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英語と歴史を同時に学ぶ 「史実を世界に発信する会」の英訳教科書 14

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、「春一番」のような風雨の激しい中でも(中にはずぶ濡れになりながらも)塾生は元気に通塾してくれます。

さて、英語と歴史を同時に学ぶ」シリーズです。第4章 近代の日本と世界(1) 幕末から明治時代 第1節 欧米諸国のアジア進出 の続きになります。http://www.sdh-fact.com/CL02_2/Chapter%204%20Section%201,%202.pdf

Topic 48 – The Western invasion of Asia

How did the Western powers advance into Asia?

Great Britain’s colonization of India

Following their industrial and people’s revolutions, the Western powers overran Asia with the twin objectives of securing plentiful sources of cheap raw material and gaining access to markets where they could sell their own mass-manufactured products. The country leading this charge into Asia was Great Britain.

Great Britain’s conquest of India was spearheaded by the British East India Company, which inundated India with its mass-produced cotton textiles.1 India’s handicraft manufacturing lost out to stiff competition from cheaper British products and many craftsmen were deprived of their livelihoods.2

*1=This company was founded in 1600 with a monopoly on trade in Asia granted by the King of Great Britain.

*2=By contrast, the British government imposed high tariffs of up to four hundred percent on Indian goods entering Great Britain to prevent them from undercutting Britain’s own industries.

In 1857, India was rocked by a mutiny of Indian soldiers known as sepoys, who were serving the British East India Company. When the mutineers were joined by disaffected Indian farmers and craftsmen, it transformed into a national revolt. Great Britain responded by crushing the rebels through force of arms and imposing direct rule over all of India. With that, India became a British colony.

19世紀後半のヨーロッパ列強のアジア進出地図

 

48  欧米列強のアジア進出

 欧米諸国は、どのようにアジアに進出したのだろうか。

 イギリスによるインド支配

産業革命と市民革命を成し遂げた欧米諸国は、安い原材料を大量に確保するため、また、大量生産された自国の商品を売る市場を求めて、アジアに進出した。欧米列強の先頭に立っていたのは、イギリスだった。

 インドに進出したイギリスは、イギリス東インド会社*1が主体となって、大量生産した綿織物をインドに売り込んだ。インドの手工業は、安価なイギリス製品との競争に負けて衰え*2、多数の職人が失業した。

 1857年、東インド会社に雇われていたインド兵の反乱(セポイの乱)をきっかけに、不満を持っていた手工業者や農民が合流し、全国的な反乱になった。これを武力で鎮圧したイギリスは、インド全土を支配下におさめ、植民地とした。

*1 1600年設立された、イギリス国王からアジア貿易の独占権を与えられた会社。

*2 イギリスは自国の製品と競合するインド産の品目を、時には400%にものぼる高い関税をかけて締め出した。

 

セポイの反乱 インドを支配するイギリス人をインド兵が襲ったが、鎮圧された。イギリスはインドを植民地にした。

 

綿織物の輸出額の推移 産業革命とともに、インドからの製品輸出はほとんど消滅している。

 

 The military superiority of Europe

During the three hundred years between the sixteenth and eighteenth centuries, the nations of Europe were locked in a state of near-constant warfare. With the beginning of the Industrial Revolution, each nation adopted the latest military technologies, including advanced firearms, artillery, and warships. Consequently, a huge disparity emerged between the military strengths of European and Asian nations.

In Japan, the formation of the Edo shogunate at the start of the seventeenth century ushered in an era of peace during which the development of new military technology was actively discouraged.

During the nineteenth century, European peoples utilized their overwhelming military supremacy to colonize the nations of Asia, one by one.

 

 軍事力の格差

 16世紀から18世紀に至る300年間に、ヨーロッパでは国家が相争うことが多くなっていった。その間に産業革命が産業革命が始まり、鉄砲、大砲、軍艦などの軍事技術も発達し、ヨーロッパとアジア諸国との軍事力の格差が広がっていった。

日本では、17世紀の初めに成立した江戸幕府が、軍事技術の発達をむしろ抑制して平和な社会をつくっていた。

 19世紀に入ると、軍事力で圧倒的優位に立つヨーロッパ人は、アジア諸国を次々に植民地化していった。

 

・・・英国が最も多くの広大な植民地を獲得した時代は19世紀末から20世紀初頭にかけてであり、第一次大戦直前(1914年)には、その総面積は3350万k㎡(陸地総面積の22%)で、支配下の総人口は4億人(当時の世界人口18億の20%以上)であったたという推計があります。同時代の露(ロシア)の全面積の1.5倍、世界第2位の植民地帝国フランスの3倍の面積を誇っています。

現在の英国は、かっての植民地を失っても、イギリス連邦((イギリスれんぽう、Commonwealth of Nations、旧名:British Commonwealth)は、かつての大英帝国がその前身となって発足し、主に英国とその植民地であった独立の主権国家から成る、つまり緩やかな国家連合(集合体)の盟主として依然国際的な存在感を誇っています。

英国の全盛期は、19世紀中葉(1830〜70)のビクトリア期です。その時代の英国の政治家ディズレイリの国会での演説が残されています。

「アメリカとロシアの平原は我々の畑であり、シカゴやオデッサは我々の穀物倉庫である。カナダや北欧には我々の(木材用の)森林があり、我々の牛はパンパ(アルゼンチン)の牧場で飼われ、オーストラリアの牧場では我々の羊毛が刈られている。地中海のブドウ(ワイン)、中国の茶や絹、西インドの砂糖、ブラジルのコーヒーは我々のために作られている。インド、アメリカ、エジプト、その他世界の全ての綿花は我々の工場の原料となる。我々の工場から出荷される製品は全世界に売られ、それらの決算をするのは我々のカリフォルニアとオーストラリアの金、ペルーの銀である」

英国は、現在でも国際金融を牛耳っています。

posted by at 21:48  | 塾長ブログ

9歳の壁

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、様々なご家庭の教育環境についてお話しすることが多々有ります。子供の成長を植物の成長に例えると、「土作り」が根本だからです。親は、子供が成長し長い人生の中で果実を手に入れる為に、根をしっかり張り、太い幹を具えた大樹になって欲しいものです。その為には、種を蒔く土壌の改良が何よりも重要です。昔から、日本のお百姓さんは、「土作り」に創意工夫をしてきました。これは、私達の先祖や先人が施してきた子供への教育も同様です。親御さんが、子供が生まれる前から、「土作り」=「家庭の教育環境作り」をし始める事が出来たら理想的です。

さて、

関東や関西など中学受験に熱心な地域での苛烈な競争の中で、「9歳の壁」という言葉がよく語られます。これは、難関中学受験のための基礎学力を身につけているか、という意味合いもあります。しかし、一般的には、9歳前後に学習や学校生活、友人との関係でなんらかの問題が起こり、それを乗り越えることに苦慮することを指しています。

学力だけに着目すると、9歳は小学校3、4年生に当たり、算数では少数・分数、理科では電気など、それまでの内容よりも抽象的な思考を必要とするものが増えてきます。つまり、教科書に書いてある説明を読んで理解する力があれば問題はありませんが、読んでも分からないなど、「語彙力」「読解力」がないことからくる躓(つまず)きがあると、後々大きな影響が出ます。

「9歳の壁」を乗り越えられるか否かは、その前提となる小さな壁を次々と乗り越えてきているか、だと考えます。つまり、言葉の意味合いを理解する訓練を幼少期から着実にしているかどうか。敢えて言えば、「9歳の壁」の前に、「5歳の壁」も有ります。

小学校就学前に、他人とのコミュニケーションを取ることができるか。「自律」並びに「「自立」する訓練ができているか。

通常、子供達にとっては5歳までは褒められることはあっても、厳しく接っしたり、放っておく大人達の存在は身近にありません。普段から様々なことに親が手助けをしていると、自分で考えたり、工夫をしたり、更に困難を越える力はつきません。また、親が育つに任せ放任するのも同様です。5歳までの間に、徐々に自立できるよう力をつけてあげるのは親、特に母親の責任です。

posted by at 14:17  | 塾長ブログ

英語力と国際情勢

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、現在の日本を取り巻く国際情勢は、小学校高学年や、中・高生にとって、正にリアル・タイムで歴史を踏まえた国際関係を学ぶ機会であると思います。日本のマス・メディアだけに頼らず、インターネットを活用することによって、文法や基本的な英単語を理解していれば中学程度の英語力でも、様々な情報に接することが出来ます。

例えば、

トランプ氏は今は日本の事実を理解 河野外相、BBCに

平昌五輪開幕に先駆けて日本の河野太郎外相が、BBCのルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ東京特派員に、北朝鮮の「ほほ笑み外交」と核の脅威や、中国の姿勢、さらにトランプ米政権と日本の関係などについて話した。

という、BBC(British Broadcasting Corporation/英国放送協会)http://www.bbc.com/japanese/video-43028789が提供しているビデオが有ります。

このような、日本の外務大臣が英語で話している様をみると、英語を学んでいる現在の中学生でも、少し頑張れば英語は難しくない語学だ、ということに気づくはずです。また、これらのサイトにアクセスすると、他の様々な記事にも目がいくことになり、興味があれば自然に英語に接していきます。ほとんどの英語嫌いの中・高生は、小難しい英語の問題演習を、宿題として延々させられているという謂わば「受け身」の状態に置かれていることから、英語への苦手意識を持つことになります。映画であれ、DVDであれ、ネットであれ、興味のあるものを理解するのに、英語が必要であれば、どんな中・高生でも、積極的に自ら学び始めます。

posted by at 07:56  | 塾長ブログ

新しい必修科目「歴史総合」 高校歴史教育の見直し

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、客観的・公正な日本の歴史教育は、これからの日本を支える子供達には必須のことだと考えています。文部科学省は、平成三十四年度から実施される高校学習指導要領改定案を公表しています。地理歴史科では近現代の社会変革に着目し世界と日本の関係を複眼的に捉える必修科目「歴史総合」を新設して歴史教育の転換を図るとのこと。一面的な見解を十分配慮なく取り上げるなどの偏った指導をしないように求める規定を初めて明記するそうです。

現在の高校では、「世界史」を必修とし、選択科目の「日本史」を学ばないで卒業するものが多い、という現実があります。我が国の歴史を知らないままで、海外の人と会話したり議論することになると、必ず恥ずかしい思いをしなければなりません。いずれの国の若者も自分の国に誇りを持ち、愛国心を持っているからです。

さて、産経新聞の社説「高校の新指導要領国の歴史に愛情を持とう」を引用してご紹介します。(2018.2.15)http://www.sankei.com/column/news/180215/clm1802150002-n1.html

 

学習指導要領のスケジュール

 

 高校の歴史教育が見直される。学習指導要領の改定案が公表され、新しい必修科目「歴史総合」の目標として、わが国の歴史への理解とともに、愛情を深めることが明記された。

 戦後教育に欠けていた点である。愛すればこそもっと知りたいという探求心も生まれよう。先人が築いてきた歴史と文化に誇りを持って学べる教科書と授業につなげてもらいたい。

 歴史総合は、明治以降の近現代を中心に、世界の動きの中での日本について学ぶ。現在、高校では世界史を必修とし、選択の日本史を学ばず卒業する生徒が少なくない。近現代は小中学校を通して時間が足りず、あまり教えられないという課題も踏まえたものだ。

 懸念は近現代を扱うにあたり、とくに高校の現行教科書や授業で日本の行為をことさら悪く強調する自虐的傾向が強いことだ。

 新指導要領案では歴史を学ぶ上で「多面的・多角的」な考察を求め、日本の歴史への愛情とともに他国やその文化を尊重する大切さも明記した。もとより歴史と向かい合う謙虚な姿勢が必要だ。

 教科書執筆者も含まれる教員グループが先に発表した高校の歴史用語の「精選案」には、「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」といった偏った歴史観に基づく用語が含まれている。

 執筆者と編集者には、新指導要領の真意をよく読みこんで教科書をつくってもらいたい。

 改定にあたり文部科学省は歴史を豊かに学べるよう、用語を削減する規定は設けないという。

 高校の歴史の授業は、用語の暗記に偏り面白くないともいわれてきた。人が歴史をつくってきた。その認識を新たにし、先人が国づくりに悪戦苦闘した人物ドラマなども織り交ぜ、歴史の醍醐味(だいごみ)を知る工夫をこらしてほしい。

 新必修科目「地理総合」とともに、私たちは今どんな時代に生きているか、世界から見てどんな場所で暮らしているのか、十分な知識を土台に生徒が考える「豊かな学び」を実現してほしい。

 規範意識や社会制度などを学ぶ「公共」も必修科目として生まれる。若い世代が国づくりに関心と責任を持てるよう学ぶ意義は大きい。変わる高校教育で、一面的な見方を排し、歴史や時事問題をとらえる教師の識見と指導力も問われている。

神宮の御来光

・・・基本的に、児童・生徒は、教師に対し素直な姿勢で学びます。客観的・公正な授業であれば、問題はありませんが、一教師の主観に基づく見解を、それが正しいことのように授業で話すことになると、児童・生徒は一面的な捉え方を吸収してしまうことになります。筆者の経験でも、中学校の時に公平であるべき教師に対する不信感を持った記憶があります。子供心に、何か違う、と思った瞬間を今でも思い出します。

posted by at 16:09  | 塾長ブログ

小学校五年生の修身 禮儀

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室 https://rashinjyuku.com/wp では、塾生には素直で、元氣に、そして前向きに生きて欲しいと考えています。善いものは、どんなことでも吸収する心構えはとても大事な事です。其の為には、幼少期に、素直さ・前向きな心持ち・元氣の良さを、習い性になる様に導くことが肝要です。

さて、当塾の教材、戦前の修身の五年生に「公民の務め」第一課 「禮儀」には以下のような記述があります。

その当時の五年生が持っていた国語力を彷彿とさせる文言が記されています。

第一課 「禮儀」

 我等が世間の人と共々に生活するには、知ってゐる人にも知らない人にも禮儀を守ることが大切です。禮儀を守らないと、人に不快の念を起こさせ、また自分の品位を落とすことになります。

 人の前に出る時には、頭髪や手足を清潔にし、着物のきかたにも氣をつけて、身なりをととのへなければ失禮です。人と食事する時には、音を立てたり、食器をらんざつにしたりしないで、行儀をよくして、愉快な心持でたべるやうにしなければなりません。又室の出はいりには、戸・障子のあけたてを靜かにするものです。 

 汽車・汽船・電車などに乗った時には、互に氣をつけて、人に迷惑をかけないやうにすることが必要です。自分だけ席を廣くとったり、不行儀ななりをしたり、いやしい言葉づかひをしたりしてはなりません。集會場・停車場其の他、人がこみあって順番を守らなければならない場所で、人をおしのけて、われさきにと行ってはなりません。又人の顔かたちやなりふりを笑ひ、悪口を言ふのはよくないことです。

 外國人に對して禮儀に氣をつけ、親切にするのは、文明國の人の美風です。

・・・「禮儀」などの旧漢字。大字典(栄田猛猪文学博士が寝食を忘れて刻苦十有余年に渡り、編した字典 講談社)を紐解いてみると、

「禮」「五常の一。心に敬ひ、行儀に則を守る道にて、人の履み行ふべきもの。此道は神を祭る時殊に大事なる故に示と豊合す。豊は神前の供物の象なり。

「儀」「事のノリ、テホン。典礼の義」   と、あります。

やはり、人倫(人と人との間の道義的秩序)を守る為には 「禮儀」に心を用いる必要があります。日本人の徳性(徳義を弁えた立派な品性)を、後世まで伝えていくことが私達の務めです。

禮儀」を守るには、其の教えを幼少期から始めなければ、心身に浸潤することはありません。幼少期からの繰り返しが、成人後の、その人の品性に繋がっていくのではないでしょうか。

posted by at 23:14  | 塾長ブログ
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