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母の味 Audrey at Home Memories of My Mother’s Kitchen

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、4、5月の連休中も通常通り「学び」に勤しんでいます。

さて、かって子供であった全ての人はお母さんの手作りの料理、所謂「御袋の味」を懐かしむことがあると思います。人間の五感は時として一瞬にしてタイムスリップさせるかのようなことを惹起します。その中でも、嗅覚は格別で「懐かしさ」とともに蘇る印象は鮮烈です。その香りや匂いは、幼児期なのか、少年少女期かを問わず、母親の後姿や声音までも思い出させてくれます。

オードリー at Home

ネットで見つけた書物は、筆者の興味を引きました。「永遠の銀幕スター」(古色蒼然たる表現ですが・・・)Audrey Hepburn(オードリー・ヘプバーン)の、息子さんが著した書物。「オードリー at Home](原題:Audrey at Home Memories of My Mother’s Kitchen-With Recipes,Photographs and Personal Stories )です。

映画が好きで美味しいものが好きな方必見。

キャッチ・コピーは、

今なお世界を魅了し続ける女優オードリー・ヘプバーンが愛したものに思いを巡らせ、息子ルカ・ドッティが語る母の生涯。彼女の最愛の子ども達、友人、動物達と過ごした日々を、50種類のお気に入りのレシピと250枚以上の家族写真、思い出の品、プライベートなエピソードの数々で描き出す。真のオードリーの家庭の姿がこの一冊に。

オードリーと母エラ・ファン・ヘームストラ男爵夫人

 

パスタ・アル・ポモドーロが大好きなオードリー

 

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英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 19

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、穀雨(二十四節気の一つ)の「霜止出苗(しもやんでなえいずる)」の時期に因んだわけでは有りませんが、プランターの花々の植え替えをしました。早く来た塾生にも手伝って貰い、根切り虫を土壌の中から駆除。花の苗の成長を見守ります。

さて、英語と歴史を同時に学ぶ」シリーズです。第4章 近代の日本と世界(1) 幕末から明治時代 第1節 欧米諸国のアジア進出 の続きになります。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%201,%202.pdf

 Choshu and Satsuma Domains’ bid to expel the barbarians

In 1863 (Bunkyu 3), the shogunate succumbed to pressure from the Imperial Court and asked that all domains take measures to drive away foreigners. Choshu Domain eagerly embraced this call to arms, only to find itself confronted the very next year by a punitive expedition of American, British, French, and Dutch warships. Helpless in the face of the withering firepower of the combined fleet, Choshu was quickly defeated. This was called the Shimonoseki War.

The other powerful domain influenced by the sonno joi movement was Satsuma (modern-day Kagoshima Prefecture). Unlike Choshu, Satsuma Domain did support the shogunate’s policy of opening Japan, but Satsuma samurai murdered British citizen Charles Lennox Richardson in 1862, and British warships attacked Kagoshima Castle in Satsuma Domain in retaliation for the “Richardson Affair“. Though Kagoshima was burnt to the ground under the enemy bombardment, Satsuma did put up a tough fight and caused significant damage to the British fleet. This conflict was called the Anglo-Satsuma War.

The British left the fight greatly impressed by the bravery of Satsuma samurai, and henceforth attempted to deepen its ties with Satsuma Domain.

Having seen the military strength of the Western powers firsthand on the battlefield, the samurai of Satsuma and Choshu realized that simply “expelling the barbarians” would not save their country. Instead, they increasingly came to believe that Japan would have to embrace Western civilization in order to modernize its own military forces.

Topic 50 Recap Challenge! –

(1.) Write down two controversial provisions included within the US-Japan Treaty of Amity and Commerce.

(2.) Explain the differences in the policies of the shogunate and those of the samurai of the sonno joi movement.

長州藩の下関砲台を占拠した四ヶ国連合艦隊の兵士達  長州藩は馬関海峡(現関門海峡)を封鎖し、通行する外国船を攻撃したが、四ヶ国の連合艦隊17隻に砲撃されて敗北した(ベアト撮影 神奈川・横浜開港資料館像)

 攘夷を決行した長州藩と薩摩藩

朝廷の攘夷の要求に押された幕府は、1863(文久3)年、各藩に攘夷を行うよう命じた。これを受けて長州藩は攘夷を決行したが、翌年、報復にやってきた米・英・仏・蘭の軍艦の圧倒的な火力によって敗北を喫した(下関戦争)。

 長州藩と並ぶ有力な攘夷勢力は、薩摩藩(鹿児島県)だった。薩摩藩は、幕府の開国方針を支持していた。しかし、1862年に薩摩藩が起こしたイギリス人殺傷(生麦事件)に報復するために、鹿児島に来襲したイギリス艦隊と戦った。艦隊の砲撃により鹿児島城下は炎上した。しかし、薩摩藩は善戦して、艦隊にかなりの被害を与えた(薩英戦争、1863年)。

 以後、イギリスは薩摩藩士の気概に一目を置くようになり、薩摩藩に接近していった。

外国と戦争をした薩長両藩の攘夷派の武士達は、単純な攘夷論では国を救えない、我が国は西洋文明を積極的に取り入れ、軍事力の近代化を図らねばならないと考えるようになった。

 まとめにチャレンジ 

①米国と結んだ日米修好通商条約に含まれていた二つの問題点を書いてみよう。

②尊王攘夷派の武士達と幕府の方針の違いを説明してみよう。

The Tsushima Incident

The foreign threat to Japan came no less from the north. In February 1861 (Bunkyu 1), the Russian warship Posadnik suddenly appeared in Aso Bay, Tsushima Island. Three hundred and sixty Russian soldiers disembarked, occupied part of the island, and killed several local people. Russia was an imperial rival of Great Britain and hoped to turn Tsushima into a military outpost for its own incursions into the Pacific.

The shogunate convinced Great Britain to compel the Russians to leave, but the occupation of Japanese territory for half a year hammered home to the people of late-Edo Japan the necessity of a strong national defense.

 

対馬事件

 外国の脅威は北からもやってきた。1861(文久元)年2月、ロシアの軍艦ポサドニック号が、突然、対馬の浅茅(あそう)湾に来航した。360人のロシア兵が島の一部を占拠し、島民殺害事件まで起こした。ロシアの目的は、イギリスに対抗して対馬を太平洋進出の軍事基地にすることだった。

 幕府はイギリスの力を借りて退去させたが、半年に亘り日本の領土を占拠されたこの事件は、幕末の人々に国防の重要性を認識させた。

 

・・・現在も国防の最前線である対馬。

元寇襲来の文永の役(文永11(1274)年)では、宗資国は80余騎で応戦しながら対馬勢は多くの元兵と元軍の将軍を射倒し、宗資国自らも4人射倒すなど奮戦したものの、宗資国以下の対馬勢は総討ち死にした。その時の対馬の惨状を日蓮が以下のように伝えている。

去文永十一年(太歳甲戊)十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、対馬ノ者、カタメテ有シ総馬尉(そうまじょう)等逃ケレハ、百姓等ハ男ヲハ或八殺シ、或ハ生取(いけどり)ニシ、女ヲハ或ハ取集(とりあつめ)テ、手ヲトヲシテ船ニ結付(むすびつけ)或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ、壱岐ニヨセテモ又如是(またかくのごとし) — 『日蓮書状』

元軍は宗資国以下の対馬勢を破った後、島内の民衆を殺戮、あるいは捕虜とし、捕虜とした女性の「手ヲトヲシテ」つまり手の平に穴を穿ち、これを貫き通して船壁に並べ立てた、としています。

その約六〇〇年後の対馬事件は、ロシア軍艦ポサドニック号が文久元年(1861)二月に対馬尾崎浦に来航し、浅茅湾に居座り、九月まで対馬藩や幕府がその対応に苦慮したものである。対馬藩内では対応を巡って、武力での排撃を主張する攘夷派と紛争を避けようとする穏健派で論争が起こり藩内は混乱。宗義和は事を荒立てず穏便に解決しようと接しながらも、問状使をポサドニック号に派遣し、その不法を何度か詰問した。しかしロシア側は無回答を貫き、優勢な武力をもって日本側を脅かしたり、住民を懐柔したりし、木材・牛馬・食糧・薪炭を強奪または買収して滞留の準備を整えた。またロシア水兵は短艇を操って沿岸を測量し、山野を歩き回って野獣を捕獲したり、中には婦女を追跡して脅かす水兵もいたため、住民は激昂し、しばしば紛争が起こった。七月に、イギリスが幕府に英艦隊の圧力によるロシア軍艦退去を提案。幕府は独力で排除できず、イギリスの干渉によってロシア艦隊が退去に至った。

いつの時代も、しっかりした軍事力を有していないと、他国の侵略に翻弄されてしまうという厳しい現実。それを歴史は証明しています。

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子供達に必須の「和食」

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、メルマガでよく購読しているブログ「国際派日本人講座」。日本人に勇気や自信を与えてくれるブログです。長文では有りますが、是非ご一読頂きたいので敢えて全文を掲載させて頂きます。

今回は筆者も講演を拝聴した女性についての記事のご紹介です。http://blog.jog-net.jp/201804/article_4.html

 

立ったまま講演する東城百合子女史(92歳)

国柄探訪:和食が救う高齢化社会 和食がもたらす、自然と調和した食べ方、生き方が、高齢化社会を救う。

 ■1.和食を堪能するフランス人

 先日、所用あってパリに数週間滞在したが、この地での日本食の人気は凄まじい。ある観光サイトで見ると、パリにある約1万5千軒のレストランのうち、「和食」のカテゴリーに入っているのが760軒ほど。パリのレストランの20軒に1軒は和食だと考えると、その人気ぶりが窺える。

 世界のどこでも日本食は大人気だが、パリでの特徴は、一定レベル以上の店では、中国人や韓国人のやっている「エセ日本食レストラン」などはなく、日本人のシェフたちが腕を振るって、本物の日本料理を出しているという点である。そしてどうもフランス人客には、その味が分かるようなのだ。

 ある店で、小さな高野豆腐が出てきて、これは西洋人には受けないだろうと思っていたら、一緒に食事をしていたフランス人が感に堪えないような表情をして、「うむ、これはおいしい」などと唸る。そんな玄人好みの日本料理を、周囲のフランス人客たちも味わっている。

 食文化は民族毎に違うと言われるが、フランス人が本物の日本料理を味わっている様子を見ると、本当においしい料理は、人種や民族の別なく、味覚の発達した人ならおいしいと感じるのではないか、と思うようになった。味覚の発達した民族と、未発達の民族がいるだけだ、と言ったら、ヘイト・スピーチだろうか。

 ちなみに、食べ物がまずいと「定評」のあるロンドンにも行ったが、二十年ぶりに再訪したという同行の日本人が、「料理が格段においしくなった」と驚いていた。昔はまずくてとても食べられなかったのが、今は普通にまずい程度でなんとか食べられる、というのである。イギリス人の味覚も発達中というところか。

■2.日本料理は「神事」

 拙著『世界が称賛する 日本人の知らない日本』[a]の「なぜ日本食は世界で人気があるのか」の章では、人気の秘密をこう解いた。

 まず日本では、料理とは、穀物、野菜、魚や肉など、「いのち」ある素材を人間がいただくという「神事」である。我々が食事の前に「いただきます」というのは、食材の「いのち」を「いただいて」、自分の「いのち」に同化する事を感謝しているのである。

「料理は神事」、そんな意識がどこかにあるからこそ、料理人たちは材料のいのちを最大限に引き出して、少しでもおいしいものを作りたいと、長年、さらには世代を重ねて、腕を磨く。そんな精進で積み重ねられてきた日本料理が、手っ取り早い金儲けとしてレストランをやるような連中に負けるわけがないのである。

「いただきます」という言葉には、日本人の生命観が籠もっている。自然食・自然療法の大家として、もう70年近くも活動を続けられている東城百合子(とうじょう・ゆりこ、92歳)さんの最新刊『健康になる食べ方 幸せになる生き方』[1]には、そのような日本人の伝統的な生命観が如実に表れていた。今回は、そのごく一部を紹介させていただこう。

■3.「生かしていただいている」

「自然食」というと、欧米から入ってきた、食品添加物の使われていないもの、というふうに捉えられがちだが、東城さんの言う「自然食」とは、もっと深い意味が込められている。

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 四季折々、大地からは穀物、野菜、果物を、海からはお魚、海藻を季節ごとに恵んでもらっています。太陽を照らし、雨を降らせ、大地を養う。だからご飯を捨てたらお天道さまに申し訳ないと、感情でなく愛情で子どもを叱れたのです。私たちは勝手に生きているのではありません。生かしていただいているのです。[1, p168]
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 自然は、植物や魚や動物など「いのち」に満ち満ちている。我々はその「いのち」をいただいて、「生かしていただいている」。これが日本人の「自然観」であり、それに根ざしているのが東城さんの「自然食」だろう。

 たとえば、ふきのとう。2月の寒さにひるむことなく、土の中から、ぽっこりと小さな芽を出す。

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 昔の人はこのふきのとうの底力を大切にしました。二月初旬の春一番早く出るこのふきのとうを、つぼみのうちにつみとって食べると、その年、一年は大病をしないといって大事に食べました。
ふきのとうは肝臓の薬ですがそれだけでなく、冬ごもりで体内に残った毒素をはき出し、太陽の少ない季節に足りなくなった栄養分を補ってくれるのです。寒い季節を強く生きるために細胞に活力をつけて、血液の循環も助けてくれて身体も温めてくれます。[1, p24]
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 この後には「寒い時には寒さに耐えられるようにこんなよいものを自然は与えてくれます」と続くが、これが「生かしていただいている」ということであろう。

■4.野草の無償の愛

 自然に「生かしていただいている」というのは、東城さんの実体験から来ている。東城さんは若かりし頃、栄養学の勉強中に肺結核で死にかけた。戦前の結核は、打つ手のない「死病」であって、「栄養をとれ、肉や卵を食べろ」というのが、唯一の療法だった。

 ところが、ある医者から「どっさり栄養をとるというのは、血液を酸性にして、結核菌が喜んで繁殖するだけだ。動物性の血をよごす食物はやめて、アルカリ性の玄米と、野菜と小魚、海藻少々それにごまが何よりの薬だ。それが生命力をつくる」と言われた。

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 私はハッとしてスグ実行しました。そして玄米と野菜(ことにたんぽぽ、よもぎなどの野草を多く食べた)と海藻、小魚のごく少々の食物で健康になり、さんざん化学療法をしてもどうにもならず、死にかけた私が、まるでウソみたいによくなったのです。その間一年半の月日を要しましたが……。[1, p16]
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 特に野草に関しては、次のように思い出す。

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 ふきのとう、よもぎ、なずな、のびる、おおばこ、はこべ、ゆきのした、すぎな等は、どれもこれも幼い日から、そして肺結核で苦しんだ時、病気で死にかけた艱難の時を支えてくれた素晴らしい野草たちです。
野草は何も言わず、あるがままに自然のお悟(さと)しのままに生え、「必要ならどうぞ」と無償の愛を私にくれました。私はこの野草のように生きたいと思います。[1, p155]
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 野草が自然の中で生かされ、無償の愛を提供しているように、人間も自然の中で生かされ、無償の愛を提供すべきなのだろう。

■5.「自分の体に聞いてください」

 春一番に芽を出すふきのとうが、冬の間に体内にたまった毒素を排出し、足りなくなった栄養分を補ってくれるのは、大自然の不思議としか言いようがないが、もう一つ不思議なのは、我々の先祖はどうして、こういう事が分かったのだろう、という疑問である。

 冬の間、食べ物が少なくなって、ようやく春一番に芽を出したふきのとうを見つけたら、食べてみようと思うのは、当然だろう。しかし、それが自分の身体にどのような影響を及ぼすか、我が先人たちは鋭敏な感覚で、体験的にそれを知ったに違いない。

 そうした体験が何世代も積み重ねられ、「冬ごもりで体内に残った毒素をはき出し、太陽の少ない季節に足りなくなった栄養分を補ってくれる」という知恵が生まれてきたのだろう。

 こうした自分の身体に関する鋭敏な感覚、観察眼を、現代の我々は忘れてしまっている。東城さんは「腹八分目に医者いらず」という古人の諺を説いているが、ある癌患者から「腹八分目ってどの辺でしょう」と聞かれた。医者から余命3カ月と診断された患者である。

「自分の体でしょう? 他人の体のことはわかりませんよ。自分の体に聞いてください」と、東城さんは答えた。その後、しばらくしたら、その患者は「がんは消えました。おかげさまです」と感謝したという。

 東城さんが発行している雑誌『あなたと健康』で、「げんのしょうこ、どくだみ、決明子(けつめいし)を煎(せん)じて飲んだら体調がよくなった」という記事を読み、それを鵜呑(うのみ)にして、濃く煎じて飲んだら胃が痛くなった、吐き気、食欲不振など体調不振が続いた、という人がいた。それに対して、東城さんはこう説く。

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 それぞれ体質は違うし、病気の状態もさまざまです。自分の体に合わせた飲み方をしなければなりません。・・・慌てずじっくり体と相談し、体と話し合って生きることを考えましょう。[1, p119]
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■6.「今の日本人は、食を選ぶ力がなくなってしまった」

 現代の栄養学では、成人男性の必要な合計カロリー数は2,600kcalくらいとされている。しかし、成人男性と言っても体格はそれぞれ異なり、また20代の青年と80代の老年、オフィス・ワーカーと肉体労働者とでも違うだろう。さらに同じ人物でも元気で仕事に励んでいる時と、風邪気味で寝込んでいる時とでは、必要なカロリー数も異なるはずだ。

 体調だけではない。悩みがあったり、腹を立ててイライラしているときは、胃液も唾液も出ないので食欲を失う。そんな時に、無理に食べても栄養は吸収されない。「カロリー計算というのは、この個人差や心の姿を度外視してしまいます」と、東城さんは指摘する。

 現代の栄養学を否定しているのではない。この本のあちこちに栄養学の知識は生かされている。しかし、必要カロリーが個人差や心の姿を度外視しているように、まだまだ未熟な発展段階であって、そこを補うために、われわれは自分の身体と「話し合いながら」、生きていくことが必要なのである。

「今の日本人は、何が正しいのか、食を選ぶ力がなくなってしまったようです」と、東城さんは指摘する。ポテトチップばかり食べて太ったり、痩せようとバナナ・ダイエットに飛びついたり。自分の体の声を聞かない、という点で、この両者の姿勢は同じである。

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 よく噛んで食べると、分量はこれで大丈夫、と体が教えてくれます。自分の好みであれこれ食べていては、体は「これで充分」というサインを教えてくれません。カンが働かないし感覚も鈍くなります。
 努力、工夫、判断、決断、感性も、この食べ方、噛み方、手足を使って働く日々の生活の積み上げで育ちます。何もしないで頭で考えてばかりでは、この感性は育ちません。[1, p63]
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■7.梅干しが伝える自然のエネルギー

「食を選ぶ力」を見失った現代の日本人から見れば、先人たちの知恵は深い。例えば梅干し。

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 梅干しには強力な殺菌力があり、昔から疫病の治療や熱や痛みに、内用・外用ともに使いました。夏におひつの中に一つだけ入れても、その日一日はご飯がいたみません。また食べれば酸味で耳下腺(じかせん)からパロチンというホルモンが分泌され、このことが老化予防となり、生活習慣病の予防、治療等に役立ちます。

 朝に熱い無農薬番茶に梅干し一個を入れて、種だけ残して飲むと、血行を盛んにし、老廃物を出し、造血を助け、疲労素を梅のクエン酸が中和してくれるので体調がととのい、さわやかになります。

 また難病とされる動脈硬化・脳溢血(のういっけつ)・神経痛・リウマチなどを予防・治療してくれます。[1, p106]
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 本物の梅干しは「土用干し」で作られる。真夏の晴天に三日三晩干す。

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 真夏は、太陽エネルギーの最も強い時ですから、その力を梅がもらいます。そして夜干しすると夜露の中のオゾンを吸って、梅の中に新しい生命力が貯えられます。それが真っ赤な血にしてくれる力となり、目に見えない生理現象を回転させてくれる力ともなります。

 この土用干しは梅干しを強力にするのです。そして太陽に干し、長く保存しておくと、空気中のバクテリアが働いて酵素活動を助け、また強力な力を増し加えてくれます。[1, p109]
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 太陽や夜霧という自然のエネルギーを得た梅干しが、人間の体という、もう一つの自然の中に入って、そのエネルギーを発揮するのである。

■8.自然と調和した生き方の威力

 平成28(2016)年の日本人の平均寿命は女性が87.14歳、男性が80.98歳で、男女とも香港に次いで世界2位であった。香港は人口700万余の一都市に過ぎないから、国レベルの比較では日本は実質、世界トップであると言える。

 ところが日常的・継続的な医療・介護に依存しないで自立した生活ができる「健康寿命」で見ると、日本女性は74.79歳と、12年以上もの差がある。つまり老後には平均12年以上も医療や介護に依存する生活が待っているのである。

 医学の発達により、ガンの克服は最終段階にあり、これに成功すると、平均寿命は100歳の時代を迎えるという。それはそれでめでたいことであるが、同時に健康寿命をいかに伸ばしていくか、が大きな問題である。

 そこでのお手本は、92歳になった今も原稿を書き、料理教室を開き、講演は立ったままで行うという東条さんの生き様だろう。それは我が先人たちの残した自然と調和した食べ方、生き方の威力を示している。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. 伊勢雅臣『世界が称賛する 日本人の知らない日本』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594074952/japanontheg01-22/
アマゾン「日本論」カテゴリー1位(H28/6/30調べ) 総合19位(H28/5/29調べ)

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 東城百合子『健康になる食べ方 幸せになる生き方』★★★、扶桑社、H30
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/459407863X/japanontheg01-22/

■伊勢雅臣『世界が称賛する 日本人の知らない日本』に寄せられたアマゾン・カスタマー・レビュー 計111件、5つ星のうち4.9

★★★★★ 日本らしさが日本人の誇り(「あんこーる」さん)

 本書を通じて、日本的なものの見方・考え方がどれほど世界を動かす力があるのかということを改めて知ることができます。これこそ、日本という国、日本人が積み重ねてきた歴史の深みなのでしょうか。あまりにも知らないことが多すぎて自分自身が恥ずかしくなるほどでしたが、読後は日本人としての誇りを持てる清々しい気持ちになりました。

★★★★★ 海外で働く一人として参考になります(「yLorence」さん)

 今、米国で働いているのですが、本著は大変参考になります。日本人としてどう生きていくか、様々な人種の人と付き合う中で日本人としてどうプレゼンスを示していくか大事なことを示唆してくれています。今後も誇りをもって社会に日本に貢献できればと改めて思わせてくれる一冊ではないでしょうか?

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伊勢雅臣『世界が称賛する 日本人の知らない日本』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594074952/japanontheg01-22/
アマゾン「日本論」カテゴリー1位(H28/6/30) 総合19位(H28/5/29)
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・・・如何でしょうか。

ブログの主催者の伊勢正臣氏は海外から本物の「日本人」に向け素晴らしい情報を発信しておられます。ご紹介されている東城百合子(とうじょう・ゆりこ、92歳)女史。筆者も数年前に講演会場で御姿を拝見しました。御高齢ですが、病を克服し「命」を頂いたことに感謝され、「食」=「命」という信念の基、全国でご講演されています。子供の命を守るお母さん達に、厳しくも愛情を込めた叱咤激励をされます。講演会場でも若いお母さんや女性に、健康を守る役目は「貴方に有ります!」と、檄を飛ばされます。学校の先生方にも、東城百合子女史の様な「氣合い」を発揮して頂けると、「先生」冥利につきると思うのですが・・・無論、その前提として、子供達のご両親が先生方を「応援」することが何より大事です。

 

posted by at 01:35  | 塾長ブログ

国語力無くんば

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、筆者が新年度に際し三重県伊勢の神宮に昇殿参拝し塾生の「学業成就祈願」をして参ります。神宮とは、「お伊勢さん」「大神宮さん」と親しく呼ばれる伊勢神宮の正式な名称です。日本全国には約八万五千社の神社があるそうですが、その頂点または大本とも言えるところです。http://www.isejingu.or.jp

さて、「お伊勢さん」にお参りしていたときに目についた記事のご紹介です。産経新聞(2018.4.10)社説(「主張」)からの引用です。

 

学校の英語 土台の国語力を忘れるな

英語教育の改革が進められている。大学入試センター試験に代わる新共通テストの英語で民間の検定試験が使われる。小学校高学年の英語の教科化も決まっている。

 いくら勉強しても「話せない」という学校英語を見直し、会話力などを重視するものだ。

 英語の能力はむろん重要である。だが、コミュニケーションの基礎となる読解力、国語力の育成を忘れないでもらいたい。土台を疎(おろそ)かにして、内容のある会話は望めない。

 大学入試の新共通テストで民間検定試験を活用するのは「読む・聞く」に加え、「書く・話す」の4技能を評価するためだ。

 入試センターは要件に合った英検やTOEICなど、7事業者23試験を認定した。英検は2次で面接試験を受ける従来型でなく、受験生向けの新方式が採用された。民間検定の成績が入試センターを通し大学側に提供される。

 2020年度導入の新共通テストで、英語は23年度までマークシート式の試験と併用し、24年度から民間検定に全面移行する。

 留学やビジネスなど目的も難易度も異なる検定の使用に対し依然戸惑いがある。文部科学省は各検定を国際評価基準に当てはめ6段階で示しているが、合否判定の材料としてなじむのか疑問だ。

 国立大学協会は一定以上のスコアを出願資格とするなどガイドラインを示しているが、東京大学のように合否判定には使わないとする大学もある。

 中学や高校では早速、民間検定の受検を勧める動きもある。学校教育が民間頼みで、その対策に偏っては本末転倒である。慎重に進めてもらいたい。

 小学校では英語に親しむ授業が導入されているが、20年度からは5、6年生で正式教科となる。

 英語の入試改革とあいまって、小学校から英会話教室に通うなどの動きも過熱気味だ。英語教育の早期化は、専門家の間でも是非の議論が続いている。指導法なども十分検証されていない。

 文科省調査で中高生の英語力は相変わらず目標に達していない。教える教師の英語力も十分ではない。英語だけによる授業も進められているが、英文法の理解などが深まらないといわれる。

 思考の土台は国語力だとの理系の学者からの指摘もうなずける。土台を欠いては何も築けない。

・・・文科省は「英語教育の改革」とは銘打っていますが、様々な識者が再々疑問を呈しているように、上記の記事も懸念を表明しています。意思を伝達する基本である日本語の力をしっかり身に付けない限り、「英語教育の改革」は砂上の楼閣となるのは必至でしょう。戦後の文部行政の歴史を見る限り、教育改革と名のつくもので成功例と評されるものがどれほどあるのだろうかと疑問に思ってしまいます。

 

posted by at 00:04  | 塾長ブログ

中高生の英語力

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、入学・進級などで新しいスタートを切る塾生が新しい友人や先生方と良いご縁が出来ることを願っています。

さて、中学・高校生の英語力を文部科学省が調査した記事が目に付きました。産経新聞(2018.4.6)の記事(http://www.sankei.com/life/news/180406/lif1804060035-n1.html)から引用してご紹介します。

中高生英語力、基準到達4割 上昇傾向も国の目標に届かず 文科省調査 

 文部科学省は6日、全国の公立中学・高校の生徒の英語力を調べた平成29年度英語教育実施状況調査の結果を公表した。中3生で「英検3級程度以上」は前年度より4・6ポイント増の40・7%、高3生で「英検準2級程度以上」の生徒も2・9ポイント増の39・3%となったが、政府が同年度までにそれぞれを50%にする目標は達成できなかった。

 調査結果には、中3で英検3級、高3で準2級以上を取得した生徒のほか、取得していなくても定期テストの結果などを基に教員の裁量で「相当の力がある」と認めたものも含まれる。準2級は「高校中級のレベル」、3級は「中学卒業のレベル」とされる。

 中3で到達割合が最も高いのは福井県の62・8%で、さいたま市の58・9%、横浜市の54・0%が続いた。高3でも福井県が52・4%でトップだった。

 今回の結果について、福井県教育委員会の担当者は「各学校がコミュニケーション重視の英語授業を数十年継続してきたことが背景にある」と指摘。その上でALT(外国語指導助手)の活用や高校入試での英検加点制度、英検受検料の補助など生徒の英語学習に向けた環境整備の改善も奏功しているという。

 中3の到達割合が30・5%と低迷した島根県教委の担当者は「教員による生徒の英語力判定にばらつきが出た」と説明。高校生対象の英語セミナーを中学生にも拡大するなどして英語力の底上げを図るとした。

 英語教員の英語力も調査され、大学中級程度とされる英検準1級かそれに相当する資格を持つ割合は、中学で前年度比1・6ポイント増の33・6%、高校で3・2ポイント増の65・4%だった。ただ、中学で50%以上、高校で75%以上という政府目標には及ばなかった。

 また文科省は同日、全国の中3、高3それぞれ6万人を対象に「読む・聞く・書く・話す」の4技能ごとの到達状況をみた別の英語力調査の結果も公表。中高でいずれの技能も50%に届かず、特に高3では「話す」「書く」の到達割合が2割を切り、発信力に課題が浮かんだ。

生徒の英語力の状況(平成29年度)

 

・・・文部科学省が、中学三年生で英検3級(「中学卒業のレベル」)程度、高校三年生で英検準2級(「高校中級のレベル」程度を、それぞれ50%にしたいという平成29年度の目標を達成できなかったという。文科省が様々教育について指導し、旗振りをしていますが、教育の現場や生徒の学力は「笛吹けども踊らず」(注)のようです。筆者の感覚的には、長崎県の数字は中学生や高校生で英語の力がついている、又は得意科目としているという割合に近いのではないかと思える上記の結果です。非英語圏の日本では、英語を「話す」「書く」の技能は、余程意識して学習しないと身につかないというのが実情です。

(注)躍らせようとして笛を吹いても、誰も踊り出さないという意から、人に何かをさせようとしてあれこれと準備を整えても、相手がそれに応じないことをいう。
『新約聖書・マタイ伝・十一章』に「僕たちは君たちのために笛を吹いたのに踊ってくれなかった。葬式の歌を歌ったのに、悲しんでくれなかった」とあるのに基づく。(「故事ことわざ辞典」http://kotowaza-allguide.com/hu/fuefukedomoodorazu.htmlより)

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