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教科書に載らない歴史上の人物 20 神武天皇

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、子供達に国語力をつけるためにも歴史の素養を身につける事と連動させていきたいと考えています。

先にご紹介していました「少年日本史」(平泉澄著)。
現在学校で用いられているどの歴史教科書よりも格調高く日本の國史を紐解かれています。
所謂、名調子です。
平泉澄先生のような方に講義をして戴くと、誰でも歴史に興味を持つのではないかと思います。

そこで、昭和四十五年に出版された「少年日本史」(平泉澄著)から「神武天皇」の項を引用してご紹介します。
(尚、長文ですが名調子を味わっていただきたく、そのまま引用いたします。)

八咫烏に導かれる神武天皇(安達吟光画)

 

 神武天皇

「日本」と云う國家を建設し、日本民族の中心となって、その團結を固め、其の理想をかかげ、其の方向を決定した英雄は、一體誰であったか、と云う問題になります。
それは神武天皇であります。

 神武天皇と云いますと、皆さんは、非常に縁遠いお方のように感じるかも知れません。
ところが事實は、全く反對なのです。
 皆さん、皆さんの姓名を考えてください。
姓と名とを分けて、姓だけを、苗字と云います。
皆さんの苗字は、何と云いますか。
山田ですか。木田ですか。小島ですか。
村上、夏目、手塚、飯沼、依田、多田、小國、山縣、清水、田尻、浅野、土岐、船木、石川、この中のどれかではありませんか。
佐竹、武田、小笠原、秋山、南部、里見、新田、大館、今川、畠山、細川、この中にありませんか。
是等は源氏ですよ。
しかも清和源氏と云って、清和天皇から出ているのです。
そしてその清和天皇は、神武天皇の御血統を受け継がれたお方であり、神武天皇を第一代として、第五十六代の天皇でおありになるのですから、上にあげた苗字の人々は、近くは清和天皇、遠くは神武天皇を御先祖としているのです。

「僕の家の苗字は、違うんだ」と云うのですか。それでは何といいますか。
村岡ですか。三浦ですか。畠山ですか。相馬、梶原、北條、名越、金澤、伊勢、杉原、和田、千葉、この中のどれかですか。
是等は桓武平氏と云って、元は桓武天皇から出ているのです。
そしてその桓武天皇は、神武天皇の直系、第五十代に當たられるのです。

 また是等とは別に、近藤とか、進藤とか、武藤とか、尾藤とか、呼ばれる家があります。
佐藤や、加藤、後藤、齋藤になると、一層多いでしょう。
それらの家は、林や、冨樫、武田、河合、稲津、結城、松田、佐野、波多野などと同じく、先祖をさかのぼる時は、左大臣藤原魚名から出ています。
魚名は今より千二百年ばかり前の人ですが、魚名の祖父は不比等、不比等の父は大織冠藤原鎌足、その鎌足が天智天皇の重臣であった事は云うまでもなく、
もっとさかのぼれば、太古から皇室の重臣あって、神武天皇にお仕えした天種子命(あまのたねこのみこと)から出ているのです。
して見れば、齋藤も後藤も、その外、上にあげた家々は、神武天皇の重臣として、建國の大業をお助けした英傑の子孫である事、明らかでしょう。

 今から百七、八十年前の事ですが、寛政四年に、柴野栗山と云う學者が、神武天皇の御陵(天皇の御墓を御陵と云います)へお参りして、その痛ましい荒れ果てようを見て悲しみ、泣きながら詩を作りました。

 遺陵、わづかに路人に問いて求む、
 半死の古松、半畝(はんぼ)の丘、
 聖神ありて帝統を開きたまはずんば、
 誰か品庶をして夷流を脱せしめん、
中頃を少し省きますが、最後には、
 百代の本枝、かず億ならず、
 誰か能く此の處に一たび頭をめぐらす、

 と結んであります。

 意味は、「神武天皇の御陵は、今は立派でも無く、有名でも無いので、何處にあるのか、探しあてるのが容易で無く、路行く人に尋ね尋ねして、ようやくの事でお参り出来たが、来てみると、小さな丘の上に、枯れかかった松が一本立っているだけである。神武天皇が日本民族を統一し指導して、そして『日本』という國家を建設して下さらなかったならば、日本民族はいつまでもバラバラと分散して、低級な生活から脱出することが出来なかったであろうから、神武天皇は我々の大恩人としなければならぬ、そればかりでは無い、我々は神武天皇の子孫では無いか、神武天皇より今に至るまで、凡そ百代、二千数百年の間に、その直系(本)と分家(枝)と段々増加して、子孫の数は、幾億人と云う多数にのぼっている、卽ち、神武天皇は我々の大恩人であると同時に御先祖であるのに、誰も御陵をかえりみる人が無いと云うのは何と悲しいことでは無いか」と云うのです。

 この栗山と云う學者は、讃岐(香川縣)から出て幕府に用いられ、學問教育の方針を立て直した、優れた人物ですが、神武天皇に対しましての感激も流石に見事であります。

「百代の本枝、かず億ならず」と詠まれたのを、逆に説明して見ると、皆さんには、父と母と、親が二人あリましょう、その父にも親が二人、母にも親が二人ありますから、あなたの祖父、祖母は四人でしょう、その一代前になれば八人でしょう、そのまた一代前に溯れば十六人でしょう、も一つ前は三十二人、その前六十四人、一代平均三十年として、あなたから二百年ばかり前には、あなたの先祖は六十四人ばかりになるでしょう、二百年でそれですから、二千年さかのぼる時は、大變な数に上る事が分かりましょう。
 しかもそれはあなた一人でなく、お友達の誰も彼も皆同様なのです。

 して見れば日本民族、この島國に居住して幾千年、いつの間にか皆親類になり、親戚になっていて、いわゆる血が續いている間柄だと分かりましょう。
そして其の大きな血族團體の中心、いわば本家が皇室であり、その皇室の御先祖として、國家建設の大業をなしとげられたのが第一代神武天皇でおいでになるのです。
その神武天皇のご恩を忘れ、御陵をかえりみる者も無いのを嘆いたのですから、栗山は正しい知識と、素直なる感情を持っていたと云わなければなりません。

 それでは神武天皇は何處においでになり、何をなさったのかと云いますと、初めは日向(宮崎縣)においでになりましたが、日本國中、いくつにも分かれて相争っているのを御覧になり、之を統一して立派な國家としなければならぬと御決心になり、兵をひきいて船出し給い、宇佐(大分縣)、岡田の宮(福岡縣)、タケリの宮(又はエの宮、廣島縣)、高島の宮(岡山縣)等を經て浪速(大阪府)へ入り、河内から生駒山を越えて大和(奈良縣)へ入ろうとされた時に、頑強な敵の抵抗にあって、天皇の御兄(おんあに)五瀬命(いつせのみこと)は重傷を負われました。

 そこで天皇は、「我は日の神の子孫でありながら、日に向かって戦ったから、天罰を蒙ったに違ない、神をうやまい、日の神の御光を背に負うて戦うならば、必ず敵を亡ぼす事が出来るであろう。」とお考えになり、方向をかえて大阪湾を南へ下り、紀伊(和歌山縣)へお入りになった。重症の五瀬命は、ここでおかくれになったので、竈山に葬られた。天皇は進んで熊野へお入りになったが、山険しくて行くべき道なく、困り切って居られたところ、夢のお告げがあって、天照大神より八咫烏(やたがらす)を案内者としてつかわされた。後の大伴氏の先祖である日臣命(ひのおみのみこと)が兵をひきいて八咫烏のあとについて進み、宇陀(奈良縣)へ入った。天皇宇陀の高倉山のいただきにお登りになって、四方の状況を御覧になると、あちらにも、こちらにも、八十梟師(やそたける)が居って、天皇に抵抗している。國見岳の上にも居れば、磯城(しき)にも居る。葛城には赤銅(あかがねの)八十梟師がいる。
「八十」と云うのは、「数多くの」の意味、「梟師」は「勇敢なる人」の事ですから、何處(どこ)にも彼處(かしこ)にも、勇敢な人が澤山居って、それが皆互いに争って居り、そして今、天皇に抵抗したのでしょう。

 天皇は次第に之を平定して進まれ、最後に長髄彦(ながすねひこ)と對戦せられましたところ、頑強なる抵抗を打ち破る事ができず、官軍は苦戦に陥りました。その時、一天俄にかきくもり、氷雨が降ってきた中に、金色(こがねいろ)の不思議な鵄(とび)が飛んで来て、天皇の御手に持って居られた弓の弭(ゆはず;弓の先端)にとまりました。その鵄の光、電光の如くに強く輝いたので、賊兵は目がくらんで戦う事が出来なくなった。
長髄彦の所には、もとは天皇と同族である饒速日命(にぎはやひのみこと)が来て居られましたが、長髄彦の頑迷であって、どうしても教化に應じないのを見て、之を殺して帰順せられました。是が後世の物部氏の先祖で、子孫は長く武を以って國の守護(まもり)を擔當(たんとう)したのです。

 やがて方々の八十梟師、皆平定したので、天皇は橿原宮(かしわらのみや)に於いて御卽位式をあげられました。
古くは其の御徳を讃えて、「畝傍(うねび)の橿原に、底磐根(そこついはね)に宮柱(みやはしら)太しき立て、高天原に千木高(ちぎたか)知りて、はつくに知らす天皇(すめらみこと)」と申し上げましたが、御名は神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)、後に神武天皇と申し上げる事になったのです。

 話は簡単に、いわば一瀉千里(いっしゃせんり)で進みましたが、是は大變な大事業であって、容易な苦難では無かったに相違ありません。
日本書紀によれば、日向を御出發になってより、大和の平定まで、六年かかったとあり、古事記では、途中の御滞在御準備だけで、十五年、従って全體では、十七、八年かかった事になります。

 國家建設という事は、このように重大な、そして苦難の多い大業です。
近い例を、アメリカ合衆國にとれば、その獨立宣言は、西暦一七七六年でしたが、その後ワシントン(Washington)は随分の苦戦に陥り、それを踏越え踏越えて、遂に獨立の承認をかち得たのが、一七八三年、この間八年かかっています。

 また支那大陸に建設せられた國家、昔から數多くある中で、最も強力であって、且つ永續したものは、漢ですが、その初代の皇帝は、名を劉邦(りゅうほう)といいました。
その劉邦が兵をあげてから秦を亡ぼすまでに足掛け四年かかり、秦が亡びても項羽(こうう)という競争者が出て来たので、その項羽との戦いに足掛け五年かかり、前と合わせて八年の間、非常な苦労をして、ついに皇帝のくらいに着き、漢という國家をつくりあげたのでした。
殊(こと)に項羽という人は「力、山を抜き、氣、世を蓋(おほ)ふ」と、自分でも自任していたほどの英雄でしたから、此の人との戦いは、容易なことでは無かったに違いありません。

 今、神武天皇が、到る處に割據している八十梟師を、或いは討ち滅ぼし、或いは心服させて、日本民族統一の大業を成しとげられた事は、その大理想に向って一途に進み、いかなる苦難にも決して二の足を踏まれなかった英邁豪壮の御精神による事として、後世之に感激して、御諡(おんおくりな)を神武天皇と申し上げる事になったのです。

日本の歴史が世界に類のない連綿とした国体を保ち得たのは、世界史的に見ると奇跡ともいえるものです。
将来を担う子供達に、日本の素晴らしい歴史をしっかりと学んで欲しいと考えます。

posted by at 16:07  | 塾長ブログ

貝原益軒の説く「幼児教育」其の十一

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、連休前の一日、二十四節氣「穀雨」の清々しい晴天の日に、金比羅山に登頂(塾長が)。
是非、塾生も連れて来たいなぁ、と思いつつ写真では小さくしか見えない日本の誇る海の貴婦人「日本丸」を撮影。
小さい兄弟連れの親子も元気良く山頂の金比羅神宮(標高366m)まで登っていました。

さて、
岩波文庫版の「和俗童子訓」に、
「四民共に学ぶべき学科目」という注釈のついた項目があります。

 幼児教育を効果有らしめる為には、どのような科目を学ばさせるべきか。

「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」的な「習い事」では、まさに「労多くして功少なし」と成りかねません。

「労多くして功少なし」を英語の諺でみると、

You fish fair and catch a frog.
(かなり沢山の魚釣りをしてきたが釣れたのは蛙一匹である。)

とあります。

さて、
貝原益軒先生の「和俗童子訓」。
江戸時代の子を持つ親に向けて分かり易く説いています。

金比羅山上から見る帆船まつりの日本丸・・・非常に小さくしか見えませんが

<読み下し文>

  四民ともに、其子のいとけなきより、父兄・君長につかふる礼儀、作法をおしえ、聖経を読ましめ、仁義の道理を、やうやくさとさしむべし。是根本をつとむる也。
 次に、ものかき、算数を習はしむべし。

 武士の子には、学問のひまに弓馬、剣戟(けんげき)、拳法(やわらほう)など、ならはしむべし。
但(ただし)一向(ひたむき)に、芸をこのみすごすべからず。
必(ず)一事に心うつりぬれば、其事にをぼれて、害となる。
学問に志ある人も、芸をこのみ過ごせば、其方に心かたぶきて、学問すたる。
学問は専一ならざれば、すすみがたし。
 芸は、学問をつとめて、そのいとま(暇)ある時の余事なり。
学問と芸術を、同じたぐひにおもへる人あり。本末軽重(けいじゅう)を知らず。おろかなりと、云うべし。
 学問は本なり、芸能は末なり。
本はおもくして、末はかろし。本末を同じくすべからず。
後世の人、此理をしらず。かなしむべし。
 殊に大人は、身をおさめ、人をおさむる稽古だにあらば、芸能は其下たる有司(つかさ)にゆだねても、事かけず。
されど、六芸は大人といへど、其大略をば学ぶべし。
 又、軍学・武芸のみありて、学問なく、義理をしらざれば、ならふ所の武事、かへりて不忠不義の助(たすけ)となる。
然れば、義理の学問を本とし、おもんずべし。芸術はまことに末なり。
 六芸のうち、物かき、算数をしる事は、殊に貴賎・四民ともに、ならはしむべし。
物よくいひ、世になれたる人も、物をかく事、達者ならず。
文字をしらざれば、かたこといひ、ふつづかにいやしくて、人に見おとされ、あなどりわらはるるは口をし。
それのみならず、文字を知らざれば、世間の事とことば(詞)に通ぜず、もろもろのつとめに応じがたくて、世事とどこをる事のみ多し。

 又、日本にては、算数はいやしきわざなりとて、大家の子にはおしえず、是国俗のあやまり、世人の心得ちがへるなり。

(中略)

 凡(そ)たかきもひききも、算数をしらずして、わが財禄のかぎりを考がへず、みだりに財を用ひつくして、困窮にいたるも、又、事にのぞみて算をしらで、利害を考(かんがう)る事もなりがたきは、いとはかなき事也。
又、音楽をもすこぶるまなび、其心をやはらげ、楽しむべし。
されど、もはら(専)このめば、心すさむ。幼少よりあそびたはふれの事に、心をうつさしむべからず。
必(ず)制すべし。

(中略)

 芸能其外、あそびたはふれの方に、心うつりぬれば、道の志は、必(ず)すたるもの也。
専一ならざれば、直(すぐ)に遂(とぐ)る事あたはずとて、学問し道をまなぶには、専一につとめざれば、多岐の迷(まよい)とて、あなた・こなたに心うつりて、よき方に、ゆきとどかざるもの也。
専一にするは、人丸の歌に、
 「とにかくに、物は思はず飛騨たくみ、うつ墨なはの只ひとすぢに」
、とよめるが如くなるべし。

****************
<現代語訳>
四民(近世封建社会での、士・農・工・商の四つの身分。転じてあらゆる階層の人々。)ともに、  その子の幼い時より、父兄・君長(君主・かしら)に仕える礼儀、作法を教え、聖教(聖人の教え、とくに孔子の教え)を読ませて、仁義(人間が守るべき道徳)の道理(ことわり、わけ)をやうやく(漸く=だんだん、次第に)悟らせるべきである。
これ根本(物事の基礎)のことである。

 その次に、ものかき(文章を書くこと)、算数を習わせるべきである

武士の子には、学問の合間に、弓馬(弓術・馬術、又武芸一般)、剣戟(剣術)、拳法(格闘技)等を習わせるべきである。
但し、ひたむきに(一つのことに熱中する)芸を好み、限度を超えてはいけない。
必ず、一事に心を執着させれば、そのことに溺れ、かえって害となる。
学問に志ある人も、芸を好み過度にのめり込むと、その芸に心が傾いて、学問が疎かになる。
学問は専一(他のことは考えずに、一心に一つのことに取り組む事)でなければ、捗(はかど)ることはできない。 
芸は、学問に専心して、そのいとま(暇)がある時の余事(余力ですること)である。
学問と芸術を、同じ類(類似したものの集まり)であると思う人がいる。本末軽重(物事の基本となる大切なことか、否か。優先順序)を知らない。考えが足りないと、云うべきである。
学問は本(根本)であり、芸能は末(枝葉、主要ではないこと)である。
本(根本)は重要で、末(枝葉、主要ではないこと)は重要ではない。本末を混同してはいけない。
後世(後の世、子孫)の人、此の理論、理屈を知らない。かなしいこと(残念なこと)である。
殊に大人(身分、地位の高い人)は、せめて身を修め、人を治める稽古だけでもなしていれば、芸能は其部下たる有司(つかさ=役人)に委ねても、大事になることはない。
されど、六芸(礼・楽・射・御(馬車の御し方)・書・数)は大人といえども、其の大略(おおよそ、あらまし)は学ぶべきである。
又、軍学・武芸のみ鍛錬して、学問をする事なく、義理(人間の踏み行なうべき正しい道)を知らないならば、習う所の武事(武道や戦に関する事柄)は、かえって不忠不義(忠義を尽くさない事・正義や道義に外れる事)の助(たすけ)となる。
然れば(そうであるならば)、義理の学問を基本とし、重んずるべきである。芸術はまことに末(大した問題ではない事)であると言える。
六芸のうち、文章を書く事や、算数を知る事は、殊に貴賎・四民(身分の上下に関わらず全ての人)と共に、習はせるべきである。
物事についてよく話す人や、世の中の事を知る人も、文章を書く事には、達者(達人)ではない。
文字を知らないならば、たどたどしい話し方で物を言い、ふつづかに(気の利かない、不調法な)いやしくて(洗練されていない、下品な)と、人に見下され、侮られ笑われるのは残念なことである。
それのみならず、文字を知らないならば、世間の事とことば(詞)に通ぜず、もろもろのつとめ(当然しなければならないこと)に応じがたくて、世事(世間の様々な俗事)滞る事ばかりが多い。

又、日本では、算数はいやしい(洗練されていない、下品な)わざ(腕前)であると言って、大家(家柄の良い家)の子には教えない事は、是れは国俗(世間や世の中)の誤りであり、世の人の心得違いである。
(中略)
一般に、身分の高い低いに関わらず、算数を知らないで、自らの財禄(財産や資産)の限度を考えないで、分別なしに財産を費消して、困窮してしまうのも、又、事(重大事)に臨んで算(勘定)を知らずに、利害を考える事も出来ないのは、とてもはかなき無益な事である。

又、音楽をもたいへんに学び、其の心を和らげ、楽しむべきである。
そうではあるが、その事に集中して好めば、心すさむ(気持ちがあれたり、努力を怠ったりした結果、芸の技量が低下する事)になる。幼少の頃より遊び戯れた事に、気持ちや精神を集中させてはいけない。
必ず制約するべきである。
(中略)
芸能などや其の外、遊び戯れる方向に、心が向いてしまえば、道(人の生き方や在り方)の志は、必ず廃れていくものである。
一心不乱に取り組まなければ、すぐに結果が出ないからといって、学問をし道を学ぶには、専一(他のことは考えずに、一心に一つのことに取り組む事)に努力しなければ、多岐(多方面の選択肢)の迷いが生じ、彼方や此方に心が動いて、良い方向へは、辿り着けないものである。
一心に取り組むためには、人丸の歌に、
「とにかくに、物は思はず飛騨たくみ、うつ墨なはの只ひとすぢに」
(いろいろな事情があるがそれはさておいて、物ごとについてとやかく考えない飛騨の匠(工匠、大工や細工師)は、打つ墨入れや縄張りをすることのみに心を込めて取り組んでいることだなあ。」
、と詠めるように、そうで有るべきである。

************************

・・・・・書いていますと、つい長くなって読者の方には申し訳ないなあ、と反省しています。

しかし、
現代の日本人が忘却している先人の智慧が網羅されている文献なので、つい長くても掲載してしまいます。
筆者の言わんとするところをお汲みいただき、ご縁のある方や子供さんをお持ちの親御さんには読んで頂けると幸いです。

posted by at 22:27  | 塾長ブログ

文部科学省の「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)

平成二十九年四月十八日に、小学6年と中学3年の全員を対象にした文部科学省の「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)が一斉に行われました。
長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、普段通りの力を発揮してもらいたいと考えます。

都道府県によっては、前回の結果を踏まえて準備しているところもあるやに聞きます。
それはともかくとして、
国が様々なデータを収集して、今後の日本の教育に資する政策を打ち出して欲しいものです。

産経新聞からの引用です。http://www.sankei.com/life/news/170418/lif1704180022-n1.html

参加するのは小学校1万9770校の約104万5千人と、中学校1万80校の約108万3千人。国公立は全校が参加し、私立の参加率は49・5%。

 文科省は今回、結果の公表方法の一部を変更。指導に役立てるため従来の都道府県別平均正答率に加え、政令指定都市別も明らかにするが、競争をあおらないよういずれも小数点以下を四捨五入し整数値のみを示す。

 一方で市町村教育委員会は独自の判断で学校別成績を公表することができ、都道府県教委は市町村教委の同意があれば、市町村別と学校別を公表できる。

尚、興味のある方は、「平成29年度全国学力テスト 問題と解答一覧」をご参照ください。
http://www.sankei.com/life/news/170418/lif1704180034-n1.html

posted by at 19:02  | 塾長ブログ

貝原益軒の説く「幼児教育」其の十

岩波文庫版の「和俗童子訓」に、
「朋友を選んで交わらせよ」という注釈のついた項目があります。

長崎市五島町の羅針塾 学習教室・幼児教室では、幼児教育の要諦として、友を選ぶことの大事さを常々お話しています。

英語の諺にも
Keep good men company and you shall be of the number.
(善人と付き合えば善人の仲間になれる。)
とあります。

さて、
貝原益軒先生の「和俗童子訓」。
江戸時代の子を持つ親に向けて分かり易く説いています。

<川原慶賀の「日本」画帳>より「長崎の雛まつり」

<読み下し文>

 子弟を教ゆるには、先(まず)其まじはる所の、友をゑらぶを要とすべし
其子のむまれつきよく、父のをしえ正しくとも、放逸(ほういつ)なる無頼(ぶらい)の
小人にまじはりて、それと往来すれば、必(ず)かれに引(ひき)そこなはれて、あしくなる。
いはんや、其子の生質(うまれつき)よからざるをや。
古人の言葉に、「年わかき子弟、たとひ年をおはるまで書をよまずとも、一日小人にまじはるべからず。」といへり。
一年書をよまざるは、甚(だ)あしけれど、猶それよりも、一日小人にまじはるはあしき事となり。
是悪友の甚(だ)害ある事をいへり。
人の善悪は、皆友によれり
古語(に)曰(いわく)、「麻の中なるよもぎは、たすけざれども、おのづから直し」
又曰、「朱にまじはれば赤し、墨に近づけば黒し」といふ事、まことにしかり。
わかき時は、血気いまた定まらず。
見る事、きく事、にうつりやすきゆへ、友あしければ悪にうつる事はやし。
もろこしにて、公儀の法度をおそれず、わが家業をつとめざるものを、無頼と云(いう)。
是放逸にして、父兄のおしえにしたがわざる、いたずらもの也。
無頼の小人は、必(ず)酒色と淫楽(いんがく)をこのみ、又、博奕(ばくえき)をこのみて、いさ(諫)めをふせぎ、はぢをしらず、友を引きそこなふもの也。
必(ず)其子をいましめて、かれにまじはらしむべからず。
一たび是とまじはりて、其風にうつりぬれば、親のいましめ、世のそしり、をもおそれず、とが(咎)をおかし、わざはひにあへども、かへり見ず。
もし幸(さいわい)にして、わざはひをまぬがるといへども、大不孝の罪にをち入りて、悪名をながす。
わざはひをまぬかれざる者は、一生の身をうしなひ、家をやぶる。
かなしむべきかな。

<現代語訳>

子弟を教育するには、最初に子供の交際する友を選択することを要(かなめ=大切なこと)としなければならない
その子が出自(生まれ)が良く、父の教えが正しくとも、放逸(節度をわきまえず、勝手気ままに振る舞うこと)である無頼(定職を持たず、素行の悪いこと)の小人(器量の小さい人、小人物)に交わって、それと行き来すれば、必ず彼に引きそこなわれて悪くなっていく。
況んや(まして)、その子の出自(生まれ)が良くなければ、なおさらである。
古人(昔の世の人)の言葉に、「年齢の若い子弟は、例え一年間、書(四書五経など)を読まなくとも(読まないのは良くないことであるが)、猶それよりも小人と一日交わるべきではない。」と云う。
一年書を読まないことは大変悪いことではあるが、猶それよりも、一日小人と交わることのほうが害があるということである。
これは悪友の非常に害があることを言っている。
人の善し悪しは、皆友によりけりである
古語(古人の言)に曰く、「まっすぐに伸びる麻の中に生えれば、曲がりやすい蓬も影響を受けてまっすぐに伸びる」
また曰く、「朱に交われば赤くなり、墨に近づけば黒くなる」ということは、まことにその通りである。
若い時には、血気(旺盛な活動意欲)はまだ定まっていない。
見ること、聞くことに影響されやすいが為、友が悪ければ悪い方向へ行くのは簡単である。
もろこし(支那)では、公儀の法度(国・政府が禁止している事柄)を恐れず、自らの家業に努めないものを無頼(定職を持たず、素行の悪いこと)という。
これは放逸で、父兄の訓えに従わない、いたずら者(無益で役に立たないもの)である。
無頼の小人は、必ず酒色(飲酒と女遊び)と淫楽(淫な楽しみ)を好み、博奕(ばくち、勝負事)を好み、諫め(忠告、諫言)を聞かず、恥を知らず、友を引き損なうものである。
必ずその子を戒めて、彼と交際させるべきではない。
一旦彼と交わって、その風に影響を受けてしまえば、親の戒め、世の中の誹り(そしる言葉、非難)をも恐れず、咎(咎=罪)を犯し、災いにあっても反省することはない。
もし幸いにして、災いを免れることができても、大不孝(親孝行でないこと)の罪に陥って、悪名(悪い評判)を流すことになる。
災いを免れない者は、一生身を持ち崩し、家を破る(家名を汚す)。
悲しむべきことである。

・・・『荀子・勧学』の「蓬麻中に生ずれば 扶けずして直し」
即ち、まっすぐに伸びる麻の中に生えれば、曲がりやすい蓬も影響を受けてまっすぐに伸びるということ、
善人と交われば、自然に感化されて善人になることのたとえ、です。
友人の大切さは、古今東西さまざまな表現で繰り返し言われていますが、人の一生に多大な影響を及ぼすことからでしょう。

麻中の蓬(まちゅうのよもぎ)」とも言います。

人は、常に自分よりもレベルの高い人と交わるよう努力・工夫すべきであると昔から言われます。

親御さんは、子供さんの交友関係に日々細心の注意を払っておくべきことではないでしょうか。

posted by at 16:27  | 塾長ブログ

「進路を考える」 第13回 羅針塾学習塾 親子セミナーを終えて

平成29年4月16日、長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室で「進路を考える」というテーマで親子セミナーを実施いたしました。
万障繰り合わせてお父様方にお出で頂けたことは有難いことでした。

子供さん達の将来に関心をお持ちの方でも、教育について基本的にはお母さんに任せているお父様方が多いのが実情と思います。問題が生じない限りは全く問題はないのですが、いざ子供さんに問題が生じたときに、もっと早く手を打っておけばよかったという思いをされる事例が多いのも事実です。

と言いますのは、子供さんの躾や教育を普段担っているお母さんたちは、日々悩みながらもお父さんと日常的に子育てに関する意思疎通を図れているか、というと現状はなかなか難しいという状況があるからです。

結果、お母さん方は、身近に相談できる子育ての先輩や信頼できる助言者がいない限り、問題をお母さん一人が抱え込んでいるのです。

その意味では、当塾では不断に意思疎通を図られている親御さんと、子供さんの通塾の際に情報交換をさせて頂けているので、学校での出来事や子供さんの好・不調を早めに察知できるようになっています。

子供さんの将来を考えると、成績に一喜一憂するよりも、向学心を持ち、前向きに取り組む姿勢を身につけさせていくことの方がとても大事になってきます。
その為には、子供さんの将来を考えて厳しいけれども慈愛のある子育てが不可欠です。

子育てや教育には、安易な道はありません。
親御さんにも、断固として子供を一人前にする覚悟が必要です。

「ゆだんして、其子のこのむ所にまかすべからず。」
・・・油断(気を緩め、注意を怠ること)して、その子供の好むところに委ね(一切を任せること)てはいけない。

という貝原益軒の説く言葉の意味合いは大きいと思います。

posted by at 19:19  | 塾長ブログ
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