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読解力を削ぐもの

どうやったら子供さん達の読解力を向上させることが出来るか。

逆説的に考えてみると、読解力を削ぐものを徹底的に無くすことが先決ではないか。

つまり、読解力をつけるプラスのことを積み上げる作業の裏で、読解力を削ぐマイナスのことを放置していると、まるで「賽の河原の石積み(*)」となってしまうからです。

(*)(さいのかわらのいしづみ)無駄な努力の例え。死んだ子供が行く所といわれる冥途(めいど)の三途(さんず)の川の河原。ここで子供は父母の供養のために小石を積み上げて塔を作ろうとするが、絶えず鬼にくずされる。そこへ地蔵菩薩が現れて子供を救うという。(デジタル大辞泉から引用)

読解力を削ぐもの その1 受け身であること(受け身にしてしまうこと)。

幼い頃から、教育はすべて母親が手配することから始まります。各成長段階で、躾から始まり自立させるための時機を得た指導がなされているか、です。お母さん方の、心や時間の余裕があれば叶うことでも、限られた時間の中で、子供が自発的に考え、行動し、発言する機会を母親が待てない事態も生じます。そこで、つい口も手も出してしまいがちです。それが重なり、日常的になると、受け身の、指示待ちな子になってしまいます。

読解力を削ぐもの その2  五感を使わないこと。

五感(皮膚を介して生じる五つの感覚。視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)を活用することで、理解が高まり、印象づけすることで記憶力も増すことができます。つまり、音読(視覚と聴覚を用いる)や、筆記(視覚と触覚を用いる)、辞書を引いて転記(視覚と触覚を用いる)することがその例です。また、社会の中での見学、行動することで、様々な観察眼や思考力が養われます(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚を活用)。例えば、自然観察。海、川、野原、山などに赴くことで、五感を通して印象づけると、図鑑や映像で学ぶより大きな教育効果があります。また、科学館、図書館、美術館、歴史博物館などは、解説を読み、実物やレプリカを見ることで視覚に訴え、想像力や感性を磨くことが出来ます。これらを生かすか殺すかは大きな差となります。

読解力を削ぐもの その3  労を厭うこと(手間を掛けないこと)。

漢字や熟語などの意味調べが典型です。読書のみならず、教科書の文章を理解するには、様々な言葉をしっかり理解しなければなりません。これを御座成り(おざなり:その場逃れにいい加減する様)にして、適当な理解で読み進めていくと、それが習い性になって、しっかりと理解する癖が付きません。幼児期から、何事も理解するために、手間を惜しまず調べる癖をつけるか否かは、何年も経つと大きな差になってしまいます。

また、素読、音読を正確にすることも同様です。ゆっくりと、正確に、鼻呼吸で、句読点や文節の繋がりを重んじて読むことができるまで、何回でも繰り返す。百点満点の読みができるまで、繰り返させる労を厭わないことが肝要です。

読解力を削ぐもの その4 心が落ち着かないこと。

子供の教育には、しっかり睡眠をとることが何より大事です。熟睡できる環境作りは、何より母親の務めです。一日中、テレビがついていたり、夜更かしをする暮らしでは、子供の心身の成長には大きな妨げとなります。当然、しっかりした読解力を形成するには、「動から静へ」と転換する「間(ま)」が必要です。心身が整ってはじめて、読解力養成の機会が訪れます。必要であれば、例え10分でも横になったり、正座で心を落ち着けたりしなければなりません。

読解力を削ぐもの その5 整理整頓していないこと。

何事も、事を始めるには、その準備が万全でなければなりません。其の為には、常に机まわりの整理、必要な辞書や筆記具を手元に常備しておく事です。

・・・このように考えると、すべきことの前に、してはならない事が多々ある事に気付きます。マイナスをゼロにすることから始まり、プラスを積み上げていく。

読解力をつけることは、人として必要不可欠なことです。最近では、企業の中間管理職が、メールや仕様書の誤読による予期しないトラブルに遭遇し、読解力がない社員に手を焼いているとも言われています。「事実について書かれた短文」を正確に読むことができるかどうかで、人生が左右されることがあるのが現実です。

幼児期からしっかりした読解力をつける努力を怠ることがないように切に願います。

 

posted by at 15:27  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

読解力を削ぐもの 1

どうやったら子供さん達の読解力を向上させることが出来るか。

逆説的に考えてみると、読解力を削ぐものを徹底的に無くすことが先決ではないか。

つまり、読解力をつけるプラスのことを積み上げる作業の裏で、読解力を削ぐマイナスのことを放置していると、まるで「賽の河原の石積み(*)」となってしまうからです。

(*)(さいのかわらのいしづみ)無駄な努力の例え。死んだ子供が行く所といわれる冥途(めいど)の三途(さんず)の川の河原。ここで子供は父母の供養のために小石を積み上げて塔を作ろうとするが、絶えず鬼にくずされる。そこへ地蔵菩薩が現れて子供を救うという。(デジタル大辞泉から引用)

読解力を削ぐもの その1 受け身であること(受け身にしてしまうこと)。

幼い頃から、教育はすべて母親が手配することから始まります。各成長段階で、躾から始まり自立させるための時機を得た指導がなされているか、です。お母さん方の、心や時間の余裕があれば叶うことでも、限られた時間の中で、子供が自発的に考え、行動し、発言する機会を母親が待てない事態も生じます。そこで、つい口も手も出してしまいがちです。それが重なり、日常的になると、受け身の、指示待ちな子になってしまいます。

読解力を削ぐもの その2  五感を使わないこと。

五感(皮膚を介して生じる五つの感覚。視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)を活用することで、理解が高まり、印象づけすることで記憶力も増すことができます。つまり、音読(視覚と聴覚を用いる)や、筆記(視覚と触覚を用いる)、辞書を引いて転記(視覚と触覚を用いる)することがその例です。また、社会の中での見学、行動することで、様々な観察眼や思考力が養われます(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚を活用)。例えば、自然観察。海、川、野原、山などに赴くことで、五感を通して印象づけると、図鑑や映像で学ぶより大きな教育効果があります。また、科学館、図書館、美術館、歴史博物館などは、解説を読み、実物やレプリカを見ることで視覚に訴え、想像力や感性を磨くことが出来ます。これらを生かすか殺すかは大きな差となります。

読解力を削ぐもの その3  労を厭うこと(手間を掛けないこと)。

漢字や熟語などの意味調べが典型です。読書のみならず、教科書の文章を理解するには、様々な言葉をしっかり理解しなければなりません。これを御座成り(おざなり:その場逃れにいい加減する様)にして、適当な理解で読み進めていくと、それが習い性になって、しっかりと理解する癖が付きません。幼児期から、何事も理解するために、手間を惜しまず調べる癖をつけるか否かは、何年も経つと大きな差になってしまいます。

また、素読、音読を正確にすることも同様です。ゆっくりと、正確に、鼻呼吸で、句読点や文節の繋がりを重んじて読むことができるまで、何回でも繰り返す。百点満点の読みができるまで、繰り返させる労を厭わないことが肝要です。

読解力を削ぐもの その4 心が落ち着かないこと。

子供の教育には、しっかり睡眠をとることが何より大事です。熟睡できる環境作りは、何より母親の務めです。一日中、テレビがついていたり、夜更かしをする暮らしでは、子供の心身の成長には大きな妨げとなります。当然、しっかりした読解力を形成するには、「動から静へ」と転換する「間(ま)」が必要です。心身が整ってはじめて、読解力養成の機会が訪れます。必要であれば、例え10分でも横になったり、正座で心を落ち着けたりしなければなりません。

読解力を削ぐもの その5 整理整頓していないこと。

何事も、事を始めるには、その準備が万全でなければなりません。其の為には、常に机まわりの整理、必要な辞書や筆記具を手元に常備しておく事です。

・・・このように考えると、すべきことの前に、してはならない事が多々ある事に気付きます。マイナスをゼロにすることから始まり、プラスを積み上げていく。

読解力をつけることは、人として必要不可欠なことです。最近では、企業の中間管理職が、メールや仕様書の誤読による予期しないトラブルに遭遇し、読解力がない社員に手を焼いているとも言われています。「事実について書かれた短文」を正確に読むことができるかどうかで、人生が左右されることがあるのが現実です。

幼児期からしっかりした読解力をつける努力を怠ることがないように切に願います。

 

posted by at 15:27  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

向上心を持つ

羅針塾 学習塾・幼児教室では、塾生には「向上心」を持つ人となるように意識付けをしていきたい。その為には、幼児期からの倫理観、日々の学び、忍耐力の醸成が不可欠ではないかと考えています。

一定の学びを日々繰り返すには、飽きずに行うための動機付けが必要です。何の為に学ぶのか、は親御さんの言葉一つで決まります。

「向上心」とは、「現在の状態に満足せず、よりすぐれたもの、より高いものを目ざして努力する心」(大辞泉)、とあります。基本的には、人である以上全ての人が持っていて然るべきものですが、十人十色というように、向上心の有る無し、向上心の濃淡は有ります。

向上心の高い人は、

1、目標がある。

2、素直である。

3、前向きである。

4、忍耐力がある。

5、観察・洞察力がある。

6、失敗を恐れない、挑戦する気概がある。

等々、「七転び八起き」の精神で取り組みます。

片や、向上心が低い人は、

1、明確な目標がない。

2、素直ではない。

3、出来ない(しない)理由が先立つ(後ろ向き)。

4、飽き性、継続できない。

5、好奇心が無く、無関心である。

6、失敗を怖がる。

等、ではないでしょうか。

小学校受験に始まり様々な試験の中で、面接試験がある場合、短時間で「向上心」のあることを示すことができるかが、合否の鍵となります。

posted by at 14:30  | 塾長ブログ

学校の宿題の本当の目的

羅針塾 学習塾・幼児教室では、塾生の学校の宿題は、基本的に必ず済ませることから学びが始まります。塾生の学習の基本は学校の授業です。それを抜きにして、どんなに先取り学習をしても、足が地につかない学びになってしまいます。塾生には、何よりも先ず先生の目をしっかり見ながら、良くお話を聞くように指導します。その基本が出来ている塾生は優秀です。

基本を疎かにする人は、応用が効かないのは自明です。

宿題について参考になる記事がありましたので引用してご紹介します。

みんなが忘れている「学校の宿題」の本当の目的

https://president.jp/articles/-/29905

中学棋士だった藤井聡太七段は、かつて「授業をきちんと聞いているのに、なぜ宿題をやる必要があるのですか?」と発言した。麹町中学校の工藤勇一校長は「宿題の目的は『こなすこと』ではない。わからないものを理解するのが本当の目的だ」という――

(中略)

宿題の提出が成績に直結するのもまた事実です。

なぜ宿題がなくならないか。それは、大半の学校では子どもを評価する手段として宿題が重宝がられているからです。その背景には国の制度上の問題があります。

宿題が、出す側の問題である面も指摘しておかなければなりません。ご存じの方も多いと思いますが、公立校の成績のつけ方は相対評価から絶対評価に変わりました。相対評価の時代は「1」のつく子どもはクラスの7%、「2」が24%、「3」が38%、「4」が24%、「5」が7%と配分が明確に決まっていました。40人学級なら「5」がもらえる生徒は40×7%=2.8人なので2人だけ。つまり「5」がついたらクラスで2番以内で、昔の「オール5」とはまさに神童レベルでした。

しかし、その仕組みでは、クラス全体のレベルが高いと、勉強はできるのに相対的に評価が低くなる。そこで評価が、「絶対評価」に変わりました。ここまでは理にかなっています。しかし今度は、どのレベルを超えたら「5」を出すのか、といった判断基準が必要になります。この基準設定がとても難しいのです。

「絶対評価」になって宿題は急増した

ちなみに文科省の推奨する絶対評価の基準は以下の4項目が25%ずつの配分になっています(一部の教科は5項目)。

1 関心・意欲・態度
2 思考・判断・表現
3 技能
4 知識・理解

2~4はペーパーテストで測れます。しかし、1「関心・意欲・態度」の項目が先生にとっての曲者。一斉授業型のスタイルでは差が見えづらいのです。そのため、「関心・意欲・態度」を「宿題をやってくるかどうか」で判断する先生が急増しました。

極端な話、宿題の中身は関係なし、提出したかどうかだけを見る教員もいます。その場合も二通りいて、勉強が苦手な子に対して、宿題の提出を評価してあげたい善意タイプの先生もいますし、そもそも忙しすぎて中身まで見ていられない先生もいます。

いずれにせよ、公立学校の宿題は、文科省が評価制度を絶対評価に切り替える通達を出してから一気に増えました。すべての教科の先生が同じように悩むので、すべての教科で宿題が増えたのです。

・・・公立学校の宿題事情や背景が理解できるお話です。しかし、私立学校も似たような状況にあるのではないか、と思います。筆者の立場からすると、塾生が学校から与えられた宿題の質と量は、先生方の意図や力量を判断する物差しのようなものです。

子供達に家庭学習を自律的にするよう促す宿題ならば、自然に取り組むことができるのでしょうが。授業内容と宿題の内容がうまく連動していると学習意欲も湧く筈です。

posted by at 19:53  | 塾長ブログ

言葉の習得=鉄は熱いうちに打たなければならない

乳幼児が一歳過ぎてくると、言葉らしい発声をし始めます。お母さんの言葉を聞き分けるかのような目の動きは、とても真剣です。古来、「目は口ほどに物を言う」と申しますが、澄んだ眼差しでお母さんの目と口元を見るようになると、言葉の学びのスタートです。

さて、石井勲先生著作「石井方式ー漢字の教え方 原理編」(1969)からの引用です。

鉄は熱いうちに打たなければならない

チンパンジーやオランウータンを、どんなに教育してみても、言葉を 習得させることだけはできない、ということです。彼等は人類に次ぐ高 等動物であり、言葉以外の物事では、かなりの学習能力のあることを示 しています。しかし、言葉だけは習得できないのです。

つまり、“言葉の習得”は、人類の大脳だけがもつ能力であり、人類 は、この能力をもっていたために、経験を次代に伝えることができ、知 恵を蓄積することができて、他の動物に卓越した文化を享受することが できるようになったわけです。

“言葉の習得”こそ、人類だけに許された切り札的な能カであります が、この力も五歳ころまでに学習しませんと、言葉を受け入れ、言葉を 使いこなす能力を失ってしまうことが、先のカマラの例(*1)、ポール・ショシ ャールの報告(*2)、その他今までの多くの調査研究で明らかにされました。

それは、ちょうど、赤熱した鉄は、伸ばすことも曲げることも実に容易 にできますが、その時期を過ごしてしまったら最後、どんなにたたいて みてもどうにもならないのによく似ています。

幼児期は、言葉を習得するための、まさに〝鉄の赤熱した時期〟に 当たっています。この時期をはずしますと、もう後では取り返しがつか ないのです。しかも、問題なのは、人間の人間としての能力は、すべて、 〝言葉を習得〟したところから育ち始める、ということです。

複雑な思想はもちろんのこと、喜びや悲しみといった感情でさえ、〝 言葉を習得〟しない間は育たないのです。カマラの観察記録によれば、 人語を解しなかった数年間は、喜びも悲しみも決して表現しなかった、 と伝えています。

六、七年たって、会話がかわせるようになって初めて、喜びや悲しみ を表現するようになり、さらに、恥じらいさえ表現するようになったと報告 されています。

(*1)狼少女カマラ=一九二〇年、インドのベンガル州で、シング牧師の手によって、狼 の洞窟から救い出され、入間の社会に復帰した少女カマラの観察記録。

カマラが救出された時の年齢は七、八才だった、と推定されていま す。狼に育て始められたのは、生後半年くらいの時と推定され、したが って、それ以後の七年間を狼に育てられた、と推定されています。

救出後、シング牧師夫妻によって、愛情ある行き届いた養育を受け たのにもかかわらず、人語を初めて発声できるようになったのは、養育 を受けて実に二か年という月日がたった後でした。

その後、四年間に三十語、さらにその後の二年間に四十五語が、や っと使えるようになった、と報告されています。

このような、言語における遅々たる発達は、乳幼児期に狼に育てられ、 人語を聞くことが全くなかったためだ、と断定されており、決して彼女が 精薄児ではなく、知能そのものは通常児であったことを、カマラの研究 にたずさわった心理学者たちは断定しています。

(*2)ポール・ショシ ャールの報告=フランスのポール・ショシャールは、植民地の多くの原住民の子供た ちを観察調査した結果、「五歳以前にフランスに移住した原住民の子供 は、完全なフランス語をあやつる能力を身につけ、フランス人と全く同 等の、文化を享受する能力を獲得するようになるが、六歳以後にフラン スに移住した場合、それも、六歳より遅くなればなるほど、フランス語の 習得がうまくいかなくなり、フランスの文化的な生活に適応しにくくなっ ている。」ということを事実に基づいて報告しています。

・・・再三綴っているお話ですが、子供さんを一廉の人物に育て上げるには、「鉄は熱いうちに打たなければならない」という諺通りであることです。言葉の教育は、幼児期にこそ必要である、と肝に命じてお母さん方には取り組んで頂きたいものです。

posted by at 19:47  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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