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教科書に載らない歴史上の人物30 樋口季一郎

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、国語の力をしっかりつけることが、算数・数学、英語、理科、社会など、多くの教科書の内容を理解する一番の早道だと考えています。

教科書を自ら読解し、更に、参考書や問題集をこなしていく為には、一言一句の意味合いを理解しておかなければならないのは当然です。

さて、

以前本ブログで取り上げた以下の記事(*)で取り上げた樋口季一郎を非常にうまく紹介しているyoutuberの動画をご紹介します。

(*)教科書に載らない歴史上の事実 4 人種平等の精神を国是とする大日本帝国

【日本史】ロシア軍の北海道上陸を阻止し、ユダヤ人を救い、無傷での撤退作戦を成功させた奇跡の日本軍人/樋口季一郎

常用漢字だけでは大学の教科書は読めない

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、日頃から国語教育の重要性を述べています。これは各界の知識層も警鐘を鳴らしていることですが、これからの日本を担っていく若者層の識字率・読解力の低下を憂う声が大きいのは、若者に責任があるわけでは有りません。

ロシアがウクライナに侵攻して国際的に安全保障の不安要因が彌増す中で、日本の円安など国力の低下は将来に不安を残します。何より国の基(もとい)は、国土の保全と人材の育成です。

偶然メルマガの記事の読者の意見を目にして、首肯する点があったのでご紹介します。

「宮崎正弘の国際情勢解題」令和四年(2022)4月11日(月曜日)壱 通巻第7295号の(読者の声4 SK老)

国語の破壊。マッカーサーは、当初、英語を日本の国語にすることを考えていたので、取り敢えず、日本語表記のローマ字化、漢字の使用制限をしました。当用漢字とは、当面は使用してもよい漢字という意味です。最終的にローマ字化は諦めましたが、当用漢字は常用漢字として今も残っています。

文明開化の時代、日本人は漢字を駆使して、非常に短期間で、欧米の文化・学術・芸術を日本語に翻訳し、全国民の啓蒙に役立てました。日清・日露の戦争に勝ち国際連盟の理事国になれたのは、この言語能力のお陰です。この時の翻訳語が中国・韓国の近代化に大いに貢献し、現在、彼らが使用している語彙の7割くらいは和製翻訳語と言われています。

この便利な知的道具である漢字の使用が制限された結果、日本人の言語能力は著しく低下し、1000年前どころか50年前の本すら読めなくなってしまいました。新聞には意味不明のカタカナ語やアルファベットが氾濫して、老人には理解不能です。

そもそも、現在の常用漢字は漢字使用の目安であって制限ではないはずなのに、「蔓延」を「まん延」と表記するのが当たり前となっています。「蔓延」なら、見ただけで解かる人は解りますが、「まん延」一語を見て、その意味を解する人は皆無でしょう。むしろ、英語のspreadを「スプレッド」と表記したほうがまだましです。

常用漢字だけでは大学の教科書は書けません。日本の平均的大学生のレベルが、国際比較で、著しく低いのは教科書が読めないからです。漢字はもともと象形文字なので、幼少期のほうが習得しやすいのです。成人(18歳)になってから、見たこともない漢字で表記された専門書を前に挫折する若者が多いのは、当然とはいえ、残念なことです。江戸時代の藩校教育と寺子屋教育が明治の奇跡的近代化を可能にし、戦前の教育が戦後の復興を成し遂げたのは間違いのない事実です。そして、現代日本の低迷は、占領下の教育改革の必然的結果であることも間違いありません。

歴史学者 アーノルド・J・トインビーは「滅亡する民族の共通点」として次の三つをあげています。
●自国の歴史を忘れた民族は滅びる
●すべての価値を物やお金に置き換え 心の価値を見失った民族は滅びる
●理想を失った民族は滅びる

この三つを一つにまとめれば「国語を失った民族は滅びる」でしょう。国語は、その民族の歴史、価値観、人生観の集大成です。「教育は国家百年の大計」とも言います。マッカーサーはそれを証明してくれたようです。

 

・・・如何でしょうか。

昭和二十七年(1952)に米国の占領から独立したにも関わらず、七十年経っても本来の日本を取り戻すことができていないことから、教育の世界では劣化がどんどん進み、意欲を持った若者が先生にならない(なれない)のが教育界の実情です。

一般の小学校・中学校では、常用漢字レベルの漢字学習しかできていない訳ですから、各家庭でしっかり漢字力・国語力を向上させる道を取らない限り、学力を向上させることはできません。

まして、本来のあるべき大学教育を通して、専門性の高い学問を習得しようとすれば、漢字力や語彙力がないレベルでは、とてもついていけません。

posted by at 19:28  | 塾長ブログ, 国語力ブログ

教えることは、待つこと。

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、春期講習中にも明るい大きな声で音読をしています。

就学前の姉妹・兄弟の可愛く高い声が塾内を満たしています。

三歳の女の子が年上の塾生と、論語の一節を唱えていたときに、その粒らな瞳に涙が滲み出しました。一所懸命に声を出しているからなのか、論語のリズムに反応してなのか、不思議です。最後までしっかり唱え終わりました。

 

さて、

朝井まかて著「ボタニカ」(祥伝社)の一節をご紹介します。直木賞、中央公論文芸書、柴田錬三郎賞など数々受賞する作家が、「日本の植物学の父」と言われる牧野富太郎氏を主人公として描いた作品です。その一節。

白墨を手にした富太郎は、黒板に桃の実の絵を三つ書いた。

「ここに桃が三つ入った籠がある。これに二を乗じて四つ食ったら、いくつ残るが?」

教場に座した生徒らを見回し、黒々したイガグリ頭に目を留めた。

「岩吉、どうじゃ」

皆が一斉に後ろを振り向く。注視を浴び、岩吉の平たい顔が途端に紅色を帯びた。躰は大人並みで、実際、富太郎と同じ十七歳だ。岩吉が前の席に座れば後列の生徒に掛図や黒板の文字が見えにくくなるので、常に出入り口に近い後方にいる。家の畑仕事を手伝ってから登校するらしく、しばしば授業に遅れるという事情もある。

岩吉は俯いて、肩や腕をもぞもぞと動かすばかりだ。

「ゆっくりでえいぞ」

こういう局面では急かさないことにしている。岩吉はこの程度の計算など簡単にでき、頭の中ではすでに答えを出しているのだ。それはこれまでの授業で察しがつくし、この教室は上等小学の八級だ。皆、下等小学の一級からここまで進んできている。臨時の試験を受ければ飛び級もでき、たしか岩吉も何級か越えているはずだ。しかしこうして皆の前で当てられると狼狽して黙り込んでしまう。人前で答えを述べることに慣れていない。特に百姓の子にそういった性質が多く、岩吉もしかりだ。間違うことを無闇に恐れ、教員に対してもひたすら恐懼の体を取る。

(中略)

「岩吉、どうじゃ」と、再び促してみた。

大きな肩をすくめ、やっと「二つ」と呟くように答えた。「よろしい」とうなずき、富太郎は爪先を回した。黒板に向かい、桃の絵を新たに大きく五つ描く。

「さて、次の問いじゃ。桃を七人で食いたいが五つしかないとする。あと、いくついる?」

前列の女児を当てると、即座に「二つ」と答える。順に訊いていくと、皆が「二」「二個」と答えていく。先ほどよりさらに簡単な計算であるので間違える者はいない。問いをもっと捻るべきだったかと思いつつ、最後に岩吉の番だ。

「あといくつ要る」

すると、首を横に振った。

「要りません」

「ほう、要らぬか」と、富太郎は頬を緩めた。「いくつ要る」と問われて「要らぬ」と答えるのは正解ではないが、不正解は往々にしてサムシングを孕んでいる。

そうじゃ、こういう答えを待っておったがよ。

浮き浮きと弾んでくる。しかし生徒らは顔を見合わせてざわつき、岩吉の顔はまたもや熟柿の如きになった。

「皆、静かにせんか。岩吉、理由を教えてくれ」

岩吉は目をしばたかせ、唇を揉むように動かしてから「うちは」と声を押し出すように言った。

「うちんくじゃ、いっつも桃の木から五つもいで、それを七人で食べよります」

「喧嘩にならぬのか」と訊くと、何人もが笑い声を立てた。それにはかまわず、目で先を促す。

「なりません」

「岩吉の家には工夫がありそうじゃな。絵でもって皆に教えてくれぬか」

前へ出てくるように手招きをした。すぐに立ち上がらぬのはわかっているので、また待った。

「岩吉、わしも教えてもらいたいがよ」

渋々ながらも、ようやく前に出てきた。藍木綿の着物は窮屈そうで、手首や太いふくらはぎが剥き出しだ。ひなたの草の匂いがする。白墨を渡すと、岩吉はしばし黒板の前に佇み、そして三つの桃にのろのろと斜線を引いた。引いていない桃も二つある。

「ほう、これはいかなる分け方じゃ」

「一個まるまるを父ちゃんに食べてもろうて、あとの三つを半分ずつ、祖父ちゃんと祖母ちゃん、わしと弟、妹二人で分けるがです」

「すると、一個余る勘定になるが」

「はい、母ちゃんに供えます。仏前に」

思わず目尻が下がった。「そうか」と何度もうなずき、席に戻るように掌で指し示す。岩吉が腰を下ろすのを見届けてから、「えいことを教えてもろうた」と皆を見回した。

「えい分け方じゃ。それに、皆、この絵をよう見てみいや。五という数は一が五つあるだけでできちゅうわけじゃないことがわかるろう。一と一、それに二分の一が六つあっても、五になる。他にもいろんな数が潜んじょりそうじゃのう、面白いのう」

生徒らはじっと息を詰めて目を凝らし、「うちは四人じゃから」と分け方を考え始めた。

「一つ余るき、それを四分のいちずつ、また分ける。ということは、一が四つに、四分の一が四つでも、五になる」

発見した。そんな目をして、頬を輝かせている。

富太郎は、その感触を忘れてくれるなと願いながら教場を見回した。

最初は伝えることに懸命だったのだ。この世がいかに面白いことどもでできているか、生徒らに知ってほしかった。けれど一方的に言葉を発しても、持っている桶の大きさがそれぞれ異なることに気づかされた。新しいこと三つ学んだら、後はもう溢れてしまう桶もある。そこで、桶が一杯になった時分に、こうやって問いかけることにした。

教えること、すなわち一方的に伝えることではない。教えることは、自らで何かに辿り着く瞬間を辛抱強く待つことでもある。

 

・・・牧野富太郎氏は、十五歳から、高知県の佐川小学校の「授業生」すなわち臨時教員としておよそ二年間教鞭を取りました。その頃の教授風景を作家は生き生きと描写し、牧野富太郎氏が植物学への道を踏み出す頃に読者を引き込んでいきます。

お薦めの一冊です。

 

posted by at 17:22  | 塾長ブログ

賢さは感動から

長崎市五島町の就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、塾生の個性に着目しながら、より賢くなる方法を常に考えています。物事を感覚的に捉えるタイプか、論理的に考えるか、学び方もそれぞれ個性があります。

さて、櫻井よしこ氏が「日本再生、大学の講座制を廃止せよ」の記事の中で紹介されている先生がいらっしゃいます。(『週刊新潮』 2022年3月3日号日本ルネッサンス 第989回 https://yoshiko-sakurai.jp/2022/03/03/9357 )

引用してご紹介します。

ノーベル化学賞候補者に名前が挙がる中部大学教授の山本尚氏が「日本人 よ、感動できる人間になれ」と叱咤している。「感動を知っている子供 は、必ずその後の人生で大きく成長できる。大人になってから、発明や発 見をできる人になる。大きな仕事にも成功する」と、近著『日本の問題は 文系にある』(産経新聞出版)の中で言い切っている。

家族、友人、国や社会、森羅万象に対して感動する心で接すれば、深いつ ながりが生まれるというのだ。感動を知らないようでは、およそ全てが想 像を超える速度で変わっていくいま、対応できず、生き抜くことも難し い、だからこそ、日本人本来の豊かな感性に急ぎ立ち戻れと、山本氏は 言っているのである。

氏は前著、『日本人は論理的でなくていい』で、日本人の強味はその情緒 にあると主張した。日本人は日本人であることにもっと自信をもってよい と言うのだ。やわらかで豊かな感性こそ、学問、研究におけるすばらしい 発想の母胎であり、そこから「日本再生」が始まると強調する。研究者と しての実体験に基づいて氏は断言する。感性の豊かさなしに創造は無理だ と。一例として、氏は、ノーベル賞受賞者の中で論理的な思考をする人と は遭遇したことがない、全員が情緒の人だと書いた。

氏のこのような感覚は歴史を遠く遡る。日本人の情緒と繊細な感性の育み は縄文時代に始まると、氏はとらえている。約1万年もの長い間、縄文人 は穏やかな社会を維持し高度の文化を楽しんで生きた。私は実は、彼らの 精神世界は日本の国柄の基(もと)いでもある神道につながっていると感じ ている。

たとえば死者に対する追慕の念の在り方である。縄文遺跡の集落の中で、 死者の墓は生きている人々の暮らしの場の、すぐ身近なところに大切に維 持されていた。1000人から1500人規模の村を何千年にもわたって守り維持 した縄文人は死者と生者が一体となった精神世界に生きた人々だったと思 う。縄文人の想いは、肉体は滅びても死者の霊魂はなお生者の身近にいて 見守ってくれているという神道の死生観につながっているのではないか。

・・・そこで早速、中部大学教授の山本尚氏著『日本の問題は 文系にある』(産経新聞出版)をのぞいてみると、

山本 尚(Hisashi Yamamoto)中部大学ペプチド研究センター長 先端研究センター長 教授

https://www3.chubu.ac.jp/catalyst/member/hisashi_yamamoto/

https://ja.wikipedia.org/wiki/山本尚

 

感動を教えればいい

京都大学で助手(今の助教)だった頃である。

野崎一先生(故人、京都大学名誉教授)が学外での会議等で講義を休講されるときに、時々、私に代行を命じられた。それまで講義をするという体験がほとんどなかった私に先生がどう講義するかを丁寧に教えてくれた。

「教科書のその日に教えなければならないページを開いて、自分が面白いトピックスだと思ったところ、自分が感動した部分を探し当て、それを学生に教えればいい」

野崎先生はこうおっしゃった。

私は心底驚いた。教科書には論理的になぜそうなるのかが、懇切に記載されているのだが、それを全て無視しろと言われる。

しかし、この方法は私には新鮮で、自分でもワクワクしながら、話すことができた。また、学生にとっても、話す方の興奮が伝わったと思う。

私が目についた感動を話すことで、学生は自分もその仲間になると考えるのだろう。その裏にある論理は教科書を読めばすぐに理解できるはずで、それを読もうとする意思は、伝えられた興奮が残っていてこそ生きる。

私には論理を話すことはとても退屈で、苦手でもある。聞き手の学生もその論理に支配された課題に我慢強く注目することはできない。

感動はそうではない。感動は人の心を一気に掴み、自由にし、思いのままに羽ばたかせるのだ。幸いなことに私の専門の化学には感動する機会が非常に多い。これは身の回りの自然に感動することに比較的近い。

・・・山本尚中部大学教授のご著書には、ワクワクドキドキするような体験を交えてのとても興味深い具体的なお話が有ります。

先生は、小学校の時ロケットが大好きで、鉛筆のキャップに硫黄の粉末とアルミニュームの粉末を混ぜて蓋をして、発射台の下にベンゼンをまき、火をつけ、テルミット反応(後で理屈がわかったそうです)が起こり、キャップが飛んで行った経験をします。後の化学の世界へ進むきっかけです。

・・・小学校三年生(九歳前後)くらいまでの間に、様々な体験や感動する場面に出会うと、何かに触発されたかのように積極的に知的興味や関心が高まります。自律的に学び出す瞬間です。

 

posted by at 19:10  | 塾長ブログ

小学校受験は賢い子にする良い機会

就学前教育(プレスクール)・学習塾の羅針塾では、小学校を受験させたいと考える親御さんからの問い合わせに、中学・高校・大学・社会人へと繋がる視点でお話をさせて頂きます。

就学前の年少・年中・年長は、「学ぶ力」の基礎づくりをする良い機会です。

当ブログの「記憶力は三歳がピーク」(https://rashinjyuku.com/wp/post-1958/)で述べています通り、九歳、つまり小学校三年生までに右脳(機械的記銘能力)を活性化する訓練を受けた場合と比べ、それを受けていない小学校三年生以上になると、暗記する力が落ちていく、という論があります。

三歳ぐらいから、親の話を聞く力、理解する力はつき始め、言葉を覚え、自分の意思を伝えることも同様に出来るようになってきます。

小学校受験を踏まえて就学前の学びをしている塾生さんの弟・妹さんも、二、三歳位から、同時進行で通塾し学び始めます。すると、とても興味深いことですが、お兄さんやお姉さんと伍して(肩を並べて)学び始め、言葉を覚え、語彙力が増していきます。年上のしていることに関心を持ち、「學」の本来の意味合いである「真似る」ことが、自然の「学び」になっていきます。

就学前から学び始め、小学校受験を経て、継続して通塾している小・中学生は、「聞く」「話す」「書く」「読解する」など基本が出来ていることから、基本の二時間の学習時間は、あっという間です。

問題を音読しながら解答していき、分からないことや疑問点は、自ら辞書を引き、参考書・解説書などで確認します。科目ごとに何をすべきかを考えて、タイマーで時間も設定していきます。

就学前の幼児期から、少しずつ積み重ねてきたものが、小学校受験を経て小学校の授業の理解に繋がります。

それを基本にして、クラスでトップ、学年でトップを目指していきます。

日々の努力の積み重ねが大事であることを理解し、精進し続ける力は、一朝一夕にはつきませんが、就学前からの訓練を通し、自然に身に付けていきます。

 

posted by at 17:07  | 塾長ブログ
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