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中学生の英語教科書が難しい

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、日々コツコツと努力を続けることの大事さを、学ぶことを通じて体得するべきではないか、と考えています。

さて、

2021年度からの中学生の英語教科書が大変難かしくなっているのをご存知でしょうか。

例えば,ある教科書では,Lesson1の一番初めのところで,

I like animals very much.

I have a turtle and an iguana at home.

という文章が登場します。

すると、

「なぜanimalsとsがつくのか。」

「turtleにはaがつき,iguanaにはanがついているのはなぜか。」

などと疑問をもつ生徒が出てきます。それについて,教科書には何の説明もありません。

本来であれば、英語学習の順序として,数えられる名詞と数えられない名詞の違いや,a, an, theなどの冠詞については,日本語との違いをしっかり教える意味でも指導しておくべきです。

なぜなら,日本語と異なり『英語は名詞の数に厳密な言葉である』ということを生徒の頭に染み込ませておかないと,いつまでたっても「正しい英文」を書くことができないからです。

英語力の決め手は「英作文」です。

英語学習においては,リスニングやスピーキングも大切ですが,最終的に英語力を試されるのは「英作文」です。

入試でも英作文の出題比率が高まっています。

また,英語を学ぶ生徒が、英米人との片言の英語で会話を楽しむ程度の関わり合いをもつだけなら,ブロークン英語でも事足ります。

しかし,将来ビジネスでの商談や,学術研究の論文発表などの場面で英語を使わなければならない人にとっては,冠詞の使い方や三単元のsなども正確に使いこなすのは必須です。そのためには,片言の英語ではなく,しっかりと正確な英文を作れる能力を獲得しておく必要があります。

小学校でも英語が導入されていますが、現状の英語の授業は、簡単な会話を反復させる程度で、「聞く」「話す」ことでお終い、という状況です。

この様な授業をいくら繰り返しても、英語力がつくはずがありません。

小中高レベルでは英語は学問ではなく言語として習得すべきものです。

従って、母語である国語を習得する様に、文法(言葉の決まり)を身につけ、繰り返し「聞く」「読む」「話す」「書く」ことができる様にならなければなりません。

因みに、

イチロー氏(元メジャーリーガー)の日々の努力についてのエピソードは殊に有名です。

高校の3年間、僕は寝る前の
10分間素振りを続けました。

1年365日、
欠かさず続けました。

それが僕の誰にも負けないと
思える努力です 

イチロー(元メジャーリーガー)
月刊『致知』より

・・・一日10分、就寝前に学習する習慣をつけると、

10分 × 365 = 3,650分 = 60.83 時間 も学習することになります。

10分と言えば、あっという間の時間ですが、ここに集中する習慣を付けると、学習効果は抜群にあります。

・・・就寝前に英語の単語、英作文、音読などに活用すると、暗記力も一段と高まります。

 

posted by at 15:37  | 塾長ブログ, 英語力ブログ

主要五科目500点を目指す

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、就学前教育から始めて小学校受験を経験した塾生は、様々な点で自主的に学ぶ癖がついてきます。

学年が上がるにつれ、学ぶ量も増えて来ますが、自然にこなす力がついてきます。

ある中学校二年生の塾生は、倦まず弛まず(飽きたり気を緩めたりせず、物事をなす心掛けで)学問に取り組みます。就学前から現在まで(九年目)、学問に対する変わらない素直な取り組みは後輩達の手本です。

中学生になってからの定期考査には、人と競うのではなく、自分自身との闘いとして、主要五科目の国語・数学・英語・理科・社会で、500点満点を目指して試験準備をしています。

例えると、縦、横に重ね塗りをする壁のペンキ塗りのように、基本である教科書、授業のノート、基本の問題集、応用問題集などを二回三回と解き、基本の確認を音読しながらしていきます。

そして、今回の中間考査で五科目合計496点、平均99.2点の結果となりました。三科目が100点満点。

当の本人は、その結果に淡々としたものですが、今までの努力の積み重ねが正しいことを証明しています。

この結果を踏まえて、新たに500点満点を目指す静かな闘志を燃やしていることでしょう。

教科書に載らない歴史上の人物30 樋口季一郎

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、国語の力をしっかりつけることが、算数・数学、英語、理科、社会など、多くの教科書の内容を理解する一番の早道だと考えています。

教科書を自ら読解し、更に、参考書や問題集をこなしていく為には、一言一句の意味合いを理解しておかなければならないのは当然です。

さて、

以前本ブログで取り上げた以下の記事(*)で取り上げた樋口季一郎を非常にうまく紹介しているyoutuberの動画をご紹介します。

(*)教科書に載らない歴史上の事実 4 人種平等の精神を国是とする大日本帝国

【日本史】ロシア軍の北海道上陸を阻止し、ユダヤ人を救い、無傷での撤退作戦を成功させた奇跡の日本軍人/樋口季一郎

常用漢字だけでは大学の教科書は読めない

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、日頃から国語教育の重要性を述べています。これは各界の知識層も警鐘を鳴らしていることですが、これからの日本を担っていく若者層の識字率・読解力の低下を憂う声が大きいのは、若者に責任があるわけでは有りません。

ロシアがウクライナに侵攻して国際的に安全保障の不安要因が彌増す中で、日本の円安など国力の低下は将来に不安を残します。何より国の基(もとい)は、国土の保全と人材の育成です。

偶然メルマガの記事の読者の意見を目にして、首肯する点があったのでご紹介します。

「宮崎正弘の国際情勢解題」令和四年(2022)4月11日(月曜日)壱 通巻第7295号の(読者の声4 SK老)

国語の破壊。マッカーサーは、当初、英語を日本の国語にすることを考えていたので、取り敢えず、日本語表記のローマ字化、漢字の使用制限をしました。当用漢字とは、当面は使用してもよい漢字という意味です。最終的にローマ字化は諦めましたが、当用漢字は常用漢字として今も残っています。

文明開化の時代、日本人は漢字を駆使して、非常に短期間で、欧米の文化・学術・芸術を日本語に翻訳し、全国民の啓蒙に役立てました。日清・日露の戦争に勝ち国際連盟の理事国になれたのは、この言語能力のお陰です。この時の翻訳語が中国・韓国の近代化に大いに貢献し、現在、彼らが使用している語彙の7割くらいは和製翻訳語と言われています。

この便利な知的道具である漢字の使用が制限された結果、日本人の言語能力は著しく低下し、1000年前どころか50年前の本すら読めなくなってしまいました。新聞には意味不明のカタカナ語やアルファベットが氾濫して、老人には理解不能です。

そもそも、現在の常用漢字は漢字使用の目安であって制限ではないはずなのに、「蔓延」を「まん延」と表記するのが当たり前となっています。「蔓延」なら、見ただけで解かる人は解りますが、「まん延」一語を見て、その意味を解する人は皆無でしょう。むしろ、英語のspreadを「スプレッド」と表記したほうがまだましです。

常用漢字だけでは大学の教科書は書けません。日本の平均的大学生のレベルが、国際比較で、著しく低いのは教科書が読めないからです。漢字はもともと象形文字なので、幼少期のほうが習得しやすいのです。成人(18歳)になってから、見たこともない漢字で表記された専門書を前に挫折する若者が多いのは、当然とはいえ、残念なことです。江戸時代の藩校教育と寺子屋教育が明治の奇跡的近代化を可能にし、戦前の教育が戦後の復興を成し遂げたのは間違いのない事実です。そして、現代日本の低迷は、占領下の教育改革の必然的結果であることも間違いありません。

歴史学者 アーノルド・J・トインビーは「滅亡する民族の共通点」として次の三つをあげています。
●自国の歴史を忘れた民族は滅びる
●すべての価値を物やお金に置き換え 心の価値を見失った民族は滅びる
●理想を失った民族は滅びる

この三つを一つにまとめれば「国語を失った民族は滅びる」でしょう。国語は、その民族の歴史、価値観、人生観の集大成です。「教育は国家百年の大計」とも言います。マッカーサーはそれを証明してくれたようです。

 

・・・如何でしょうか。

昭和二十七年(1952)に米国の占領から独立したにも関わらず、七十年経っても本来の日本を取り戻すことができていないことから、教育の世界では劣化がどんどん進み、意欲を持った若者が先生にならない(なれない)のが教育界の実情です。

一般の小学校・中学校では、常用漢字レベルの漢字学習しかできていない訳ですから、各家庭でしっかり漢字力・国語力を向上させる道を取らない限り、学力を向上させることはできません。

まして、本来のあるべき大学教育を通して、専門性の高い学問を習得しようとすれば、漢字力や語彙力がないレベルでは、とてもついていけません。

posted by at 19:28  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

教えることは、待つこと。

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、春期講習中にも明るい大きな声で音読をしています。

就学前の姉妹・兄弟の可愛く高い声が塾内を満たしています。

三歳の女の子が年上の塾生と、論語の一節を唱えていたときに、その粒らな瞳に涙が滲み出しました。一所懸命に声を出しているからなのか、論語のリズムに反応してなのか、不思議です。最後までしっかり唱え終わりました。

 

さて、

朝井まかて著「ボタニカ」(祥伝社)の一節をご紹介します。直木賞、中央公論文芸書、柴田錬三郎賞など数々受賞する作家が、「日本の植物学の父」と言われる牧野富太郎氏を主人公として描いた作品です。その一節。

白墨を手にした富太郎は、黒板に桃の実の絵を三つ書いた。

「ここに桃が三つ入った籠がある。これに二を乗じて四つ食ったら、いくつ残るが?」

教場に座した生徒らを見回し、黒々したイガグリ頭に目を留めた。

「岩吉、どうじゃ」

皆が一斉に後ろを振り向く。注視を浴び、岩吉の平たい顔が途端に紅色を帯びた。躰は大人並みで、実際、富太郎と同じ十七歳だ。岩吉が前の席に座れば後列の生徒に掛図や黒板の文字が見えにくくなるので、常に出入り口に近い後方にいる。家の畑仕事を手伝ってから登校するらしく、しばしば授業に遅れるという事情もある。

岩吉は俯いて、肩や腕をもぞもぞと動かすばかりだ。

「ゆっくりでえいぞ」

こういう局面では急かさないことにしている。岩吉はこの程度の計算など簡単にでき、頭の中ではすでに答えを出しているのだ。それはこれまでの授業で察しがつくし、この教室は上等小学の八級だ。皆、下等小学の一級からここまで進んできている。臨時の試験を受ければ飛び級もでき、たしか岩吉も何級か越えているはずだ。しかしこうして皆の前で当てられると狼狽して黙り込んでしまう。人前で答えを述べることに慣れていない。特に百姓の子にそういった性質が多く、岩吉もしかりだ。間違うことを無闇に恐れ、教員に対してもひたすら恐懼の体を取る。

(中略)

「岩吉、どうじゃ」と、再び促してみた。

大きな肩をすくめ、やっと「二つ」と呟くように答えた。「よろしい」とうなずき、富太郎は爪先を回した。黒板に向かい、桃の絵を新たに大きく五つ描く。

「さて、次の問いじゃ。桃を七人で食いたいが五つしかないとする。あと、いくついる?」

前列の女児を当てると、即座に「二つ」と答える。順に訊いていくと、皆が「二」「二個」と答えていく。先ほどよりさらに簡単な計算であるので間違える者はいない。問いをもっと捻るべきだったかと思いつつ、最後に岩吉の番だ。

「あといくつ要る」

すると、首を横に振った。

「要りません」

「ほう、要らぬか」と、富太郎は頬を緩めた。「いくつ要る」と問われて「要らぬ」と答えるのは正解ではないが、不正解は往々にしてサムシングを孕んでいる。

そうじゃ、こういう答えを待っておったがよ。

浮き浮きと弾んでくる。しかし生徒らは顔を見合わせてざわつき、岩吉の顔はまたもや熟柿の如きになった。

「皆、静かにせんか。岩吉、理由を教えてくれ」

岩吉は目をしばたかせ、唇を揉むように動かしてから「うちは」と声を押し出すように言った。

「うちんくじゃ、いっつも桃の木から五つもいで、それを七人で食べよります」

「喧嘩にならぬのか」と訊くと、何人もが笑い声を立てた。それにはかまわず、目で先を促す。

「なりません」

「岩吉の家には工夫がありそうじゃな。絵でもって皆に教えてくれぬか」

前へ出てくるように手招きをした。すぐに立ち上がらぬのはわかっているので、また待った。

「岩吉、わしも教えてもらいたいがよ」

渋々ながらも、ようやく前に出てきた。藍木綿の着物は窮屈そうで、手首や太いふくらはぎが剥き出しだ。ひなたの草の匂いがする。白墨を渡すと、岩吉はしばし黒板の前に佇み、そして三つの桃にのろのろと斜線を引いた。引いていない桃も二つある。

「ほう、これはいかなる分け方じゃ」

「一個まるまるを父ちゃんに食べてもろうて、あとの三つを半分ずつ、祖父ちゃんと祖母ちゃん、わしと弟、妹二人で分けるがです」

「すると、一個余る勘定になるが」

「はい、母ちゃんに供えます。仏前に」

思わず目尻が下がった。「そうか」と何度もうなずき、席に戻るように掌で指し示す。岩吉が腰を下ろすのを見届けてから、「えいことを教えてもろうた」と皆を見回した。

「えい分け方じゃ。それに、皆、この絵をよう見てみいや。五という数は一が五つあるだけでできちゅうわけじゃないことがわかるろう。一と一、それに二分の一が六つあっても、五になる。他にもいろんな数が潜んじょりそうじゃのう、面白いのう」

生徒らはじっと息を詰めて目を凝らし、「うちは四人じゃから」と分け方を考え始めた。

「一つ余るき、それを四分のいちずつ、また分ける。ということは、一が四つに、四分の一が四つでも、五になる」

発見した。そんな目をして、頬を輝かせている。

富太郎は、その感触を忘れてくれるなと願いながら教場を見回した。

最初は伝えることに懸命だったのだ。この世がいかに面白いことどもでできているか、生徒らに知ってほしかった。けれど一方的に言葉を発しても、持っている桶の大きさがそれぞれ異なることに気づかされた。新しいこと三つ学んだら、後はもう溢れてしまう桶もある。そこで、桶が一杯になった時分に、こうやって問いかけることにした。

教えること、すなわち一方的に伝えることではない。教えることは、自らで何かに辿り着く瞬間を辛抱強く待つことでもある。

 

・・・牧野富太郎氏は、十五歳から、高知県の佐川小学校の「授業生」すなわち臨時教員としておよそ二年間教鞭を取りました。その頃の教授風景を作家は生き生きと描写し、牧野富太郎氏が植物学への道を踏み出す頃に読者を引き込んでいきます。

お薦めの一冊です。

 

posted by at 17:22  | 塾長ブログ
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