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日本の大学生が「%」を理解できていない現実

割合の問題を小学校の時点で理解していないと、「比と割合の問題」を間違える大学生となります。

かっての日本人なら、社会に出たときに恥を掻かないように、義務教育課程の算数、例えば分数や割合など出来て当たり前でした。ところが、現在の小学生どころか、大学生に至るまで、分数や割合の基本的な概念をしっかり認識していない例が多々あります。

その憂うべき大学生の実態を、日本の数学教育に危機感を抱いてきた桜美林大学リベラルアーツ学群教授の芳沢光雄氏が、著書『「%」が分からない大学生 日本の数学教育の致命的欠陥』(光文社新書)を基に問うています(https://toyokeizai.net/articles/-/278180)。引用してご紹介します。

大学生が「%」を分からない日本の絶望的な現実

 

20世紀から21世紀になって、各種経済データの見方で大きな変化があった。例えば、1万人の社員で1000億円の利益を上げる企業と、100人で100億円の利益を上げる企業を比べるようなとき、20世紀までの「足し算」から21世紀は「割り算」による「1単位当たり」の視点で考える時代になった。そこで現在においては、「%」の発想が基本になる。

「%」が理解できない大学生たち

ところが、この「%」に関して現在、大学生の理解で異変が起きている。「2億円は50億円の何%か」という質問に対して、2を50で割って正解の4%が導けない学生や、消費税込みの代金は定価の1.08倍になることの説明ができない学生が多くいる。毎年行われている全国学力テストで、それらを裏付けるものも報告されている。

たとえば2012年度の全国学力テストから加わった理科の中学分野(中学3年)で、10%の食塩水を1000グラム作るのに必要な食塩と水の質量をそれぞれ求めさせる問題が出題されたが、「食塩100グラム」「水900グラム」と正しく答えられたのは52%にすぎなかった。1983(昭和58)年に、同じ中学3年を対象にした全国規模の学力テストで、食塩水を1000グラムではなく100グラムにしたほぼ同一の問題が出題されたが、このときの正解率は70%だったのである。

ここ数年、他大学のさまざまな分野の教員から、「%」を理解していない大学生の情報が寄せられるようになった。さらに、本年2月下旬に発行された雑誌『数学文化』第31号でも思わぬ記事を見た。

小学校の元先生は、2015年度の全国学力テストの算数B(小学6年)で、正答率13%という極端に出来の悪い「%」の問題があることを指摘され、以下のことを述べられている。

「この数値は本当に大変な数値で、マスコミが取り上げないといけないと思うのですが、この数値が話題になることはついにありませんでした。もっと驚くのは教育学者や数学の専門家が何も言わなかったことです」

さらに、その先生は「中学生になって割合の学力が回復する子はそんなに多くないように思われます」と結ばれている。それに筆者が付け加えるならば、大学生になっても変わらないと述べたい。

「%」の問題をさまざまな角度から検討した結果、大きく分けると2つの原因にたどり着く。

まず1つめ、次の4通りの表現は同じ意味である。

① ~の…に対する割合は○%
② …に対する~の割合は○%
③ …の○%は~
④ ~は…の○%

したがって、「元にする量」と「比べられる量」を国語的にしっかり理解する必要がある。にもかかわらず、それを理解できていない大学生が増えているのだ。

もう1つは、教える側が主に理解の遅い子どもたちに対して、理解を無視して「やり方」の暗記で済ませてしまう指導をしていることだ。

「速さ・時間・距離」の問題を、丸の中に「は・じ・き」なるものを書いて「やり方」の暗記だけで解く方法があり、それに類似した「く・も・わ」(比べられる量・元にする量・割合)なるものまである。奇妙な誤解答を書く学生に限って、答案の隅に「は・じ・き」や「く・も・わ」の図を書いている場合が目立つ。

 

・・・小学生に割合や「速さ・時間・距離」の問題を解かせるときに、いつの頃からか「く・も・わ」(比べられる量・元にする量・割合)や「は・じ・き」(速さ・時間・距離)の図をノートなどに書いて問題を解く例を見掛けるようになりました。

筆者は、その都度、その図に頼らずに「比べられる量・元にする量・割合」「速度・時間・距離」の基本の考え方を理解できるように指導します。わかっていない子供さんほど、その図に頼り、文章題の意味合いを理解せずに数字を当てはめる愚を犯さないよう注意を喚起します。

学校教育で習うさまざまな内容は、しっかりと教科書を繰り返し読んで、本当に理解しなければならない、ということを徹底すべきです。

やはり、大学入試にマーク・シート方式が採用され、択一式の解答になって、「理解」を無視して暗記や解答のテクニックで答えだけ当てれば良い、という安易な風潮が蔓延した結果ではないか。その結果、小・中学校の義務教育でも同様に、理解を無視して答えを当てればそれで良し、となったように考えます。

いつの時代も、分からなければ分かるまで、繰り返し教科書を読む、ことが基本中の基本です。

posted by at 16:15  | 塾長ブログ

難関大学合格への鍵は幼児教育に有り

日本人の美点は、子弟の教育に誠実で熱心なことです。

これは代々繋いできた母から子への伝統です。恐らく、縄文時代から連綿と繋がってきた、大自然の中で、自然を正しく畏れ、謙虚に自然を活用してきた母の智慧がそうさせるように思います。

原日本人とも言える縄文人は、生きとし生けるものや、あらゆるものに精霊が宿ると考えていたようです。女性を象ったであろう土偶は、子孫繁栄を願う祭祀に用いられたものだと考えられています。子を産み、育てるにはお母さんの、命を賭けた日々の努力があってこそです。これは、現代に生きるお母さんがたも、縄文時代も変わることはありません。

日本人の心象に色濃く残る大自然は(朝日に始まり、目に映じる総ての自然現象)、日本人の氣質に大きく好影響を与え、それへの調和を重んじる自然観、価値観を与へました。

お母さんと一緒に見た朝の陽の光や、夕陽の壮大な赤い輝きを子供達は一生記憶していきます。

雲仙登山道に現れた仔兎

雲仙登山道に現れた仔兎

 

・・・突然飛び出した仔兎は、無邪気に車道を飛び跳ねました。慌てて車を路肩に止めて、記念撮影。毛が生え替わり、成獣になる過程の一コマです。

 

さて、話は変わって本題です。

お母さんの思いを受け継ぐことができるのはお腹を痛めた愛しい我が子です。

その子が、自らの死後も、しっかり生き抜いてくれることを願い、そのまた子孫も弥栄(いやさか:いよいよ栄えること)出来るようにする鍵は、幼児期の教育にあります。

「三つ子の魂百まで」という諺は、正に幼児期の躾、倫理観の醸成、教育が、子供の生まれ落ちたその時から始まることを示しています。

お母さんが感じる感動を、子供さんと共有できる家庭を築くことができれば、幼児期の教育は半ばを達成出来ます。

俗に言う「難関大学」への挑戦は、子供に立ち向かう勇気と努力を、幼児期につけることに鍵があるように思います。

当塾では、幼児教育に御理解を頂いているお母さん方には、「子供さんと一緒に、学び直しをして下さい」と、お話をします。それは、かってお母さん方が幼児期に受けたであろう、そのまたお母様方の思いを受け止めることに繋がります。つまり、「私のお母さんは、こんなにも苦労し、工夫し、努力を傾けてくれていた」のだということに氣付くことです。現在ある自分を愛情込めて育ててくれていたのだという事実に氣付けば、今の子育てに違和感なく愛情を注ぎ込め、苦労を厭わなくなれます。

「難関大学」への挑戦は、そこから始まります。

 

posted by at 15:34  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

教育の要諦

子供さんの教育に関心のない親はいません。しかし、濃淡は有ります。何故なら、ご自分の受けた教育にその方の親がどのように関わったかによっても異なるからです。

管見では、就学前(生後から六歳位)まで、小学校三年生まで、小学校六年生まで、と学びの時期を区分けして考えると、為すべきことが見えてきます。

率直な言い方をすると、教育にかける時間とお金は限られています。有効活用をするには、選択と集中が必要です。

さて、教育の要諦の要はお母さんです。産みの親、育ての親であるお母さんが心穏やかに過ごすことが出来れば、子供さんの教育は安心です。

さて、筆者が毎日楽しみにしているのが、産経新聞朝刊に掲載されている「朝晴れエッセー」。引用してご紹介するのは、令和元年六月十四日「黄昏泣き」です。

黄昏泣き

赤ちゃんは、泣くのが仕事、というのは赤ちゃんを育てている母親の心と体が健全な時に理解できることなのだと思う。

二十六歳の時の私は、初めての子育てにオロオロし、長女の、毎晩の夜泣きにクタクタになっていた。加えて長女は夕方になるとぐずり出し、やがてぎゃんぎゃん泣きになり、おしめを替えてもミルクを飲ませようとしても泣き止まず、こちらの神経も、おかしくなりそうだった。

その日の夕方も、家事をあきらめ、泣きじゃくる長女を抱いて外へ出た。団地の前の空き地にはハルジオン、ヒメジョオン、タンポポの綿毛が揺れていた。通りかかった女の人が、「お散歩?」と聞いてきたので、「毎日、夕方になると、この子が泣くんです」と答えると、「あら、この赤ちゃん、黄昏泣きしやはるの」とだけ言って遠ざかっていった。

黄昏泣き、黄昏泣き・・・。

そんな言葉があるんだ。そんな言葉があるくらいなら、夕方に泣く赤ちゃんは、ほかにもたくさんいるかもしれない。黄昏泣き、なんて綺麗で優しい響きなのだろう。ふと気づくと長女はいつの間にか泣き止んで、風に舞う、タンポポの綿毛を目で追っていた。見知らぬ、さっきの人は、京都の人なのか、はんなりとしたイントネーションだった。

夕焼けの淡い色と水色が混じる夕暮れ、ハルジオン、ヒメジョオン、タンポポの中で、私は、いつまでもその言葉を噛み締めていた。

・・・筆者の亡き母も、「夕方になると子供も大人も、夕焼けを見ると物悲しくなるものね〜」とよく言っていました。黄昏泣き、良い言葉です。

posted by at 15:38  | 塾長ブログ

幼児漢字教育の奨め

幼児教育の要諦と常々考えているものが、「漢字教育」です。無論、小学校に上がってからの「漢字を書いて覚える」という暗記ではありません。何よりも「漢字の読み」ができることによって、語彙を増やすことが眼目です。

30年ほど前の書物ですが、「幼児はみんな天才」(石井勲著1988)に普遍的な意味合いを持つ提言がされていますので、引用してご紹介します。

幼児漢字教育の奨め    ソニー名誉会長 井深大(注)

ソニー創業者井深大(出典newswitch.jp)

ソニー創業者井深大(出典newswitch.jp)

石井先生が始められた、早い時期から幼児に漢字を与へる教育といふものが、如何に大きな意義があるかを、私は高く評価して居ります。

これは、今日の教育に対する大きなチャレソヂです。従って、「幼児に漢字を!」と提唱された時は、世間から受入れられなかったと思はれます。それらの軋轢を戦ひ抜いて来られたのが石井先生だと思ひます。

石井理論は、まだ高く評価されてゐないかも知れませんが、次の世代においては非常に大きな意味を持つのではないかと、私は痛感して 居ります。

私はパターン学習を提唱してゐます。パターンとは、世間では模様・図案・図形といふ狭い意味でしか執へてゐませんが、パターン学習とは「一瞥(いちべつ)学習」といふことなのです。例へば、新聞を読む時、全文を読まなくても、一瞥するだけで一応理解できる、といふのがさうです。マサチューセッツ工科大学で、全世界の文章を取上げて、どの国の文章が一番機能的であるかを測定した科学的な実験があります。それでは、漢字かな混り文が世界で最も読み易い形態である、と発表されてゐます。それは、文章を一瞬のうちに読んで、意味内容を把握することが出来るからです。

一昨年、中国に参りました時、略字化反対の声を耳にしましたが、その反対の根拠は多く感情論から出発したものでした。それで私は、石井先生の理論を披露して、「子供は画数の少ない漢字が覚え易いと皆様は思ってゐるやうですが、画数の少ない漢字は認識しにくく、画数の多い漢字ほど理解し易いものです」と教へてやりました。

漢字は画数が多ければ、子供は絶対に間違へないものです。コンピューターを使ふ場合でも、画数の多い漢字については間違ひが非常 に少ないのです。

初めは、表音文字の方が便利さでもコストの点でも有 利だと考へられてゐましたが、集積回路が出来まして、この数年間、年 ごとに集積度が高まり、漢字の画数の多いことの難点は全く解決してしまひました。従って、日本のコンピューターは、どこの国よりも大きな進 歩を見せ、ワープロも漢字で完全に処理できるやうになりました。

パターン学習と言へば、父母が毎日仏壇に手を合せてゐますと、幼 児も自然と手を合せるやうになりますが、これもパターン学習の一つでありまして、かうして子供に信仰心を植ゑつけることも大切な事だと思 ひます。

今日の教育においては、「心」であるとか「立派な人間」を作り出すやうな題目が、一つも設けられてゐません。明治以前は、儒教が中心となり、学問することは「人の道」を究めることと結び着いてゐました。明治以降、西欧の物質文明に魅せられ、「心を 養 ふ」とか「人間を作る」といふ根源的な問題を忘れて、物質文明を追及するやうになりました。その結果、今や日本は世界の富の 10 パーセント以上を占めるまでになりましたが、未だに「物(富)」だけを追求する教育が行はれてゐます。

私は、今は「人間を作る」ことが教育の主な問題点でなければならな い、と考へて居ります。そのためには、「零歳からのパターン教育」から出発しなければならない、と考へるものであります。

パターンは、「一瞥して解る」所に大きな特徴があるのであり、この「一瞥して解る」才能や感覚を養ふことは非常に大切な事である、と私は思ひます。

無批判に物事を受容れることは、理性が発達すると難しくなります。今の教育は、「丸暗記」と「理解して覚える」ことの両者を混同し、暗記させる時期に暗記させず、理窟ばかりを発達させ、そのため大切な事柄を暗記する機会を失ってゐる所に問題があります。石井式漢字教育は、 今の日本の教育を救ふものの一つであると確信して居ります。

注)井深大 (いぶか-まさる)明治41年4月11日生まれ(1908-1997) 昭和-平成時代の経営者。
昭和21年盛田昭夫と東京通信工業を設立し,25年社長。国産初のテープレコーダー,トランジスターラジオなどを商標「SONY」で輸出。33年社名をソニーに改称。独創的な技術開発を主導し,営業担当の盛田とのコンビで同社を「世界のソニー」にそだてた。46年会長。幼児開発協会理事長などもつとめた。平成4年文化勲章。平成9年12月19日死去。89歳。栃木県出身。早大卒。(出典 日本人名大辞典))

・・・パターン学習とは「一瞥(いちべつ)学習」、仏壇に手を合わせることもパターン学習、などわかりやすい表現で井深大さんは説明されています。

更に、幼児期に「一瞥して解る」才能や感覚を養ふことは非常に大切なことであると述べられます。

上記の著書が世に出てから三十年以上経ちますが、幼児教育や小学校教育が良い意味で進化しているのだろうかと疑問に思います。日本の多くの先人たちが残してきた教育の素晴らしさを継承していくことも大切です。

小学校三年生前後から理屈を言うようになってくると、暗記することに抵抗を示す子供さんが出てきます。何事にも素直に取り組むことができる年齢の内に、必要なことは暗記できる力をつけておくべきです。

三十年前に井深大氏が、「今の教育は、『丸暗記』と『理解して覚える』ことの両者を混同し、暗記させる時期に暗記させず、理窟ばかりを発達させ、そのため大切な事柄を暗記する機会を失ってゐる所に問題があります。」と懸念されている状況は、残念ながら現在も変っていません。

posted by at 17:32  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

言葉の力は知能に直結

言葉の数が少ない子どもは知能が低いで紹介しました心理学者のポール・ショシャールの言葉「知能は言葉によってつくられる」は、正に至言(物事の本質を適切に言い表した言葉)です。言葉の数が同年輩より多い子供さんは、お話をしている時の目の輝きも明らかに活き活きとしています。言葉の意味合いが理解できると、大人の世界の話もすんなりと理解できますから、自然に興味を示し、結果として目の光が増してくるようです。

さて、「知能は言葉によってつくられる」石井勲先生の著作からの引用です。

●知能は言葉によってつくられる

まずは、こんな興味深いデータからご紹介しましょう。

小学生を対象に、知っている言葉の数(=語彙)と成績の関係を調 べたところ、一年生の段階で、成績上位の子どもの語彙が約 7000 語 だったのに対し、成績下位の子どもは約 2000 語と、何と三倍以上もの 差があることがわかったのです。そして、六年生でも、全体に語彙は 増えているものの、成績上位者と下位者とでは、やはり語彙に三倍以 上の格差があったといいます。

成績上位の子供ほど語彙が豊富

つまり、この結果は「知っている言葉が多い子どもほど成績もよい」 という傾向をはっきりと表しているわけです。

しかし、よくよく考えてみますと、これは少しも意外なことではありま せん。私たち人間は、言葉があってこそ、はじめて考えることができま す。そして、理解したり表現しようとしたりする内容が、高度に、また複雑になればなるほど、 その内容に見合った 豊かな語彙が必要に なってきます。

逆に言えば、知っ ている言葉が多けれ ば多いほど、一つの 事柄をより深く理解し たり、より豊かに表現したりすることが可能になるのです。

早い話、算数や社会、理科といった国語以外の科目でも、まず先生の話や教科書に書かれていることをしっかり理解する能力がなけ れば、いくら机に向かっていても、学習効果は上がりませんし、子ども の苦手な算数の文章問題は、数式を知っていても問題の内容を読み 取る力がなければ解けないのです。

そうした意味で、言葉の力というのは、あらゆる教科の基礎であり、 子どもの考える力、すなわち知能そのものに直結していると言っても よいでしょう。

また、ふだん、あまり意識することはありませんが、そうした知能の 土台となる人間の記憶自体も、見聞きしたことがそのまま残るのでは なく、一度頭の中で言葉に置き換えることで、はじめて知識として蓄 積されていくものです。

実際に、何人かの子どもに、黄色い縞模様のある蝶の標本を見せ、よく観察させた後、数時間してからたくさんの蝶の標本を前にして「さ っき見た蝶はどれ?」と尋ねてみます。すると「黄色」や「縞」という言 葉をすでに知っている子どもは、すぐに正しく指すことができるのに、 それらの言葉を知らない子どもは首を傾げてしまうといいます。

つまり、「この蝶は黄色い」とか「縞があるな」と認識できるのは、そ れらの特徴を頭の中で言葉に置き換えることができるからであって、 同じものを目にしていても、表現する言葉をもたないと、色も模様もは っきりと意識することができないのです。

「知能は幼児期に言葉によってつくられる」――これはフランスの 言語・心理学者ポール・ショシャールの言葉ですが、先に挙げた例か らも、言葉の豊かさ、すなわち語彙というものが子ども、特に脳の発達 期にある幼児の知的発育にどれだけ大きな意味をもっているかがお わかりいただけると思います。

・・・「言葉の力というのは、あらゆる教科の基礎であり、 子どもの考える力、すなわち知能そのものに直結している」、正にその通りですね。

私共は、幼児期でも力がある子供さんには辞書の活用の仕方を教えます。塾生は、小学校に上がれば国語辞典・漢字辞典を日常的に用います。

既に使い込まれた国語辞典

上記写真は、日頃の学びに活用(一年弱)している小学校2年生の国語辞典です。言葉の数(語彙)が日に日に増加していくのが分かる一つの証左です。

posted by at 08:25  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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