された『モロッコ』です。日本公開は翌年の31年。翻訳者は田村幸彦氏です。田村氏は日米を行き来して翻訳技術を学び、字幕づくりの基本的なルールを作りました。1秒3、4文字、縦字幕で1行13文字(現在は10文字)、最大2行とされる田村さんの制作のルールは、今も映像制作における字幕翻訳の基本ルールとして根付いています。

・・・映像の下部(乃至は右横部)に流れる字幕を読みながら、映像を追いかけることが出来ない若者が増えている。 驚きです。

戸田奈津子氏のお話は、日本人の高かった識字率が低下している、また国語力が落ちてきている証左(=証拠)を表しています。

更に、

国語力の低下の一因として、外来語又は外来語的な言葉を「カタカナ」表記したり、用いたりする悪しき流行り(はやり)も問題です。日本語で書いたり表現するべきなのに、わざわざ「カタカナ」に変える愚は避けるべきです。例えば、「危機管理」を「リスク・マネジメント」、「適切な距離(を保つこと)」を「ソーシャル・ディスタンス」と表記することなどです。

仮に、どうしても英語表現をしたければ、「Risk Managemennt(リスク・マネジメント)」「Social Distance(ソーシャル・ディスタンス)」と、英語などの綴りを表記すべきです。そうすれば、英語の辞書で意味を確認出来るからです。

字幕翻訳者の戸田奈津子氏の言われる「字幕離れ」は、結局、小・中学校の義務教育期間に、しっかり国語教育をしなければならないことを示しています。そして、家庭で普段から国語辞書や漢字辞書を使いこなし、日常的に語彙力を増す工夫が必要です。

「漢字や語彙力の無いことは恥ずかしいことです。常識がないと言われない様に、しっかり学ばなければなりません。」と、筆者は母親から常々言われていました。

これは、昔も今も変わらない事実です。

posted by at 15:36  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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