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教科書に載らない歴史上の人物 28 緒方洪庵 1

長崎市五島町の幼児教室・学習塾の羅針塾では、冬期講習も終わり三学期開始に備えています。

さて、

「教科書に載らない歴史上の人物」シリーズは、その時々の筆者のアンテナにかかる情報から、塾生にも伝えたい歴史上の人物について記しています。

再々ご紹介している「国際派日本人養成講座」から「国のため、道のため」〜近代医学の祖 緒方洪庵(http://blog.jog-net.jp/202101/article_1.html)を引用してご紹介します。

 

緒方洪庵肖像画 大阪大学適塾記念センター蔵

 感染症と闘い、国を憂いて人材育成を続けた一生。

1.幕末のコレラ流行に奔走した緒方洪庵

 安政5年(1858)6月、長崎に入港したアメリカの軍艦ミシシッピー号乗組員が感染源となって、中国から日本にコレラが持ち込まれ、九州、四国、近畿から江戸まで大流行となりました。江戸だけでも3万人が亡くなったとされています。当時の人はこれを「コロリ」と呼んで、恐れおののきました。この病気にかかるとコロリと死んでしまうからです。

治療法として、当時参考になる文献といえば、二つしかありませんでした。一つは、オランダから長崎にやって来たポンペという若い医者が、当時のヨーロッパでの治療法を助手・松本良順に口述して訳させたものが流布していました。

 もう一つは緒方洪庵が訳した『扶氏経験遺訓』。これはドイツの内科の名医でベルリン大学の教授だったフーフェランドが50年の治療経験をまとめた本で、このなかのコレラの章。ところが両者の説くところが非常に違っていて、どちらに従えば良いのか、分からないという状況でした。

 洪庵はこの状況を見かねて、とりあえず手許にあった三冊の洋書から、コレラの項を訳し、最新の説をまとめて『虎狼痢(コロリ)治順』と題して、8月下旬に刊行しました。コレラ発生以来、60日も昼夜休みなく奔走する合間を縫って、各地の医師に正しい処置方法を知らせようと、急いでまとめたものです。

 ところが、その中にあったポンペ批判の部分について、11月に松本良順からきびしい抗議が来ました。洪庵の書にも多少の落ち度があったようで、洪庵は良順の手紙を『虎狼痢治順』の末尾に追加し、松本君のお陰で過ちを世に残さずに済んだと感謝しています。
 ときに洪庵49歳、良順27歳。20歳以上も若い良順の批判も正しければ直ちに受け入れ、それによって一人でも多くの民を救いたいと考えたのです。

 後年、洪庵が幕府の西洋医学所(後の東京帝国大学医学部)頭取に任命された直後、良順も頭取助(すけ)に挙用されており、洪庵の推挙によるものと見られています。洪庵の死後、良順は次の頭取となります。洪庵は日本の西洋医学発展のリーダーとして良順を見込んでいたようです。

 

・・・幕末の安政五年(1858)ペリーの黒船騒ぎ(1853)から五年で、China経由の米国軍艦の乗組員からコレラが持ち込まれることなど、島国である我が国の防疫体制が作られる前の、先人の苦労が偲ばれます。現在も世界中で猛威を振るう「武漢ウィルス」対策の参考になるお話です。

2.種痘普及のための10年近い努力

 感染症対策としてもう一つ、洪庵が力を尽くしたのが天然痘でした。当時は天然痘で命を落としてしまう人も、少なくありませんでした。たとえ助かっても、顔にひどいあばたが残ってしまい、自分の子がそんな目にあうのは親にとって耐えがたい苦痛でした。

 天然痘にかかった人の膿(うみ)やかさぶたを「たね」として健康な人に植えて、免疫を作る方法はかなり古くから伝わっていましたが、それによって天然痘にかかって死んでしまう子供も多い、危険な予防法でした。

 1798年にイギリスのエドワード・ジェンナーが牛痘の「たね」を人に植えると、その危険もなく、強い免疫ができることを発見しました。牛痘の「たね」となるかさぶたは、1849年にオランダ船によって長崎にもたらされ、日本でも普及が始まりました。

 洪庵はその年のうちに大阪で種痘を行う施設として「大坂除痘館」を設置しました。その際、協力者たちと「世上のために新法(新技術)を弘(ひろ)むることなれば」、いくばくかの謝金を得ても、さらに仁術を行うための資金にする、と「第一の規定」と定めています。

 そのうえで関西一円にいくつもの「分苗所」を設け、各地の医師が協力して種痘を行う体制を作りました。しかし、民衆の種痘への理解はなかなか広まらず、その時の苦労を洪庵はこう記しています。
__________
 市中に牛痘は益がないばかりでなく、かえって小児の体に害があるというような悪説がながれて、誰一人牛痘を信ずるものがいなくなった。
やむを得ず、少なからぬ米銭をついやして毎回の種痘日に四、五人の貧乏な小児を集めて牛痘を接種したり、四方へ走りまわって、牛痘のことを説明して勧めたりして、なんとか牛痘苗を連続させること、三、四年に及び、ようやく再び信用されるようになった。[梅溪1、p172]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 こういう苦闘を10年近く続けた後、ようやく町奉行が大坂除痘館を全国で初めて公認しました。その通達では、洪庵らの行う種痘は怪しむべきものではなく、礼物をむさぼるようなこともないので、安心して受けるように、というものでした。洪庵は大坂町奉行とは懇意で、数十度もこのような通達を内願していたのですが、前例がないために、なかなか公認してくれなかったのです。

 こうした努力により、種痘は急速に広まっていきました。

 

(続く)

 

読めても書けない英語

小学校受験も峠を越え、積雪模様の天候となりつつある冬休みもそろそろ終わります。幼児教育・学習塾の羅針塾では、塾生が元気に塾で学んでいます。長期の休暇は、地力をつける良い機会。学力の向上は、それぞれが目指すレベルによって異なります。学年は下でも地力がある塾生は、上級生の学年の範囲でもスイスイと学んで行きます。

さて、英語に関するある例です。

幼い頃から小学校就学後低学年まで、長年英会話教室に通い、小学校でも会話を重視した教育を受けている塾生。勘も良く理解力も有り、先では大きく成長する潜在力を秘めています。

英語もよく聞き分け、応答もできますが、、、、綴り(spell)が書けない。

英会話教室に何年も通ったことから、英単語の発音はできますが、発音する通りに綴ると、本人も?、?、?となってしまいます。

まさに、ここが現在の小学校英語の問題点となります。

そして、その問題、つまり綴り(spell)が書けないことは、そのまま中学校、高等学校と引きずることになります。英語を苦手と思う原因でも有ります。

これを解決するのは実は簡単です。

・・・「読み」と「書き」を連動することに尽きます。

・・・漫然と読み、漫然と書く、では効果が有りません。

・・・「読み」と「書き」、そして「意味」も合わせ、集中すること尽きます。

これは、日々の「学び」の訓練次第です。

 

謹賀新年 

令和三年 辛丑(かのと・うし)

あけましておめでとうございます。

本年も宜しくお願い致します。

旧年、令和二年(2020)は、歴史的に見ても激動の年でした。後で振り返って、成る程な、と言える様々な端緒が起きた様に思います。

さて、

幼児教育・学習塾の羅針塾では、正月元旦から特別特訓中です。

幸い、天候も回復し明るい新暦のお正月です。しかし、「学び」の好機は逃す事はできません。せっかく力を付けてきた受験生には一日も揺るがせにする事は出来ないからです。

「一年の計は元旦にあり」

一年の計画は、年の初めの元旦に建てるべきである。物事を始めるにあたって、最初にきちんとした計画を立てるのが大切である、ということ。

『月令広義・春令・授時』に「一日の計は晨(あした)にあり、一年の計は春にあり」とあります。

また、毛利元就が語ったとされている

「一年の計は春にあり、一月の計は朔にあり、一日の計は鶏鳴にあり」があります。

全て計画を立てるのは、「春」は旧暦の立春の日、「朔(さく)」は、月初めの日、「鶏鳴(けいめい)」は鳥の鳴き声のことから一番鶏の鳴く早朝のこと、です。

英語では、

The whole year’s plans should be made on New Year’s Day.(年間計画の全ては、新年の日(元旦)に作らねばならない。)

New year’s day is the key of the year.(元旦は一年の鍵である)

類例に、

New year’s day is the day  for planning the coming year.(新年の日(元旦)は来たる年の計画を立てる日である。)

Decision made on New year’s day are the key to successful year.(新年の日(元旦)になされた決断は、成功の年の鍵である。)

 

 

人には様々な試練が訪れますが、創意工夫によって乗り越えてきたのが私達の先祖です。同様に、これからの日本の将来を担う子供達にも、様々な智慧を学び、経験を積んで行って欲しいと考えます。その為には、倦まず弛まず学び続ける事が必要です。

posted by at 11:32  | 塾長ブログ

大学入試改革・・・失敗の連鎖

幼児教育・学習塾の羅針塾では、小学校受験や幼児教育について相談に来られる親御さん方に、「子供さんの未来像」を描いてみて下さいと提案します。

「子供の望む道」へ進ませたい、というのが一般的です。勿論その通りです。その為には、小学校就学前から、小・中学校までは親御さんがレールをしっかりと敷いてあげるべきと考えます。

 

さて、産経新聞(令和二年(2020)11月20日)の特集記事(「戦後75年」第7部教育②)に「大学入試改革」についての記事が掲載されていましたので、引用してご紹介します。

目指す学力 時代の変化で翻弄

(前略)

大学入試の見直し。それは、常に時代の要請を追いかける「未完の改革」となる。戦後の時間軸を遡ると、大きな転換点は、昭和54年の国公立大志願者を対象にした「共通一次試験」の導入だった。

大学入試改革(産経新聞2020.11.20)

 

■「共通一次」導入

高度経済成長期の40年代、「受験地獄」と呼ばれる時代が到来する。ベビーブームの波に乗った大学進学者の増加に伴い競争は激化。当時は大学ごとに独自の入試が行われており、受験生をふるいにかけるため、高校での学習内容が反映されない奇問や難問が頻出し、受験生を苦しめた。

そこで提唱されたのが共通一次試験だった。高校での基礎的な学習内容を出題し、その達成度を共通の尺度で評価する。その上で、受験生は各大学の個別試験(二次試験)に挑む。現在まで続く大学入試の枠組みが形作られた。

共通一次で受験生に求められたのは、五教科七科目をミスなく解答する能力だ。マークシート式の解答が採用されたことは象徴的だった。

「唯一の正解があり、それと寸分違わない答えを導き出す。組織の一員として、高度経済成長を支える人材に要求された力でもあった」。文部大臣補佐官として共通テスト導入を主導した東京大・慶應大学教授の鈴木寛はこう指摘する。

共通一次は平成二年に私立大も参入するセンター試験へと衣替えし、その規模を拡大しながら今年まで継続されることになる。

しかし、革命的なインターネット技術の発明に伴う情報化社会の到来によって、マークシート式の選択問題で測られる学力はすでに時代遅れになっていた。

・・・正直なところ、昭和54年(1979)から41年経っても、「教育改革」という名の「教育改悪」を続け、その「愚」に気付かないという戦後の日本の文部行政の為体(ていたらく:様子、有様)には呆れ果ててしまいます。その時々の、大学を目指す若者が、受験制度の変更に翻弄され続けています。

(中略)

情報科時代において、必要とされる様になったのは、人工知能(AI)などが代替可能な暗記力や計算力ではなく、人間にしかできないクリエーティブな能力だ。

しかし、多くの学校現場では指導要領に沿った学びは浸透していない。

なぜか。

「入試で求められていないからだ」(文科省幹部)

(中略)

国際競争を迫られる中、日本の教育力の真価が問われている。

元文科大臣補佐官の鈴木は断言する。

「高校の授業を変えるしかない。邪道かもしれないが、その為には大学入試を変えるしか手立てはない」

 

・・・「木に竹を接ぐ」(違う性質のものを継ぎ合わせる。前後関係や筋が通らないことの例え。不調和な例え。)という諺(ことわざ)そのものです。

敗戦後の日本の教育は、GHQ占領期の七年間で大きくねじ曲げられています。それを主権回復した昭和27年(1952)に、従前の教育制度に戻すことができていれば、現在の様な教育の劣化を招くことはなかったと考えます。

つまり、江戸時代の幕末に、米国のペリー来航に始まる欧米列強の圧力を跳ね除ける為に、明治維新を断行した近代日本は、明治天皇の精神的統率のもと、「和魂洋才(わこんようさい:日本固有の精神を基本に据え、西洋の優れた学問・知識を摂取し、活用すべきであるということ。)」の考え方に基づき、是々非々(ぜぜひひ:立場に囚われずに、善いことは善い、悪いことは悪いと判断すること)で、欧米列強の長所を取り入れることに努めました。

教育制度も、欧米の優れた科学技術や近代的合理主義は取り入れましたが、安易な西洋崇拝的「ものまね」は忌避しました。全国に小学校を隈無く配置し、各界の指導者となるべき人材教育を、帝国大学、各種専門分野の大学、高等師範学校などを通して、様々な分野に施していきました。

第一次世界大戦後は、「五大国(英・米・仏・伊・日本)」の一つとなります。これは、日本人の勤勉さや誠実さ、努力の賜物ですが、その根幹に優れた教育制度と人格・識見に優れた先生方がおられたからです。

そして、大東亜戦争(教科書的には、太平洋戦争)で米国に負けはしましたが、戦後の日本の復興や高度経済成長を支えてきた人々は、少なくとも戦前の日本や日本人に合った教育を受けていたのです。

戦前の優れた教育制度を米国に否定された占領期の七年間以降、日本人自らが、優れた教育制度を取り戻していないことが、現在の迷走する大学改革失敗のすべての根源ではないか、と愚考します。

 

 

・・・考える力、論理力、思考力、クリエーティブな力、などなどは、母語である日本語で、しっかり考え、話し、論理的に書く力を身につけることが何よりです。

日本の古典に親しみ、日本的な本来の感性を持っていれば、海外の人々から「Japan Cool 」と言われる日本となり、国際的に通用する日本人を生み出していけます。英語などの語学は、本来必要な人が、必要なときに学ぶものである、と考える方が合理的です。

しかしながら、その非合理的な「小学校英語必修化」が制度化された以上、日本の将来を担う子供さん達の為にも、それにより良く対応すべきことは、言うまでもありません。

 

 

 

posted by at 14:27  | 塾長ブログ

小学校「英語教科化」3

幼児教育・学習塾の羅針塾では、子供さんの教育に関心の高いお母さん方から様々なご相談があります。

その中の一つは、「習い事」(英会話教室・ピアノ教室・体操教室・水泳教室・バレー教室・珠算教室・書道教室などなど)と「学び」(学習)との兼ね合いです。

 

多くのお母さん方は、子供さんの様々な将来の可能性について良かれと思い、いくつもの「習い事」をさせています。当然、費用も時間(送り迎えを含む)も掛かります。

小学校へ就学すると、それらの「習い事」と「学び」(学習)との干渉が始まります。分かりやすく申しますと、時間・費用が「あちらを立てれば、こちらが立たず」の状態になってしまうからです。

そこで、何を最優先にするかで問題解決に至ります。

 

 

さて、令和二年(2020)から小学校英語教育が本格化しています。

ところが、驚くべきことが教育の現場では起きています。(https://bilingualscience.com/english/深刻化する学校教員不足-〜小学校英語教育に与え/

文部科学省(2018)の調査によると、2017年度始業日時点で、過去に小・中学校で教員不足が発生したことのある都道府県・政令都市(北海道、茨城県、埼玉県、千葉県、愛知県、福岡県、大分県、鹿児島県、大阪市、北九州市、福岡市)のほぼ全自治体において、実際に配置されている教員数が配置されるべき人数に達しておらず(小学校は全11自治体で計316人不足、中学校は10自治体で計254人不足)、問題が解決していないことが明らかになりました。

人口が多い首都圏や政令都市も教員不足の地域に含まれていることから、地域の過疎化のみが原因だとは考えられません。

・・・シンプルな物言いをすれば、教育への「情熱」が強い人でなければ、勤務状況やストレスを乗り越えて、教育に携わることが出来ないというのが今の学校現場です。

 

小学校での英語教育は、このような状況の中で早期化や教科化、授業数の増加が行われようとしているのです。

教科ごとに担任がいる中学校や高校と異なり、小学校では、基本的には、学級担任が外国語活動または教科としての外国語授業を主に担当します。

しかしながら、そのような小学校教員のうち、英語の教員免許状(中・高等学校)を所有している割合はわずか5.4%です(文部科学省, 2018c)。

国内のほぼすべての教育委員会が教員の英語力や英語指導力向上のための研修を行ってはいますが、英語教育に関する専門的な知識や経験がない現役教員にとっては研修参加や授業準備などの業務負担が増えることになります。

また、ALT(外国人講師や留学生、英語が堪能な地域人材などの外国語指導助手)の活用は増えていますが、小学校5・6年生の英語の授業の約6割でしかまだ活用されていません。

また、大学4年生のTOEIC平均スコアを見ると(以下グラフ参照)、英語力の高い学生が「英語教育」に興味をもつとは限りません。

さらに、職種別に見ると、海外(679点)、法務(628点)、財務(595点)、広報(593点)、マーケティング(582点)、経営(578点)、教育(578点)の順で平均スコアが高いことから、「英語力が高い人」=「英語を教える仕事に就く人」ではないこともわかります。

もし、「英語を教えたい」と考えたとしても、英語教育に関わる民間企業が数多くあり、前述のような教員の労働環境問題が解決されないままで保護者からの小学校英語教育への期待が高まる中、「小学校で英語を教えたい」と決意する学生が増えることは考えにくいのではないでしょうか。

(中略)

小学校における英語教育は、学習指導要領やカリキュラム、指導方法などにばかり注目が集まりますが、それらをいくら改定・改善しても、肝心の「教える人」がいなければ、その効果に期待はできません。

今後、「小学校で英語を教えたい人」をいかに増やすかは、小学校英語教育にとって極めて重要な課題になるのではないでしょうか。

 

・・・英語教育のできる小学校教員の確保が全国的にできていない中で、敢えて「小学校の英語導入」、更に「英語の教科化」を文部科学省が行うことは小学校の教育の質に禍根を残すと思います。

子供さんをお持ちのご家庭では、学校任せで良いのだろうかという不安を抱えながら、「英語の教科化」への対応をせざるを得ません。

posted by at 15:52  | 塾長ブログ, 英語力ブログ
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