『大学』を素読する-素読は若年ほど上達が早い

長崎市江戸町(令和6年7月に移転)にある難関大学・医学部を目指す幼児教室・学習塾 羅針塾では、これからの日本を担う若者に「古典」を素読する習慣を身に付けてほしいと考えます。当塾では、幼児の塾生さんから「素読」を始めます。

これについて、伊與田覺(いよた さとる)先生のご著書(読本『仮名大学』 『大学』を素読する 致知出版社)を引用してご紹介します。

まえがき

明の王陽明先生は初学の者に対しては、かならず「大学」を以って教えたと伝えられています。

我が国に於いても、近江聖人と称せられる中江藤樹先生が十一歳の時、大学の

「天子自り以って庶人に至まで、壹(いつ)に是れ皆身を修むるを以て本(もと)と為す」

の一句に痛く感動して聖賢の道に志しました。また野の聖人と称せられる二宮尊徳先生が少年の頃、薪(たきぎ)を背負いながら常に読み続けたのが大学です。

戦前の道徳教科書である「修身」には、中江藤樹先生、二宮尊徳先生の逸話が取り上げられています。

その大学は、修己治人(しゅうこちじん)の最も手近な古典で曽子(そうし 前五〇五〜四三五)及びその弟子達によって作られたものであろうと言われています。そうし、姓は曽、名は参(しん)、字(あざな)は子與(しよ)、魯(ろ)の武城の人。孔子より四十六歳若く、孔子からは「参(しん)は魯(のろま)だ」と評され、俊秀の多い孔子門下では左程目立った存在ではありませんでした、然し大変素直で講師の教えに随喜して実践を重んずる生き方に孔子は密かに注目しておられました。ある日孔子(七十二歳)が曽子(二十六歳)に「参(しん)よ私の道は一を以って貫いているよ」と語りかけられました。すると曽子はすかさず「はい」と歯切れよく答えました。孔子は曽子の声と共に眼を見られて、まさに以心伝心と悟り、満足して立ち去られました。これを曽子は先生の一なる道は「忠恕(ちゅうじょ)」だと受容しました。そうして草子は生涯、師の道を実践し、不滅の書「大学」や「孝経」を著しました。後世孔子の至聖に対し宗聖と併称され、三省、追遠、弘毅、致知格物等(*)の彼の語が、現代にも多く息づいています。

(*)三省(さんせい:「論語」學而の「吾日に我が身を三省す」毎日三度反省すること。)

追遠(ついえん:「論語」學而の「慎終追遠 民徳帰厚矣」による語で、遠い過去を追うの意)先祖の徳を追慕して、その供養を怠らないこと。

弘毅(こうき:度量が広くて意志が強いこと、またその様。)

致知格物(ちちかくぶつ:物事の道理や本質を深く追求し理解して、知識や学問を深め得ること。

因みに、古典を学ぶ上に於いて大切なことは「素読」です。素読は天命に通ずる先覚の書を、自分の目と口と耳とそして皮膚を同時に働かせて吸収するのです。これを読書百遍で繰り返し繰り返し続けることによって、自ずから自分の血となり肉となるのです。それが時あって外に滲(にじ)み出ると風韻(ふういん:風流な趣。雅やかな趣き)となり、そういう人格を風格(ふうかく:その人の容姿や態度などに現れる品格)ともいうのです。

 

・・・幼児から始める素読は、しっかり聞き取ってから言葉を発することになるので、集中力が増してきます。古典の素読ですから、聞いたことのない言葉が出てきます。普段聞き慣れていない、言い回しや語句が滑舌も良くしていきます。

 

posted by at 15:18  |  塾長ブログ, 国語力ブログ

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