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「少年日本史」

平成二十九年度、新学年が始まりました。
新しい友達や先生に巡り会える新しい出発です。
今年の櫻は、四月初めの肌寒さのおかげで長い間楽しめています。

しかし、米国と北朝鮮との緊迫した情勢は、大東亜戦争後七十二年経過し、平和に馴染んできて危機意識の薄い日本人を覚醒しているかのようです。
天変地異と同じく、まさか自分の身の上には火の粉はかからないだろうという意識こそが根本的な誤りであることは、歴史が証明しています。

長崎市五島町にある羅針塾 学習塾・幼児教室では、これからの子供達には幅広い素養を身につけて世界に羽ばたいてもらいたいと考えています。
その為にも、日本の歴史や文化をしっかり学ぶ必要があると考えています。

ちなみに、
歴史の「歴」は自然(日月)の一定の間をおいた経過の意。
「史」は、天体の運行を計算して暦を作る人を史といい、古代では、暦を作ることは最も神聖な、文字を司る人の務めであったので、歴史的な記録、またはそれを司るものを史といいます。

日本に生を受け、日本に暮らすことは、実に幸せで稀なことを皆さんお気付きでしょうか。
日本以外の国では、過去から現在まで実に過酷で悲惨な歴史を刻む国ばかりです。
現に、様々な国で宗教的、人種的、また経済的な利害で常に紛争や戦争が行われています。

それと比べて、
日本は島国であることから、近隣諸国の侵略に比較的曝されずにきました。

筆者は、縁あって平泉 澄著の「少年日本史」を入手できました。
教科書には書かれていない、日本人の為の歴史が綴られています。
特に、著者が「少年日本史」と銘打たれているように、これからの日本を支えていく「少年」に伝えるための日本の歴史を、心を込めて綴られた原稿千枚の力作です。

これを、筆者自身も新たに学ぶ気持ちで少しづつ紐解いていきながら、ご紹介をしていきたいと考えています。

平泉澄著 「少年日本史」表表紙

posted by at 18:57  | 塾長ブログ

貝原益軒の説く「幼児教育」其の九

「立春」から「清明」と二十四節気がかわる時期に、長崎市五島町の羅針塾 学習教室・幼児教室の春期講習をしておりました。
新緑の美しくなる季節の変化と同じように、子供さん達も輝き始めています。
緑も子供さん達も、春は伸びゆく頃。
学力も同様です。

岩波文庫版の「和俗童子訓」に、
「学習の初めに人柄の良い師匠を選べ」という注釈のついた項目があります。

幼児教育の要諦を縷々述べてある中で、どのような師匠に就くかは大事な点です。

さて、
貝原益軒先生の「和俗童子訓」。
江戸時代の子を持つ親に向けて分かり易く説いています。

<川原慶賀の「日本」画帳>より
 長崎の寺子屋の「新入生」入門の様子。男女別の部屋に分かれて学んでいます。

<読み下し文>

小児に学問を教ゆるに、はじめより、人品(ひとがら)良き師を求むべし。
才学ありとも、悪しき師に、したがはしむべからず。
師は、小児の見習ふ所の手本なればなり。

 凡そ学問は、其学術をゑらぶ事を、むねとすべし。
学のすぢ(筋)あしければ、かへりて性(うまれつき)をそこなふ。
一生つとめても、よき道にすすまず。
一たびあしきすぢをまなべば、後によき術(すじ)をききても、うつらず。

 又、才力ありて高慢なる人、すぢわるき学問をすれば、善にうつらざるのみならず、必(ず)邪智を長じて人品(ひとがら)弥(いよいよ)あしくなるもの也。
かやうの人には、只、小学の法、謙譲(へりくだり)にして自(みずから)是(ぜ)とせざるをを以(て)、教(おしえ)をうくるの基(もとい)となさしめて、温和・慈愛を心法とし、孝弟、忠信、礼儀、廉恥(れんち)の行をおしえて、高慢の氣をくじくべし。

 其外、人によりて、多才はかへりて、其心をそこなひ、凶悪をますものなり。
まづ謙譲をおしえて、後に、才学をならはしむべし。

<現代語訳>

小児に学問を教える際に、初めより人品(じんぴん=人としての品格。品位。)の良い師を求めなければならない。
才学(学問に関する才能や知識)はあっても、人品の良くない師に従わせてはいけない。
なぜならば、小児が見習うところの手本だからである。

一般に、学問はどのような学術(学問と芸術)を選択するかが大事な点である。
学ぶことの筋(学問や芸術の流儀)が良くないならば、性(うまれつき、天から与えられた本質)を損なってしまう。
一生努力しても、良い方向へは進むことがない。
一旦悪い筋を学んでしまうと、後に良い方法を聞いても向上しない。

また才力(才知の働き、知恵の働き)があって高慢(思い上がって人を見下すこと)である人は、筋の悪い学問をすれば、善き方向へ向上しないだけでなく、必ず邪智(邪な知恵、悪知恵)に長じて(秀でて)、人柄(人の性質や品格)がますます悪くなるものである。
このような人には、只、小学の法(*)、つまり謙譲(万事に控えめで、他人に譲ること)であって、自分自身が正しくないことを以って、教えを受ける基本とするようにさせて、温和(穏やかで優しいこと)・慈愛(我が子を愛するように慈しむこと)を心法(心の法則)とし、孝弟(父母に孝行をし、兄など目上によく仕えること)、忠信(真心を尽くし、偽りのないこと)、礼義(礼と義、人の踏み行なうべき規律)、廉恥(潔く恥を知る心が強いこと)の行いを教えて、高慢の氣を挫いて(抑えて弱める)しまうべきである。

その他、人によっては、多才(様々な方面に才能・才知を持っていること)であることが、却って(逆に)その心を損なうことになり、凶悪(性質が残忍で、悪いことを平気で行うこと)を増してしまうものである。
先ず、謙譲を教えて、その後に才学(才知と学識)を習わせるべきである。

*小学の法=支那の宗代の修身、作法書。初学者のために古聖人の善行や箴言、人倫の実践的教訓などを集めた啓蒙書。

・・・「師は、小児の見習ふ所の手本なればなり。
何であれ人に教える立場にある人にとっては、古今東西変わらぬ基本です。

また、

小学の法、謙譲(へりくだり)にして自(みずから)是(ぜ)とせざるをを以(て)、教(おしえ)をうくるの基(もとい)となさしめて、温和・慈愛を心法とし、孝弟、忠信、礼儀、廉恥(れんち)の行をおしえて、高慢の氣をくじくべし。
「小学の法(*)、つまり謙譲(万事に控えめで、他人に譲ること)であって、自分自身が正しくないことを以って、教えを受ける基本とするようにさせて、温和(穏やかで優しいこと)・慈愛(我が子を愛するように慈しむこと)を心法(心の法則)とし、孝弟(父母に孝行をし、兄など目上によく仕えること)、忠信(真心を尽くし、偽りのないこと)、礼義(礼と義、人の踏み行なうべき規律)、廉恥(潔く恥を知る心が強いこと)の行いを教えて、高慢の氣を挫いて(抑えて弱める)しまうべきである。」
とあるように、
厳しく倫理観を身につけさせることの必要性を説いています。
特に、
「自分自身が正しくないことを以って、教えを受ける基本とするようにさせる」は、自分中心の世の中の風潮を見るにつけ、如何に幼児期に躾けていくか、と現代人に問うかのようです。

posted by at 18:33  | 塾長ブログ

ほめる教育の是非 貝原益軒の説く「幼児教育」其の八

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、幼児期の教育の大事さを日本の様々な先人から学んでおります。

近年、「褒めて育てる」ことの是非が喧(かまびす)しくなっていますが、貝原益軒の説く「和俗童子訓」には、現代人からすると非常に厳しい文言が並んでいます。

『ほめると子どもはダメになる』(榎本博明著/新潮新書)という本も出版され、「褒めて育てる」ことの弊害が縷々述べられています。
曰く、
「叱らない子育て」の弊害として、
打たれ弱い大人になる。
勘違い人間になる。
頑張ることができない人間になる。

さて、
貝原益軒先生の「和俗童子訓」。
江戸時代の子を持つ親に向けて分かり易く説いています。

     貝原益軒肖像

<読み下し文>

 凡そ人の悪徳は、矜なり。
矜とは、ほこるとよむ。高慢の事也。
矜なれば、自是として、其悪をしらず。
過を聞きても改めず、故に悪を改て、善に進む事、かたし。
たとひ、すぐれたる才能ありとも、高慢にしてわが才にほこり、人をあなどらば、是凶悪の人と云べし。
 凡そ小児の善行あると、才能あるをほむべからず
ほむれば高慢になりて、心術をそこなひ、わが愚なるも、不徳たるをも知らず、われに知ありと思ひ、わが才智にて事たりぬと思ひ、学問をこのまず、人の教えをもとめず。
もし父として愛におぼれて、子の悪しきを知らず、性行よからざれども、君子のごとくほめ、才芸つたなけれども、すぐれたりとほむるは、愚にまよへる也。
其善をほむれば、其善をうしなひ、其芸をほむれば、其芸をうしなふ。
必ず其子をほむる事なかれ。

其子の害となるのみならず、人にも愚なりと思はれて、いと口をし。
親のほむる子は、多くは悪しくなり、学も芸もつたなきもの也。
篤信、かっていへり。
「人に三愚あり。我をほめ、子をほめ、妻をほむる。皆是愛におぼるる也。」

<現代語訳>

一般に、人の悪徳(人の道に背く心や行い)は、矜(誇る、自負する)である。
矜とは、ほこると読む。高慢(自分の才能・容貌などが人より優れていると思い上がって、人を見下すこと)のことである。
矜であるので、自らが正しいとして、その正しくないことに気づかない。
過ちを指摘されても改めず、その故に正しくないことを改めて善い(正しい)方向へ進むことは困難である。
たとえ優れている才能があっても、高慢にして自らの才(生まれつき備わっている能力)を誇り、他の人を侮るならば、これは凶悪(性質が残忍で、ひどい行為をすること、その様)な人というべきである。

一般に、小児の善い行いや、才能があることを褒めてはいけない。
褒めれば、高慢になって心術(心の持ち方、心映え)を損ない、自分が愚かであることも、不徳(身に徳の備わっていないこと)であることも知らず、自分に知(物事の道理がわかること)があると思い、自分の才智(才能と智恵)により物事の用をなすことができると思い、学問を好まないし、人に教えを請うこともない。
もし父として可愛がることにかまけて(溺愛して)、子の悪い点を知らず、性行(人の性質と普段の行い)が良くないのに、君子(学識・人格ともに優れた人)のように褒め、才芸(才智と技芸)は拙いにもかかわらず、優れていると褒めるのは、愚かで分別がつかないのである。
その善(良いこと、道義にかなっていること)を褒めれば、その善を失い、その芸(技能、技術)を褒めれば、その芸を失う。
決してその子を褒めてはいけない。

その子の害となるのみならず、他の人にも愚(愚かであること)であると思われて、大変に残念なものである。
親の褒める子は、多くが悪くなり、学問も技芸(技能)も劣っているものである。
篤信はかってこのように述べたものである。
「人に三つの愚がある。自分を褒め、子を褒め、妻を褒めること。これらはすべて溺愛(盲目的に愛すること)である。」

・・・「凡そ小児の善行あると、才能あるをほむべからず。」

現代人が聞くと驚くことを率直且つ断固として論じています。
本来の節度ある謙虚な日本人は、長い歴史の中でこのようにして育まれてきたのでしょう。

戦後の欧米風の教育が、軟弱で辛抱することのできない若者や大人達を生み出してきたことは事実です。

「其善をほむれば、其善をうしなひ、其芸をほむれば、其芸をうしなふ。必ず其子をほむる事なかれ。」

叱られることで、
自分の非に気付くことができる。
素直に反省する。
失敗に負けないで精進する。

ということを繰り返して、辛抱しながら成長していくことができます。

やはり、幼児期に素直で前向きな心の持ち方を身につけてほしいものです。

posted by at 18:06  | 塾長ブログ

素読

長崎市五島町にある羅針塾学習塾・幼児教室では、只今春期講習中です。

講習前に、面談をさせて頂き万障繰り合わせていただいたお父様には、あるお願いを致しました。
出勤乃至はお仕事前の、十から十五分。
子供さんと「素読」をしていただけませんか。

普段のお父様方は、お仕事に専心しておられる為に、子供さんたちの教育は奥様に全てお願いされているのが現状です。

しかし、

子供の成長は、何よりの楽しみ、というお父様がほとんどです。

そこで、子供さんとお父様との会話の意味合いを含め、素読をお願い致しました。

   「幼学綱要經語鈔」から

孝行 第一 
 天地ノ間、母無キノ人無シ。
其ノ初メ胎ヲ受ケテ生誕スルヨリ、成長ノ後ニ至リ、其ノ恩愛教養ノ深キ、父母ニ若ク者莫シ。
能ク其ノ恩ヲ思ヒ、其ノ身ヲ慎ミ、其ノ力ヲ竭シテ、以テ之ニ事ヘ、其ノ愛敬ヲ盡スハ、子タルノ道ナリ。
故ニ孝行ヲ以テ、人倫ノ最大義トス。

から始まって、

◯孝経曰夫孝天之経也。地之誼也。民之行也。天地之経、而民是則之。

◯叉曰、夫孝徳之本也。教之所繇生也。

◯叉曰、人之行、莫大於孝。孝莫大於嚴父莫大於配天。

◯叉曰、身體髪膚、受之父母。不敢毀傷、孝之始也。立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。

◯禮曰、居處不莊非孝也。事君不忠非孝也。莅官不敬非孝也。朋友不信非孝也。戰陳無勇非孝也。

◯叉曰、凡爲人子之禮。冬温而夏凊、昏定而晨省。在醜夷不争。

という素読教材を作り、配布を致しております。

・・・筆者の記憶の中に、母親から繰り返し聞かされた
『シンタイハップ コレヲフボニウク アヘテコレヲキショウセザルハ コウノハジメナリ。』
という言葉の連なりが有ります。

「身体、髪の毛、肌に至るまで、これは父さんやお母さんから受け継いだものです。
これを自らの意思で損ない、傷つけることをしないことが、親孝行の始めです。」

と、母から繰り返し聞かされたものです。

そのおおもとの言葉が、上記の「孝経」の中の文言です(上記、下線部)。

「孝経曰
身體髪膚、受之父母。不敢毀傷、孝之始也。」

なのです。

お父様から子供さんへの口伝。

父母の日々の繰り返す営みが、明日の日本を支える人づくりとなるのではないでしょうか。

posted by at 20:57  | 塾長ブログ

貝原益軒の説く「幼児教育」其の七

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、常々、歳時記(一年中の行事やおりおりの風物などを季節や月順に列挙し解説を加えたもの)などで季節感を養うことを勧めています。作文を書く際には、目に鮮やかに浮かぶよう季節や情景がわかる文章を書けるようになって欲しいものです。

さて、
岩波文庫版の「和俗童子訓」に、
「礼は天地の常」「人と交わるに温恭の心構え」という注釈のついた項目があります。

川原慶賀の「日本」画帳 掲載 長崎の「正月」

<読み下し文>

貝原益軒先生の「和俗童子訓」。
江戸時代の子を持つ親に向けて分かり易く説いています。

「礼は天地の常」

 礼は天地のつねにして、人の則(のり)也。
則(すなわ)ち人の作法を言へり。
礼なければ、人間の作法にあらず。禽獣に同じ。
故に幼(いとけなき)より 、礼をつつしみて守るべし。
人のわざ、事ごとに皆礼あり。
よろづの事、礼あれば、すじめ(筋目)よくして行はれやすく、心も亦さだまりてやすし。
礼なければ、すじめたがひ、乱れて行はれず、心も亦やすからず。
故に、礼は行わずんばあるべからず。小児の時より和礼の法にしたがひて、立ち居ふるまひ、飲食、酒茶の礼、拝礼などおしゆべし。

<現代語訳>

・・・礼(社会生活をする上で、円滑な人間関係や秩序を維持するために必要な倫理的規範)は、天地(天と地、世界)の常(世の中の理(ことわり)、ならわし)であり、人の則(のり=手本として従う規範、基準)である。

即ち(言い換えれば)、人の作法(礼にかなった立ち居振舞い。物事を行う方法)のことである。
礼がなければ、人間の作法ではない。禽獣(鳥や獣)と同じである。
故に、幼い時より、礼を慎んで(過ちの無いように行動を控えめにし)守るべきである。
人のわざ(務めとしてする事、振舞い)には、事ごと(生じた事柄、出来事)すべてに礼がある。
万事(あらゆること)、礼があれば、筋目(物事の道理)通りにうまく行われやすいし、心もまた安定しやすい。
礼がなければ、筋目(物事の道理)に齟齬(そご=くいちがい)が生じ、混乱して行えず、心もまた不安定となる。
故に、礼を行わないということはあるべきではない。
小児の時より和礼(日本の礼)の法(やり方、方法)にしたがって、立ち居振舞い(日常の行動や動作)、飲食、酒茶の礼(日常の飲食や、喫茶の接待や宴席の際の礼法)、拝礼(頭を下げて礼をすること)などを指導すべきである。

「人と交わるに温恭の心構え」

<読み下し文>

  志(こころざし)は虚邪(いつわり・よこしま)なく、言(ことば)は忠信(まこと)にして偽(いつわり)なく、又、非礼の事、いやしき事をいはず、貌(かたち)の威儀をただしく慎む事を教ゆべし。
また、諸人に交わるに、温恭(おんきょう)ならしむべし。
温恭は、やはら(柔)かにうやまふ也。是(これ)善を行ふ始(はじめ)也。
心あらきは、温にあらず。無礼なるは、恭にあらず。
己を是(ぜ)とし、人を非(ひ)として、あなどる事を、かたく戒(いまし)むべし。
高位なりとて、我をたかぶる事なかれ。高き人は、人にへりくだるを以って、道とする事を、教ゆべし。
氣随(きずい)にして、わがままなる事を早く戒むべし。
かりそめにも人をそしり、わが身におごらしむる事なかれ。
常にかやうの事を、早く教(おしえ)戒むべし。

<現代語訳>

・・・志(心に決めて目指していること)は、虚(空虚なこと、空っぽ)邪(正しくないこと、心がねじれていること)
なく、言葉は忠信(真心を尽くすこと)であって偽ることなく、また非礼(礼儀に外れること)のことや、いやしいこと
(品がない、慎みがないこと)を言わず、貌(姿かたち)の威儀(挙措動作が礼式にかなっていること)を正しくして慎むことを教えなければならない。
また、諸人(多くの人、いろいろの人)と交わる(交際する)際に、温恭(穏やかで慎しみ深い様)であるようにすべきである。
温恭は、柔和に敬うことである。これは善(道理にかなった善いこと)を行うはじめである。
心が荒い(激しい、乱暴である)ことは、温和(穏やか)ではない。無礼(礼儀に外れること)であることは、恭(つつましい、うやうやしいこと)ではない。
自分を是(正しい)として、他人が非(不正、正しくない)として、侮る(見下げて軽んずる、軽蔑する)ことを、しっかりと戒める(誤りや、失敗をしないよう前もって注意すること)べきである。
高位(高い地位にあること)であるからといって、自分自身がたかぶる(偉そうに振る舞う、尊大な態度をとること)ことがあってはならない。高い地位にあるひとは、他人に対しへりくだる(相手を敬って自分を低くする、謙遜する)ことを以て、道(人の踏み行なうべき道筋、人としてのあり方や生き方)とすることを教えなければならない。
気随(自分の思い通りに振る舞うこと)であり、わがままであることを早く戒めなければならない。
かりそめ(その場限りであること、一時)にも他人をそしり(人を悪く言う、非難する)、わが身におごらしむる(わがままな振舞いをする)ことがあってはならない。
常日頃から、このようなことを、早くから教え戒めておかなくてはならない。

*************************

「戒める」(誤りや、失敗をしないよう前もって注意すること)という言葉を、最近聞く機会がないように感じるのは筆者だけでしょうか。
心が穏やかで落ち着いている時には、人は聞く耳を持ちます。
しかし、
慌てていたり、興奮している時には、聞く耳を持つことは難しいものです。

従って、子供さんに前もって伝えておくべきことは、心が穏やかで落ち着いている時に、浸透させなければなりません。
これも訓練ですから、普段から繰り返しておく必要があります。

その為にも、
礼は天地のつねにして、人の則也*」という文言は至言(物事の本質を言い表した言葉)です。

*礼(社会生活をする上で、円滑な人間関係や秩序を維持するために必要な倫理的規範)は、天地(天と地、世界)の常(世の中の理(ことわり)、ならわし)であり、人の則(のり=手本として従う規範、基準)である。

日本の礼式を幼児から学ばせることが、人格形成に大きな力を与えるのではないでしょうか。

posted by at 15:24  | 塾長ブログ
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