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なぜ学ぶのか

長崎市五島町の就学前幼児教室(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、塾生のご家庭の支えがあってこそ学力が向上していくと常々考えています。

偶々、メルマガから見つけた記事から、櫻井よしこ氏の「偉人・松蔭を育てた家庭と父」週刊新潮』 2021年12月30日・2022年1月6日合併号日本ルネッサンス 第981回https://yoshiko-sakurai.jp/2022/01/06/9298に辿り着きました。引用して、ご紹介します。

過日山口県を訪れた際、地元の志篤い人から『吉田松陰の思想と生涯』という本を戴いた。松陰研究者で知られる、今は亡き玖村敏雄氏が山口銀行で行った6回の講演を、同行が行員職員の学びの目的で上梓した。心に沁み入る一冊だった。

周知のように、松陰が松下村塾で教えたのはわずか2年と3か月間だった。この間に身分の差を超えて約60名が集った。松陰の下で学んだ士分出身の主な人物には高杉晋作、久坂玄瑞、萩の乱で首を切られた前原一誠、司法卿(大臣)になった山田顕義、中谷正亮などがいる。

(中略)

玖村氏は、松下村塾の最初の塾生の3人が医者、足軽、魚屋の子で、士分ではなく皆平民であったことの意味を説く。当時の日本、毛利藩の実情を見れば特筆すべきことなのだ。江戸時代の日本には士農工商の身分制度があり、士の子弟は藩校で学び、平民の子は寺子屋で学んだ。毛利藩にも藩校として萩に明倫館があった。

しかし、松陰は身分の上下など気にせず、全ての人を一人の人間として見た。ここで想い出すのが明治新政府誕生と同時に発布された五箇条の御誓文である。「広く会議を興し、万機公論に決すべし。上下心を一にして、盛に経綸を行ふべし。」

まさに維新を貫いた思想がここにある。約190年前に生まれた松陰は明治維新の10年前に処刑されたが、彼は時代を先取りして見事に実践していたのだ。

・・・国史(日本の歴史)好きな人なら勿論ご存知の吉田松陰。しかし、中・高校の歴史教科書では殆ど紹介程度の扱いです。素晴らしい教育者でもあった吉田松陰の為人(ひととなり:生まれついての性質、天性、本性)には、父・母の存在が何よりも大きい。

なぜ学ぶのか

松下村塾で学んだ約60名の中から歴史に名を残した人々が二十数名もいる。松陰の住んでいた村に特別に才能ある人々が集中して生まれていたということか。そうではないだろう。玖村氏は日本のどの村にも人材はいて、よき師に巡り合うことによって人材はその持てる天分を磨き、一廉(ひとかど)の人物になれるのだと言っている。つまり、松陰はよき師であったということだ。では、なぜ松陰は人を育てることができたのか。それは一にも二にも松陰の育った家庭にあったと玖村氏は書いている。

松陰は幕府がアメリカと和親条約を結んだときペリーの艦でアメリカに密航し学びたいと念じた。下田港近くで機を窺い、小舟で漕ぎ出しついにペリーの艦によじ上ったが願いは受け入れられなかった。松陰は密航を企て国禁を犯したとして自ら名乗り出た。結果として国許に送られ父杉百合之助に引き渡された。安政元(1854)年10月、松陰数え年で25歳の時のことである。ちなみに父百合之助は「百人中間頭兼盗賊改方」、つまり萩の警察署長だった。

事情を端折(はしょ)って言えば松陰は野山獄に入れられる。そこには士族11人がすでに入っていた。獄中で松陰は本を読んだ。「感激すると涙をふるって読む、腹が立つときにはまなじりをあげ激越な調子で読む、嬉しいときは声をはずませ膝を打って読」んだ。警察署長の坊ちゃんが獄にあって少しもめげず、読書に没頭し楽しんでいる。11人も感化され獄中座談会が始まった。

皆が問うた。獄外に出ることも望めないのに、なぜ学ぶのか、と。松陰は答えた。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」というではないか、と。人間としての道がわかればそれでよいではないか、と。一日この世にいるのなら、一日いた甲斐のあることをしたらよい。たとえここから一生出られないとしても、人間の道に背いて死ぬか、人間の人間たる道を踏んで死ぬか、覚悟次第でどちらにもなれる、と。

その内に野山獄の司獄、つまり刑務所長も松陰の人柄に打たれて、夜は灯をつけてはいけないとされていた規則を改め、夜も灯をともし、筆も墨も紙も自由に使わせた。そして或る日、彼もまた松陰の弟子になりたいと申し入れた。

獄中生活をこのように明るく積極的に変えることができたのには松陰の人柄がある。どんな時にも自分本来の性格を貫き、周囲の詰まらない状況でへこまされたりはしない自立性がある。立派である。しかし、松陰のそのような在り方を支えた力を見逃してはならない。松陰を支えたのは家庭の力、家風であると玖村氏は説いている。

 

野山獄で、長年在獄していた人を感化していき、人としての道を説く話は、何度読んでも感動します。

獄外に出ることも望めないのに、なぜ学ぶのか」との答えは、吉田松陰の真摯な生き様をそのまま投影したかの様な答えです。だからこそ、後世の私達も感動し、我が身の学びの浅さに内心忸怩(じくじ:自分の行いについて、心の中で恥いること)たる思いとなります。

うらやましいほどの家庭

松陰の父は前述したように警察署長だ。それがその息子は国禁を犯してアメリカ密航を企てた。罰せられて帰り、野山獄に入れられた。普通なら怒ったりするだろうが、父も母も兄も妹も叔父も、誰も怒ってなどいない。皆が皆、松陰のよき理解者として彼を支え続けている。

たとえば「野山獄読書記」を見ると、ひと月に松陰が読んだ量は大体40冊前後、1年間で約500冊だ。読書記では、松陰が野山獄に入った安政元(1854)年10月24日から年末までに106冊、安政2年に480冊、同3年505冊、同4年9月までに346冊となっている。

これを兄梅太郎は近郷近在の蔵書家を訪ね歩いて手に入れるのである。或いは江戸に注文して写本を作ってもらうのである。梅太郎は明治の終わり頃まで存命だったそうで、松陰の望む本を入手し次々に供給するのがひと苦労だったと語っている。

それだけではない。松陰が野山獄から杉家に戻されたとき、父、兄、叔父の3人が松陰の弟子となった。松陰は獄で11人を前に時事、政治、人生、教育などを講義していたが、その延長を自宅で始めたのだ。こうして名著『講孟余話』が生れた。

孟子の講義のほかに、父も兄も日を決めて経済要録、新論、日本外史などを一緒に読んだ。松陰は家から一歩も出られない身であり、退屈だろう。何とか皆でいたわってやりたいという愛情である。母も妹も親族の女性達も「婦人会」を創って松陰を中心に読書会をした。

松陰の家庭は本当にうらやましいほどの家庭だ。これは父の力だと、玖村氏は書いている。人物を育てるのは家庭なのである。人間を身分や富で判断するのではなく、その人の人間としての特性に素直に着目することのできる松陰の人間性を育んだのが、愛情ある家庭だった。家庭、家風の大切さを松陰の短い30年の人生から学んだ一冊だった。

 

・・・吉田松陰を、彼たらしめたのは家庭に有り、と松陰研究者で知られる、今は亡き玖村敏雄氏が喝破(かっぱ:正しい説を確信を持って言い切ること)しています。

いつの時代も変わらないのが、親子の情です。

但し、躾や教育は、幼少期に厳しく身に付けさせる必要があります。吉田松陰も、幼少期から学ぶ際の心得や挙措動作など、厳しく躾けられている逸話が残されています。

「褒めて育てる」論が現在大流行りですが、日本人の長い歴史を振り返ると、天変地異や争乱などを乗り越えてきた先人達は、生き抜く術を幼少期からしっかり伝えてきている筈です。そうでなければ、現在の私達は存在し得ません。これからの日本を支えていく子供達には、深い愛情を持って厳しく躾や教育を身に付けさせ、世界のどこにいても流石日本人と言われる様にすべきではないでしょうか。

因みに、吉田松陰の母(杉瀧子)については、ご参照ください。→https://rashinjyuku.com/wp/post-137/

 

posted by at 12:26  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

「語彙力の強化」

長崎市の就学前幼児教室(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、これからの日本を背負っていく子供さん達の「力」を如何に伸ばしていくか、は各界の大人達の指導如何に掛かっていると考えます。

子供さんを指導すべき大人が常に心掛けるべきことは、言葉の用い方、聞き取りやすい発語、言葉のやり取り(キャッチ・ボール)、笑顔です。

さて、

「日本語の語彙力を強化する方法をご紹介します。」との文言から始まる文章をご紹介します。これは、筆者が大学入試シリーズの大学別過去問集を紐解いていたときに出会った大学入試問題(国語)(2021年度)の文章です。出典は、石黒圭著『段落論ー日本語の「わかりやすさ」の決めて』<第5章 フォルダとしての段落>(光文社新書)です。

今日は、日本語の語彙力を強化する方法をご紹介します。学校教育では、どの教科を学ぶにしても、そのもとになるのは国語力だと言われます。企業でも、新入社員に求める能力の第一位は、十年以上コミュニケーション能力で変わりません。国語力やコミュニケーション能力の基礎となるのは、言葉の力、すなわち語彙力で有り、語彙力がその人の理解力や表現力、さらには思考力を支えています。それでは、どうすれば語彙力が身につけられるのでしょうか。

言葉をたくさん知っている人が語彙力のある人だという考え方があります。それは半分正しくて、半分誤りです。たしかに、ボキャブラリーが貧困なのに語彙力のある人はいないでしょう。しかし、言葉をたくさん知っていたとしても、それを頭の中からうまく引き出す力がないと、語彙力がある人とは言えません。つまり、語彙の知識が豊富にあるだけでは不十分で、それを実際に使いこなす力、運用力がないと、語彙力がある人だとは言えないのです。

ここで、語彙力とは何か、定義しておきましょう。語彙力は、「語彙の知識」❎「語彙の運用」で決まります。つまり、語彙力には、言葉をたくさん知っているという量の側面と、それをうまく使いこなせるという質の側面があるわけです。

・・・から始まり、大学入試問題(国語)(2021年度)の文章は、新書版の6ページにもわたる長文問題です。

大学入学共通テストは、膨大な文章を速読して、選択肢問題を解く、といったスタイルですが、果たしてこれが受験生の本当の力を判断出来るのだろうか、と筆者はつくづく思います。少なくとも選択肢問題は、必ず一つ正解があり、消去法で疑わしい選択肢を消していけば、残った選択肢が正解です、という問題ですから、問題の意味をしっかり理解できていなくとも、答えられるということです。

つまり、語彙力が不足していても解答できる問題は、大学入試に相応しくないと誰かが苦言を呈しなければいけない、と思いますが。

 

 

 

posted by at 15:32  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

学問のすすめ 初編 4

長崎市の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、国語力をつけることがレベルの高い学びの基本だと考えます。

「読み・書き・算盤」と昔の人が言い慣わした通りである、と最近の学力の格差をみるにつけ痛感します。母語である日本語の語彙が豊かでないと、英語ですら習得することに困難を覚える子供達が増えているという現実があるからです。

さて、「学問のすすめ」初編の続きです。

昨今の有様を見るに、農工商の三民はその身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並ぶるの勢いに至り、今日にても三民のうちに人物あれば政府の上に採用せらるべき道すでに開けたることなれば、よくその身分を顧み、わが身分を重きものと思い、卑劣の所行あるべからず。およそ世の中に無知文盲の民ほど憐れむべくまた悪むべきものはあらず。智恵なきの極みは恥を知らざるに至り、己が無知をもって貧窮に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずしてみだりに傍の富める人を怨み、はなはだしきは徒党を結び強訴・一揆などとて乱暴の及ぶことあり。恥を知らざるとや言わん、法を恐れずとや言わん。天下の法度を頼みてその身の安全を保ち、その家の渡世をいたしながら、その頼むところのみを頼みて、己が私欲のためにはまたこれを破る、前後不都合の次第ならずや。あるいはたまたま身本慥かにして相応の身代ある者も、金銭を貯うることを知りて子孫を教うることを知らず。教えざる子孫なればその愚なるもまた怪しむに足らず。ついには遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少なからず。

昨今(近頃)の有様(状態、様子)をみると、農工商の三民(士農工商の内の三身分)は、徳川の御世(みよ)と比べ百倍ほどの地位に達し、士族と肩を並べるほどの勢いに達し、今日でも農工商の三民の身分でも、(有用の)人物であれば政府の役人として採用されるべき方途(ほうと:手段、方法)は開けているので、その身分を顧みて(その属する地位や役割を気遣って)自らの身分(地位・役目)を重要なものと考えて、卑劣(品性や行動が卑しくて下劣)な所行(なすこと、仕業)があってはならない。

およそ世の中で、無知文盲(知識学問のないこと、字の読めないこと)の民ほど憐れむべきで、また悪む(不快に思う、許し難いと思う)べきものはない。知恵のないことの究極は、恥を知らないところに至り、自分の無知によって貧窮(貧しくて、困ること)に落ち入り、飢寒(飢えと寒さ)に近づいてしまうときは、我が身を罪せず(自分の罪を問わないで)して、みだりに(勝手気ままに)傍ら(かたわら:すぐ近くの、そばの)の富める人を怨み、はなはだしき(程度が普通より超えているとき)は、徒党を結び(不穏なことを行おうと集まった仲間と組み)強訴(掟に反して自己の要求をすること)・一揆(徒党を組んだ武装蜂起)などの乱暴に及ぶことがある。恥を知らないとも言うべき、法を恐れないとも言うべきである。天下の(国の、世の中の)法度(はっと:掟、法律)に依存して、その身の安全を保ちながら、その家族の渡世(社会の中で生きていくこと)をしていきながら、依存するところは依存し、己の私欲のためには、天下の法度を破る。前後不都合の次第(先も後も自分の都合の良し悪し次第)ではないか。あるいは、たまたま身元(生まれや境遇、経歴)が慥か(たしか:事情や経緯がはっきりして、信用のおけるさま)でそれ相応の身代(しんだい:財産)がある者も、金銭を貯えることは知っていても、子孫を教えることを知らない。教えを受けていない子孫であれば、その愚かであることも怪しむ(不思議に思う、変だと思う)ことはない。ついには(最後には)、遊惰(ゆうだ:仕事もせずにぶらぶらと遊んでいること)放蕩(ほうとう:ほしいままに振る舞うこと)に流れ、先祖代々の家屋敷・財産も一朝の煙(僅かな時の煙)となしてしまう者が少なくない。

かかる愚民を支配するにはとても道理をもってさとすべき方便なければ、ただ威をもっておどすのみ。西洋のことわざに「愚民の上にからき政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招くわざわいなり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。仮りに人民の徳義今日よりも衰えてなお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風におもむくことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法のからきとゆるやかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政をにくむ者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。今の世に生まれ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配あるにあらず。ただその大切なる目当ては、この人情に基づきてまず一身の行ないを正し、厚く学に志し、ひろく事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はそのまつりごとを施すにやすく、諸民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得てともに全国の太平を護らんとするの一事のみ。今余輩の勧むる学問ももっぱらこの一事をもって趣旨とせり。

この様な愚民(愚かな人民)を支配するには、とても道理(人の行うべき正しい道)をもって諭す(事の道理を理解できる様に言い聞かせる)方便(手段、手立て)が無ければ、ただ威(い:人を恐れ従わせる力)をもって畏す(畏れさせて従わせる)のみである。西洋の諺に、「愚民の上に苛き政府あり(愚かな人民を統治するには、苛酷な政治を行う政府がある)」とはこのことである。これは政府が苛酷(思いやりがなく、厳しいこと)なのではなく、愚民が自ら招く災いである。愚民の上に苛酷な政府あれば、良民の上には良い政府があるという理屈になる。故に、今の我が日本国においても、この人民ありてこの政治があることになる。仮に、人民の徳義(人間として踏み行うべき道徳上の義務)が今日よりも衰えてなお、無学文盲(学問知識がなく、字が読めないこと)に沈むことがあれば、政府の法も今まで以上に厳重になるであろうし、もし人民が皆学問に志して、物事の理屈を知って、文明の風(経済状態・文明技術水準が高度化した社会の態度)に赴く(おもむく:向かう)ことがあれば、政府の法も一層寛仁(かんじん:心が広く、思いやりのあること)大度(たいど:度量の大きいこと)の状況になるべきである。法の苛酷であるか寛大であるかは、人民の徳があるか、不徳であるかによって、自ずから加減があるだけである。

人は誰も苛酷な政治を好み、良好な政治を悪む(反対する)者があろうか、誰が自分の国の富強(富んでいて強いこと)を祈らない者があろうか、誰が外国からの侮り(軽蔑)に甘んずる者があろうか、これは人である以上誰しもが持つ情である。この世に生まれ報国(国恩に報いるために尽くすこと)の心がある者は、必ずしも自分の身を苦しめ、心を苦しめ、焦慮(焦って苛立つこと)するほどの心配はいらない。

ただ最も大事なことは、国を思う心に基づいて、まず自分自身の行いを正しくし、強い気持ちで学問を志し、博く(大きく遠くまで見通し)物事を知り、それぞれの身分に応じた智識を備え、政府はその政(政治)を行うに分かり易(やす)く、諸民(国民)は政府の支配を受けて苦しみのない様、互いに(国民も政府も)その役割を果たし、ともに国全体の太平(世の中が平穏で良く治まること)を護ろうとすることが一番大事である。

今、余輩(私)が勧める学問も専ら(もっぱら:主に)この一事をもってその趣旨(言おうとする肝心なこと)とする。

 

・・・以上が、「学問のすすめ」17篇のうちの初編です。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」との文言は人口に膾炙(かいしゃ:人の口の端にのること)していますが、その全体を読み通す人は現在では少ないのではないでしょうか。

初編だけでも四回に分けて、簡単な現代語訳をつけてみましたが、改めて福沢諭吉先生の名調子を味わうことができます。

人は長ずるに従って、学問をすることの意味合いを肝に銘じていくことが、長い人生で学び続ける力の源になるのではないでしょうか。

 

posted by at 18:31  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

英語の文法を学んでいきます

長崎市の就学前教育(プレスクール)・学習塾 羅針塾では冬期講習後半より次学年の予習課程に入っていきます。予習ですから、自分自身でテキストを読んで考え、解き進める。理解できない時は先生が理解するヒントを与えていきます。

国語・算数のみならず、新小学校5年生は英語を本格的に導入していきます。小学校5・6年生の間にしっかりと中学校課程1年〜3年の文法を学びます。羅針塾ではこれが必須です。

小学校から英語が導入されていますが、主語・動詞・目的語・補語などの文の仕組みや日本語の文との比較や違い、時制(現在形、過去形、未来形など)、平叙文、否定文、疑問文などの文法は、学校では教える仕組みにはなっていません。それでも文章を読み書きしなさい、という英語学習です。

しかし、高校受験、高校から大学受験の学びは書くことが主体となっています。長崎の県立高校の英語の問題も文法を理解していることが前提です。英語の長文を読解し、それを踏まえて自分の考えを英作文にする、という出題方法に変化しています。

英語が難化するのであれば、しっかりと対応しなくてはと考える羅針塾の先生達。母語である国語力をしっかり磨き上げていますから5年生からの英語は苦にはなりません。

英語でトップの成績をとる。
これからの大学受験、就職を左右するものだと考えています。

「ハキハキ!元気!賢い子」

羅針塾では幼児期から国語力をしっかりと磨いて語彙力をつけます。小学生の中には高校〜大学生程度の語彙力のある塾生もいます。
母語である日本語を読む力、理解する力があるからこそ、英語という言語を理解できるのだと考えています。

自分自身の未来の姿の為にしっかりと学んでいきます。

学問のすすめ 初編 3

長崎市の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、国語力をつける為に学ぶ内容は、年齢・学年を問わず、力がある場合にはどんどんレベルを上げていきます。

小学校で学ぶ漢字数は、第一学年80字、第二学年160字、第三学年200字、第四学年202字、第五学年193字、第六学年191字の合計1,026字。

中学校で学ぶ漢字数は、1,110字。

小学校、中学校の義務教育機関に学ぶ漢字数の合計2,136字。

正直なところ、この漢字数では本来あるべき国語力は身に付きようもありません。世界に伍して活躍できる日本人を育てるには、母語である日本語の力をつけることが大前提です。

明治初期の日本人は「学問のすすめ」の内容をすんなり理解できる人々が競って読んだのです。

さて、「学問のすすめ」初編の続きです。

しかるを支那人などのごとく、わが国よりほかに国なきごとく、外国の人を見ればひとくちに夷狄いてき夷狄と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれをいやしめこれをきらい、自国の力をも計らずしてみだりに外国人を追い払わんとし、かえってその夷狄にくるしめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば天然の自由を達せずしてわがまま放蕩に陥る者と言うべし。王制一度ひとたび新たなりしより以来、わが日本の政風大いに改まり、外は万国の公法をもって外国に交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、すでに平民へ苗字みょうじ・乗馬を許せしがごときは開闢かいびゃく以来の一美事びじ、士農工商四民の位を一様にするのもといここに定まりたりと言うべきなり。

されば今より後は日本国中の人民に、生まれながらその身につきたる位などと申すはまずなき姿にて、ただその人の才徳とその居処きょしょとによりて位もあるものなり。たとえば政府の官吏を粗略にせざるは当然のことなれども、こはその人の身の貴きにあらず、その人の才徳をもってその役儀を勤め、国民のために貴き国法を取り扱うがゆえにこれを貴ぶのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。旧幕府の時代、東海道にお茶壺の通行せしは、みな人の知るところなり。そのほか御用のたかは人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路を避くる等、すべて御用の二字を付くれば、石にてもかわらにても恐ろしく貴きもののように見え、世の中の人も数千百年のいにしえよりこれを嫌いながらまた自然にその仕来しきたりに慣れ、上下互いに見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟これらはみな法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、ただいたずらに政府の威光を張り人をおどして人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威というものなり。今日に至りてはもはや全日本国内にかかる浅ましき制度、風俗は絶えてなきはずなれば、人々安心いたし、かりそめにも政府に対して不平をいだくことあらば、これを包みかくして暗にかみうらむることなく、その路を求め、その筋により静かにこれを訴えて遠慮なく議論すべし。天理人情にさえ叶うことならば、一命をもなげうちて争うべきなり。これすなわち一国人民たる者の分限と申すものなり。

・・・ところが、支那人(chinese)は、と当時の清の中華思想(漢民族が自己の中華思想文化・国土を理想的なものとして自国をいった美称。それに対して、周辺異民族を東夷・西戎・南蛮・北狄などと蔑称した考え方)を批判し、国としての分限(身の程、分際)を知らない、とする。

それに比べ、我が国は王政復古をして以来、政治体制を大きく改めて、国際法に則って外交し、内政では人民に自由独立の意味合いを示し、士農工商の位を一様に平等とする基礎を固めたと言える、と。

ところで、今後は日本国中の人民は、生まれながらの身分の差は無くなり、人の才徳(才智と徳行)と居処(地位、立場)によって、位もあるのである。政府の官僚も、その人の身分が尊いのではなく、その人の才徳でその役目を務め、国民の為に貴い国法を取り扱うからこそ、その人を貴ぶのである。人が貴いのではなく、国法が貴いのである、と。旧幕府の時代、お茶壺、御用の鷹、御用の馬など、「御用」の2字をつければ、貴いものの様に見えていた。数千百年の昔から、仕来りに慣れ、政府の威光(自然に人を服従させる様な威厳)で人民を脅して、自由を妨げる卑怯なやり方で、実体のない虚威(底の見え透いた脅し)である。

今日では、旧弊(古いしきたりからくる弊害)はないはずであるから、どんなことがあっても、政府に不平があれば、筋道に従って、訴えて遠慮なく議論すべきである。天の理(公明正大な理屈)と人情に叶う事ならば、命懸けで争うべきである。これが一国民である者の分限(身の程、分際)というものである。

前条に言えるとおり、人の一身も一国も、天の道理に基づきて不覊ふき自由なるものなれば、もしこの一国の自由を妨げんとする者あらば世界万国を敵とするも恐るるに足らず、この一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏もはばかるに足らず。ましてこのごろは四民同等の基本も立ちしことなれば、いずれも安心いたし、ただ天理に従いて存分に事をなすべしとは申しながら、およそ人たる者はそれぞれの身分あれば、またその身分に従い相応の才徳なかるべからず。身に才徳を備えんとするには物事の理を知らざるべからず。物事の理を知らんとするには字を学ばざるべからず。これすなわち学問の急務なるわけなり。

・・・前条(前のくだり)に言う通り、人も国も天の道理(そうあるべき筋道)に基づいて、不羈(ふき:自由奔放で束縛できないこと)自由なものであるから、もし一つの国の自由を妨げようとする者があれば、世界万国(地球上の全ての国家)を敵とするとしても、恐るることは無い。一個人の自由を妨げようとする者があれば、政府の官僚にも遠慮することはない。およそ人たるものは、その身分に従い、それ相応の才徳(才智と徳行)を備えるべきである。その為には、物事の理(道理、法則、物事の筋道)を知るべきである。物事の理を知ろうとするには、字を学ばなければならない。これが学問の急務(急いでしなければならない仕事、任務)であるわけである。

 

・・・何故学ぶべきかを、諄々(人情が豊かで心がこもっている様子)と諭すかのような口調です。しかし、断言するかの様でもあります。この様な表現だからこそ、明治の日本人が、しっかりと文言を刻み込んで、学問をしなければならないと思ったのではないでしょうか。

posted by at 19:08  | 塾長ブログ, 国語力ブログ
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