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11月3日は「明治節」

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す就学前教育(プレスクール)学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

11月3日は文化の日という祝日ですが、本来は「明治節」という明治天皇を偲び、その御生誕日を祝日としたものです。そこで、「歴代天皇の御製集」[公社]国民文化研究会・編著(致知出版社)の明治天皇の御製をご紹介します。

明治天皇(第百二十二代)

第百二十一代・孝明天皇の第二皇子。京都にて御出生。慶応二年(一八六六)十二月、幕末の激動期に孝明天皇が崩御されると十六歳の若さで践詐(せんそ)された。慶応三年十月の大政奉還により、約六百八十年続いた武家政権は終止符を打ち、十二月「王政復古」の大号令により新政府の樹立、慶応四年(明治元年)三月には天皇自ら神々に「五箇条の御誓文」をお誓いになり、国家経営の基本方針を示された。同年にご即位の大礼が京都御所で行われ、明治と改元、七月には江戸は東京と改められ、翌年三月に皇居も東京に遷ることとなった。この間、新政府軍(官軍)と旧幕府勢力との間で壮烈な戊辰(ぼしん)戦争があった。廃藩置県をはじめ新政府による国内統一の政策が進められる中、明治天皇は国内を巡幸され、至る所で君民の交流が実現した。新政府の政策をめぐって各地に旧士族の乱が勃発したが、明治十年の西南戦争を最後に終結。内治外交への努力の中で、大日本帝国憲法の制定、国会の開設、不平等条約の改定などが行われると共に、明治天皇は国民道徳の必要を痛感され、明治二十三年には「教育勅語」を、また明治四十一年には「戊申詔書(ぼしんしょうしょ)」を発されたことは、明治天皇が国民の内面の育成にいかに心を尽くされたかを偲ばせる。‘欧米列強のアジア進出は我が国にとっての最大懸案であったが、朝鮮独立への対応をめぐって明治二十七年には日清戦争開戦。清国軍隊に勝利したにも拘(かかわ)らず、ロシアなどの三国干渉により、条約で得た遼東半島を返還させられた。ロシアの東方進出を阻み国家の独立を守るため、明治三十七年、ついに大国ロシアとの間に日露戦争勃発。わが国の総力を挙げた戦いで、旅順(りょじゅん)攻略戦、日本海海戦などに勝利をおさめ、世界から日本に対する賞賛の声が挙がった。近代日本の命運を担って偉大な指導力を発揮された明治天皇であったが、明治四十五年七月、全国民哀悼のうちに崩御された。明治天皇がそのご生涯を通じて、多忙なご政務の中で常にご自身の御心を見つめられ、お修めになったのが、「敷島(しきしま)の道(和歌)」であった。詠まれた御製の数は実に九万三千首を超え、歴代天皇の中でも随一である。

 

冬泉(ふゆのいずみ 明治十八年―一八八五ー御年三十四歳)

冬ふかき 池のなかにも ほとばしる 水ひどすぢは こほらざりけり

冬も深まって池に氷が張る厳しい寒さの中にも、ほとばしる噴水のひとすじだけは凍らないでいたことよ。

明治維新を迎えて十八年、国内外に多くの懸案が山積する中で、一切の責務を担われた明治天皇の御心を反映するような緊張に満ちた御歌である。厳しい寒さで凍り付いた池の中で、ひとすじの水がほとばしつている。水の勢いをご覧になりながら、困難を乗り越えてゆく力に励まされる思いをされたのであろう。自然を見つめつつも人生と一体化した見事な御作である。

四海兄弟(しかいけいてい 明治三十七年ー一九0四ー御年五十三歳)

よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ

〇よもー四方とは日本をめぐる東西南北をさし、「よもの海」とは世界中との意。

〇などー「どうして」の意。

日本を取り囲む世界の国々も、みな兄弟同胞と思っているこの世であるのに、どうして波風が立ら騒いて、このような戦争に至るのであろうか。

大国ロシアは着々と東方への侵略を進めていたが、我が国は存亡をかけてついに宣戦布告。この御製は、明治三十七年日露戦争の開戦直後の作とされている。我が国をめぐる国々との和平を常に願われていた明治天皇にとっては、ロシア王室との厚誼(こうぎ)もあり、無念の開戦であった。この御製は英訳されて世界中に感銘を呼び、特に米国大統領ルーズベルトの心を動かしてポーツマス講和会議仲介の一助となったと伝えられている。

posted by at 16:57  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

国語力と言葉遣い

長崎市五島町にある難関大学・医学部を目指す就学前教育(プレスクール)学習塾 羅針塾では、これからの日本を支える子供達にしっかりと学ぶ力をつけていって欲しいと考えます。

その基本となるのは正しい言葉の用い方です。言葉の意味、話し手・聞き手の関係なども考慮して、正しく言葉を用いることができるようになるのは、幼児期からの日々の積み重ねが必要です。

さて、裏千家前家元15代 千玄室氏の随筆「一服どうぞ」が産経新聞(2023/9/3 )に掲載されています。筆者も常日頃、正しい言葉遣いができない人達が増えている現状を憂いていますので、是非参考にしてみてください。

https://www.sankei.com/article/20230903-JNU7LGGFSRPG7GAOA3NDLXLHOM/

茶道裏千家前家元15代(wikipediaより)

「やばい」という言葉 裏千家前家元・千玄室

「言葉」というものは生きている。だから時代によって使われ方も変化するし、意味が変わってしまうこともある。その上、今に始まったことではないが、若者から新語が生まれる。それらのほとんどは一時的なもので、大人が認識する頃には既に旬を過ぎ、若者からすれば、所謂(いわゆる)遅れた言葉となっている。その中でも世の中に広まり、誰が使っても違和感がなくなった言葉は辞書に編纂(へんさん)され、後世へと受け継がれていく。

たまに見るテレビ番組で、昨今気になる言葉がある。料理や菓子を食べた出演者が「やばい」と言っているのだ。どうやら、とても美味しいという意味で使っているようだが、本来の意味とはかけ離れてしまっている。彼らは本来の意味がわかっているだろうか。

やばいという言葉の語源は諸説あるが、一説によると、江戸時代までさかのぼる。牢屋の看守を「厄場(やば)」と呼んだことから、悪人仲間で、悪事を働き捕まりそうなことを「やばい」と言っていたものが、いつの頃からか不都合なことや危険なことを表す言葉に変わっていったというのである。

それが、さらに今の若者言葉へと変わっているのだが、私の若い頃は、普通の人がやばいという言葉を使うのも聞いたことがなかった。昔から言葉には言霊が宿るといわれるが、言葉は大切にしてほしいと思う。

・・・若者言葉として1980年代頃から、「やばい」は「格好悪い」の意味合いで用いられるようになったようです。更に、90年台からは、「凄い」「最高」の意味でも使われます。現在では、否定・肯定問わず用いられ、更に、意味もなく発する言葉として「やばい」という例もあります。

欧米の若者とも共通する日本の若者の「語彙」の貧しさの表れでしょう。テレビや映画の会話の場面で、繰り返し用いられる言葉に首を傾げるのは、教養や常識という物差しを当ててみれば当然です。若者であっても、賢明さがあれば、時と場合によって使い分けるはずです。

更に、千玄室氏は述べられます。

万葉集の巻一の二番目に私の好きな舒明(じょめい)天皇の御歌が載っている。

「大和(やまと)には 群(むら)山(やま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は けぶり立ち立つ 海原(うなはら)は かまめ立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は」

大和は今の奈良県がある地域の旧国名で、かつて天皇もいらしたところだから、一見、奈良の歌のようだが、日本の成り立ちを伝える古事記では「蜻蛉島 大和の国」は日本に対する神話的呼称であり、五穀の豊かに稔(みの)る聖なる国を意味する。「うまし国」は「美し国」と字を当てることもあり、「うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」は「美しくすばらしい国だ、日本は」と読めるのである。

蜻蛉島の「蜻蛉」は言うまでもなくトンボのことだが、この虫を昔の日本人は「あきつ」と呼んだ。日本書紀には、神武天皇が今の奈良県の丘陵に上り、国を眺められた時に「狭い国だが、あたかも蜻蛉(あきつ)が交尾している形のように山々が連なり囲んでいる国だ」と言われたことが記されている。それで「蜻蛉島」「秋津洲」(いずれも「あきづしま」と読む)という言葉が生じたとされる。トンボは穀霊の象徴で、五穀豊穣の予兆であると考えられてきたから、「蜻蛉島 大和の国」という言葉からは、人々の豊穣への願いを読み取ることもできる。

日本人であるからには、このような豊かな言葉を正しく使っていってほしいものである。

 

・・・全く同感です。

千 玄室氏は、御歳百歳。ある講演会で、お話を聞き、握手して頂いたのが九十歳前半。変わらぬ若々しい文化教養人です。

 

posted by at 16:12  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

子供の自発を促すには

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、常々親御さんに子供さんの自律・自立を促すにはどのようにしたら良いかを考えていただきたいと考えています。

就学前でも、小学校就学後でも、学問を勉強するには、段階を経ていく必要があります。

普段よく用いている「勉強しなさい」という言葉は、目的語に当たる言葉が欠落しています。「何を」「強」いて「勉」める(努力する)のか。

親御さんが、子供さんを上手に机に向かせるかは本人の学ぶ「好機」を掴まなければなりません。

一つのヒントになる歴史的な話があります。上智大学名誉教授の故渡辺昇一先生著「人生を創る言葉」(致知出版社)からの引用です。

啐啄同時(そったくどうじ)。早すぎてはいけない、遅すぎてもいけない。熟し切った一瞬の気合いが、人間万事を決する。

二三歳のの家康は岡崎城の城主であった。夙に評判が高かったため、甲斐の武田信玄が家康の家臣酒井左衛門尉(じょう)忠勝に書を送って和睦を求めてきた。酒井はこの書を主君家康に取り次いだ。

その手紙の中に「啐啄」という文字があったが、これがどういう意味か誰にもわからない。散々迷った挙句、岡崎城下に逗留している一人の旅の僧侶がいたことを思い出した、これを呼び出した。

この僧侶は江南和尚という名であった。東国を回る途中というので、汚れた麻の衣、すり減らした草鞋、笠を被り、杖をついて現れた。家康の家臣の石川日向守定成が手紙を持ってきて、この和尚に文字の意味を尋ねた。

「どれどれ」

手紙を手にした老師はにっこり笑って、

「ああ、啐啄か。結構、結構。鳥が卵を破るには節(ふし)があるのじゃ。早すぎれば水で駄目、遅すぎれば腐るという意味じゃ。合点が参ろう。」

と答えた。分かったようなわからないような答えだが、石川わそういう答えをもらって家康に報告した。家康はしばし首を捻っていたが、やがて破顔一笑して、こういった。

「そうか、さすがは信玄だ。これを解釈した老師も老師だ、時節気合いの妙味がこの一語の中に含まれておるわい。武将の第一の心掛けはこれじゃ。」

この「啐啄」の「啐」は上に子をつけて「子啐」、「啄」は上に母をつけて「母啄」ともいう。「子啐」とは雛鳥が卵の内側から卵の殻をつつくことであり、「母啄」とは母鳥が外から殻をつつくことである。そして「啐」と「啄」とが内外で相応して気合い野宿した瞬間に殻が破れて新しい生命が生まれる。どちらか一方早すぎてもいけないし、遅すぎてもいけない。啐啄同時とは、うちの雛と、外の親鳥が、殻を一緒に破ることをいっているのである。

家康は『碧眼録』にある提唱を、この言葉を聞いて体得したのであった。そして満面に笑みを湛えながら、、こういうのである。

「啐啄同時じゃ。早すぎてはいけない。遅すぎてもいけない。熟しきった一瞬の気合いが人間万事を決する」

家康の生涯は、啐啄同時の言葉の通り、いつもと軌を一にするかをうまく考えた生涯ではなかっただろうか。家康は生涯の集大成として大阪城を攻めたが、それはまさに啐啄同時の妙を感じさせるものであった。早すぎれば豊臣恩顧の大名が豊臣家に味方する恐れがあった。遅すぎれば自分が歳を取りすぎる。そういうギリギリの時を測って決断を下した。

しかも、豊臣家を初めから潰すとはいわないで、和泉のあたりで六十万石くらいの大名にならないかと、一応勧めている。それは家康としては無茶な提言ではない。というのは、信長の子供を秀吉は岐阜あたりの一城主にしているからである。秀吉が信長の子孫に対してやったのと同じように、家康が秀吉の子供を一大名にするのは筋の通った話であった。しかし、現実にはそれが聞き入れられず、大阪の陣となったのである。

この提案が拒否されることも予測して、家康は頭の中で、いつつつくかということを絶えず考え、その機会を狙っていた感がある。そして「今なら行ける」というときに仕掛けたのである。

この言葉は、仕事の場でしょっちゅう使う機会があるだろう。とりわけ交渉事においては、早すぎず遅すぎずという絶妙なタイミングが問われるはずである。

 

・・・上記の家康の例は歴史に残る事例ですが、同様に子供の成長を促すことにも応用できます。

自発的に学び出すには、「学び」の時機をみて、子供に促すことは必要です。

待てど暮らせど、自発的に学び出さないということはありません。親御さんの立場では、「その機」を普段から観察していて、ここぞというときに声を掛ける。それに応じて適切に子供さんも動き出す。

・・・啐啄同時は、さまざまな場面で生きる名言です。

posted by at 16:05  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

祭日とは? 子供に伝えるべきこと

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、言葉、語彙の意味合い(定義)をしっかり学ばせたいと考えています。つまり、「〜とは」と問われた場合に、自分の言葉で説明できるか、出来なければ、辞書を引いて「字義」を確かめるよう指導しています。

さて、毎年11月23日は、現在の呼び方では「勤労感謝の日」と呼ばれる祝日です。しかし、勤労感謝とは、誰が、何を、何に、感謝するのか。筆者も子供心に疑問を感じていました。

「国民の祝日」とは、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)により、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために定められた「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」です。

これについて、謂れを踏まえた論が掲載されていました。引用してご紹介します。

「日本文明に基づいた祝日の名に」文芸批評家・新保祐司(産経新聞令和4年11月23日号)

「新嘗祭」が名を変え
今日は、「勤労感謝の日」である。祝日法には、その趣旨として「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」とある。明治初年に「新嘗(にいなめ)祭」と定められたものが、敗戦後に名を変えたのである。

福田恆存は、昭和29年に「『勤労感謝の日』といふことばからは、なにか工場労働者の顔が浮んでくる。下手すると戦争中の勤労動員を憶ひだします。官僚的、乃至(ないし)は階級闘争的です。率直にいつて、百姓仕事や商業と勤労といふことばとは、ぜんぜん結びつきません」と語った。それに対して、稲などの五穀の収穫を祝う「新嘗祭」は、日本文明の根底としての農耕生活に基づいている。日本文明の保持が重要な課題となっている今日、この祝日の名の変更は、改めて考えてみるべきだと思う。

その年の収穫を祝う行事は、世界中で広く見られる。日本の「新嘗祭」も同じような趣旨であり、そのままでよかったのであるが、占領下ではそうはいかなかった。

福田は、「戦後は、皇室中心主義も神道もいけないといふことになつた。農耕生活も非合理でばかばかしいといふことになつた。そこで過去の祭日は、全部否定してしまつて」、「勤労感謝の日」などのような「奇妙な祭日をでつちあげたわけです」と語っている。アメリカでは11月の第4木曜日がその年の収穫を感謝する「Thanksgiving Day(感謝祭)」であり、「感謝」という言葉は、この「Thanksgiving」からきたに違いない。

正月の四方拝、春季及び秋季皇霊祭、神嘗祭、新嘗祭などの「過去の祭日」については「いづれも皇室の行事に、あるいは祖先をまつる神道に関係がありました。しかし、もつと深く考へれば、(略)それらは日本の農耕生活にもとづいてゐたのであります。むしろ皇室のほうが、それに拠(よ)つたのです」と、それらが日本文明の根底から生まれたものであることに注意を促している。

「奇妙な祭日」と感じるわけ

「勤労感謝の日」を「奇妙な祭日」と感じさせるのは、趣旨にある「国民たがいに感謝しあう」という文言にもある。「新嘗祭」は天神地祇(てんしんちぎ)に感謝し、アメリカの「Thanksgiving Day」は本来、神に感謝する。しかし、日本では「戦後民主主義」の通念の中で、感謝する対象が失われた。そこで、国民が「たがいに感謝しあう」こととなった。水平的な感謝である。このような感謝は、垂直性がないために空疎なものになりがちだ。

「勤労」ならば11月ではなく、企業の決算が多い3月末とか夏や冬の賞与が支給される頃がよいのではないか。他の祝日に比べて、「勤労感謝の日」に、その趣旨に関連した行事が少ないのは、これらの不自然さから生じていると思われる。「新嘗祭」という祝日名ならば、日本の伝統行事を広く社会に伝承することができる。

すでに70年余りこの名でやってきたのだから、拘(こだわ)らなくてもいいのではないかと考える向きもあるだろうが、名は正しくなければならないのである。

『論語』に、「子路曰(いわ)く、衛君、子を待ちて政を為さしむれば、子将(まさ)に奚(なに)をか先にせん。子曰く、必ずや名を正さんか。
子路曰く、是(これ)あるかな、子の迂なるや。奚(なん)ぞそれ正さん。子曰く、野なるかな由や」という問答がある。訳すると、次のようになる。弟子の子路が、孔子に衛の国で政治を任されたら、何から手をつけますかと尋ねたところ、孔子は何よりも名を正しくしたいと答えた。それを聞いて、子路は、これだから困りますね先生は、現実離れしていますよと言った。すると、孔子は、愛弟子の子路を、事の本質が分かっていないなあと言って、たしなめた。

名と実が合っていること

名が正しいとは、名と実が合っていることであり、それが、国家の根本なのである。例えば、大東亜戦争が太平洋戦争、敗戦が終戦という名で言われていることが、日本という国家と日本人の歴史観の根底を崩れたものにしてしまっていることを思えばよい。「新嘗祭」が、「勤労感謝の日」という実と合わない名になっていることを問題にするのを「迂なるや」と捉え、経済対策や軍事費の問題などが喫緊の課題だというのは、「野なるかな」なのである。

名と実が合っているという点では、「紀元節」が「建国記念の日」になっているのは許容範囲かもしれない。しかし、「新嘗祭」が「勤労感謝の日」になっているのは、「明治節」が「文化の日」になっているのと同じく、名が正しくないということなのである。

日本の産業構造は変わり、農耕生活の様相も変貌した。しかし、今でも稲穂の実る風景を眺めるとき、「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいおあき)の瑞穂(みずほ)の国」の思いがこみ上げてくる。祝日は、日本文明に基づく名であることが必要なのだ。それによって、将来の日本人によっても心から祝われるものとなり、日本のアイデンティティーが確固たるものとなるからである。

・・・新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)は、「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくことを意味し、収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄をお祈りします。現在、このお祭りは毎年11月23日に宮中を始め、日本全国の神社で行われていますが、特に宮中では天皇陛下が自らお育てになった新穀を奉るとともに、御親(おんみずか)らもその新穀をお召し上がりになります。収穫感謝のお祭りが11月下旬に行われるのは全国各地での収穫が終了する時期に、御親祭(ごしんさい)を行われたためと考えられています。(神宮H.P
 https://www.isejingu.or.jp/ritual/annual/kinen.html)

天皇陛下が新穀を天神地祇に供え、その恩恵を謝し、自らも食する祭の意義を、日本の敗戦によって、米国の占領政策の一環として「勤労感謝」の日に変えさせられたことは、本来の日本の伝統文化を毀損するものだと考えます。

日本の祝祭日を本来の意義あるものに戻すことから、私達は日本の伝統・歴史・文化を学ぶことができるようになります。

posted by at 18:03  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

国語力の二極化

長崎市五島町の 就学前教育・学習塾の羅針塾では、子供さん達が母国語である日本語の力をしっかり身につければ、様々な知識を吸収し世界で活躍できる人になると考えます、と先のブログで述べました。

ところが、

つむぎNEWS(都麦出版)というメルマガに『ルポ 誰が国語力を殺すのか』石井光太著〈文芸春秋〉が紹介されています。

メルマガには、

ごく普通の公立中学校の教室では,次のような会話は日常的に行われているとのことです。

男子A「あのゲーム,くそヤバかったっしょ」
男子B「ああ,エグかった」
男子C「ってか,おまえ台パン(ゲーム機の台を興奮して叩くこと)しすぎ」
男子A「あれ,まじヤバかったよね。店員ガン見だから」
男子B「くそウザ」
男子C「つーか,おまえがウザ」
男子B「は,死ねよ」
男子C「おまえが死ね」

この会話を知ると,最近の子どもたちの語彙数が極端に減っているのではないかと危惧されます。そして,安易に「ウザ」とか「死ね」とか,相手を傷つける言葉が使われるため,人間関係において誤解が生まれ,トラブルに発展するケースも多いのではないかと懸念されます。最近,このような言葉使いをする子どもが増えているのでしょうか。もし,この子どもたちが相手を思いやる気持ちや,豊かな語彙数をもっているグループなら,まったく同じ会話をしたとしても,次のような言葉で語ることでしょう。

男子D「あのゲーム,すごく展開が早くて,やっていてのめり込んじゃったね」
男子E「うん。僕は映像がすごくかっこいいと思った」
男子F「E君,夢中になって興奮して台を叩いていなかった?」
男子D「店員さん見てたよね」
男子E「お店の人や,周りの人に悪いことしたなぁ」
男子F「これから気をつけた方がいいよね」

このような会話なら,感情や事象を的確な言葉に置き換え,物事を正確に把握しているので,無意味な誤解から衝突が生まれるようなことにはならないでしょう。

・・・大人の前では、現代風な言葉遣いをしないのが従来の子供達でしたが、最近の子供達は、それすらもできないようになったのでしょうか。

子供の世界では、所謂「仲間内の言葉」で会話するのが常です。

しかし、TPO(Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)。Opportunityと使われることもある)の頭文字をとって、「時と場所、場合に応じた方法・態度・服装等の使い分け」を意味する和製英語。)に応じた会話ができて当たり前だった時代は遠くなった感があります。

 

『ルポ 誰が国語力を殺すのか』石井光太著〈文芸春秋〉に紹介されているとある小学校の校長先生(30年以上の教員経験がある国語専門の先生)が語る言葉をご紹介します。

「大学の研究者や文科省の上の人たちは、今の子供達の活字離れだとか、読解力低下の問題ばかりを重視しています。私もそれが全くないとは思いません。でも、教育現場にいて感じるのは、国語の文章が読めるかどうかは一つの事象でしかなく、他の教科や日常においても、先に話したのと同じ現象(※)が見られることの方が危ういということです。

(※)常識に照らし合わせれば明らかにおかしいとわかるはずのことを、単なる読み違いではない解釈をしてしまう現象

社会で戦争のことを学んでも、そこで生きる人たちの生活の苦しみを想像できない。理科で生態系を勉強しても、命の尊さに結びつけて考えられない。生活指導でクラスメイトに『死ね』と言ってはいけないと話しても、『なぜ?』と理解できないといったことです。

読解力というのはテクニックのような面もあります。方法を教えて練習を積み重ねれば読めるようになります。でも、子供達はテクニックをつける前段階のところで、重大な力を失っているように思えてならないのです。それが彼らにさまざまな問題を引き起こしてしまっている、あまり指摘する人がいませんが、私としてはとても深刻な事態ではないかと危ぶんでいます。」

 

そして『ルポ 誰が国語力を殺すのか』の著者石井光太氏は、以下のように続けます。

今の子供達は、昔とは比較にならないくらい大量の情報に取り囲まれ、常にそれを取捨選択する必要性に迫られている。その点では、彼らは溢れんばかりの情報を次から次に整理したり、処理したりする力はあるのかもしれない。

だが、そうした力と、一つの物事の前に立ってじっくりと向き合い、そこから何かを感じ取ったり背景を想像したりして、自分の思考を磨き上げていく力は全く別のものだ。校長が今の子供達の多くに欠けているのではないかと危惧しているのはこちらの能力なのだ。

 

・・・2022年度の文科省が教育改革の一つとして行った新学習指導要領における国語の内容の変更があります。高校国語の必修だった「国語総合」を「言語文化」と「現代の国語」に分けました。

「言語文化」はこれまで通りの小説や詩といった文学作品を扱い、「現代の国語」は契約書の読解やデータの読み取りなど実用的な文章を通して実社会に必要な能力の育成を目指しています。

ところが、この改革には、漢字や古文を学ばなければならない日本の国語教育と、アルファベットだけで成り立つ欧米の国語教育とは根本的に異なるもである、という疑問が投げかけられています。

筆者は、表意と表音を表す漢字、平仮名・片仮名などを用いて表現する日本語は、世界でも独自の発達をしてきている文化と考えます。所謂「国際化」という漠然とした概念に基づき、英語文化圏に優位性を持たせるような教育の傾向には、大きな疑問を感じます。

むしろ、日本の古典として、古文・漢文の素養を身につけていくことが、現代文の水準を上げていくことになると考えます。

そして、日本語の力を上げ、日本人らしい感性を高めていくことが、日本人の独自性(identity)を示して、他の言語圏の人とも正しい人的交流ができるのではないか、と思います。

posted by at 15:21  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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