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幼學綱要

本日は七十五年前の大東亜戦争(所謂、太平洋戦争)の日米開戦日で真珠湾攻撃が成功した日(昭和十六年(1941)12月八日)です。戦争を賛美するのではなく、歴史的な事実として記憶に留め、何を学ぶかが大事なことです。

その歴史的な日に、偶然古書店で「幼學綱要」の上・中・下三巻と漢文解、合わせて四巻組の箱入り和綴じ本を手に入れました。

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、良き教材を探して戦前の書物を渉猟している矢先でしたので喜びも一入(ひとしお)です。

 

      幼學綱要

「幼學綱要」についての解説や内容については少しずつご紹介していこうと考えています。

 

posted by at 19:49  | 塾長ブログ

母の教えと教訓歌 12 手島堵庵

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、国語教育の一環として古典・漢文の世界にも足を踏み入れます。

さきにご紹介しました実語教(平安時代末期から明治初期にかけて普及していた庶民のための教訓を中心とした初等教科書)のみならず、良書があれば活用していきます。
さて、
「母の教えと教訓歌」シリーズ、今回は手島堵庵です。

    手島堵庵像 

 

井戸掘りて 今一尺で 出る水を 掘らずに出ずと いう人ぞ憂き
(『児女ねむりさまし』の歌)

「井戸を掘り進めているときに、あと一尺(30.3cm)掘れば水が出るのに、掘らないで諦めてしまい「水が出ない」と言うのは悲しむべきことである(困ったものである)。」

江戸時代中期には、商業の発展に伴い都市部の商人は経済的に豊かになっていきました。
一方、百姓は社会の基盤とみなされるが、商人は生産するわけでもないのに利益だけは得ると蔑視されがちでした。
飢饉や疫病の流行の際には米の値段が乱高下し、商人の米の買占めなどにより、一揆や打ち壊しが起きて社会不安も大きくなりました。
商人の閉塞感が広がる中、その精神的な苦痛を救おうとして「人は如何に生くべきか」について論じ始めたのが石田梅岩でした。
梅岩は「石門心学」と呼ばれる道徳哲学において、士農工商は人間の上下ではなく単なる職業区分であること、倹約、正直、堪忍などの精神が大事であること、などの道徳を町人に分かりやすく説きました。

慈悲まこと 正直も皆 我身より 現はれ出づる 光ぞと知る
(石田梅岩)

梅岩の門下に十八歳で入門したのが手島 堵庵です。
石田梅岩亡き後、石門心学の中心となり、庶民への普及に専念して推進者となります。
また、女性のための講座や、年少者の為に日中行う「前訓(ぜんくん)」という講座も開きました。
その講義には道話(*)や道歌(*)などが用いられました。

*道話=心学者によって行われた訓話。身近な例を挙げて、分かりやすく道徳を説いたもの。
*道歌=道徳的、教訓的な短歌のこと。様々な体験から出た世智であり訓戒で、昔から日本人に親しまれている。

手島 堵庵とは

     手島堵庵前訓

手島 堵庵(てじま とあん)
享保3年(1718)~天明6年(1786)
江戸時代中期の心学者。
十八歳の時に石田梅岩に師事。
京都の商家に生まれて家職を勤めながら十八歳で石田梅岩について心学を修め、二十歳で開悟しました。
四十四歳で家督を長子に譲ってのちは心学の布教と統制に専念し、心学普及の推進者となりました。。
隠居した当初は、京都富小路の五楽舎に住み、講学の場とするも、門弟の増加により、安永2年(1773年)に五条東洞院に修正舎、安永8年(1779年)には西陣の時習舎、天明2年(1782年)には、河原町に明倫舎を建て、石門心学の普及、宣伝に尽力します。
弟子には、中沢道二・布施松翁・上河淇水・脇坂義堂・薩埵徳軒などがいます。

梅岩を継承して人間の本質を「性」に求める教化理念を中核としましたが、梅岩教学にみられた社会批判の側面を捨象し、心に「思案なし」の境地を築く自己批判を中心とした精神修養によって心学を再構成しました。

世俗的な文言や絵を刷りこんだ「施印」、幼児教育にも努め、子供向けに『新実語教』『男子前訓』『女子前訓』、女性向けに『女冥加訓』、子守娘には『子守唄』を編述するなど、布教の相手にふさわしい教材や教科書を用意して教化に努めました。

posted by at 16:56  | 塾長ブログ

教科書に載らない歴史上の人物 20 ラダ・ビノード・パール

我が国の学校教育の中で欠落しているのが近現代史。
問題なのは、これをほとんど教えていないことです。

先の大戦(大東亜戦争、所謂太平洋戦争)、と言っても終戦から七十年以上前のことになります。
ところが、何故起きたのか、結果どの様になったのか、などは教科書にさらっと書いてあるだけで、授業でも歴史の先生は触れもしません。

激動する国際関係の中で日本国がどの様に国の存立を図るか、ということは喫緊の最重要課題です。
しかし、小・中・高校・大学生に歴史をしっかり教えていないと将来を担う若者は簡単には判断することができません。

しかし、「教えない大人」に頼らずに、
現在はインターネット社会ですから、求めさえすれば情報を集め、取捨選択して自ら学ぶことができます。
更に、AIの進化に伴って、生身の先生よりもはるかに正確な情報を得ることができる時代はすぐそこまで来ています。

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、幼い時から興味のあることや疑問に思うことを自ら求めていくことができる様になって欲しいと考えています。

さて、教科書に載らない歴史上の人物の再掲(加筆)です。

***************************

ラダ・ビノード・パール・・・この名前でピンと来る人は、近・現代史に造詣が深い方です。
親日国であるインドの法律家です。

さて、元気のでる歴史人物講座  日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦氏の記事からの引用(産經新聞平成21.8.26 )です。

パール 日本を尊敬、祖国に自信

 東京裁判は戦勝国が戦敗国、日本を断罪する不正不当の復讐(ふくしゅう)裁判であった。
この裁判で唯一人、日本の無罪を主張したのがインドのパール判事である。
パールはこの裁判を「儀式化された復讐」と述べている。

 パールが19歳のとき日露戦争が起きた。
日本が勝利したとき、インド中に感激が湧き上がった。
パールは言う。

 「同じ有色人種である日本が北方の強大なる白人帝国主義ロシアと戦ってついに勝利を得たという報道は我々の心を揺さぶった。
私たちは白人の目の前をわざと胸を張って歩いた。
先生や同僚とともに毎日のように旗行列や提灯(ちょうちん)行列に参加したことを記憶している。
私は日本に対する憧れと祖国に対する自信を同時に獲得し、わななくような思いで胸一杯であった。
私はインドの独立について思いを致すようになった」

 日露戦争は世界史の一大分水嶺(ぶんすいれい)であった。
日本の勝利が有色民族、被抑圧民族に民族独立への夢を決定的に与えた。
彼らは希望と勇気の源泉として日本に深い尊敬と親愛の念を抱き続けた。

 大東亜戦争は欧米の数世紀にわたる人種偏見に基づく植民地支配を打ち破り、有色民族の解放と独立を導く最大の契機となった。
インドもそれで独立できた。

「私はこの日本を愛している。この日本に骨を埋めたい」とまで言ったのがパールであった。

  ラダ・ビノード・パール(靖国神社内顕彰碑)

ラダ・ビノード・パールとは

ラダ・ビノード・パール
インドの法学者、裁判官。ベンガル人。国際的な権威を持つ法学者。
大東亜戦争(所謂、太平洋戦争)終戦後、戦勝国米国が主導する極東国際軍事裁判(所謂「東京裁判」)において判事を務め、被告人全員の無罪を主張した「意見書」(通称「パール判決書」(*)の作成者として知られている。
パール判事は、ヒンドゥー法を専攻し、コルカタ大学の教授であった。

パール判事は、極東国際軍事裁判終了後、国際連合の国際法委員会委員長として就任。

*パール判決書は、講談社学術文庫全2巻に掲載されています。
所謂A級戦犯が全員無罪であるとの格調高い意見とその解説がされています。

一般に「パール判決書」と呼ばれていますが、正確には「判決書」ではありません。
東京裁判では「judgement」には、裁判所が出す「判決」と、その裁判に関わった判事が判決について述べる「意見書」の2種類がありました。
ラダ・ビノード・パール判事が書いたのは、まさに東京裁判所が下した判決に対する「Dissentient *Judgement」つまり「反対意見書」です。
*dissentient=(特に大多数の人と)意見を異にする、異議を唱える、反対する

その中で彼は、東京裁判は勝者が敗者を一方的に裁いた国際法に違反する復讐である、としてその違法性と起訴の非合理性を主張しました。
そして、
「裁判所条例といえども国際法を越えることは許されない」
「戦争は法の圏外にある」
「日本が戦争を起こしたのは、侵略のためではなく、西洋諸国によって挑発されたためである」
「日本は国際法に違反する行為はしていない。国際法上、犯罪行為に当たることをしていない日本は自衛のために武力を行使したのであり、侵攻戦争とても、いまだ国際法上の犯罪とはされていない。東条被告以下、いわゆる『A級戦犯』に指名された者は、無罪として放免すべきである」
「この裁判は、国際法に違反しているのみか、法治社会の鉄則である法の不遡及*(事後法の禁止)まで犯し、罪刑法定主義を踏みにじった復警裁判にすぎない」
などとして、被告人の全員無罪を主張しました。
しかし、この意見は少数意見として祭り去られました。

*行為時に法律上犯罪とされていなかった行為を、後で制定された法律によって処罰することを禁ずる法の大原則。
法律はそれを制定した時点より後に適用されるのが大原則。
後から法律を作って過去に遡って適用して裁くこと許されない(法の不遡及、事後法の禁止、罪刑法定主義の違反)。

posted by at 18:25  | 塾長ブログ

グローバル化に対応した新たな英語教育

長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、文部科学省の「教育改革」について、適宜情報を確認しながら、これからの教育の目指すべき道を考えていきます。
さて、
文部科学省のホーム・ページに「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」が掲載されています。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/__icsFiles/afieldfile/2014/01/31/1343704_01.pdf

 「初等中等教育段階からグローバル化に対応した教育環境づくりを進めるため、小学校における英語教育の拡充強化、中・高等 学校における英語教育の高度化など、小・中・高等学校を通じた英語教育全体の抜本的充実を図る。
2020年(平成32年)の東京オリンピック・パラリンピックを見据え、新たな英語教育が本格展開できるように、本計画に基づき体制 整備等を含め2014年度から逐次改革を推進する。」

・・・・とあります。
更に、

 グローバル化に対応した新たな英語教育の在り方

○小学校中学年:活動型・週1~2コマ程度
・コミュニケーション能力の素地を養う
・学級担任を中心に指導

○小学校高学年:教科型・週3コマ程度 (「モジュール授業」も活用)
・初歩的な英語の運用能力を養う
・英語指導力を備えた学級担任に加えて専科教員の積極的活用

○中学校
・身近な話題についての理解や簡単な情報交換、表現ができる能力を養う
・授業を英語で行うことを基本とする

○高等学校
・幅広い話題について抽象的な内容を理解できる、英語話者とある程度流暢にやりとりができる能力を養う
・授業を英語で行うとともに、言語活動を高度化(発表、討論、交渉等)

※小・中・高を通じて一貫した学習到達目標を設定することにより、英語によるコミュニケーション能力を確実に養う
※日本人としてのアイデンティティに関する教育の充実(伝統文化・歴史の重視等) 

・・・所謂「グローバル化」という抽象的な言葉で、我国の教育に英語教育が更に必要だ、として国を挙げて教育改革を推進している様ですが、現実にビジネスの現場にいる人々はどの様に考えているのか、をご紹介します。

グローバル・ビジネス・パーソンに大切なこと

筆者が愛読している「国際派日本人養成講座」の伊勢正臣氏が以下の様に述べています。
http://blog.jog-net.jp/201611/article_3.html

グローバル・ビジネス・パーソンに大切なこと
 —–必要なのは「一に人柄、二に能力、三、四がなくて、五に語学」

○最近、多くの企業で、管理職になるにはTOEIC何点以上必要などという制約を設けるようになったり、さらには社内の公用語を英語とする所まで出てきた。
こういう動きに対して、拙著『世界が称賛する 日本人が知らない日本』では、「国際派日本人にお勧めの英語勉強法」の章で、実は「英語を勉強しなくても済む方法」を説いた。

 そこでの結論は、こうである。

1) 本当の英語力が必要なのは日本人の数パーセント。

2) 本当の英語力をつけるには大学卒業後でも1500時間は必要。毎週2時間では14年もかかってしまう。それなら1冊3時間の本を500冊読んで、人格や専門能力を磨いた方が良い。

3) 海外で働いたり、生活するなど、本当に英語が必要になったら、受験英語さえやっていれば、現地に行ってからでも間に合う。

(中略)

○アメリカで尊敬されている中卒の日本人駐在員

 外国の職場でどんな日本人駐在員が望まれるのか。

『世界が称賛する 日本人の知らない日本』では、次のような具体例を紹介した。アメリカ現地法人の日本人社長が、日本から派遣された駐在員に関して語ってくれた内容である。

__________
 日本からの駐在員で、TOEICで四百点未満でも、明るくどんどんアメリカ人の中に飛び込んでいくような人は周囲と良いチームワークをつくっている。
仕事での会話と言っても、決まった専門用語と、中学レベルの文法と基本表現を知っていれば、だいたい間に合う。

 一番すごい人は、中卒ながら日本の現場で職長をやっていた人で、アメリカの工場でも、専門用語を並べるだけで、作業者をアゴで使っていた。
それでも、一人一人を一生懸命育てようとしていて、その姿勢はアメリカ人にもすぐ伝わるので、皆、彼の言うことをよく聴いていた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この中卒の職長さんこそ、「一に人柄、二に能力、三、四がなくて、五に語学」の実例と言えよう。

 こう考えると、社員の人柄や能力を脇に置いて、英語力ばかり求めるのは、経営者としてはいかがなものか、と思えてくる。語学教育はほどほどにして、まず社員の人柄と能力を磨くことが、企業としては先決ではないか。

・・・ビジネスの現場で求められるものと、文部科学省の目指す人材教育とのズレがありますね。

ところで、
中学・高校生で、英語に苦しむ生徒に共通するのは、「国語力」の不足です。
つまり、
日本語の語彙力が足らない、
現代文・古典・漢文の文法の力が不足している、
ことです。

母国語の日本語で会話をすることができても、
文章に書く、論ずる、提案資料を作り説明する、
等の力は一朝一夕では身につきません。

況や英語をや、ですね。

posted by at 16:30  | 塾長ブログ

教科書に載らない歴史上の人物 19 恩田木工

最新の高校受験の傾向と分析のセミナーを受講してきますと、昔も今も変わらないことに気づきます。
一言で言うと、
幼児期から小学高学年に至る時期に、しっかり基礎教育を身につけているかどうか、ということです。
受験が近づいて慌てて準備しようとしても、読解力(語彙や漢字は当然のこと)や正確で早い計算力など、小学校で完璧にこなせて当たり前の訓練ができていないと、受験勉強が「付け焼刃」「砂上の楼閣」となります。
長崎市五島町の羅針塾 学習塾・幼児教室では、先ずは「読み・書き・算盤」のexpert(熟練者)になるよう指導していきます。
そして、歴史からしっかり学ぶことができる人になって欲しいと考えています。

さて、教科書に載らない歴史上の人物の再掲(加筆)です。

***************************

東北大震災の復興支援に絡み、消費税などの増税論議がされています。
税の問題で、政権が倒れたり、国が崩壊する例は数多あります。

過去の歴史を紐解いても、施政者は民に税という負担をかけることに非常に気を遣います。
民を納得させるだけの、施政者の覚悟と姿勢が必要です。

さて、元気のでる歴史人物講座  日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦氏の記事からの引用(産經新聞平成21.5.13 )です。

■民に難儀かけず藩政改革

 江戸期後半、財政が破綻(はたん)し再建は到底不可能と思われた信州松代(まつしろ)の真田(さなだ)藩を立て直したのが恩田木工(おんだ・もく)である。

 藩政再建の大任を受けた恩田はすぐさま親類を呼び義絶(ぎぜつ)を申し入れ、次いで妻には離縁、子供に勘当(かんどう)、家来に解雇を申し渡した。

 あまりのやり方に一同驚き、訳を聞かせよと詰め寄った。

 「自分は今後、嘘(うそ)を一切言わない覚悟である。
 しかし妻子らが嘘をつけば誰も私を信用しない。
 そうなればとてもこのお役はつとまらない。
 それゆえ妻子と離別し家来を去らせ親類と義絶することにした。

 私は、これから食事は飯と汁だけ、衣服も今後作るものは木綿にする。
 そうなれば妻子らは辛抱できず、じきにうまいものも食べたくなるに違いない」

 すると妻子も家来も決して嘘はいわず言うとおりにしますから、このままおいてくださいと切願した。親類も虚言しないと誓った。

 恩田はこうして自己の姿勢を正したうえ、藩内の庄屋、長百姓(おさびゃくしょう)、町方代表を呼び集めて今後、自分は嘘を一切言わない、役人は贈物・賄賂(わいろ)を一切受けない、従来の悪政を根本から改め民百姓に難儀をかけないと宣言、協力を要請し心血を注いで再建に励んだ。

 恩田の至誠と愛民の至情に基づく政治に民百姓は随喜した。

 恩田は5年後、46歳の若さで急逝した。

 すべての民百姓が泣いた。

「百姓は大切の者なり」の精神を以(もっ)て一身を捧(ささ)げた江戸期の代表的政治家の一人であった。

歴史に残る日本の偉大な先人の事績は、長く語り継いでいかなければなりませんね。

それに比べ、現在の菅政権や政治家達に、私たちを納得させるだけの覚悟や姿勢はあるでしょうか。

  恩田木工(民親)像

恩田木工とは

 

 恩田木工(恩田杢 おんだ もく)
享保2年(1717)宝暦12年(1762)は江戸時代中期の松代藩家老。
藩主真田幸弘により、宝暦7年(1757)民親は「勝手方御用兼帯」に任ぜられ藩政の改革を任されます。
質素倹約を励行し、贈収賄を禁止、不公正な民政の防止など前藩主時代に弛んだ綱紀の粛正に取り組む。
また、宝暦8年(1758)藩校「文学館」を開き文武の鍛錬を奨励。
恩田木工の取り組んだ公正な政治姿勢や文武の奨励は、藩士・領民の意識を改革しました。

恩田木工の藩政改革の事績を記した『日暮硯』には、倹約奨励、綱紀粛正、半知借上廃止、月割貢納制実施、先納年貢分切捨て、未進年貢分免除など、民を愛し誠実に政治を行い藩財政を見事に建て直した姿が描かれています。

信州松代藩は戦国の名将・真田昌幸の家系ですが、後代の藩の財政は逼迫。
六代藩主・真田幸弘がわずか13歳で家督を相続した際に、恩田木工を藩主に代わり会計や事務全般を取り仕切らせたとされています。
その改革は成果をもたらし、幸弘は松代藩中興の名君と称されます。

『日暮硯』の逸話から。

恩田木工は、覚悟の上で公式の場に領内の百姓・町人つまり領民を呼び出し、これから自分は嘘をつかず、いったん決めたことを変更することはない、と約束します。
その上で藩は年貢の未納分を棒引きにし、一方領民側はいままでに前納・前々納の形で前払いしていた年貢を棒引きにする代りに、来月から今年の年貢は規定どおり毎月月割りで納めてくれ、と持ちかけます。
恩田木工の思慮深さは、これらの施策を藩の名において頭ごなしに強制するのではなく、あくまで領民が村などに帰って末端の者たちも含め一人一人と協議の上、申し出を受けるか否かの判断を領民に預けてしまうことにあります。
今年の年貢を納めてもらう代りに、以前は税金滞納の督促の為にそれぞれの村に出していた多数の役人を、以後は出さないと約束するのです。
領民の百姓の立場からすると、督促の役人の接待もしなければならず、その接待費も百姓の負担であったわけですから、以後接待をせず費用の節約になる、と提案されれば受け入れ易くなります。
また、領民の奉仕で賄われていた土木工事なども必要最小限のものを除いてはさせない、と約束します。
恩田木工は、改革を一気に行えばかっての様な騒動に発展しかねない施作を、自らを戒めるのみならず、家族・郎党を戒め、藩の家臣団を引き締め、更に百姓・町人などの領民全体をも引き締めることによって、実を挙げていきます。

木工の優れたところは、質素倹約を無理に強いるのではなく、悪徳役人を処罰する際にも「これらの者どもは善い指導者が使えば善くなり、悪い指導者が使えば悪くなる」と藩主を説き伏せ、その彼らをも活かし切るという手立てを取ったことにあります。
更に領民に対し「相応に楽しみをせよ。慰みには博打なりとも何にても好みたることをして楽しめ」と、日々の生活が窮屈にならないように配慮します。

慈悲と厳格を平等に適用し、たとえ身分が低い者といえども正直者が馬鹿を見なくて済む政治を実現しようとしました。

・・・いつの時代も変わらない政治の要諦。
国民が進んで国の為に力を尽くそうという善政。
善き人材教育と徳のある指導者の育成。
適材適所。
・・・等等、日本の国柄にあった国づくり、人づくりが求められています。

posted by at 19:02  | 塾長ブログ
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